応報
「ユリアンヌの魔力量が、減少している……?」
「……はい」
私の自室に設えられた大きな窓の外は、生憎の雨模様。しとしと、と秋雨が屋敷を濡らす音が響く中。
鸚鵡返しのようなお母様の呟きに、ユージー公爵家専属のお医者様が、重々しく頷く。
お父様、お母様が驚愕する現実を告げられたのは、夜会の次の日だった。
会の直前まで気を失っていた間にも診ていただいてはいたらしいのだけど、その時は何故か魔力が減っていた事もあって、気絶は極度の魔力消費による疲労。嘔吐に関しては、おそらく心因性の類では……との診断がされたようで。
私の目が覚めてからは夜会前後だったという事もあって時間が取れず、明くる朝に精密な検査を行ったという次第。
「それは、その……何かの魔法に目覚めたとか、魔力を使用した事で、一時的に魔力を消耗している、ということではなく?」
すがるようなお母様の言に、しかし、お医者様は首を振って諭すように言葉を発する。
「いいえ、違います。まず第一に、ユリアンヌ様は魔法を発現されてはいないでしょう?」
「……はい」
椅子に腰をかけて此方を向いたお医者様に、私は寝具に横になったまま返事をする。
魔法とは、体に蓄積された魔力を消費して行使する超常の術。ソガトの瞬間移動と……サレナさんが見せた光もおそらく該当すると思う。
魔力を有する貴族や極一部の平民の中でも、魔法を会得している者は僅かだという話。お父様やお母様、ラルエース様やジンヤールプ様さえも体得されていない。
私がクダンやソガトに放ったような魔力弾は、文字通り魔力の弾でしかない。魔力がある者であれば──魔力の多寡で、撃てる数や弾の威力に大なり小なりの差異は生じるけれど──やろうと思えば誰でも出来る。
「第二に。ユリアンヌ様は、昨日お目覚めになられてから今まで、魔力を消費するような行動はしていない。そうですな?」
「……はい」
正直に答える。
高名なお医者様と言えど、こればかりは患者からの自己申告を信用するしかないのだ。
魔力を消費するような行動、というのは、魔法を使ったり、それこそ魔力弾を撃ったり、それ等から身を守る為に魔力で体を包んだり……といったもの。あの惨劇の際ならいざ知らず、目覚めて以降魔力なんて使った覚えがない。
「昨日診させていただいた時は、単に何かしらで魔力を消費していらっしゃったのだと思っておりましたが……今診させていただいても、昨日から魔力の量に変化が見られませんでな」
自身の豊かなお髭を撫でつつ赤色の片眼鏡を付けて、私を覗き込むお医者様。
なんでも、特殊な配合のお薬を服用した人間をあの片眼鏡を通して見れば、対象者の内包している魔力が透けて見える……とか。詳しい理屈は私には解らない。
「魔力というものは消費しても時間が経てば、各人様々の上限量まで蓄積されるものですが……日を跨いでも体内の魔力量に変化が無いとなると、ユリアンヌ様の魔力の上限量が減少した、としか……」
「そのような事、まま起こり得るものなのですか?」
「少なくとも、私の知る限りでは……このような事例は初めてですな」
「では、治療法、といったものは……」
「……申し訳ありませんが、皆目見当がつきませんな」
「あぁ……」
ふらり、とお父様にもたれ掛かったお母様が、顔をお父様の胸に押し当てて嗚咽を漏らした。お父様も、そんなお母様の肩をしっかりと抱く。
お母様の嘆きは理解出来る。
貴族が重要視するのは、家格、血統、そして魔力量。
貴族にとって、家の格は貴ぶべきものであり、血の繋がりは誇るべきものであり、そして魔力の量とはその証左なのだ。
古来より王家を頂点として、個々人の多寡はあれど、爵位が上の家の者ほど魔力量も多いらしい。魔力量の多い者が上の爵位を手にしたのか、上の爵位の者が多量の魔力を手にしたのかは定かではないが、とにかく上位の貴族は魔力量が多い。翻って、魔力量が多いという事は上位貴族を上位貴族たらしめる一種の証だ……と、いつ頃からか考えられるようになった。
故に、王家を筆頭に貴族の家々は、家格、血筋と共に自家の魔力量を保つ事を第一にしている。
そこで、この私。
「……それで、ユリアンヌの現在の魔力量は、如何程……?」
低い声音で核心を尋ねたのは、お父様だった。平時であれば表情の変化に乏しいお顔には、今は深い皺が刻まれている。
「……以前ならば、ユージー公爵家の方々の中でも抜きん出た魔力量でしたが……今現在、は……」
かなり悪い状態なのだろうか、お医者様は口ごもってしまう。
「構わん。申せ」
「は……。よくて拳大、威力に乏しい魔力弾を一発、日に一度放つのが限界かと」
「…………そう、か」
眉間を揉むお父様。
お父様の頭痛も尤もだ。ユージー公爵家の長女、それもハイダスタン王家の第一王子の婚約者たる娘に、突然原因不明の魔力量減少が起きたのだから。
こうなってしまった以上、ラルエース様との婚約継続は不可能だろう。それどころか、真っ当な嫁ぎ先すら探すのは困難だ。何しろ原因が解らないのだ、誰だって自家の跡取りに遺伝するかもしれないという危険は回避する筈。
ユージー公爵家長女、ユリアンヌ・ナ・ユージーはたった今、当家におけるお荷物と成り果てたのだ。
「……そう悲観するな。治らないと決まった訳ではない。だろう?」
暫しの重苦しい沈黙の後。
いよいよ泣き崩れていたお母様を宥めつつ、半ば自身に言い聞かせるように、お父様がゆっくり口を動かした。
目線を受けたお医者様は、白髭を揺らし首肯する。
「はい。此方と致しましても、治療法発見に心血を注ぐ覚悟です。……つきましては、明日から毎日、経過観察をさせていただきたく思うのですが、構いませんかな?」
「……はい」
項垂れるように首を縦に振る。お父様、勿論お母様も、一も二もなく頷いた。
検査に使用した諸々の道具や、何事かを仔細に記載した羊皮紙を鞄に詰めると、お医者様は挨拶をして退席された。
扉の閉まる音と同時、お母様が私を力一杯に抱き締めた。お母様の蒼い瞳から流れる涙が私の頬を濡らし、それが呼び水となって、私の内に住まう罪悪感が鎌首をもたげる。
「可哀想なユリアンヌ……さぞ辛いでしょう! 悲しいでしょう! きっと、全て私の責任です! 由緒正しいユージー家の血筋に、きっと私の血が悪さしているんだわ!!」
「止めないか、フローテ。そんな訳がないだろう?」
「ゴードン……でも、でもっ!」
落ち着かせるべく、やんわりとお母様の肩に手を置いたお父様。でも、そんなお父様の顔色も暗く陰っている。
「……そうですわ、お母様。私の体ですもの……これは偏に私の責。お母様は悪くありません」
虚空を見つめながら伝える。
魔力量が減った事は悲しいし、あんな経験をした上でもラルエース様との婚約が白紙に戻るだろう事は辛い。……でも、胸の内には、諦念を感じながら納得している自分がいる。
これはきっと、私の罪に対する罰。私の行いに対する報い。
因果応報とは、正にこの事なのでしょう。
だから、此度の神罰とでも言うべきものには反省こそすれ反抗なんてしない。
けれど。
「ごめんなさい……! ごめんなさい、ユリアンヌ……!」
「フローテ……」
私だけが背負うべきものに、愛しい家族を巻き込んでしまったことが、ただひたすらに心苦しくて、申し訳なくて。
瞳が潤む。心が軋む。
「ごめんなさい、お母様、お父様……!」
私は、謝り続けることしか出来なかった。