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 英雄は大学のあるサークルに参加していた。そのサークルは、バーベキュー、キャンプ、スキーなど、アウトドアを中心としたレジャー活動をひたすら楽しむための気楽な集まりだった。

 大学生活が始まって間もない頃、英雄はたまたまそのサークルの女子学生から勧誘を受け、断れずに流されるように参加を決めた。英雄はそのサークルの軽い乗りや雰囲気は余り自分には相応しくないと感じていたが、そういう場で対人関係に慣れていくのも社会勉強の一つであり、自分には必要なことかもしれないと考えた。さらに、サークル活動の中で、恋人のような存在が出来ることもどこかで期待していた。

 だが、英雄はいつまで経ってもそのサークルには馴染めなかった。英雄は幼い頃より内気で人見知りの傾向があったが、大学生になってからはその度合いが一層酷くなっていた。サークルでの学生たちとの交流も苦痛を感じるばかりで、一向に場慣れ出来なかった。さらに、大学を留年するようになると、その引け目や劣等感がサークルでの対人関係をいよいよ苦痛で困難なものにしていたのだ。それでも英雄はずるずるとサークル活動に参加し続けていた。居心地が悪いとはいえ、大学の中では唯一の居場所にも思えたのだ。

 サークル棟は幾分年季の入ったコンクリートの三階建ての建物で、大学の裏門の側にあり、キャンパスの北側の大分端に位置していた。そのサークル棟の二階の一室に、英雄が参加していたサークルの専用スペースが設けられていた。部屋は四つのサークルが区分けして使用しており、一つのサークルにつき四畳ほどのスペースが割り当てられていた。英雄の参加していたサークルの専用スペースは、出入り口のドアから最も手前の一角に設けられていた。

 英雄はサークル棟のその一室まで辿り着くと、躊躇いがちにドアを開けた。まだ誰も来ておらず、中には人気が無かった。英雄はほっと胸を撫で下ろし、そろそろと中に入った。

 サークルの専用スペースの中央には、木製で古びた長方形の小型ダイニングテーブルが置かれていた。その上には、伝言ノートとして使用している大学ノートが一冊、文庫本や雑誌などの本類が数冊、ボールペンやシャープペンシルなどの筆記用具が幾つか無造作に置かれていた。机の周りには少し錆付いているパイプ椅子が、数脚置かれていた。奥には、部屋の壁に沿って、ノートやアルバム類が収められている木製の本棚も置かれていた。

 英雄は出入り口のドアから最も近くにあったパイプ椅子に腰をおろし、手を伸ばしてサークルの伝言ノートを手に取り、そのページをめくった。書かれてある内容をさっと読み流すと、テーブルの上にある本類の中から一冊の文庫本を選び出して読み始めた。内容は全く頭に入らなかった。ただ文字を機械的に目で追っているだけだった。

 二三分経たぬうちに、ドアの外から快活な男子学生たちの喋り声が英雄の耳に入った。英雄はそれが別のサークルのメンバーのものであることを願っていた。しかし、ドアが開いて現れたのは、同じサークルのメンバーである後輩の男子学生二人だった。

 英雄は二人を一瞥した。彼らのうちの一人は三年生でサークルの部長を務めていた。若干長めの髪を金色に染め、長袖の赤いカジュアルシャツを羽織るように纏い、だぼだぼで少し色褪せた紺のジーンズを下げ気味に穿いていた。右手には取っ手の付いた透明のキャリングケースを引っ提げていた。彼は学内にある売店で昼食用の飲み物や食べ物を買ってきていたようで、白いビニール袋も荷物と一緒に手にしていた。彼の後に続いて入ってきた連れの男子学生も三年生だった。短めの髪をツンツン立たせたハリネズミのような髪型で、濃い黒縁の眼鏡をかけていた。服装は紺の長袖のカジュアルシャツに、黒い細身のチノパンツという格好だった。アーミーグリーンのショルダーバッグを左肩から斜めに掛けていた。彼も昼食用の食べ物や飲み物が入っている白いビニール袋を手にしていた。

 彼らは、サークル室に入ってくると同時に

「こんちわー」と、それぞれ英雄に挨拶をした。

「あっ、どうも……」と、英雄も少し首を垂れながら囁くようにして挨拶を返した。

 二人の男子学生は、英雄とテーブルを挟んでほぼ向かい側のパイプ椅子に同じようなだらりとした仕草で腰かけた。その際、部長の男子学生は、手にしていたキャリングケースと白いビニール袋をテーブルの上に放り投げるようにして置いた。もう一人の男子学生は、ショルダーバックを肩に掛けたまま、手にしていた白いビニール袋だけテーブルの上に投げ置いた。それから、部長の男子学生が、普段あまりサークル室に顔を見せない英雄に、笑顔を見せながらも若干訝るような調子で話しかけた。

「合田さん珍しいですね。今日はどうしたんですか?」

 英雄は、そんな彼に対し、引きつった作り笑いで顔を歪めながら、いかにも後ろめたそうに恐々とテンポ悪く受け答えをした。

「……あ、いやあ、ちょっと時間空いちゃってさあ……」

「お昼はもう済んだんですか?」

「……あっ、いやあ、今、ちょっと学食混んでるからねえ……。もうちょっとしてからと思って……」

「そうですよね。この時期って学食めっちゃ混みますよね」

 英雄と部長の男子学生との間でそのような会話が交わされた後、部長の男子学生はテーブルに置いてあったサークルの伝言ノートを手に取って読みだした。もう一人の男子学生の方は、

「あー腹減った」と、小声で呟き、テーブルの上に投げ置いたビニール袋から、ペットボトルの飲料とサンドイッチを取り出し、そのビニールの包装をガサガサと開封し始めていた。

 英雄は彼らを目の前にして、身体が絞られるようにして縮まっていく感覚を意識した。文庫本のページに視線をやっていたが、文字を機械的に目で追うことすらままならない状態になっていた。英雄はすぐにでもその場から立ち去りたかった。しかし、そうすると彼らに対して当てつけのように拒否の姿勢を示すことに思われたし、彼らへの敗北宣言にも思えた。今しばらくは留まっていなければと、文庫本を読む振りをしながら、じっと我慢していた。

 二三分経って、再びドアの外から別の男子学生たちの喋り声が英雄の耳に入った。出入口のドアが開くと、男子学生が二人入って来た。彼らも同じサークルのメンバーで、今度はどちらも二年生だった。

 彼らが入ってくると同時に、英雄の前で「こんちわー」とか「ちーっす」などという男子学生たちの挨拶が行き交った。英雄も新たに入ってきた二人の男子学生の方にちらっと顔を向け、首を少し垂れて、

「あっ、どうも……」と、囁くような声を発して挨拶した。

 サークル室の中は大分賑やかになっていた。同じ室内にある他のサークルの専用スペースにも、学生たちが続々と来だしており、頻繁に出入り口のドアが開閉されるようになっていた。

 新たに入ってきた二年生の男子学生二人も売店で昼食用の飲食物を買ってきており、各々それらを食べ始めていた。英雄の前で、ガサガサというサンドイッチのビニールの包装を開ける音や、おにぎりを食べる時に発する糊のパリパリいう音を立てられていた。同時にお喋りも始まり、部長である三年生の男子学生と、後から入って来た二年生の男子学生の一人が言葉を交わし始めていた。

「新歓コンパの会場予約した?」

「来週の土曜のやつですよね。しました」

「オッケー。じゃあ、あとでノートに書いといて」

「分かりました」

 そのような業務連絡的な会話が行われた後、彼らの話題の対象は、新学期が始まってからサークルに顔を見せたことのある新入生のことに移った。

「新入生ってさあ、どれくらい来てる?」

「名簿に名前書いてもらったのは三十人くらいだと思います」

「今年けっこう多いよな」

「そうですね。でも、あんまり多くても大変じゃないですか?」

「まあな。女の子にはたくさん入ってきて欲しいけどな。ただし、可愛い子に限るだけど」

 ここで男子学生たちの間で笑いが起きた。それから、彼らはそれまでにサークルに顔を出した新入生の女子学生について話題にし始めた。内容は、あの子は可愛い顔をしていただとか、不細工だったとか、胸が大きいだとか小さいだとか、服装がダサかっただのと、容姿の評価が大半だった。そして、最終的には、今年はどれもいまいちだという結論に達した。

 英雄の目の前でそのような会話が繰り広げられていた中、英雄は相変わらず文庫本のページに目をやっている振りをしていた。口元をぐっと引き締め、ほとんど固まっているようにじっとしていたが、目だけは落ち着きなく泳ぎ回っていた。

『どうせ僕はあんな軽口さえろくにたたけない無能で根暗な人間なのだ』

 英雄の頭の中には、男子学生たちの会話を聞きながら、そのようないじけた思いがもたげていた。彼らが自分というお呼びでない面倒な余計者の存在を疎ましく思い、内心憤慨しているようにも思われた。今にも誰かが殴りかかってくるような気さえした。薄っすら発せられる自分の腋の臭いにも気づき、一層いたたまれなくなっていた。

 英雄はとにかく早くその場から立ち去りたかった。左手首につけていた腕時計にそっと目をやると、昼休みに入って二十分程度しか経っていないことが分かった。ずいぶん時間がゆっくり進んでいるように思われた。学生食堂に向かうのはまだ早いように思えたが、もう限界だった。英雄は文庫本を読む振りをしつつも、しきりに目を泳がせてサークル室を出るタイミングを伺ったが、頃合いはなかなか掴めなかった。それでもいたたまれなさに堪えきれず、英雄は文庫本を手元に置きながら突然叫ぶようにこう言って立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ失礼するよ!」

 英雄の挙動の唐突さに、英雄から最も近い右側の位置に座っていた二年生の男子学生が、

「びっくりしたー……」と、思わず身体をのけ反らせながら口にした。英雄はそれを意に介す余裕もなく、そのまま無言でショルダーバックを肩にかけ、出入り口のドアに向かった。

「……じゃあ、お先」

 英雄はサークル室から出る間際、囁くような声でもう一度そう挨拶した。

「おつかれーす」

 そんな挨拶の言葉が男子学生たちから二三英雄に返ってきた。英雄がサークル室から出てから数メートル歩くと、サークル室から男子学生たちの笑い声がどっと上がった。英雄はそれを自分への嘲笑と捉えた。

『……畜生! 女の子の胸がどうとか低俗なことばかり喋りやがって! こっちだって身を下げてそんなお前らにつき合ってやってるんだからな!』

 英雄はそう胸の内で叫び、唇を噛んだが、すぐに自分が嘲笑を受けるのは至極当然のことであると思い直した。

『……一体僕には怒る資格があるのだろうか? 僕はバカにされても当然ではないだろうか? 留年だって繰り返しているし、人と会話もろくに出来ないし、それを補えるような才能もなければ努力もしてない。一体誰のことを非難できるのだろう? 僕よりあいつらの方がよっぽどましなのは確かだ。少なくとも学業という学生としての義務はきっちり果たしている……』

 英雄はそう考えると、ただ卑屈にうなだれることしか出来なかった。英雄がサークル棟の外に出ると、新緑の匂いが混じった麗らかな微風が心地良く全身に吹き付けてきた。英雄は幾分気持ちが落ち着く気がした。

 英雄はサークル室での緊張から解かれると、空腹で腹が鳴っていることに気づいた。英雄は朝から何も食べていなかった。 

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