ボクの眼をやろう
魔窟編
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「オレンジがお好きなんですか?」
「?ふむ、君にはこれがオレンジにみえるのかね?黒猫のお嬢さん。」
エマは臆することなく、神に話しかけた。
正確には、ゴーグルをつけていない俺には、限りなく他の人と変わらないように見える、少しだけ浮世離れした風な爺さんに、エマは話しかけた。
「”神様”には何に見えるんです?」
「んん?」
神はエマをもう一度まじまじ見て、俺を見た。
「ハザマの子らか?」
「分かるんですか?」
俺は驚き、思わず聞き返した。
やはり神というのは本当か?
「このオレンジと同じだ。」
俺の問いへの神の答えは意味深だった。
哲学か何かか。
神はオレンジをかごにもどすと、かご全体を見渡し、少しあさり、中から一つ、さっきとは違うオレンジを手に持った。
「これが、オレンジだ。」
俺とエマは顔を見合わせた。
全くもって何を言っているのかわからない。
神はその様子を見てまた、ふむ、と言う。
「君たちのその、有能なゴーグルをかけても、見えぬものなのか?」
なぜゴーグルのことを知っているのだろうか。
そう思いつつ、俺はゴーグルをかけた。そしてエマ同様に、ゴーグル越しに神のもつオレンジと八百屋のかごのオレンジを見比べた。
しかしそれには何も違いはないように思えた。
俺たちの反応がイマイチだったので、神は少し残念そうにしながらため息をつく。
そしてその手にもつオレンジを、店主から買った。
「オレンジはこれだけだった。」
「あの神様、一体どういう意味です?」
「猫のお嬢さん。あの八百屋は魔法使いでね、このオレンジが唯一のオレンジで、あとはこのオレンジを増幅させる魔法をかけたコピーのようなものだった。私にはこれ以外は灰色に見えたのだよ。」
「そうだったんですか…。」
詐欺じゃないか、と俺は思った。しかし見てくれがどうであれ、中身が同じ味ならば、増幅魔法で増やされたオレンジも、そうでないオレンジも変わりない…少なくとも、同じに見える人にとっては等価値だ。そう考えると、詐欺とは言えないのだろうか。
「時に、ハザマの子らは、この国になんの用なのだ」
神はオレンジを懐にしまいながら、エマに聞く。
随分とこう、神らしくない神だな。
俺の神のイメージが少しばかり偏っているのかもしれないが、威圧感や強大さといった感じのものが感じられない。どちらかというと、細身で繊細な印象を受ける。人畜無害そうな、若年寄といった感じだ。
もしかして、それが実は、神としての格が高いという証拠なのかもしれないが。
エマは、事情を正直に説明した。神相手に嘘をつくのは得策ではない。無害そうに見えても、神は神だ。
「ふむ。つまり、子らはいつも通りゆがみを正すためにトリップしてきたが、なにやらいつもとは違って一筋縄ではいかぬようだから、解決策を保留にしておると?そういういことか。」
「そうです。」
そこでまた神が、ふむと言い、明後日の方を見ながら目を細めた。
「確かに…気まぐれに国を見ている私にも、最近気になることがある。いつか会うことがあれば、ハザマの子らに聞こうと思っていたところだった。」
「と、いいますと?」
神は視線をエマに戻した。
「子らは…仕事で旅する以外に…時空を超えた先で定着することをのぞんでいるものもいるのか?」
「…どういうことですか?」
「先のオレンジと同じ、ハザマの子らは国の人とは”色”が違う。お嬢さんや彼は今、私の目には他の者とは明らかに違った色に見えている。そういうものが、ときどき居る。その国に派遣されている子らである場合もあるが…最近はどうも…その国の一部として生きているように思えるときがある。」
エマはその言葉を聞いて驚いた顔をし、それから考え込むような仕草をする。
俺は、といえば、今までのエマの言動や神の言葉から、先のエマの懸案事項とはそのことではないかと考えるに至った。
「私たちのゴーグルは、トリッパ―の痕跡を辿るものなので、もともとハザマの世界に居たものを見分けられないんです。それに、どうやっているのかわかりませんが、定着していると思われる元ハザマの世界の住人は、私たち、現ハザマの世界の住人の記憶から消えてしまっているみたいなんです。」
これは驚いた。新情報だ。
いよいよ今回のトリップが面倒だということがわかってきた。エマが俺に説明しなかったのはそのせいだろう。すぐには帰れそうにない。
「ふむ。興味深いな、しかしそれならばなぜ、お嬢さんは、そのことに気づくことができたのだ?会っても分からないはずではないのか?」
「そのはずなんですが……私は…なんとなく懐かしい感じがしたリ、ふとハザマの世界にいたであろう、今は見当たらない人の名前が思い浮かんだりするんです。それが私だけなのかどうなのか、わからないですが。」
エマはそう言うと、ちらと俺の方を見た。
俺はそんなこと感じたことがない…今までそういう人にどこかで会っていればだが。
「ほう…それは不可思議な。」
「それに、ゴーグルに、ハザマの者の痕跡はあらわれないんです。だからその国で、明らかにもとからある存在ではないハズの者、あるいはトリッパ―として存在していたハズの者の痕跡がなかったとしたら…それはハザマの世界の者である可能性が高い…のではないかと。」
「ふむふむ。難しいが、面白い。ハザマの子らには興味が尽きぬ。」
神は楽し気に笑っている。
対してエマは真剣な顔をしている。
俺はエマに沢山聞きたいことがあったが、とりあえずなりゆきを見ることにした。
「あの。神様…あなたは時空の神と呼ばれていますよね。」
「そう呼ぶものが多いな。」
「ならば時空に関することを聞いたなら…わかるでしょうか。」
「申してみよ。わかることは教えよう。」
「例えば、独りの、向こうの世界の少女が高い塔のてっぺんから落ちたとします。」
「ふむ。」
「そのとき幸か不幸かトリップが発動し、彼女は異国へ飛ばされ、そこに定着したとします。」
「ふむ。」
「その一度トリップしたトリッパ―が、向こうの世界に帰るわけではなく、別の時空へ飛び、代わりにその少女の存在に身代わりが据えられたとする…そんなことは…その…時空理論上、可能でしょうか?」
まてよ。
エマの仮説は…もしかして、リオーナ王女のことか?彼女は…もともあの国の王女ではなかった…と?そういっているのか?エマは。たしかに痕跡がないと言っていたが…彼女がハザマの世界に居たもの?少なくとも俺は、全く彼女の存在を知らないと思っていた。
「ボクが答えられるのは時空に関することだけだ。トリッパ―が別の異世界の時空へ飛ぶことはおそらく可能だ。だがトリッパ―自身にはおそらくその能力はない…特殊な能力だからな。知る限りそのような能力、それに似た能力というのは、君らの持つ二重トリップや三重トリップなどといった多重転移だ。しかしそれは、道具のなせる技であって、子ら自身にその力が備わっているわけではないのだろう?」
エマはうなずいた。
それはつまり。
俺らの能力を応用した誰かがこのゆがみを生じさせている可能性があるということだろうか?
エマもそう思ったのか、それ以上、神に質問はしなかった。
「今回の事案に関しては子らのゴーグルとやらは有能なのか無能なのかわからんな。いつもけったいな道具を使っていると歓心していたのだが。」
「そのようですね。私にも神様のような眼があれば、ハザマの世界の者をすぐ見分けることができるんですがね。」
「ほう…?ほうそうか…その手があったか。」
神は面白いことを思いついた、と言いたげな顔をしてエマを見た。
「ボクの眼をやろう、お嬢さん」
「え?」
「かわりに君の眼が欲しい。ボクはこれまで、先のオレンジのように、まわりと同じものが見たいと思うのに違う見え方をしてしまうことを退屈だ、虚しいと思っていたのだ。真実が見えるの大切なことかもしれぬが…世には知らずにいた方が良いこともある。そういうとききっと、君の眼が役立つだろうから。どうだろうか?痛みはない、視力も良好、見た目も変わらぬぞ。」
エマは考えるそぶりをみせたが、なんとなくもう答えは決まっている気がした。この幼馴染は、必要とあらばなんでも利用する。だから仕事ができるのだ。
「エマ、さすがにそれはまずいんじゃ…。」
「……思い返す限り、ハザマの世界の規則に神と取引してはならないという文言はないわ……お願いします。神様」
「うむ。潔いものは好きだぞ、ほら。」
その一言で、驚くほど一瞬で、おそらくエマの眼は入れ替わった。
エマの方は見た目になんの変化もないが、神様の方の左目が、黒くなった。
その右目は真っ青なままである。
「ふむ、ふむ。面白い。オッドアイの神の方が、トリッパ―に会ったとき受けもよかろうて。」
神は楽し気に言い、エマの猫耳をひとなでしたかと思うと、次の刹那には目の前から消えていた。