ジャングルの王
魔窟編
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あぁ、どうして俺ばかりこんなめに。
暑苦しいジャングルのど真ん中。
俺はまさしく、見てくれ鹿の化け物としか言いようのない、巨大モンスターに追いかけられていた。
従者の恰好は動きにくい。
しかし規則により、服を脱ぎ捨ててこの国に放っておくわけにはいかない。
かといって従者以外の者になろうにも、立ち止まるスキもない。
王女の胸に飛び込んだ俺が、目覚めるとそこにあったのは、巨大なヘラジカのような角だった。
ぐるるとうなるそいつが、興味深げに俺の匂いをかいでいた。
鳥肌が止まらなかった。
そこから現在に至るまで、俺は走って走って走りまくっている。
俺たちハザマの世界の者に体力などという概念は存在しない。
ゆえに疲れるという感覚もない。
本来ならば…いつもの、準備に時間をかけた通常の仕事のときであったならば…先程のエマのように、俺も身体能力と道具を駆使して、このモンスターをすぐに回避できる。
しかしなにせ今、俺には、道具がない。
完全なる準備不足。
これだから、エマと一緒の仕事は嫌だ。
彼女に主導権がある限り、俺は振り回されるだけの役回りだ。
今回のトリップも、一体何なんだろう。
エマの言う通りに、走り、飛び、落下し…ほんのちょっといい思いをし…また突っ込み、走っている。
だいぶ先ほどの出口から離れててしまったが、エマとはぐれたらどうすればいい?
交信機もない。
そんなことを考えながらも俺は、走っている。やはり疲れはしないが、向こうも疲れるそぶりはない。
諦めるまで一生このまま続けるか?
俺は走りながら、周囲を観察し始めた。
奇妙な世界だ。
トリップした先が平原であるパターンはよく見るが、どこまで行ってもジャングルと俺とこの獣だけというのは、奇妙だとしか言いようがない。鬱蒼と繁る木々、何処からともなく響く獣の声、今にもスコールが降り出しそうな暗い色の空。
ふと、緑以外の色が遠くに現れる。
しめた、洞窟だ。
少し開けた場所から、遥か遠方にではあるが、黒い穴の入り口が一瞬見えた。
俺はそこに向かってスピードを上げる。
うしろの獣もまた、鼻息荒く俺の後を追ってスピードを上げたようだった。
キィィィィィン
洞窟に入った瞬間だった。
俺は軽い耳鳴りのようなものを感じる。
顔を顰め、目を細める。
洞窟だと思って入ったそこは、一瞬の暗がりの後、急な明るさをつれてきた。そして目の前には、驚くべきことに、繁栄した一つの大都市が広がった。
これは…そもそも物理的には絶対にありえない。
何か魔力が働いている。
そう思った矢先、後ろから気配を感じた。
振り向くとどうだろう。
先の獣が洞窟に突進したかと思った刹那、人の姿に変身し…いや、どちらかというと鹿の変身がとけたのうに…鹿だったはずの男は、にこにこと爽やかな笑顔を見せたのだ。
「え。」
「いやぁ、なっかなか洞窟まで誘導できなくて。スマンスマン。」
「え、あの。」
「俺は孝、まぁ、さっきの獣の姿が角のばかでかい鹿っぽいから、シカとも呼ばれてるけど。」
「えぇと…獣化のスペックがあるのか?この国?の人には?」
俺はありがちな設定を思い浮かべる。
「いや。俺たち王の僕には、外回りの業務があるから、ジャングルにいる猛獣と戦うために王が魔獣化の魔法をかけてくれてるんだよ。」
「王…。」
「王っつっても、魔王だけどな。」
「…俺はてっきり君が猛獣で、俺を食おうとしてるんだと思った。」
「だろうなと思ったよ。だって声かける前に走り出すもんだからさ…仕方なくここまで追いかけて誘導したわけよ。」
「なんか、すいません。」
「いやいや、驚かせた俺が悪い。とりあえず、ジャングルからの旅人は魔王に謁見するきまりだから。ついてきて。」
シカは足早に、俺の前を歩き出した。
特に抵抗する理由もなく、後に従う。
「旅人って、ジャングルしかない国にそんなに人が来るのか?」
シカに遅れないように歩きつつ、疑問をぶつける。
聞きたいことだらけだが、とりあえず王に会う前に少しでも相手のことを知った方がいい。突然、処刑されてしまうような場合も考えられる。
「まぁ外はあんな感じだけど、この洞窟の都市は結構行商人が来るし、繁栄してるよ。」
「どうやってここまで来るんだ?」
「洞窟の奥の…つっても、見た目は都市なんだが…ほら、あのでっかい遺跡みたいのが魔王の家で、その裏側に川が流れてるんだ。そこから外の世界とやりとりできる。港街って感じだな。」
「よくできてるな。」
「だろう?魔王、性格はアレだけどまぁ、それなりに良い雇用主…嫌、統治者?だと思うぞ。魔術の腕もいいし。」
概ね国の構造が把握できた。
絶対王政だが、統治がうまく、慕われている。
国の立地もよく、行商は盛ん。
とりわけ大きな争いもなさそうだ。
単なる交易都市の世界ようだな。
「気になったんだが、なぜ王ではなく魔王なんだ?」
「あぁ、俺たち王の下僕が魔獣だからだよ。もとはこんなだけどな、洞窟の都市を狙う隣国には、ジャングルの王よりジャングルの魔王って噂が届いた方が、好都合だろ。牽制になる。」
「確かに。」
昔は争いがあったのだろうか。
だとしたら、魔王はこの土地を維持することのできる手練れのはずだ。馬鹿ではないだろうし、少し注意が必要かもな。
「それにほら。」
シカは行商人やら街の人やらに混じって、角や獣耳の生えたものなどがちらちらいるのを視線でうったえる。
「人ならざるものも訪れるからな、魔王が統治している方が良いだろう。」
「なるほど。」
俺はそれとなく周りを見渡しながらエマを探してみた。
人や獣人が多く、すぐには探し出せなさそうだ。
この国は魔王に謁見することが、ジャングルから来た旅人の条件のようだから…いずれ合流できるか。
そう暢気なことを思い、このままシカについていくことにした。