第百二十三話 悪天候フロア
○下見期間3日目午後の探索 賢斗と伊集院○
午後に入り予定に組み入れた5階層の狼討伐を終えると賢斗はメンバー達と別れ下層への探索を再開、8階層出口で待っていた伊集院と合流し9階層へ向かった。
そして現在、通路の出口まで辿り着いた二人はフロアには出ずに9階層の様子を窺っている。
眼前には山岳地帯の地形はそのままに疎らになった裸の木々と枯葉が降り積もった大地。
ポツポツポツポツ・・・
地上の視界が良好になった一方で、目前のスタート地点にはシトシトと雨が降っていた。
うわ~最悪だな。
こんな空模様の中を飛んでたらびしょ濡れになっちまいそうだ。
にしてもダンジョン内で雨が降ってるなんて俺的に初体験。
まっ、話には聞いてたけど。
「そんなに雨が珍しいか?」
「いやダンジョンで雨が降ってるなんて初めてだからさ。」
「そうか。まあ低ランクのダンジョンには悪天候フロアは少ないからな。
と言ってもフィールド型ダンジョンならば何処のダンジョンのどの階層であろうと雨が降る可能性はあるらしい。
ダンジョンの天候ってのはフロア毎に天候確率が違うのだとうちの親父が昔言っていたな。」
ふ~ん、こいつの親父って探索者やってたのか?
まっ、それはどうでも良いとして、はてさてどうするか。
この程度の小雨ならさして問題なさそうなんだが・・・う~ん。
賢斗が思案していると伊集院は茶色いポンチョデザインのレインコートを被る。
「お前も早く雨具を着といた方が良いぞ。
この程度の雨でもあまり甘く考えない事だ。」
小雨程度の普通の雨。
しかし長時間それが降り続けているとなれば話は別である。
悪路と化す路面、武器を持つ手も滑り易く精神的にも疲弊する。
賢斗と違い長い探索者経験を持つ伊集院の雨対策は遠の昔に済んでいた。
確かになぁ・・・と言ってもその肝心の雨具の準備が出来て居ないでござる。
俺がした準備と言えば10階層の雪フロアで寒くなるかと思って携帯カイロを持って来てたくらいなものだし。
「それって探索者用の装備なのか?」
伊集院は賢斗の前でレインコートに続き、ブーツをスパイク付きのタイプにグローブを滑り止めグリップ付きの物へと交換していく。
「ん、このレインコートの事か?まあ一応素材はダンジョン産を使っているな。
と言っても装備の上から着用する代物だから防御力に関しちゃ大した事はない。」
そして最後に三度笠を被ると一気に旅の浪人感がアップ。
う~ん、確かに傘をさすのは手が塞がるのでNGな気がするが、三度笠チョイスってどうなんだ?
「ふ~ん。」
まっ、それはさておき俺も買うしかなさそうだな、雨対策の装備。
出費は痛いがこの雨が更に酷くなるとも限らん訳だし。
伊集院の雨対策装備を見た所為かこの時の賢斗には雲の上に飛び出しその上空を飛行するという発想が無かった。
しかしそれは寧ろ良かったのかもしれない。
何故ならこの9階層の中盤以降、上空はぶ厚い積乱雲で覆われ今の装備で彼がその中を突っ切る事は非常に危険だった為である。
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○クローバー拠点部屋○
10階層の方角確認が終わると賢斗は伊集院と別れ一路クローバーへと向かう。
道中コテージで拾った水島と拠点部屋に着くと水島は部屋を出て中川に挨拶に向かった。
そして賢斗がコーヒーを淹れていると戻って来た水島はパソコンデスクに陣取る。
「何か調べるんですか?」
「ええ、まあ一応分かるかどうか微妙ですが富士ダンジョンの天候情報を少し詳しく調べてみようかと。
悪天候用の装備にも色々ありますし、お客様のニーズに合った商品を提供するのが店員の務めですからねぇ。」
ほほう、流石はプロですなぁ。
賢斗は水島の脇にコーヒーを置くと自分はソファに腰を下ろす。
しばらくすると調べものが終わった水島から賢斗に声を掛かる。
「多田さん、今回はとても賢明な判断でしたねぇ。
富士ダンジョンの9階層は進めば進む程天候は悪化し場所によっては雹まで降るみたいですよぉ。」
えっ、ホントに?
単にびしょ濡れになるのが嫌で戻って来ただけの話なんだが、我ながら中々のファインプレーだった様だ。
しかしそうなるとヘルメット的な装備も必要かな?
伊集院の様な三度笠は流石に嫌だし、うんうん。
「じゃあちょっと良さそうな装備を準備してきます。」
水島が部屋から出て行くと今度は入れ替わる様に中川が部屋に入ってきた。
「お疲れ様、多田さん。富士ダンジョンはどうかしら?
光の話だと今日あたりにはもう10階層まで探索が進みそうだって聞いたけど。」
二人きりの拠点部屋、中川は賢斗の背後にまわると彼の肩を揉み始めた。
「えっ、あっ、まあはい。」
あ~ボスにこんな事されると何だかイケない気分になりますなぁ。
「となるとやっぱり本戦は10階層を超えた所で勝負するつもりかしら?
これは俄かにナイスキャッチの上位入賞も現実味を帯びて来たわね。」
「いやいやボス、本戦は無理せず5階層辺りを主戦場にする予定ですけど。」
「ううんっ、そこを何とか。お願い、多田さん。」
中川は賢斗の耳元で囁く。
何だろう、これはもしやハニートラップとかいう奴か?
耳元で吐息交じりにこんな色っぽい声を出されては中年オヤジならイチコロでしょう、うん。
「あはは~、でも11階層以降は流石に無理ですって、ボス。」
「そうかなぁ~、私は多田さんなら出来ると思うんだけどなぁ~、ふぅ~。」
うわっ、今息吹き掛けましたよねっ?
「あっ、そうだ。だったらご褒美を用意してあげる。
もし本戦で10位以内になれたら私の胸を好きなだけ触らせてあげても良いけど。」
えっ、嘘っ!
そのインフィニティαとβを?
なっ、何という暴力的なハニートラップなんだっ!
これに抗う事等最早・・・いや待て待て、今本戦で10位以内とか言わなかったか?
そんなの無理に決まって・・・
賢斗が俄かに冷静さを取り戻しかけたその瞬間。
「何だったら思いっきり顔を埋めちゃっても良いわよ。」
「分かりました、ボス。この多田賢斗必ずやボスのご期待に応えてみせましょう。」
彼もイチコロであった。
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○伊集院サイド○
賢斗と別れた伊集院は魔物を求めて9階層スタート地点近辺の探索を開始していた。
しかしこれまでの階層とは違い直ぐには魔物が見つからない。
そして2km程歩きようやく遭遇したのは、降り注ぐ雨に蒸気を上げる1体の大亀だった。
「ようやく居たか。」
炎亀と言われる全長5mもある巨大な亀の魔物。
凹凸のある赤褐色の甲羅は高熱を帯び生半可な剣を突き立てればその刃先は直ぐ使い物にならなくなってしまう。
また一度戦闘になればその性格は凶暴に尽きこいつの噛みつき攻撃の前には一流探索者が装備する防具ですら全く役に立たない。
討伐すれば結構な確率で炎甲羅と呼ばれる高級装備素材をドロップするのだが、Aランクの者達からですらその討伐効率の悪さに避けるべき魔物として認知されていた。
そしてそんな事情を知らずとも物理攻撃がメインの探索者達にとって普通は物理防御力の高い亀型の魔物は嫌われ者。
「ふっ、その自慢の甲羅を俺がこの炎魔刀でぶった切ってやろう。」
しかし伊集院は不敵な笑みを浮かべる。
大亀に向かって走り出し手前で飛び上がると渾身の一撃を振り下ろす。
「燎原之火っ!」
ガキィィィ―――ン
くっ・・・
炎を纏った鋭い刃、しかしそれは傷一つ付ける事無く弾かれ魔物に炎が燃え広がる事も無かった。
ギロリ
首を伸ばした大亀は後方の伊集院を睨むとその瞬間鋭い右後ろ脚の爪撃が彼を襲う。
ブゥオン
この巨体を支えている手足は、一度攻撃に転じれば驚く程その動きは速い。
パサァ
体勢を横に向けそれを紙一重で何とか躱すと切られた髪が数本宙を舞う。
「お前強ぇなぁ。良い感じだぞ。」
再び距離を取った伊集院の顔は喜びに満ちていた。
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○クローバー拠点部屋○
程無くして水島が段ボール箱を3つも抱えて拠点部屋に戻ってきた。
するとそれとまた入れ替わる様に中川は部屋を出て行く。
「えっと多田さんの悪天候対策用の装備はこちらになりますね。」
水島が箱から取り出したのは、ゴシックデザインの丈の長いロングコートとグローブ、ロングブーツの3点。
「先ずはメインとなるのがこちらのロングコート。
結構重いですけど完全防水加工に加えゴム樹脂を挟んだ三重構造で感電防止となった絶縁仕様。
耐久度と防御力もかなり高く付属にフードとマウスガードも付いてますので悪天候の中を飛行する多田さんには最適の品です。
そしてこちらの滑り止めグリップ付きのグローブとスパイク付きロングブーツの方もコートに合わせて絶縁仕様のタイプをご用意してみました。」
3点全て黒一色の無難な色合いと飾り気のないシンプルデザイン。
しかしそれは寧ろ賢斗好み、軍用のロングコートを彷彿とさせる感じは彼の心をかなり擽る。
う~ん、確かにかなり良い感じ・・・だが。
「そして気になるお値段の方は3点あわせて何と驚きの1000万円。ホントはそれ以上しますけど端数は納めてみました。」
うわっ、やっぱ凄ぇ高いじゃん。1000万円って、
それにこれ今着てる革ジャンを脱いでから着るっぽい奴だし。
「いや水島さん。こんな高級装備はまだ俺には早いですって。
俺的には装備の上から羽織る感じのレインウェア辺りで十分なんですけど。」
伊集院の奴も装備の上から着込むタイプだったしな。
「う~ん、これでも性能重視の品をあつらえたつもりなんですけどねぇ。
まあ確かにこれはもう高ランク探索者が使うレベルの装備ですし多田さんの言ってる事も分かりますけど。
あっ、でも走行中の車のフロントガラスが前の車の飛び石でヒビが入ったりするのは多田さんもご存知でしょう。
そう考えると時速200kmという超高級スポーツカー並みの速さで上空を飛行する場合、浮遊する小さな氷の粒が無数に散らばる小さな凶器みたいになると思いませんか?」
あ~確かに雹なんかが降ってる中を高速飛行するには生半可な装備じゃ無理そうだな。
「それに今多田さんが攻略しているのはAランクの富士ダンジョン。
落雷の犠牲者だって年間何人も居るそうですし、このくらいの装備なくして攻略は出来ないと思いますけど。」
う~む、何だろう、耳が痛い。
確かに俺の経験がどれだけ浅かろうと現状攻略を行ってるのは間違いなくこの日本の最高峰。
こうした装備に金を惜しんでちゃ攻略は無理なのかもしれない。
・・・いやでも流石に1000万円って高過ぎるだろぉ?う~ん。
「そうはいっても、多田さん。富士ダンジョン攻略にこれ等はきっと必須装備だと思いますよぉ。」
まあねぇ。
「それにこうしてる間にも下見期間が過ぎて行っちゃってますし何時までも悩んでる時間はありません。」
そうなんだけどねぇ。
「もうここは男らしく、女性陣に貢がせたお金で景気良く全部買っちゃいましょう。」
おい、買わせたいのならもうちょっと言葉を選べっ。
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○伊集院サイド○
戦闘開始から2時間、炎亀と伊集院の激闘は続いていた。
パチパチパチ
周辺の枯葉があちこちで燃えている。
また大きく抉られた巨木の幹がこの大亀の噛み付き攻撃の威力の高さを証明していた。
真正面から巨大な亀と対峙している伊集院の顎から汗がポタポタと落ちる。
体力的な限界、更にはかなり刃こぼれした長刀をこれ以上消耗させる訳にも行かなかない。
もう彼は迂闊に飛び込もうとはせず居合によるファイナルカウンターを狙っていた。
しかしその気配を察知してか炎亀は甲羅を黄色く光らせると口から炎を吐き出した。
ゴォォォ―――
バシュンッ
伊集院の一振りで炎亀が吐き出した炎は両断された。
「そんなもの俺には通用せんと分かってるだろう。
はぁはぁ、早くお前の奥の手を見せてみろ。」
伊集院は再び居合の体勢を取った。
グルングルングルングルン・・・
すると炎亀の巨体がゆっくりと回り始める。
そしてそれは次第に高速スピンへと変わり・・・
グルグルグルグルゥ―――
伊集院に向け突進を開始した。
なっ、これを受けちゃ不味い。
伊集院は間一髪横っ飛びで避ける。
ガガガガガガァ―――
ギィィィィ、ドゴ――ン、ドゴ――ン、ドゴ――ン
轟音と共に巨木を薙ぎ倒しながら移動していく炎亀。
「ちっ、やっぱりまだそんな隠し玉を持ってやがったか。
くそっ、俺の負けだ。もう好きにしろ。」
天を仰いだ伊集院はそのまま動かなかった。
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○ 富士ダンジョン9階層 賢斗サイド○
キィィ――ン
午後3時ようやくクローバーから戻った賢斗は9階層の探索を再開。
結局先程の3点を纏めて購入させられていた。
まあ支払いはマジコンが終わってからだし、こっちに来た三日間でもう既に一人当たりの収入は500万円を超えている。
今後も必要となる装備であると思えば、この出費も致し方なかろう。
う~ん、でもどう考えても高校生探索者には不釣り合いな高級装備だよなぁ、これ。
とはいえその甲斐あって彼の空の旅は快適なスタートを切る。
そして探索を進めて僅か1時間の間に雨は次第にその激しさを増し遂には豪雨と呼べる程の大雨にまで転じたが寧ろ彼の飛行速度は更に上昇していた。
その後大雨は霙となり霰から雹へと液体の固体化が進む。
そして3時間後にようやく10階層への出口を見つけた付近では何とゴルフボールサイズの氷の塊が空から降ってくるという始末であった。
「ヒール。」
う~ん、デカいなこの雹。
流石にこの大きさだと地上に降りても普通にHPダメージを喰らっちまうんだが。
まっ、でも途中で天候が霰になった時に物理耐性スキルを取得出来たからそこまで影響ないけども。
しっかし最初っからこのスキルを取得出来る想定でいれば、こんなバカ高い装備を購入する必要も無かった気がするんだが・・・う~ん、これが後の祭りという奴か。
とはいえ普通の雨がっぱ程度ではこの悪天候を乗り切る事は到底出来なかっただろうし、これはこれで今後も活用させて頂くとするか。
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○9階層スタート付近○
ペチペチペチ
「どうしたんだ?お前。こんなところで寝ちまって。」
「ん、おお、多田か。
どうやら俺は炎亀の奴に見逃された様だな。」
ん、こいつここで戦って最後そのまま寝ちまってたって事か?
まあ確かにこの周囲の状況がかなりの激戦を物語っているけど。
「んな事よりほら、10階層への通路が見つかったぞ。
早く行こうぜ。」
「ふっ、お前という奴はまだ先を目指すというのか。
ならこいつを持って行け。」
伊集院は方角ステッキを賢斗に投げた。
「この大会期間が終わるまでお前に貸しといてやろう。
俺はあの大亀とケリを付ける迄はこの先の階層へ行く気はないし、肝心の炎魔刀がこの有様じゃこの大会自体棄権する他ないからな。」
えっ、ホント?それは大変有り難いんですけど・・・
にしても確かに随分酷い有様だな、その長刀。
でも武器の消耗程度で棄権するって・・・まあこいつの武器は確かに凄そうだが。
「なあ伊集院、方角ステッキ貸してくれるお礼と言っちゃなんだがお前のその刀修理してやろうか?
うちのメンバーに腕の良い修理屋さんが居るから多分10分もあればその刀を修理して戻って来れると思うぞ。」
こいつに借りを作っておくのは後で何かと不味い気がするしなぁ。
「それは本当か?
恩に着るぞ、多田。
それなら直ぐにでもあの大亀と再戦出来る。」
こいつの場合大会の棄権が嫌だというより、そっちの方が大切なんだな。
○15分後○
かおるのリフレクトエクスペリエンス処理を終えた長刀を携え賢斗は伊集院の待つ1階層の出口付近へと向かった。
「なっ、何だこれは。
まるで別物ではないかっ。」
まっ、確かにこいつの刀の攻撃力が+8も上昇したしな。
普通のリペアで良いって言ったのに先輩が「方角ステッキを貸してくれるんだから、こっちも誠意を見せないと」なんて言うもんだから、ったく。
「これなら奴の甲羅をぶった切れる。
よしっ、では行って来る。」
う~ん、さっきまで疲れてぶっ倒れてた奴とは思えん。
まっ、こうして方角ステッキをお借り出来たし、後はお前の好きな様にやってくれ。
次回、第百二十四話 雷鳴剣アタック。




