アクアツアーのウワサ
「フフフ、如何でしょう?私ご自慢のスシでございます」
私は握り寿司の詰め合わせを差し出す。
「………。」
『お客様』は首を横に振りました。
え?刺身の気分ではない?
私とした事が……。あぁ、『お客様』。
「シェフ、こちらの『お客様』に望む限りのモノを!」
「かしこまりました!」
「―――!?」
最大級のおもてなしをするように命じると、『お客様』は困ったように両手を振りました。
「おや?やっぱり食べる、と?」
「………。」
コクリと頷いてくれました。
くぅ〜、恐悦至極でございます。
「………。」
早速、寿司を食べ始める『お客様』。
「―――?」
ふと、『お客様』が一貫の寿司を指さし、尋ねてきました。
これは何か、ですか?
どれどれ……?
『お客様』が指しているのは、紫色をした怪しいお刺身。どう見ても食欲をそそる物ではありません。
「これは当園のアトラクションの一つ、アクアツアーで釣れる特別なお魚の刺身とかそうでないとか……まあ、そんな噂があるそうですよ」
私は箸でつまんで、シェフを手招く。
「シェフ、一口どうぞ」
「えっ!?」
「毒味とは言いません。私も一度食べたのでね」
ですが、まあ、この刺身にはちょっとした副作用のようなモノがありましてね?
『お客様』の前で私の醜態を晒すわけにはいきません。業務に支障をきたしてしまいます。
ここは代わりに、食べていただかなければ……。
「し、しかし……」
「んー、残念ですねぇ。ここのお偉いさんに今よりも尚良き待遇改善を要求しようと思っていたのですが――」
「いただきます!」
私が意地悪を言うと、シェフはすぐに怪しい寿司を口に入れた。
「んむっ……意外と悪くない味ですね――ん?」
おや?シェフの様子が……?
「――ヒャッハー!マジヤバでちゃけパネェ気分ですぜェ!ごちそうサマンサァ!」
目をカッと開いて、よく分からない事を話し始めました。
「ヘェーイ!エヴリバディ食ってるかーい!?」
シェフ、死語の使いすぎです。
『お客様』が驚き桃の木山椒の木。
……おっと、これも死語でしたね。
このウザさ。やはり、あまり良い食材とは言えませんねぇ。
「―――?」
「シェフに何が起きたのかについてお答えすると、食べると死ぬ程ウザくなる副作用のある食材を口にしたからですね。あまりの美味しさにテンションが上がりすぎて、麻薬でもキメたような変人になるのですよ」
ちなみに、害は特にないのでモノ好きと噂好きはよく口にしているとかいないとか……。
「………。」
シェフを一瞥して、苦笑する『お客様』。
「まあ、そんな事はさておき、噂のアクアツアーへと向かいましょうか」
イカれたシェフを放っておいて、私は『お客様』をアクアツアーへと案内します。
―――――――――――――――
「すぅ……ふぅ……」
アクアツアーの乗り場へと着いた私はその場で深呼吸をしました。
底どころかほんの少し先すら見えない程に赤く濁った川だというのに、海の近くにいるかのような、塩の匂いがします。
「こちらが当園のアクアツアーでございます。ボートで川の上を遊覧するだけのアトラクションで、食後や疲労時には最適な休憩スポットと言われております」
『ジェットコースターの乗りすぎ踏ん張りすぎで足を痛めた』なんて経験をしたお客様は少なくないと思います。
長旅のように足が棒になり、もう動けない。しかしせっかくの遊園地で無為に時間を過ごしたくない。
そんなお悩みを解決するのが当アトラクションです。
「ここにもですね。怖い噂があるんですよ」
「―――?」
「えぇ、ここでは『謎の生物の影』。いわゆる魚影が発見されて、それが『今でも見える噂』があるそうですよ?」
私は『お客様』に解説しました。
「――――――?」
おや?私なら答えを知っているのでは、と?
「えぇ、勿論ですとも。しかし、せっかくのアトラクション。乗る前からネタバラシをしてしまっては面白くありません」
推理小説に予知能力者を放り込むようなモノです。始まる前から『結末』が分かっていては面白みに欠けますからね。
「それでは、早速乗ると致しましょうか」
三つの列のうち、誰も並んでいない『特別なお客様』専用ルートへと『お客様』をお連れします。
誰もいない列ですからね。すぐに順番が回ってきます。
「……えっと……それでは、次のお客様――っ!?」
アクアツアーの担当係員である小柄で控えめな女性が私の顔を見て、目を見開く。
ちなみに、発音はハッキリしているのでこんな控えめでも声はよく通っています。
「酷いですねぇ、小野さん。そんな、悪霊に出くわしたような目をしないでくださいよ?」
「……あ、あの……何で、ここにいるんですか?」
小野さんは涙目でこちらを見上げてきました。
おや?伝達ミスですかね?まあ、問題ありません。
「信楽さんから聞いてません?」
「……は、はい」
あらら、そうですか。信楽さんに連絡を頼むべきでしたね。
あるいは連絡を入れたが、緒方さんや尾張さん、織原さんに伝わり、小野さんには伝わっていないとか?
まあ、考えても仕方ありません。本題に入りましょう。
「今回のツアーはこちらの『お客様』を私が直々にご案内致します。いいですね?」
「は、はいっ!」
私が要件を伝えると、小野さんは慌てながらもしっかりと返事をしました。
「それでは、『お客様』。向かいましょうか」
『お客様』と共に、手漕ぎのボートに乗ります。
……おや?何故手漕ぎか、ですか?モーターは便利ですが、風景に合いませんからね。何より、途中で動かなくなる等の緊急時は大変です。
さておき、加わった重量でボートが僅かに上下して揺れたのが落ち着くのを待ってから、その場に腰掛けます。
「本来は団体用のボートですが、『お客様』はくつろいでいても構いませんよ」
そのように声をかけてから私はボートを漕ぎ始めます。
これでも私はこのアクアツアー担当係員の指導をした事のある人間。漕ぐ事くらいは容易いです。
ゆったりと、しかしブレなく真っ直ぐにボートは進んでいきます。
「さて、『お客様』。何か気になった事は?」
「――――――?」
『塩の匂いがするのはどうして?』、ですか。
「これも色んな噂がありましてね。例えば――ある子供の話です」
ある時、子供がボートから落ちてしまいました。
大人達は必死に子供を助けようとするも、深く濁った川に沈んだ子供を見つける事が出来ず、そのまま川の底で今も漂っているとか。
「その子供が今も大人達の助けを求めて、川の中でもがいているのが、『謎の生物の影』の正体とも言われていますね」
「―――。」
おや、『お客様』?ちょっぴりドキッとしました?
少しでも怖がってくれれば嬉しいですねぇ。
まあ、そんな事件は無かったのですが、『子供が戻ってこない噂』のせいでややこしい事になったんですよねぇ。遊園地経営は大変なモノです。
ここ、廃園済みなんですがねぇ。
「――――――?」
「おや?結局何故塩の匂いがするのか分かっていない?ですから、子供がうっかり落ちた時に問題ない為ですよ」
いわば、かの有名な『死海』と同じです。
塩分濃度が濃すぎる為、魚の住めない死の海。
「ここは、その『死海』と繋がっているなんて噂もあります」
「――――――。」
おや?それなら子供の事件の噂が矛盾する?
「噂なんていつだって曖昧なモノです。事あるごとに理屈めいた理由を当てはめて疑問を解消したくなるのが人間でしょう?」
何もかも明確な定義を作ってしまっては面白くないでしょうに……。
その点、この遊園地は噂と未知で溢れています。
「まあ、他にも係員が泳ぐ為だけに塩を撒いたとか、『死海』みたいですから『三途の川』と繋がっているとか、噂とは恐ろしいモノです」
――何せ、的外れとは必ずしも言えませんからねぇ?
数撃てば当たるというモノではないでしょうに。
何気ない発想から真実に近づく者に対しては私も少しばかりの恐怖を抱くというもの。
「ところで、『お客様』は動物は好きですか?」
「――――――。」
―――。
ふむふむ……そうですか。
可愛い小動物が好みな方もいれば、人間よりも大きな動物が好みな方もいると思います。
「そういえば、最近は『三匹の青い鳥』が人気のようですね。個性的な鳴き声がウケているとか……」
閉園後になると、小野さんが熱く語ってくるんですよねぇ。
『朝、寝惚けている主人公に対する三匹の絡みが良い』とか『主人公に添い寝してる時の寝顔が尊い』とか。
控えめな人間ですら熱くしてしまう趣味というモノは恐ろしい限りです。
「さておき、ここでは川の向こうに沢山の動物が見れるので『お客様』の望む動物も見れるかもしれませんよ?」
アクアツアーだというのに、サファリパークみたいでいいのかとよく言われますが、気にしてはいけません。
悲しい事に、魚は一匹たりとも姿を見せてくれませんからね。
ボートは川に沿うように真っ直ぐ進み、暫くして――
「――おや?」
進行方向に長く黒い影が蠢いています。
「―――!?」
100mは確実に超えている幅のかなり広い川ですが、そんな川の八割を埋め尽くすような巨大な影が動き回っている。
そんな光景を見て、『お客様』は戸惑っております。
「『お客様』!こちら、この川の主でございます!」
私が手を川の方に向けて、高らかに叫ぶと――
「にょおぉおおおおおおおおおんっ!」
ウザったらしい顔をしたウサギ頭のウナギが姿を現しました。
「―――!?―――?」
「ぴょろろ?」
あら、『お客様』がこれ以上ない程に困惑しているせいか、当園自慢のウザナギくんも首を傾げております。
「こちら、当園のマスコットキャラクター、ウザミちゃんの亜種のウザナギくんです」
「ぴょろ!」
デカい図体の割に小さいヒレを上げて、ウザナギくんは返事をしました。
ウザいウサギでウザミちゃん。
ウザミちゃんとウナギでウザナギくん。
まあ、要するに人面魚もとい兎面魚というわけです。
あまりマッチしていませんが……やはりウサギにはカプチーノや戦車とかの方がベストマッチするんですかねぇ。
「ちなみに『お客様』に出して、シェフが代わりに食した紫色の刺身は彼の切り身です」
「―――!?」
思わずウザナギくんと私の顔を交互に見る『お客様』。
「まあ、一部のお客様には『マスコットというよりブスコットやゲスコット』とか言われておりますが――」
「にょーん……」
「――このように、彼は傷つきやすい性格ゆえ、可愛がってあげると喜びます」
「にょーん!」
火傷しないように手袋をしてから頭を撫でると、ヌルッとした感触がして、ウザナギくんが喜びます。
ウサギの『ぴょん』とウナギの『にょろにょろ』を足して割ったような鳴き声は至ってシンプルです。
「『お客様』も撫でてみます?」
「―――?―――。」
おや、苦笑しながらやんわりと断られてしまいましたか。
以前、ここでブンブンと首を横に振られたお客様がおりまして、傷ついたウザナギくんが引きこもってしまった事がありましたからね。
「それでは、ウザナギくん。また今度会いましょう」
「にょーん!」
その点、今日はこうして顔を出して、気分良く帰ってくれるので運が良かったモノです。
ウザナギくんの気分は『お客様』の気分次第。
しょっちゅう怒っている人間が怒った時よりも、普段温厚な人間が怒った時の方が、ギャップゆえか恐ろしいですからね。
ウザナギくんが怒ってしまったら、何が起こってしまうのか?……なんて、ね?
そんな事が起きたら、事故になっちゃいます。まず、起きませんよ。
「それでは、帰りましょうか」
私は川に沿うように再び真っ直ぐに進んで、元の停留所へと戻りました。
「いやはや、あっという間に着きましたね」
この川は少々変わった形状をしていますからね。
「実は、ここだけの話ですがね。ウザナギくん。あまりにも人気がなさすぎて、引っ込み思案になってしまったんですよ」
ウザナギくんがいないのを見計らい、そう解説する。
人気がないのに、引っ込み思案。
そんな状態ではデフレスパイラルの如く、ズルズル知名度も低くなるのは当然です。
「ですから、『謎の生物の影』が見える噂ではなく、今でも見えるかもしれない噂になったのですよ」
さてと、次はどのアトラクションに向かいましょうか?『お客様』?
……おや?『お客様』が何やら鼻をすんすんとさせて、何かを気にしているご様子。
「どうかいたしましたか?」
「――――――。」
「川から離れたのに、塩の匂いがする?」
どうしてでしょうねぇ?
「―――?」
「『お客様』の服に匂いが染みついたわけではないと思いますよ」
まあ、あるとすれば、それは――。
「――塩でもかけられたお相撲さんか、汗っかきな方でもいるのでしょう」
「―――。」
おや?そういう匂いではない?
いやはや、イイ嗅覚をお持ちのようで……。
だったら、いったいこれは何の塩の匂いだというのでしょうか?