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医務室を出て、初めて気が付いた。
特警隊庁舎の一角、正面玄関の右側にある会議室と資料室、それに来客用の接待室は、魔法騎士団に占拠されていた。さらに、正面玄関脇には五台の魔導艇と、二十頭近い馬が繋がれている。
魔法騎士団の一師団は、人数が百を超えるはずだ。つまり、師団長が一部の騎士だけを連れて特警隊に乗り込んできているのだろう。
「本気で、不満分子のアジトを壊滅させるまでここに居座る気なんだ……」
玄関を出入りしている真紅の制服達を横目に見ながら、私は思わず呟いた。
前任の第五師団長は、良くも悪くも事なかれ主義だった。何か事件が起きても、必要最低限の行動だけ起こし、後はウィル自治区の中で解決しろという姿勢だった。余計な手は出さないが、ここで手を貸してくれれば、というときにも何もしてくれなかった。
どっちもどっちだけど、何で魔法騎士団のやることは極端なんだろう。もっとこちらの事情を汲んで、お互い協力すればもっと効率的な仕事ができるのに。
そうは思うが、廊下ですれ違う魔法騎士達は、ガーラント師団長と同じとまではいかないが、馬鹿にしたような見下した目でこちらを見てくる。とても、協力して何かをやり遂げましょうという雰囲気ではない。
でも、まだ彼はマシだったな……。
正面玄関近くで合流した魔法騎士は、私より少し若いくらいの柔和な顔をした男前だった。
「ああ、もう良くなったんですか」
私を見てそう言うと、何とこちらに微笑んでくれたのだ。
「え? あの……」
「ああ、これは失礼。私は、第三師団の中の一小隊を任されています、アルヴァ・ワイズと申します。あなた方が獅子門前広場で倒れていたのを見つけたのも、私です」
ああ、そう言えば、ガーラント師団長が彼の名を口にしたのを聞いたような気もする。
「それは、ありがとうございます」
お礼を言うと、なぜか彼は噴き出して笑った。
「……アルヴァ。貴様、余計な口をきくな」
凍るような師団長の視線を受けても、彼の朗らかな微笑みは消えなかった。
「申し訳ありません、師団長。何もしてないのに御礼を言われるなんて思ってもみなかったものですから」
「そんなことはどうでもいい。奴はどこにいる?」
「この庁舎の地下にある牢獄に拘束しています。この先の階段から下りてすぐですよ」
勝手知ったる他人の家とばかりに、アルヴァは先頭に立って歩き始めた。
支配層であんな人、珍しいな。ひょっとしたら、彼自身か親がウィル自治区出身なのかも知れない。
人当たりが良く、ガーラント師団長の凍るような視線を受けても動じない。何でも率なくこなすタイプのようだし、彼のような人が人の上に立つべきじゃないだろうか。
地下へと伸びる階段を下りながら、私は先を下る白銀の頭に向けてそう念を飛ばした。
地下室は、ひんやりとした空気に包まれていた。
窓一つない……地下だから当たり前なんだけど……フロアは真っ暗で、廊下に等間隔に点された蝋燭の明かりがぼんやりと周囲を照らしていた。
石造りの壁に、廊下側が鉄格子になっている牢獄は狭く、人が横になれるだけの敷布と、それと同等の空きスペースしかない。そこに置いてある桶は、用を足すためのものだ。
十ある牢獄のうち半数が、先日捕えた罪人で塞がっていた。牢獄といっても、ここは取り調べて罪が確定するまでの一時的な拘置所に過ぎない。ここから更に、処刑場に送られるか魔石の鉱山に送られるかを決めるのは自治区判事の役割だ。
通気口があるとはいえ、黴臭さと汗臭さ、それに排泄物の匂いが充満し、用がなければすぐにでもおさらばしたい場所だ。
私はなるべく呼吸を浅くしながら、よりにもよって一番奥の牢獄に拘束されているという襲撃犯の前まで進んだ。
隊長が、鉄格子の間から手燭を差し込む。
「顔を上げろ」
その声に、敷布の上で膝を抱えていた線の細い体格の人物が、ビクリと肩を震わせた。
……うん。確かに、こんな体格の子だった。
私は、昨夜の記憶を呼び起こす。
西区の裏通りで職務質問したときも、獅子門前広場で襲われた時も、暗くてハッキリと髪の色や瞳の色まで見えていたわけではないけれど、きっと顔を見れば分かる。
「早く。顔を上げるんだ」
暗い色の髪に覆われた頭が、ゆっくりと動く。
手燭の心もとない明かりの中で、恐怖に慄く幼い目が、こちらをゆっくりと見上げた。
「どうだ?」
隊長に問われて、私は目を凝らした。
見れば分かる、と思っていたのだが、どうやら間違いのようだ。たった二度、夜の戸外で会った人物の顔など、はっきり覚えているはずがない。
けれど、この状況で「分からない」なんて絶対に言えない。言ったが最後、この牢獄の中の少年は、犯人であろうがなかろうが「犯人」になる。
そういう男なのだ、アレックス・ガーラントという男は。
きっと奴は、私が犯人の顔を覚えていないと踏んでいる。
私はヒーリィに負ぶわれて庁舎に戻るまでの間に、犯人は少年だったと伝えた。その手がかりだけで、真犯人を捕まえられたなんて到底信じられない。
牢内の少年が、突然ばったりと横倒しに倒れた。驚いて息を飲んだ私は、彼が両手足を縛られていることに気が付いた。膝を抱えたあの状態から動くには、そうするしかなかったのだ。
「……助けてくれ」
囁くような声で、少年は言った。床に這い蹲りながら、必死でこちらに向かってくる。
「俺、何もしてないんだ。信じてくれ」
声を潜めているんじゃない。枯れ果てているんだとようやく気付く。
手燭の明かりが完全に届く範囲に来た少年の顔は、頬が腫れ上がり、唇に血が滲んでいた。衣服も泥だらけであちこちが裂け、血が滲んでいる。
黒目がちな瞳は涙で潤み、恐怖のせいか唇は戦慄いている。
この少年が、小隊長とナサエラを殺した……?
不満分子は、ウィル自治区の至る所に潜伏している。昼間は温厚で何一つ間違いなど起こさない善良な市民を演じつつ、夜になると魔法弾を王都に投げ込む輩もいる。
彼らは、自分と仲間の身を守るために、どんな嘘でも吐くしどんな演技でもする。
私は隊長が持っている手燭を貸してもらうと、彼がにじり寄ってくる先にしゃがみ込み、わざと自分の顔を照らす位置に翳した。
「妹の具合はよくなったの?」
できるだけ自然な声で、そう聞いた。
少年は怪訝そうに眉を顰め、泣きそうな声を出した。
「何なの、それ。俺に妹なんていない。家族は母さんだけだ」
私はゆっくりと立ち上がると、隊長に告げた。
「彼の身元を確かめ、母親に彼が昨夜家にいたかどうかを確認すべきです。家にいたのなら、犯人ではありません」
「ということは、顔を見ただけでは判断がつかなかったということか?」
私はやや躊躇った後、首を横に振った。
「彼は犯人ではありません」
本当は、確証なんてなかった。
けれど、彼は私の顔にも言葉にも動揺しなかった。
彼が本当に犯人なら、私の顔を見て多少の動揺はするだろう。職務質問で私達が聞いた犯人の嘘を口に出したのも、私が犯人の顔を知っていると暗に知らせるためだった。
けれど、彼はそういった動揺を見せなかった。それに何より、私達を襲ったあの少年と彼とでは、雰囲気が全く違う。
「そう言い切るのなら、何故彼の現場不在証明を確認するべきだ、なんて言う必要があるのですか?」
アルヴァが柔和な笑みを浮かべたまま、こちらにずずいと詰め寄ってきた。
「それは……」
「自信がないからでしょう? つまり、あなたは犯人の顔をはっきりと覚えていないということです。違いますか?」
「仕方ないでしょう? たった二回、夜道で会った人の顔、ちゃんと覚えていられますか?」
言ってしまってから、ヤバイと思った。完全にはっきりくっきり、覚えてませんと認めてしまった。
やれやれ、と苦笑するアルヴァに、私に代わって反論してくれたのは隊長だった。
「確かに、彼女は顔をはっきりとは覚えていないかも知れない。だが、それなりの確信を持って、この少年は犯人ではないと言っているのだ。彼の家族に、昨夜の現場不在証明を確かめるくらいはするべきだろうと思うが」
「その必要はない」
ばっさりと切り捨てるようなガーラント師団長の声が響いた。
「なんですと?」
「我々が、ただ夜明け前の裏道で不審な行動を取っていただけの理由で、その少年を拘束したとお思いですか? ガルス隊長」
ややコミュ障っぽい上司に代わって、アルヴァが「その必要はない」の台詞に込められた意図を説明する。
「その少年の名は、リド・クレス。ウィル自治区西地区在住の十五歳。母親と二人暮らしで、毎朝四時から市場で働いています。我々に拘束された時間帯も、彼の出勤時間と重なります」
「じゃあ……!」
反論の声をあげようとした私を、アルヴァは制した。
「ちなみに、彼の昨夜の現場不在証明はありません。息子は昨日の夕方から家に帰ってきていない、という母親の証言も取っています」
ちょ、ちょっと……、何、これ。
振り返ると、隊長の表情がこれまでにないくらい厳しいものになっていた。
ウィル自治区の治安は特警隊が司るという従来の慣例が、ことごとく覆されている。魔法騎士団がウィル自治区でここまで踏み込んだ捜査を行うなんて、現王の治世になってからはなかったことだ。
「……違うんだ」
言葉を失い、呆然と立ち尽くす私の耳に、掠れた少年の声が聞こえた。
「夕べは、友達の家にいたんだ。気がついたら外出禁止時刻で、友達も今日は泊まって行けって。……不審な行動っていうのも、寝坊して慌てて仕事に向かっていたからで、何も悪いことなんかしてないんだ」
「その友人にも話は聞いている。夕べは誰も家に泊めたりしていない、リド・クレスという名の友達なんていない、と言っていた」
「……嘘だ」
苦しい息を吐き出すように、リドは叫んだ。
「何で、そんな嘘を吐くんだ。……俺は何も知らない。あいつに騙されたんだ」
「あいつって、誰?」
私は鉄格子の間から手を伸ばして、突っ伏したリドの縛られた両手を握った。
「言って。どこの誰なの?」
「トム・リーヴァって、同じ市場で荷物運びの仕事をしてる奴だよ。今日は、仕事は休みだって言ってたから、まだ家にいるかも……」
「どんな子? あなたと年恰好の似た、線の細い少年?」
逸る気持ちを抑えながら問うと、リドはこちらを見つめながら何度も頷いた。
「隊長。私、そのトムって子に会ってきます」
「無駄ですよ。彼はもう、家にはいない」
隊長が答える前に、アルヴァが苦笑いを浮かべながら首を横に振った。彼の背後に、今までいなかった魔法騎士が一人、影のように立っている。
「こちらの監視の目を潜って姿を晦ましたようです」
「じゃあ、その子が犯人……」
「さあ、そうとも限りませんね。捕えてみて、あなたに顔を見せてみないことには」
完全に嫌味だ。
私は内心、彼を評価したことを後悔した。
「それじゃあ、リドは無実ということで、出してやってもいいですね?」
きつくなる口調を止められずに、私は隊長に手を差し出した。鉄格子の扉についている閂の鍵は、隊長の腰についている。
「いい訳がないだろう。貴様はどこまで馬鹿だ」
牢獄のひんやりとした空気が、更に温度を下げたようだった。
え? という視線を送った時には、ガーラント師団長は踵を返し、地上へ続く階段に向かって去っていく。
「少なくとも、この少年は不満分子の一員と行動を共にしていた。仲間に裏切られ、襲撃犯に仕立て上げられたにしても、何がしかの情報は握っているはずです。そうでしょう?」
アルヴァの柔和な微笑みが、牢獄の床に這い蹲ったままのリドに落ちる。リドは顔を強張らせたまま、じっとその視線を受け止めていた。
「と言う訳で、ご苦労様でした。トム・リーヴァを確保したら、また彼女をお借りしますよ、ガルス隊長」
何が楽しいのか、彼の口調はとても愉快そうだった。
魔法騎士達の足音が階段を昇りきって消えると、牢獄の中にはリドのすすり泣く声だけが響いていた。




