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乱闘、流血シーンがあります。
第八小隊は警邏に出ない。つまり、私はあの夜から特警隊庁舎の敷地内から出ていない、ということだ。
特警隊庁舎の敷地内に寮があるので、生活は全て敷地内で完結してしまう。勿論、警邏意外での外出が許されていないわけではないが、安い給料を薄汚れた酒場で使い果たすのも馬鹿らしい。
そう言えば、夜警明けに一杯やろう、という予定も実行できずにいた。小隊長とナサエラがあんなことになったというのに、酒など飲んでいる場合ではない。
不満分子による魔石加工場爆破未遂事件から五日。相変わらず特警隊庁舎の一部は魔法騎士団第三師団に占拠されている。私達はほぼ庁舎裏倉庫に入り浸っているから分からないが、その他の隊員、特に合同で警邏に当たる第一、第二小隊からは不満が噴出しているという。
「いつまでいるつもりなんだ、奴らはよ!」
夕食の時間帯。壁際の隅っこの席を選んでパンを齧っていると、どやどやと体格のいい隊員たちが怒鳴り散らしながら食堂に入ってきた。
メニューのスープや鳥肉のソテーの匂いが充満していた食堂が、一気に汗臭くなる。勿論、そんな匂いで食欲が失せるようでは、特警隊なんてやってられませんけど。
「おばちゃん、メシ!」
入り口でトレーを手に取った隊員たちは、おばちゃん達が料理を盛ってくれた皿を次々に受け取り、カウンターに近い空いたテーブルにまとまって座った。
調理場に近いその一角は、お替りをするのに便利だということで、態度も発言権も大きい第一、第二師団の指定席になっている。他のテーブルが混んでいても、他の隊員たちがそこに座ることはない。
「ああっ、腹が立つ! あいつら、何様のつもりだ!」
「いいから、黙って食え! 腹が減ってるから腹が立つんだ!」
不満を吐き散らす隊員達に怒鳴ったのは、第一小隊長グレン・ドレイクだ。筋肉の塊と表現したほうがいいほどの体格だが、顔は引き締まった男前という、筋肉好き女子隊員の間ではガルス隊長と人気を二分する男だった。
ただ、彼はガルス隊長のように温厚ではなく、理知的にものを考えるといったタイプでもない。
……なーんて、口に出して言ってるわけでもないのに、何故彼は私のほうを睨んでいるんだろうか。
いつものように、私の向かいにはヒーリィが座っている。ただ、私は食堂の壁に背を向けているから、ヒーリィは壁側を向いて座っている。つまり、ドレイク小隊長の鋭い眼光に気付いているのは私だけだ。
いやいや、気のせい、気のせい。だって、彼に睨まれるようなこと、した覚えないし。
私はさり気なく視線を逸らして、鶏肉のソテーを口に放り込んだ。
「どうかしましたか?」
不自然な視線の動きに気付いたらしいヒーリィが、私の顔を覗き込んでくる。……だから、近いってば。
口に鶏肉が入っているため、首を小刻みに横に振った。
後ろを振り返っちゃ駄目だよ、ヒーリィ。あんたの天敵の筋肉集団のトップが、こっちを睨んでいるんだから。
そこで、振り返ってしまうのが、やっぱり相性の悪さというのか、天敵たる所以というのか。
カウンター側を振り向いたヒーリィは、ドレイク小隊長と目が合ってしまったんだろう。
「何でしょうか」
聞く者の神経を逆撫でするような冷ややかな声で、彼は筋肉集団達の過敏になった導火線に火を点けてしまった。
「やんのか、コラ」
ドレイク小隊長の隣に座っていた悪相の隊員が、見るに耐えないしかめっ面でこちらに凄んでくる。
「や、やりませんから。すみません、愛想のない奴で」
鶏肉を何とか飲み込んで、私はヒーリィの片袖を引っ張りながら愛想笑いを浮かべた。
悪相の隊員は、こんな平凡な女の愛想笑いでも、ちょっとは満足したらしい。汚い言葉を口パクしながらも、頬をちょっと緩ませて席に戻った。
ところが、そこでドレイク小隊長が朗々とした声で言い放った。
「お前ら、いい身分だな。小隊長ともう一人死なせておきながら、一日中裏の倉庫に引き篭もりかよ」
その言葉に、ヒーリィの表情が変わった。
出会ったばかりの頃を彷彿とさせるような、底冷えのする怒りの形相。
「駄目だよ、ヒーリィ」
まだ掴んだままでいた袖を強く引いて囁くと、彼はハッと我に返ったような顔をした。
「ドレイク小隊長。お言葉ですが、私達が魔導兵器への魔力充填業務に専念しているのは、隊長のご命令です」
私は、できるだけやんわりとした口調で応じた。他の小隊員に所属する隊員たちも食事をしている中、彼らの頭越しに会話をするのもなんだ、とテーブルを回ってドレイク小隊長の側に立つ。
「私達第八小隊は、与えられた範囲内で自分達にできることに力を尽くしています。決してただ引き篭もっているわけではありません」
そこはちゃんと弁明しておかないと、黙って引き下がれば誤解する輩も出てくる。
ギロリ、と本当に音がしそうな眼光で、ドレイク小隊長が私を睨んだ。ここが、彼とガルス隊長の男の格の違いってところだ。隊長は、絶対に人をこんなふうに格下扱いしない。
「お前ら、あいつらと同属だろうが。お前らがあいつらと一緒に行動すりゃいいんじゃないか」
「あいつら、というのは魔法騎士団のことでしょうか」
「他に誰がいるっつーんだ。気色悪い力使いやがる、生っちろい奴等だよ。お前らもそうだろうが」
へえー。へえー。魔力を気色悪い力ときましたか。それなら、今後あなた方が魔導剣を携帯するときには、全てに「気色悪くてスミマセン」とでも張り紙しておきましょうか!
「隊長からそのように命令が下れば、私達はそれに従います」
暗に、他の小隊の小隊長に思いつきの指示なんか出されても、従う謂れはございませんと私は答えた。
「へっ、スカした面しやがって。やっぱり能力者様ってやつは、俺達のことを見下してやがるんだな」
ドレイク小隊長の朗々とした声が、食堂全体に響く。
その前の私の言葉は聞こえていなかった隊員達にも、彼の声だけはハッキリと聞こえただろう。その声だけ聞いた隊員たちは、私が第一小隊長を見下した言動をした、と思い込む。
こいつ、わざとだ。
むざむざ罠にかかったのは私だ。けれど、ここまできたら引き下がる訳にはいかない。
「見下しているのはどちらですか? 私達と魔法騎士団は全く別の存在、私達は特警隊の一員ですよ。魔法騎士団相手に苦労なさっていることはお察しいたしますが、だからといって私達に当たらないでいただけますか」
他の隊員達にもハッキリ聞こえるよう、私は声を張り上げた。
「……貴様!」
怒りに満ちたドレイク小隊長の声が聞こえたのと、醜く歪んだ彼の顔が見えたのと、ガン、という衝撃と共に額に焼けるような痛みが走ったのは同時だった。
私の額に打つかって割れた皿が、床やテーブルに当たって更に砕ける。
ウワッという声が上がり、私は最悪の事態が勃発したことを悟った。
皿が砕け、トレーが飛び、ナイフやフォークが壁に突き刺さる。宙を舞うスープや鶏肉、テーブルは真っ二つに割れ、その阿鼻叫喚の中で何の理由もなく誰彼構わず殴り合う隊員達。
結局、誰を相手にでもいい、この鬱憤をぶつけて発散したかっただけなのだ。それなのに、庁舎内には四六時中魔法騎士がうろついていて、自室と食堂以外気を抜ける場所がない。
その不満が、爆発したのだ。
痛む額に手を当てると、ヌルッとした感触があった。額が切れて、出血しているようだ。
私の額に皿を投げつけた張本人はというと、嬉々とした表情で同じ第一小隊の荒くれどもに鉄拳を叩きつけている。
最初から、そうやって仲間内でストレスを発散すればいいのに。
どこか遠くからヒーリィが私を呼ぶ声が聞こえてきたが、乱闘会場となった食堂で彼が私の元まで来るには、障害が多すぎた。
結局、騒ぎが収まったのは、異変を聞いたガルス隊長が隊長室から駆けつけ、一番乗りに乗って騒いでいたドレイク小隊長を一撃の下に沈めた後だった。




