第1章、幼稚園年少編。
前回、父方の母親。つまり俺からすれば祖母にあたる人間に産まれて直ぐに「こんな赤ちゃんやったら、いらんかったわ。」と言われた俺。
今回の第1章、幼稚園年少編は、母と父と3人で生活する所から始まります。
産まれて直ぐに「こんな赤ちゃんやったら、いらんかったわ。」と父方の母親。つまり俺からすれば父方の祖母に言われた俺は、少し成長し母親と父親と3人で暮らし始めます。
3人で住んでいた場所は、古いアパートでした。
二階建ての、狭いアパート。
鉄か何かで出来た階段が「カン!カン!カン!」と上り下りする際に音が鳴る階段のアパート。
父親は公務員でした。火消しの仕事と言えば解りやすいかと思います。
母親は専業主婦でした。
一見、格好良い立派な仕事をしているように思える父親。
しかし、父親は似たような物を大量に買う収集癖のような癖があり、そのせいで我が家は借金がありました。
借金、家族が知っていれば頑張って返そうね。となるかもですが内緒で膨らんでいた借金。
百万円単位に膨らんでいたそうです。
父親は、幼稚園に入る前の年齢の俺にも厳しい?と言えば聞こえは良いが、些細な理不尽な事で容赦なく怒鳴り暴力も振るう父親でした。
正直、楽しい会話をした記憶ありません。
ある日、父親が膨らませた紙風船を俺が触っていて破裂させてしまいました。
その際に、「部屋から出ていけ!家から出ていけ!」と怒鳴り散らされました。
今でも激しく怒る理由が意味不明なんですが、歳を重ねて思うに、例え幼い子供相手でも、自分の所有物を壊す奴は許せない性格だったんだと思います。
そんな一例もあり、父親に物を買って欲しいと頼んだ記憶がありません。
幼いながら、買ってもらった物を壊したり無くした場合にどうなるか?が怖かったんだと思います。
「お前なんか、いらん子や!」そんな風に罵られた事もあります。
事ある事に記憶にある父親の言葉は、「いらん!出ていけ!」が多かったです。
今思えば、父方の祖母に「こんな赤ちゃんやったら、いらんかったわ。」と産まれて直ぐに言われたそうですから、父親もそんな母親の影響受けて育ってますから、同じような感覚の持ち主だったんだと思います。
ある日から、父親と母親の口論が目立つようになりました。
記憶にあるのは、いつも夜。
段々と声が大きくなる口論。
子供というのは、本能からか?親が喧嘩していると不安になり、仲裁のような事をしたくなります。
仲良くしてほしい?というのが理由かは解りませんが、何せ、俺の場合は両親の大声の口論が聞きたくなかったのかも知れません。
でも、狭いアパート。
何処にいても聞こえてきます。
気がつけば、俺の前でも大声の口論は増えました。
おそらく、父親が1度口論現場を見られたから隠す意味がないと思ったからだろうと思います。
台所での口論から、いつしか3人で川の字のように布団を3枚敷いて寝る寝室でも口論は当たり前のようにありました。
頻繁にあった、当時の両親の口論理由は、おそらく父親の内緒で膨らんでいた多額の借金の事実を母親が知ってからだと思います。
人間は、借金が多額にあっても買うのを控えない場合もある。
まさに、父親がそうでした。
なので、同じ内容の繰り返しの日々の口論が始まる訳です。
最初は、大人同士だから小さい声で口論が始まるが、気がつけば大声の口論になり、罵り合いが始まる。
そして、段々と俺の布団の周りを母親と父親が追いかけ合う大喧嘩の日々がいつしか始まりました。
追いかけ合う?正確には捕まえて暴力を振るおうとしている父親から母親が逃げ回っている日々が始まりまった訳です。
記憶では大体、台所のある部屋から俺の寝ている寝室に母親が逃げてきて父親が後から追い寝室で始まります。
今思えば、母親がアパートの外に逃げなかったのは、俺の為だと思います。
自分だけが外に逃げたら、部屋にいる俺が父親から危害を加えられるのを怖れたからだと思います。
想像してみてください。
幼稚園に入る前の幼い子が寝る布団の周りを、両親がグルグルと夜になると、口論の果てに連日逃げる母親を父親が怒鳴り散らしながら追いかける訳です。
父親に捕まれば母親は暴力を振るわれる。
だから、叫びながら逃げる訳です。
原因は何?父親の稼ぐ金以上に使う浪費癖です。
それによって、知らない間に膨らんでいた多額の借金。
それを問われ、借金を返す意欲より更に浪費する父親。
黙らせたい、従わせたいから母親に暴力を振るう為に逃げるのを追いかけ回す。
この頃、俺は初めて胸が痛くなる感覚を味わいました。
心臓の鼓動が「ドン!ドン!!ドン!!!」と速くなり、ドキドキしてヒヤヒヤして苦しくて「ドン!ドン!!ドン!!!」が停まる時には死ぬんかな?というような感覚。
それが、両親の喧嘩が終わるまで日々ある訳です。
ある日、同じように寝室で逃げる母親を父親が追いかけ回す状況の時に母親が父親に言いました。
「もう離婚しよう。」
「○○君、お父さんとお母さんどちらと一緒にいたい?」
母親に、仰向けでいつものように布団を被り寝ている俺は問われました。
俺は迷わず「お母さんと一緒が良い。」と言いました。
迷わず選んだ記憶が今でもハッキリあります。
父親は「出ていけ!出ていけ!子供なんかいらん!子供なんか、また結婚したら直ぐに出来るわ!」と俺と母親に大声で捨て台詞のように吐きました。
俺が、母親の方を迷わず選んだ事がショックだったから吐いた言葉?
そう受けとる方々もいると思います。
ただ、俺と母親は今でもそうは思いません。
吐いた捨て台詞のまんまの考え方を常日頃からする人間だから、幼稚園の年少にもなっていない子供に事ある事に「お前なんかいらん!出ていけ!」と平気で言える訳です。
そして、俺と母親はその日の内にアパートを出ました。
「着の身着のまま」という言葉がありますが、まさにその状態でアパートを出ました。
夜の遅い時間でした。
二人でタクシーに乗りました。
行き先は、まだその時は俺は知る筈もありませんでした。
これで、父親とはお別れ。
何処に行こうとしてるのか解らないけれど、着いた場所は、きっと楽しい場所の筈。
そうなる筈でしたが・・・
離婚した結果、父親との離婚の際に今なら当然のように主張や権利がある、慰謝料や養育費なんてものは1円もウチの母親は父親から貰えませんでした。
むしろ、多額の父親の借金をウチの母親が代わりに全額返済しました。
金の無い人から、慰謝料や養育費なんて貰える訳も支払われる筈もないんです。
なので、一切貰わなかったですね。
貰えなかった?というより向こうは支払う気なんてないんですから。
ウチの母親は、それよりも俺との自由や幸せを求めて、着の身着のままアパートを出て離婚したんでしょうから。
本来なら大事な事である金。
でも、それだけ、父親と縁を完全に切りたかった訳です。
そうなれる筈でしたが・・・
長くなりすいません。
まだまだこの話、始まったばかりなんです。
ほんの少し始まったばかり。
ちなみに、大人になってから、幼稚園の年少になる前の幼い俺が、ある日突然の両親の離婚の日に問われ迷わず「僕は母親と一緒いたい。」と選んだ事。
特に小さい子を持つ母親世代の人達からは、「凄いですね。」とか「ウチの子なら急に選んだりとか出来ないと思う。」というような事を何度か言われた経験あります。
俺が思うに、俺は他人より特別に幼い頃から理解力が高いとか自己主張出来るとか思った事はありません。
むしろ、一人っ子なんで兄弟や姉妹がいる子よりボーッと生きてこれたんではないか?と思う位です。
家で、オモチャの奪い合いとかチャンネル権の奪い合いとか、ご飯のおかずやデザートの奪い合いとか経験せずに小さい頃に育ってきた訳ですから。
ただ、一つ思うに、育った環境や遭遇した場面とかで大事な選択肢を問われた場合?決めれない子もいれば、俺のように幼い年齢でも直ぐに選んで決めれる子はいると思います。
空気を読むとかたいそうな話ではなく、人間も生き物の1種類だから幼いながらに感じる本能というべきでしょうか。
先の未来なんて、その場で解りませんが、どちらと一緒にいたいか?は解るし決めれるもんなんです。
でも、そんな選択肢を幼い頃から選ばずに育つ方が子は幸せな気が個人的にします。