魔法国家騒動記58
部屋を出てうろうろしていると、アレックスと遭遇してしまう可能性が高い。
でも、今みたいに心が不安定になっている時に顔を合わせると、自分がどうなってしまうか分からない。
だから私は、あれからなるべく部屋から出ないようにしていた。
幸い、不穏分子の拠点に関する新たな情報を得たアレックス達は、その攻略に向けた作戦会議等で忙しく、私の異変に気付く気配はない。
それでも、原因となった張本人は、私の落ち込みっぷりが気になって仕方がないようだ。
「あのさあ。そんなふうにあからさまに落ち込まれると、俺がガーラント師団長に睨まれるんですけど」
部屋まで食事を持ってきてくれたロベルトが、トレーをテーブルに置くと大きな溜息を吐いた。
ふん、だ。あんたが言った言葉で落ち込んでいるんだから、睨まれても自業自得じゃないか。
そう思いつつも、若干やつれた感のあるロベルトを見ていると、憐れにも思えてくる。
「ごめんなさい。でも、今は気持ちが沈んで、外へ出たい気分にはならないんです」
そう言って、辛うじて微笑むと、私は再び窓の外へ視線を移した。
何を見ている訳でもない、ただ、とりとめもなく答えの出ない考えを巡らせているだけだ。
そんな状態の私を、ロベルトはこれまで二日間放置していた。けれど、もうこれ以上放っておくことはできなかったのか、つかつかと近づいてくると、私の傍に立った。
何だろう、と見上げると、ロベルトは眉間に深い皺を寄せて、私を見下ろしていた。
「あなたを傷付けたのなら、謝ります」
いやいや。それは、人に謝る態度じゃないでしょうが。
「でも、ガーラント伯爵家の行く末を考えると、どうしてもあなたと師団長の仲を祝福することはできないんですよ」
あくまでも、ロベルトは自分の主張を通したいようだ。
「この間、私と彼との間を裂きたい訳ではないって言ってましたけど、やっぱりそうじゃないんですね」
厭味を込めて突っ込みを入れると、ロベルトは深い溜息を吐いて首を横に振った。
「愛し合っている恋人同士の仲を引き裂くような悪趣味はありません」
「へえ」
「でも、俺は悪者になってでも、ガーラント師団長には彼に相応しい女性と結ばれるべきだと思っています」
相応しい女性、という言葉が、ズン、と胸に響いた。
「ガーラント伯爵家は、長男レイモンド様が外交官として諸外国を飛び回り、一向に所帯を持って我が国に落ち着こうとはなされない。ご存じだと思いますが、次男のクレイヴ様はあの通りの御方です。ですから、どうしても師団長には、由緒正しい保守派の貴族から妻を迎え、ガーラント伯爵家の血筋を残していただかなければならないのです」
私は首を傾げ、ロベルトを見上げた。
「なぜ、あなたがそんなにガーラント伯爵家の心配をするんですか? 幾ら親戚になると言ったって」
干渉し過ぎじゃないの? という言葉を辛うじて飲み込む。けれど、言わずともロベルトは言葉にしなかった私の台詞の続きを察したようだった。
「勿論、保守派の要であるガーラント伯爵家が衰退することは、我々保守派が衰えることを意味するからです。それに……」
ロベルトは、一瞬言葉を詰まらせると、意を決したように言葉を続けた。
「例えあなたが伝説の魔導師と同じ力を持っているとしても、所詮はウィル自治区出身の庶民。我々貴族の中に、そんなあなたの血を混ぜたくはない」
……ああ。
血の気が引くように、脱力感が襲う。深い溜息と共に、私は涙が込み上げてくるのを感じて、視線を窓の外へ移した。
これが、保守派。
代を重ねる毎に弱まっていく魔力を維持する為に、魔力を持つ者同士で血を繋ぎ、魔力を持たない者を排除しようとする、能力者至上主義。
保守派とはそういうものだ、と知ってはいたけれど、いざこうやって、目の前のまだ少年の面影を残した青年がその主張を述べるのを耳にすると、思っていたよりもショックは大きかった。
その主張は分からなくもない。マジカラントは、魔力を持つ者の国。魔力が失われたら、近隣諸国に対抗する術もなく、魔導具等の輸出によって成り立っている財政も破綻してしまう。
けれど、その思想で切り捨てられる側に立つ身になると、悲しいなんて言葉では言い表せない虚しさが込み上げてくる。
私だって、この国の民の一人なのに。同じ人間なのに。
でも、彼らにとっては、そうじゃない。大切な魔力を受け継ぐ血を薄めてしまう、下賤な存在でしかない。
「じゃあ、私にどうしろと言うんですか?」
必死で涙を堪えながら、ロベルトを睨むように見上げる。
「元の特警隊の一隊員に戻してくれと言ったところで、もうそれも叶わない。市井に戻してくれと言っても、許して貰えないのに」
もう、特警隊自体が存在しないのだから。
それに、他の派閥に捕まって利用される可能性があるから、いちウィル自治区住民に戻ることさえ許されない。
だからといって、自分達の派閥で抱えておくにも厄介な存在。
それが、私、メウル・オーエン。
ロベルトは、私の問いに答えることなく、黙って私の傍から離れていった。
部屋のドアが閉じる音が聞こえると、それが合図のように、両目から涙が溢れ出た。
なぜ、こんな能力を持って生まれてきたんだろう。
なぜ、こんな目に遭わなければならないんだろう。
アレックスを助けなければ。
彼を好きにならなければ。
特警隊に入隊さえしなければ。
さっさと、誰か適当な人を見つけて結婚し、引退していれば。
そうすれば、こんなに多くの人を巻き込むことも、自分が傷付くこともなかったのに。
でも、その中の何一つとして、失いたい過去などなかった。
だからきっと、私は今、こうなるべくしてここで泣いている。
それなら、私はこれからどうあるべきか、冷静に考えなければならない。
例え自由の身になることができなくて、貴族の世界で生きることになったとしても、私は普通の貴族令嬢のような生活を送ることは許されない。
誰かに嫁いで、新たな命を育み、温かな家庭を築く未来なんて夢見てはいけない。
私は、この国の行く末を決める危険で重要な駒の一つだ。
決して情に流され、道を誤ってはならない。
この国を護る為に。
大切な人達が暮らす、このマジカラントの平和を維持し続ける為に。
リーディア伯爵家の別邸に戻りたい、とフレドリックに相談すると、彼は呆気に取られたような表情を浮かべた。
「本当に、そう思っているのかい?」
頷くと、フレドリックは溜息を吐き、首を左右に振った。
「分かってないなぁ。君があの別邸に戻るってことは、ガーラント師団長との未来を閉ざすことを意味するんだよ」
「分かっています」
ハッキリとそう答えると、フレドリックは顔を引きつらせた。
「本気かい? 一体、どんな心境の変化があったのか知らないけれど」
そして、私が口を引き結んだまま、前言を撤回する意志がないと悟ったフレドリックは、再び大きな溜息を吐いた。
「……私に、ガーラント師団長の逆鱗に触れろというのかい?」
そこは本当に申し訳ないと思う。いくら私に頼まれたとはいえ、フレドリックが実家に私を戻すよう便宜を図ったと知ったら、アレックスは怒り狂うだろう。
「ご迷惑をかけるようでしたら、私から直接師団長にお話します」
本当は、面と向かって別れを切り出し、自分の気持ちを偽って決断を押し通すことができるかどうか自信はなかったのだけれど、フレドリック一人に全てを任せて逃げる訳にもいかない。
でも、フレドリックの協力がなければ、私一人では何もできない。リーディア伯爵家に戻るには、彼に協力してもらうより他に手だてがない。
「分かった。私から父に連絡を取り、あちらからも手を回してもらう。どっちみち、王都から迎えを寄越して貰わなければ、君を安全に送り届けることは無理だろうからね」
「ありがとうございます」
取り敢えず一つ道筋がついた、とホッとした瞬間、気が緩んだ。
そこに、フレドリックがすかさず踏み込んできた。
「でも、本当にいいのかい? どうして急に、我が家の別邸に戻ろうなんて思ったの」
「……いえ、別に」
「何かあったんだろう? 誰かに何か言われた?」
駄目だ、とぼけるなりはぐらかすなり、何か言わなきゃ、と思えば思うほど、頭の中が真っ白になって何も言えなくなってしまった。
「黙ったってことは、図星だね」
「いえ、違います」
「じゃあ、ちゃんと理由を教えて?」
私の顔を覗きこむフレドリックの視線は真っ直ぐで、強い光を湛えている。
フレドリックは柔和な整った顔立ちをしていて、中身もとても誠実で真面目な人だ。私のことも、ずっと親身になって、心から心配してくれている。貴族の中では、唯一といっていい有り難い存在だ。
彼になら、私の本心を伝えておいてもいいかも知れない。
「誰にも言わないと、約束してくれますか?」
「ガーラント師団長にも?」
首を大きく縦に振ると、フレドリックは小さく微笑んだ。
「いいよ。誰にも言わない」
それを聞いて、私はようやく本心を口にした。
「私のせいで、彼に不利益を被らせたくないんです。彼には、家柄に見合った女性と結婚して、温かな家庭を築いて欲しいんです」
「だから、ガーラント師団長と距離を置くというのかい?」
「はい。私はこんな立場の人間だから、特定の誰かと特別な関係になることは許されないでしょう。それに、彼だって保守派貴族なのにウィル自治区出身の私に拘れば、今の地位も名誉も捨てることになってしまいます」
それに対して、フレドリックは何も答えなかった。その沈黙が、私の懸念が当たっていることを意味していた。
そして、きっとフレドリック自身も、そのことを案じていたに違いない。
しばらく黙って私の顔を見つめていたフレドリックは、分かった、と小さく呟いた。
「じゃあ。もう一つ教えて。誰にも言わないから、君の本心を。本当は、君はガーラント師団長を愛している?」
その言葉に答えようとした私の口から、言葉の代わりに嗚咽が漏れた。
何で、そんな心を抉るようなことを言うの……。
俯き、必死で涙を堪える私を支えるように、フレドリックが腕を伸ばしてきた。
そのまま、彼の胸に顔を埋めるようにして、私は泣き崩れてしまった。
苦しくて苦しくて仕方がない。それこそ、身を斬られるよりも痛い。
私の身体は受けた傷をすぐに塞いで治してしまうけれど、心の傷は癒してくれない。
でも、今ここで決断しなければ、そう遠くない将来、私は今よりも後悔する。
自分のせいでアレックスが不利益を被り、彼が私を愛したことを後悔するところなんて見たくない。
「……分かった。そこまで君が思い詰めているのなら、協力するよ」
私が自然と泣き止むまで、フレドリックは私の背をあやすようにさすり続けてくれた。




