魔法国家騒動記62
ヒーリィとの再会の日からひと月。
リーディア伯爵から送られてくる情報提供の手紙が届く以外、私には何の外部刺激も与えらえることなく、静かな日々が続いていた。
けれど、穏やかなのは、ここが外部とは隔絶されたお屋敷の中だからであって、マジカラント国内ではいろいろと動きがあったらしい。
革新派貴族の主流であった貴族の一人が、国外に逃亡しようとして、国境付近で逮捕された、とか。
その貴族の屋敷から、隣国フォルス国の密書や贈答品等が見つかった、とか。
ヒーリィことヒューリット殿下が王宮の一角に住まいを与えられ、国王陛下に忠誠を誓い、王族としての教育を受けている、とか。
ヒーリィがセイオ王太子殿下を支持したことで、ユーリ殿下もそれに倣い、王宮内での王位継承争いの火種は沈静化しつつある、とか。
革新派が軒並み駆逐されつつあることで、頑強な保守派の動きも抑制されつつある。行き過ぎた思想の偏りは国を危うくすると国王陛下が判断したことで、保守派も態度を軟化させ、穏健派との連携を図りつつある、とか。
マジカラントは、一時の危機を脱して、平穏を取り戻そうと動き出している。
まだ、魔力を持つ者と持たない者の間には越えられない壁があり、格差は依然残ったままで、ウィル自治区の治安は魔法騎士団に握られたままだけれど。
それでも、反乱分子が一掃されたことで、王都側へ加えられる危害は無くなるだろう。そうなったら、ウィル自治区に対する恨みや恐れも薄れてくる。
それから先のことだ、両者を隔てる壁を取り除くかどうかは。
もし、そんな世の中が訪れるのなら、私とアレックスが共に平穏に暮らすこともできたのだろうか。
ふとそう思って、涙が込み上げて来そうになった。
もう、そんな未来が訪れることはない。何故なら、彼はもう戻ってこないから。
例え、獅子門が解放されて、魔力を持つ者も持たない者も自由に交流ができ、望むなら婚姻が認められるようになったとしても、その世界に彼はもういない。
……もう、いない。
思わず漏れそうになった嗚咽を飲み込んで、私は必死で涙を堪えた。
そんなふうに世の中が変わっていくのを、私はこの目で見届ける。アレックスの代わりに。
彼が命に代えて守った、この国の行く末を。
国王陛下からの呼び出し状が届いたのは、それから間もなくだった。
ウィル自治区の警察機能を再びウィル自治区住民の手に戻す為に、元特警隊だった私の意見が聞きたい、という理由だった。
王政府内で穏健派が勢力を伸ばしたせいか、リーディア伯爵も私が王宮に滞在することに異論を唱えなかった。
もう二度と来ることはない、と思っていたのに、私は再び王宮へと戻ってきた。
魔法騎士団本部の建物が、馬車の窓から見える。
そこかしこにいる真紅の制服が目に入る度に、心臓が跳ねあがった。
アレックスじゃない、と分かっているのに、それでも似たような髪の色、似たような背丈の魔法騎士を見る度に、胸が締め付けられた。
次兄の呪縛のような脅しを振り切って、私を魔導科学研究所の実験体という役割から救い出してくれたアレックス。
リーディア伯爵家の元へ身を寄せる手はずを整えてくれ、出発の日、母の形見だったというネックレスを忘れ物だと私の手に渡らせた彼。
あの別れの日、彼は怒りの形相を浮かべ、私の首からあのネックレスを引きちぎった。
まるで、十年前に私が自分の手で引き千切って、彼に投げつけた時と同じように。
首元に手をやると、あの繊細な金鎖のものとは違う、リーディア伯爵家で用意された真珠のネックレスが指先に触れた。
あれは、きっと彼なりの、私への別れの告げ方だったのだ。
張り裂けそうなほどの痛みを訴える胸を押えて、私は涙を堪えた。
そこかしこに、彼との思い出が残っていて、見る度にその時の光景が鮮やかに甦る。
玄関ホールで、行き交う魔法騎士の制服を見る度。テラスに置かれたテーブルセットが目に入った時。
もう、思い出の中にしか、彼はいない。そう思うと、冷たい痛みが胸に沁みる。
先導してくれるリーディア伯爵の後に続いて王宮内を歩きながら、小さく溜息を吐いた時だった。
ふいに横合いからかけられた声に、私の心臓は跳ね上がった。
「これは、リーディア伯爵ではありませんか。お久しぶりです」
……この声。
動悸が激しくて、呼吸がうまくできない。
声の主の方へ振り向こうとする首が、まるで軋む音を立てているかのようだ。
「……これは、ガーラント伯爵家の」
驚いたリーディア伯爵の声に、私は殴られたような衝撃を受けた。
……まさか、……まさか、……まさか!
リーディア伯爵の広い背中の向こうに見える、貴族男性の姿。
「……っ」
……違う。
血の気が引いていき、よろめきそうになって、私は必死で倒れないように踏みとどまった。
声だけは、アレックスによく似ている。けれど、今目の前でリーディア伯爵を呼び止めて談笑しているのは、アレックスとは明らかに別人だった。
灰色に近い銀髪を右耳の後ろで縛って右肩から前に流し、穏やかな青い瞳に人好きのする光を湛えている。背は高いほうだけれど、きっとアレックスよりは低い。体つきもほっそりとしていて、武官じゃなく文官だと見ただけで分かる。
「ええ、先日戻ったところなのです。……そうですね、詳しいことはここではお話しできませんが」
愛想よく微笑みながら喋っていたその男性は、ふと気付いたようにリーディア伯爵の後ろで青ざめている私に視線を向けた。
……ああ、似ているような気もするけれど、全然違う。
彼に落胆するのは失礼だろうけれど、沈んでいく気持ちを押えることができない。
「お連れの御方ですが、気分が優れないようですね。何だか顔色が悪い」
振り返ったリーディア伯爵も、私の顔を見て驚いたように目を見張る。
……私は、そんなに酷い顔色をしているんだろうか。
「宜しければ、外務省の控室で休んでいかれますか? すぐそこですし」
そんな声を聞いていると、笑いが込み上げてきそうになった。
同じ声なのに、絶対にアレックスが言いそうにない、他人を気遣う台詞を喋る声。
「いえ、結構でございます。お気遣いいただいて、ありがとうございます」
お腹に力を入れて足を踏ん張り、私は必死で笑みを浮かべた。
「そうですか……?」
無理強いはしないものの、気づかわしげな視線を向けてくる。
三者三様なのね。兄弟なのに、外見も中身も、三人とも似ていないなんて。
「申し遅れました。私はレイモンド・ガーラントと申します」
やっぱり、予想した通り、この人はガーラント伯爵家の長男だった。
「私は、メウル・オーエンと申します」
貴族式の挨拶をすると、レイモンドが何か呟くように口を僅かに動かした。
何か言ったのだろうか、と首を傾げると、レイモンドは目を伏せて口元に微笑みを浮かべた。
「お引止めして申し訳ございません、リーディア伯爵。では、私はこれで」
一礼して去っていくレイモンドの後ろ姿は、アレックスと兄弟だとは思えないほど似ていない。
けれど、遠ざかっていくその背から目が離せずにいた私は、リーディア伯爵に促されてようやく我に返った。
国王陛下に謁見するのは、これで二度目だった。
一度目は、アレックスの次兄クレイヴが、私を魔導生物研究室の協力者という名の実験体にする報告をした時だ。けれど、あの時はクレイヴの後ろに控えていただけなので、こうやって今のように顔を合わせて話すのは初めてだ。
最初に会った時も思ったけれど、国王陛下は穏やかな表情をした気さくな方で、雰囲気はどことなくガルス隊長を思い起こさせる。
だから、こう言っては不敬に当たるかも知れないけれど、私は案外緊張せずに謁見に臨むことができた。
謁見の間には、国王陛下の他に、内務大臣や公安大臣等、各省の大臣や、陛下の側近達が立ち会っていた。その人達の刺すような視線の方が、国王陛下よりも恐ろしく感じる。
ましてや、公安大臣の立っている方向へは、まともに視線を向けることができなかった。
アレックスの父親、ガーラント伯爵は、がっしりとした体躯に灰色の髪、気難しそうに顰めた顔をしていた。ちゃんと見ていないのでよく分からないけれど、父親に一番顔が似ているのはレイモンドだろうか。
陛下の前で貴族式の礼をして名乗ると、形式的な労いの言葉をかけられた後、陛下の隣に立つ側近……補佐官といってこの国の宰相に当たる方から本題が切り出される。
「いずれ、ウィル自治区の警察機能は、ウィル自治区住民の手に戻さなければならない。それについて、元特別治安維持警備隊員であるあなたから意見が聞きたい」
事前に、リーディア伯爵からその質問については聞かされていた。
いつまでも魔法騎士団をウィル自治区に駐留させておくと、住民の不満が募る。また、ウィル自治区住民を見下し敵視している魔法騎士が、住民に無用な危害を加えないとも限らない。そうなれば、また獅子門前広場事件の二の舞になる。
国王陛下は、早急に特警隊を再組織しようとしている。それに際して、何か特警隊という組織に改善点があれば、この機会に取り入れようとお考えであるらしい。
私は、汗の滲む掌を軽く握ると、息を吸い込んだ。
「恐れながら、申し上げます。特警隊は、魔導具を装備した反乱分子の取り締まりに当たりながら、魔導具の装備が著しく劣っております。わたくしが任に当たっていた時点で、特警隊の所有する魔導具は全て反乱分子から差し押さえたものでした。是非とも、装備品の充実をお願いしたく存じます」
私の意見に、大臣たちの間から不満げな声が漏れる。
それはそうだろう。特警隊と言ったって、彼らにとってはウィル自治区側の組織だ。もし、ウィル自治区全体が独立を掲げて反乱を起こし、特警隊もそれに呼応したら、魔導具は全て王都側の敵を利する武器になってしまうのだから。
でも、そうやって善良なウィル自治区住民まで敵視することが、自分たちの首を絞めていることに気付くべきだ。
「他には?」
不満の声を遮るように、国王陛下が私を促す。
「はい。是非とも、オーランド・ガルス元隊長を再び隊長として任じていただけないでしょうか。彼の求心力の高さ、人柄、能力は、誰よりも優れております。彼であれば、きっと特警隊を再組織し、依然よりも優れた組織へと変えていけるでしょう」
敬愛するガルス隊長のことだけに、自然と私の声にも熱がこもった。
すると、私を王座から見下ろしている国王陛下の目が、何だかキラキラと輝きだしたような気がする。
「そうか。そなたは、オーランドを慕っておるのだな」
「はい」
素直に頷いたものの、その親しみを込めた言葉に小さく首を傾げると、国王陛下は表情を崩して笑った。
「実は、獅子門前広場事件の際、私と彼は共に戦った仲なのだ」
「えっ、……ですが」
国王陛下は能力者側、ガルス隊長はウィル居住区住民。お互い、敵同士のはずだ。
私の言いたいことはすでに察しているらしい国王陛下は、大きく頷いた。
「最初は敵同士だった。私は、当時王弟として魔法騎士団を率いて内乱の鎮圧に当たっていた。と言っても、まだ十代半ばの少年だった私は名ばかりの指揮官。魔法騎士に護られながらその場にいるだけだったがな」
笑いながらそう語る国王陛下の傍で、補佐官も苦笑いを浮かべている。
「オーランドは、あの内乱の発端となった事件の被害者の親族だった。我々能力者に強い恨みを抱きながらも、内乱で多くの命が失われていくことに責任を感じていた。まだ、彼は十歳にも満たない子供だったが、真っ直ぐで心の優しい男だった。紆余曲折はあったが、お互い、内乱を終わらせることで意見が一致して別れた。次に会ったのは、特警隊隊長の任命式だ。名に聞き覚えがあるとは思っていたが、まさかあの時の子供が、特警隊の隊長に選ばれるような立派な男になっているとは思わなかった」
国王陛下の表情は、ガルス隊長との再会の場面を思い出し、感慨にふけっているように見えた。
ああ、ウィル自治区住民であるガルス隊長に、これだけ親愛の情を抱くことができる国王陛下なら、きっと両者の間に今も残っているわだかまりを解決することができるだろう。
「オーランドは息災か?」
「はい」
そう頷けることに、今物凄く感謝した。
もしあの時、リーディア伯爵家を抜け出してウィル自治区に戻っていなかったら、ガルス隊長の命を救うことはできなかった。
あの出来事があって、私の特異能力には命を救った者の心を奪ってしまう呪いなんてないことが分かった。そして、アレックスの本当の気持ちを知ることができた。
だからこそ、その気持ちを踏みにじって王都へ戻ったこと、そしてそのまま彼と永遠に会えなくなったことが、胸を引き裂かれるほど悲しい。
でも、あの出来事があったからこそ、特警隊は組織の要を失わずに済んだ。
そして、リーディア伯爵の元に戻ったからこそ、こうやって国王陛下に特警隊再興に関する意見を申し上げることができている。
何もかも、必要なことだった……。
そう思うしかない。そうやって、アレックスの死を胸に刻みつけて、痛みに耐えながら前を向いて生きていくしかない。




