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ユリアンヌは未来を変える  作者: 亀れおん
7/13

父子


 ふっくらと仕上がっている小麦のパンを二口。葉野菜や根菜の入ったスープを三口。香草で香り付けされ油で焼かれた白身の魚を一口。

 それが限界だった。


「うっ……ごめんなさい、もういいわ」


 傍に控えているリマに伝えた。

 手間をかけて昼食を拵えてくれた料理人の方々にも、食べきる事が出来なかった食材にも、食物を無駄にする事を何より嫌うリマにも申し訳なくて、彼女の方を向けず、視線が下に落ちる。

 そんな私の胸中は、何年も共にあるリマにはお見通しらしく、


「……あのですね、お嬢様。お嬢様の体調が優れない事は、お屋敷の誰もが知っています。心配はすれど、怒ったりなんてしませんよ」


 柔らかな声音が胸に沁みる。釣られてリマの顔を見ると、十歳の私より四つ歳上の彼女は慈しむように微笑んでいた。


「……ありがとう、リマ」


「でも、こんなに食が細くて大丈夫ですか? 目の隈も日増しに酷くなっているように見受けますし」


 魔力量減少が告げられた日から、三日が過ぎた。

 あの日以来、まともに食事を摂ることが難しくなった。どうにも喉を通らない。

 眠る事も困難になった。目を閉じると、あの惨状、惨劇がどうしても頭の中に浮かんでしまう。


「……大丈夫よ」


 空元気なのは傍目から見ても明らかだろうけど、そう返す。

 リマは一瞬だけ悲しそうな顔をしたけれど、


「……そうですか」


 とだけ言って、移動せず食事が出来るようにと寝台横に設置された卓子にある食器類を、手にしていた木製の盆に手早く載せていく。


「厨房の方々に、私が謝っていたと伝えてちょうだい」


 事情は理解してくれていると言っても、ずっと燕麦の牛乳粥では気が滅入るだろうと腕を振るってくれた料理人に対して、やはり罪悪感が先に立ってしまう。


「はい。食後のお飲み物をお持ちしましょうか?」


「いいえ、今はいらないわ」


「かしこまりました。では、失礼します」


 一礼してリマが部屋を出ていくと、三日前から降り続く雨の音だけが部屋に満ちる。

 雨音が耳を擽る感覚は好きなのだけど、今はそれを楽しむ余裕なんてなくて。寧ろ、単調な音の連続を聞いている内、ずぶずぶと思考が深みに沈んでいく。

 思い出すのは、ラルエース様の顔。

 クダンの、ソガトの、サレナさんの、ジンヤールプ様の、お父様の、お母様の、リマの、顔。

 目を覆う。最悪だ。何人の人達を不幸にしているのだろう。何人の顔を曇らせているのだろう。これが死の直前に見ている夢なら、一思いに死なせてほしい。

 それとも、こうしてお父様やお母様の悲しむ表情を見せる事すらも神罰なのかしら。ならば、それは十全に効果を発揮している。こんなにも心が痛くて、苦しいのだから。

 呼気が荒くなってきたところで、不意に、とんとんと扉を叩く音が耳に入った。なんとか呼吸を整えて返事をする。


「……はい」


「私だ。……入ってもよいか?」


 扉口から聞こえてきたのは、お父様の声。


「どうぞ」


 がちゃり、と扉を開けたお父様はゆっくりと入室してきた。

 いつも毅然とした態度のお父様だけれど、今は少々くたびれているように感じる。私がこの十歳の世界で目覚めてからの全てが迷惑至極なのだろうから、申し訳ない事この上無い。


「そのままで構わん。辛ければ横になってもよい」


 食事の為に寝台から上半身だけ起こしていた状態のままの私を認めると、居住まいを正そうとする動作を制した。


「先程リマと会ったが、あまり食べておらんようだな。……大丈夫か?」


 気遣わしげなお父様の表情。

 普段の言動や立ち振舞いから勘違いされる事もあるけど、私にとっては、家族を大切にする、心根の優しい父だ。


「大丈夫ですわ、お父様。お食事の場に顔を出せず、申し訳ありません」


 本来であれば、朝昼夜の食事は家族揃って摂るのが我が家の決まりなのだけど、もう三日も顔を出せていない。


「体調が優れんのだから、気にするな。……フローテも自室に籠っているしな」


 三日前のあの時から、私のみならず、お母様も寝込んでしまっていた。私の魔力量減少は、やはり自分の責だと気に病んで体調を崩してしまったらしい。

 ごめんなさい、お母様。全て私が悪いのに……。


「お母様の容態は……?」


「医師の見立てでは、体調の方は安静にしていれば大事には至らんとの事だ。問題なのは、心の方だろうな。フローテも……そして、お前も」


 お母様の話から私の話へと移り、どきりとする。


「お前の体調不良の診断も心に因るものだという。今なお不調なのは、魔力量が減少した事に責任を感じての事だと思っていた。が……お前が最初に体調を崩したのは、魔力量減少が発覚する前だった筈だ。……一体、何を気に病んでいる?」


 じっ、と私を見据えるお父様の目は真剣で。その瞳には、私を心配する父の想いが見て取れる。

 とてもじゃないけれど嘘なんて吐けない。でも、私が経験した事を正直に打ち明けたところで、信じてもらえるなんて思えない。

 少し悩んだ末、


「……お父様。私は、沢山の方々に迷惑をかけてしまったのです……! それが、申し訳なくて……!」


 具体的な部分には言及せずに、心の内を吐露していた。私自身、誰かに悔恨を、懺悔を吐き出してしまいたいという気持ちもあったのだと思う。


「それは魔力量の事ではないのか?」


「いいえ、無論そちらも申し訳なく思っております……。ですが、その事とは違うのです……!」


 私の言葉に、お父様は怪訝な面持ちをしている。事情を知らないお父様に捲し立てるのは卑怯だとも思ったけれど、もう止まれなかった。

 声が震える。涙が零れる。


「私は……私はっ、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのです! 今回の魔力量減少も、きっと神が私へと下した罰なのです!」


「過ち……? 待て、何の話だ」


「私の所為で……私の所為でっ……! 申し訳ありません、お父様ぁ……! 申し訳ありません、お母様ぁ……! 私は──」


「ユリアンヌッ!!」


 取り乱した私を、お父様が力強く抱き締めた。いきなり体を包んだ温かさに、噴出していた感情が停止する。


「落ち着け、ユリアンヌ。……ゆっくり、深呼吸をするんだ」


 耳元で囁かれた指示に従って、背中を摩る大きな手の動きに合わせて深く息を吸い込み、吐き出す。

 幾度か繰り返し、なんとか落ち着きを取り戻すと、お父様は私から離れた。


「……ごめんなさい、お父様」


「気にするな。……さて、先程の話だが」


「……はい」


 固く、両手を握り締める。

 あのように要点を避けていたのだ、問い質されるに決まっている。


「お前が何か過ちを犯し、多数の人間に迷惑をかけた。故に、その罰として魔力量が減った。……お前は、そう考えているんだな? そして、過ちを犯した事、迷惑をかけた事を悔やんでいる、と」


「……そうです」


「ふむ……。して、その過ちとは何だ?」


「それは……言えません」


 腕組みをしているお父様から、堪らず顔を背ける。

 現在からすると何年も先の未来の話だ──なんて、言える筈がない。

 お父様の娘は、私は、沢山の方を手にかけた殺人者だ──なんて、言える筈が……ない。

 何か思案しているのか、お父様はしばらく口を開かなくて。

 お父様から目を逸らしたままの私も黙り込んで、ただただ部屋の床に視線を逃がしていた。


「…………前に」


「え?」


 長い静寂を断ち切って、お父様がぽつりぽつりと話を始めた。


「お前が、フローテの花壇に咲いていた赤いゼラニウムの花を摘んでしまった事があっただろう」


「は、はい……」


 急に始まった昔話、それも自分の醜態の話に困惑しながらも頷く。

 あれは確か、六歳の時だったと記憶している。

 その日、ラルエース様がユージー家の屋敷に遊びにいらした。何か贈り物を差し上げたいと思い立った幼い私は、考えあぐねた結果、花壇に美しく咲き誇っていたゼラニウムの花を幾つか摘んで贈ったのだ。

 ラルエース様には喜んでいただけたのだけれど、実はその花壇はお母様が管理していた物で。

 しかも赤いゼラニウムは、まだ結婚していなかった頃にお父様がお母様へと贈った想い出の品種で、以来、毎年手ずから大切に育てている物だったのだと、庭師から聞かされた。


「あの時、私がお前に言った言葉と、共に行った事を憶えているか?」


「それは……勿論、憶えています」


 泣いて謝ると、お母様は笑って赦してくれた。でも、その笑顔を見ると、却って良心が呵責に堪えかねた。叱ってくれた方が、心が楽だった。

 そんな成り行きをお母様の横で見守っていたお父様は、私に、


「心が痛んで、自分が罪を犯したと感じたのなら償えばよい……と」


 そう告げると、償う方法が分からない私を導いてくれたのだ。

 私が摘んでしまった物と同じ品種のゼラニウムを、一緒に育ててくれた。

 頑張って世話をしたゼラニウムが日に日に育ち、遂に深紅の花が咲いた時は、感動で胸が震えた。

 そのゼラニウムをお母様に贈ると、とても喜んでくれて。その笑顔を見るのは、涙が出る程に嬉かった。


「その時と同じだ、ユリアンヌ。罪を犯したのならば、償えばよいのだ」


「っ……ですが、あの時と今とでは犯した過ちの大きさが違います……!」


 事も無げな様子のお父様に、思わず反論してしまう。

 人殺しなんて、とても償える罪ではない。贖える罪ではない。幼少期の失態に比べるべくも無い。あまりに大罪すぎるのだ。

 なのに、お父様は。


「いいか。生きている限り、償えない罪などないのだ」


 そんな事を、言ってきて。


「私はな、ユリアンヌ。償い、贖いとは、金や物等の即物的なものではなく、何事を成したという結果でもなく、姿勢だと思っているのだ」


「姿勢……」


「幼きお前が、フローテの為にと懸命に小さな手を動かしていた。あの姿勢こそが真の贖罪だ」


 確かにあの時は、最初こそ心の疼きを止めるためだったけれど、いつ頃からか、お母様の笑顔が見たくて頑張っていた。


「罪の大小など関係ない。大勢に迷惑をかけたと言うならば、その大勢の為に出来る事を必死にしろ。私達に申し訳ないと思っているなら、私やフローテの為に出来る事を精一杯やってみろ」


 私が未来を奪ってしまった、不幸にしてしまった皆の為に出来る事……。

 思考を巡らせてみても、何も思い付かない。


「お前がどんな罪を犯したのかを言わん以上、私には贖罪の方策については何も言えん。お前自身で考え、実行するしかない」


「私自身で……」


「だが、罪の重さに押し潰されて下を向いていては何も見えんぞ。いいか……横を向いて自分を支えてくれているものを見ろ。前を向いて現状を把握し、上を向いて罪と向き合い、未来を見ろ」


 お父様が言い終わると同時に、撫でられる感触が頭部に発生した。

 下げていた頭をお父様の方に向けると、微笑みながら私の頭に手を伸ばしている、こんな私を支えてくれている人と目が合った。自然、目頭が熱くなる。

 最後にくしゃりと一撫ですると、


「お前が罰だと思い私達に詫びていた魔力量の減少も、迷惑などとは微塵も思っていない。きっとフローテも。……だから、また私達に笑顔を見せてくれ、ユリアンヌ」


 そう言って、お父様は部屋を去っていった。

 再び一人になった部屋の中で、涙を拭って前を向く。

 降り続いていた雨が止んで、曇天の切れ間から一筋の陽光が地に射しているのが、正面の大窓から見えた。


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