柔らかな、コシ
妙な浮遊感だ。
俺は今、空を、かっこよく飛んでいる。
いや、かっこよく、落ちている。
という表現の方が的確だ。
彼女は数メートル先に同様に浮いていて、僕に向かってゴーグルをしろとジェスチャーで示してきた。いつのまにか、ヘルメットまでしている。俺にはなぜくれなかったのだろうか。風圧で髪が全てもっていかれそうだった。
ゴーグルをすると、性能の良いそいつは目的地を赤く点滅して知らせた。それは、古めかしい城の高い塔の先端だった。彼女は器用に体をそろえ、真っ直ぐその赤い点目指して飛び出した。
まてまて…塔のてっぺんに追突するつもりか?
俺は彼女に聞きたかったが、どうにも無線らしきものはついていないようで、見よう見まねでついていくしか手はないようだ。どのみちこのままでは、地面に激突してしまう。パラシュートやその類の飛ぶものを装備した覚えはない…少なくとも俺は。
まっすぐ、まっすぐ飛ぶ。
高い塔のてっぺんがぐんぐん近づいてくる。
空中浮遊はトリップでは割とありがちな展開であるが、塔のてっぺんに串刺しにされるオチはそうそうないだろう。そもそも主人公が、こんなにすぐ死ぬか?
どうやったのか、彼女は少しスピードダウンをして俺に左手をさしだしてきた。
つかめということだろうか。
空中で美少女と手をつなぐなんて、側から見たらおいしい展開だが、相手があのエマであることを思うと不安しかない。エマがゴーグル越しに少し俺をにらむので、俺はしぶしぶその手をとった。
途端、エマはいつもの妖艶な笑みを浮かべる。
何をするつもりだ、何を。
エマは忍者の投げ縄のようなものを右手に構えた。
勿論、ちゃちなものではなく、縄はワイヤーだし、鉤の部分もいかなる素材にも瞬時にくっつく優れモノ(構造はよく知らない、備品係にでもならない限り分からないモノ)なのだが…。
それを、カウボーイよろしくくるくるまわしたかと思うと、空中で、落下しているにも関わらず、器用に塔のてっぺんに向かって投げた。
くっついたのかどうか俺にはさっぱり見えないが、エマは俺の手を握る力を強めて、こっちをみた。
いや、その顔は……。
嫌な予感しかしない。
グインと衝撃があり、俺はエマに衝突する勢いで…いや実際衝突した形で、エマの腰のあたりに顔を打った。ゴーグルがめりこんで痛いが、それどころではない。遠心力を感じる。エマの投げた吸盤を起点に、俺たちは塔の周りをきれいに回り出した。
これは一体、どういう状況なんだろう。
俺は情けなく、無意識のうちにエマの腰に抱き着いていた。いや本当に、申し訳ないくらい今、俺は情けないが、怖くて離せない。対照的にエマは非常に楽しそうだ。
ふと、ゴーグルの赤い点が点滅をやめ、今度は青い直線が現れた。空中に照らし合わせると、どうもその青い直線は、この塔に沿って真っすぐ下に向かって引かれている。下向きの矢印とともに。
いやだ、絶対に、いやだ。
思ったことが口に出ていたみたいで、エマが明るく笑った。そうか、近いから声が聞こえるのか。
「五秒後に右手話すからね、先に言っとく。」
「いやだ。離すな。ひとりで行け。俺はずっと、回ってる。」
「勢い殺すために回ってたるだけなんだから、いつかは止まって塔にぶらさがるだけよ、っと。」
彼女は言いながら自分の時計を確認し、投げ縄にシルバーのシールのようなものを貼った。
「備品倉庫、五番の棚。」
呟くと同時に投げ縄は忽然と消えた。
ついでに彼女はかぶっていたヘルメットにもシールをはり、私室のデスクと言ったのが聞こえた。そのヘルメットは私物だったのか。
ハザマの世界のモノは他の世界に置いてきてはいけない。これは大原則だ。世界にゆがみを生じさせる原因になってしまう。先のシルバーのシールは、簡単な、時空転移装置のようなと考えれば良い。シールを貼り、転送させたい場所を言えばその場所に返すことができる。ただし、ハザマの世界の、自分が行ったことのある場所、触れたことのある場所に限られているのだが。
「吐かないでね。」
時計を見ながら、冷静に落下地点を確認するエマ。
「っっぅっぅ…。」
なんだかよくわからない声を上げる俺。
急速に、直角に落下する二人。
次の瞬間にまた、俺の景色は暗転した。