逆流
凄まじい白光が溢れ、視界全てを灼き尽くした。それからほんの少し遅れて、恐らくは魔力弾の着弾、そして爆発音が立て続けに響く。
自身が行った攻撃の成果の程、何より現在の状況をいち早く確認したいのだが、視力が戻るのを待たねばならない。放たれた光に対し、咄嗟に目を閉じ左手で覆い隠しはしたが、時は既に遅かった。
「ぐああッ……!」
光に灼かれた目が、痛い。光に照らされた皮膚が、痛い。
そう、痛いのだ。
頭痛だの心痛だのといった、いずれ消え去る下らん欠陥はさて置いて、腕を落とされようが歯を砕こうが痛覚など感じなかったのに、忌々しくも今更外的要因でこうも痛みを感じるなど。
この忌まわしい光は、身に覚えがある。
幾度も擦り──抉り出したい衝動に駆られかけたが──徐々にその機能を取り戻し始めた眼を開き、状況を視認。毒づく。
猛威を振るっていた暴風は凪いでおり、雨を降らせていた黒雲は文字通り雲散していた。どちらも、まるで光の聖なる気に当てられ消滅でもしたように。
「おのれぇ……!」
光の盾……いや、最早壁と呼ぶべきか。巨大な、輝く硝子のような物が、奴等と此方の間に展開されていた。魔力弾は全てこの障壁に阻まれ防がれたらしい。自らの堅牢さを誇示するが如く、悠々と威容を晒している壁が憎らしい。
叩き割ってやりたいのは山々だが、先の闘技場破壊や度重なる魔力弾の連射により、かなり魔力が減少している。今すぐこの壁を砕く威力を持つ魔力弾を生成するのは容易ならざる事だ。
このような事態に陥るなど、慮外も慮外。思慮の外だ。腹立たしいことこの上無い。
と、ここで。
攻撃が止み、役目を終えたと判断したのか、前触れなく堅固な壁は柔らかな光に変化し、主の下へと流れていった。
「サ、レナ……なのか……?」
光が集ったのは、小娘の所だった。
集まった光をその身に纏い光輝を放ちながら、女は男へ力強く頷いた。
「はぁ…はぁ……はいっ!」
男が尋ねたのも無理からぬ事だ。
外観こそは小娘そのままだが、その身から溢れる魔力が増大している上、今までにない、えも言われぬ神々しさがあった。我が本能が受け付けない、嫌悪の感情しか生じない神聖さが。
「その光は、一体……?」
「私にも分からないんですが……急に、体の奥底から力が湧いてきたんです」
この力は、危険だ。我が喉元にまで届く。……だが。
女を観察する。肩で息をしており、足元もふらふらと不安定だ。早速顔色も青くなり始めている。
どうやら障壁で多量の魔力を消耗したらしい。急に目覚めた力だ、不慣れなのも影響しているだろう。加えて、長い年月の間に血が薄まり力を幾らか逸失したか。
ともかく、障壁が消えている今こそ、
「殺すッ!!」
「させません、ユリアンヌ様っ!」
今度こそ仕留めるべく左腕を構えようとしたが、突然体の自由が利かなくなった。動かそうと力を込めてもびくともしない。
目を下へ向けると、奴から全ての光が離れ、我が肉体を包み、拘束していた。光に触れた肉が、しゅうしゅうと音を立てて痛みを発している。
「貴、様ァ……!!」
「んっ……くぅっ…………ううううううっ!!」
相当力を使うらしく、左手を添えた右手を突き出した構えのまま、小娘が呻く。その様子を眺め、胸中でほくそ笑む。
動きを封じられ、痛みも継続的に感じはする。だが、それを考慮しても圧倒的に奴が不利だ。まもなく小娘は魔力が底を突き、まともに立ってもいられなくなるだろう。意識すら失うかもしれない。その時が、奴等の最期だ。存分になぶり殺してやろう。
「ラルエース様!」
女が、喫驚頻りといった状態の男に呼び掛けた。
「な……なんだ?」
「この拘束も、長くは持ちませんっ! 今の内に、本当のユリアンヌ様に戻す手立てを考えてください! 私の力だけでは、それは叶いそうにありません!」
「……ユリアンヌ」
言われて此方を見る男の目は、悲しげに揺れた。そんな視線を向けられるのは、大変に腹立たしく、鬱陶しい。
男が、此方へ向けて一歩を踏み出す。
「戻す、だと? 戯けた事をほざくな芥共! 貴様等が何をしようが何も変わらん! 小娘、貴様から八つ裂きにしてやる! 先の男共とは違いすぐには殺さん! 腕をもぎ足を削ぎ、苦痛と絶望の果てにその命を潰してやる!!」
男の歩みが、止まる。
ゆっくり首を回し、剣身部分で二つに折れた剣の転がる血溜まりを、地面に横たわる男の亡骸を見つめたあと、自分の背後で魔力を使い続けている女へと振り返った。
逡巡か葛藤か、少しの間、男は立ち止まったままだった。
「ラルエース様っ!」
動かない男に痺れを切らしたのか、小娘が叫んだ。
「……もう、いい」
「……え?」
ややあって、ぽつりと男が呟く。此方に向き直った男の顔は、悲壮な覚悟に満ち満ちている。
「もう、いいんだ」
「いいって……ラルエース様っ!?」
その言葉に滲む諦念の意味するところに、女が目を剥く。
「クダンは斬ろうとしていた。それを止めたのは……私だ。だが、その結果がこの惨状だ。クダンも、ソガトも失った……。もっと早く、ユリアンヌと話していれば……クダンを止めなければ……。これは、私の甘さが招いた事態だ」
「っ、でも……でも!」
尚食い下がる小娘。その瞳には新たな涙が浮かんでいる。
「私はッ! サレナまで失いたくないんだ!」
何の覚悟かは解った。だが、どうする腹積もりだ? 首を絞めるか? それともへし折るか?
男は、再度歩みを進め始めた。しかし、向かう先は此方ではなく……剣士が死んだ地点だった。
しゃがみ、拾い上げたのは、二つに分かたれた剣の柄側。剣身の中間辺りで折れているので、刃もあるにはあるが……思わず失笑が漏れる。
「まさか、そんな駄物で斬ろうと? 嘗められたものだな!」
「……」
「ら、ラルエース……様……」
男は無言で剣を構え目を瞑り、女は息も絶え絶えながら、気遣わしげな面持ちでそれを見つめている。
あの様ならば、もうじき拘束は解けるだろう。いよいよだ。
「ユリアンヌ……お前を戻す方法なんて、検討がつかない。しかし、このまま放置すれば、お前は、私やサレナ、それどころかこの国全てを滅ぼしてしまいそうな気がする……。なればこそ、こうするしかないんだッ!!」
「ラルエース様…………はい……!」
男の言を受けて、遂に小娘も折れたらしい。粒の大きい涙を流し、蒼白な顔をくしゃくしゃにして泣いている。
「──行くぞッ!!」
かっ、と男の目が開かれた瞬間。
「え……!? きゃあっ!」
体から、光が剥がれた。小娘にも予想外だったらしく、驚声を上げた後、力尽きたのか地面に崩れ落ちた。
拘束に使用されていた光が飛んでいったのは小娘の所ではなく、今まさに駆け出さんとしていた男の手元……折れた剣の所だった。
折れて無くなっている剣身から剣先部分を補うように光が成形されていく。残っていた部分の剣の樋を光が走り、埋める。まるで血管のように。
斯くして完成したのは、半光半鋼の長剣。
「こ、れは……」
数瞬、男は驚いたようにまじまじと手に収まる輝く剣を眺めていたが、意を決し、此方目掛けて勇猛果敢に走り始めた。
まずい。あれは、まずい。
背筋が凍る。冷や汗が止まらない。
肌で感じる。あの剣は、小娘が操っていた光の時よりも力が増している。人一人を包み、巨大な壁にもなる光が、一振りの長剣になったのだ。その密度、威力は、想像するだに恐ろしい。
悪しきを滅し、弱きを助く、光の聖剣。
何故こんな窮地に……!
「ふざけるな……ふざけるなぁああああああ!!」
近寄らせまいと、ありったけの魔力を使い、魔力弾を乱発するが、
「はああッ!」
易々と切り払われ、あっという間に懐に入られてしまった。そして、
「ユリアンヌッ!!」
「貴様ァあああああああああ!!」
胸を、心臓を、光剣で貫かれた。
「ぎゃああああああああああああああああああああ!!」
存在を消滅させられるが如き激痛が全身に走る。痛みを感じた端から自我を消去されていく。我が崩壊していく。意識を、維持出来なくなる。
ふざけるな許さん絶対に殺してやる男も女も確実に殺してやるこの恨みは忘れん刺殺してやる爆殺してやる絞殺してやる鏖殺してやる絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶──。
「……………………」
「すまない…………すまない、ユリアンヌ……」
──目の前には、今にも泣きそうなお顔の、ラルエース様がいて。
「ラ、ル……エース……さ……ま……」
力を振り絞って口に出来たのは、お名前だけ。とてもか細い声で、ラルエース様に届いたかどうかは分からないけれど。
ラルエース様の頬を、一筋、涙が伝った。
それだけ見届けると、視界は黒に染まって、私の意識は闇に溶け出す。
……嗚呼。
どうして、こんな事になったのだろう。
何故、こんな事になってしまったのだろう。
子供の頃は、幸せ……だった気がするのに。
いつから、こんな私になったのだろう。
やり直したい。
次は、間違えないように。
こんな惨劇を、迎えないように。
もう一度──。
──誰かに、名前を呼ばれた気がした。
ぴったり張り付いて開かれるのを断る頑固な瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
「………………ここ、は……?」
自然と口から零れた呟きは、驚くくらい掠れていて。まるで自分の声じゃないみたいだった。
少しずつ、寝ぼけていた感覚が目を覚ましてくる。
私は、どうやら寝ていたらしい。沢山汗をかいたらしく、寝具がじっとり湿っており、更に、衣が肌にくっついて不快さを増している。
のろのろと、いまいち焦点の定まらない視線を動かしてみると。
「私、の……部屋……?」
よくよく、見知った天井だった。……そう、今日の朝……も、………………。
「──ッ!!」
声にならない悲鳴と共に、跳ね起きる。
私は。
私は。
私、は。
覚えている。自分が何をしたか。当たり前だ、ついさっきの出来事だ。いや、それ以前から。
あの時は霞がかっていた記憶は、今は泣き出したくなるくらいに鮮明で。
「あっ……あぁ……あああああああああッ!」
堪えることなんて出来ずに、涙が流れ始める。
サレナさんに、数々の非道な振る舞いをした。
闘技場にいた大勢の人を、クダンを、ソガトを、私が殺した。
サレナさんを……ラルエース様を、殺そうとした。あまつさえ、ラルエース様のお手を汚してしまった。
自分で自分が信じられない。
ぐるぐると、クダンを殺した時の光景が、ソガトを殺した光景が、サレナさんへの行いと自分の醜い言動の全てが、ラルエース様の涙が、頭の中を駆け回る。
「ううッ……!」
嗚咽と一緒に、止めどない吐き気が込み上げてくる。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い。
「う、ううん……」
「ッ!?」
突然聞こえた声に飛び上がる。慌てて目を横に滑らせると、寝台脇に突っ伏している少年が、いた。
この、黄金に輝く髪は、まさか。
私が騒がしくて目が覚めたらしく、彼は、のそりと顔をあげるや否や、柔らかく笑んだ。
「やっと目が覚めたんだな。おはよう、ユリアンヌ」
その顔と向かい合った瞬間、体を剣で貫かれた時の光景が、激痛が、私の罪が、一度に脳裏に押し寄せた。
「いやぁああああああああああ!!」
屋敷中に響き渡る絶叫を上げ、堰を切ったように吐瀉物を寝具にぶちまけた後、私の視界が暗転した。