魔法国家騒動記54
語り終え、小さく息を吐いたガーラント師団長の横顔を見つめながら、私は一体誰の人生を聞かされたのだろう、としばし現実逃避した。
いやいや、アレックスとはガーラント師団長のことだし、少女というのはほぼ間違いなく私のことだろう。でも、これまで私が持っていた認識とは明らかにかけ離れ過ぎている話だった。
だって、……まるで呪いなんか関係なく、ガーラント師団長が私を愛している、みたいに聞こえたんですけど?
え、いや、まさか、でも……。
全身がカッと熱くなり、汗が噴き出してくる。
ガルス隊長には、私の呪いは適用されなかった。これは間違いない。ということは、その呪い自体の存在が疑わしくなる。
そして、ガーラント師団長は、そんな呪いなど無いと結論付けたようだ。……ということは、そういうことなの?
そして、彼の話を聞いて、これまで不思議だったことが解明された。
「だから、師団長もクレイヴ様も、私が死んでいたと思っていたわけですね……」
呟くような私の問いに、ガーラント師団長は頷く。
十年ぶりに再会した時、なぜ生きているのかと問われた意味が今になって分かった。
十年前、王都から戻った私は、ウィル自治区での腫物を扱うような扱いに嫌気がさして、伝手を頼って商人の使用人として外国へ渡ろうとした。けれど、その商人に恋心を抱いていた友人に泣きつかれ、直前になって彼女にその職を譲ったのだった。
彼女らの乗った船が沈み、二人が亡くなったことは知っていた。けれど、乗船名簿が彼女の名前ではなく私の名前のままになっていたこと、市民名簿上私は死んだことになっていたことは、ガルス隊長が市庁舎に指摘してくれるまで一年以上気付かなかった。
もし、それがなければ、クレイヴはウィル自治区にまで干渉して私を探し出し、実験体にしていたのだろう。
やはり、ガーラント師団長の使用人達が口を揃えて言っていた通り、クレイヴはとんでもなく恐ろしい人間だ。実態を知っていたら、とてもこれまでのように接することはできなかったと思う。
「……あの時、お前がアルヴァともみ合いになって撃たれ、自然治癒能力が発動していないと分かった時は、本当に気が狂いそうだった」
サラッと音がして振り向くと、私の顔にサラサラな白銀の髪がかかるほど近くに、師団長の顔があった。
「あ、……あの、ガーラントし」
「アレックスと呼んでくれ。十年前のように」
「うぇっ?」
これまで聞いたことのないほど甘く響く声に、私は奇妙な悲鳴を上げた。頭がぼうっとし、腰砕けのようになってしまう。
確かに十年前までは求められるがまま、彼を名前で呼んでいた。その名残か、今でも咄嗟に名前で呼んでしまうことはあったのだけれど。
「で、でも、いいんですか? 私はウィル自治区出身の平民で、あなたとは身分が……」
「そんなことは関係ない」
やや強い口調で私の言葉を遮ったアレックスは、私の肩を抱いて引き寄せた。
「いや、それよりもお前がガーラント伯爵家のような排外主義の貴族など嫌だというのなら、ハッキリそう言ってくれ。尤も、そう言われたところで、私がお前を解放してやれるとは思えないが……」
「……は?」
何か、今、穏やかではないことを言われたような気がする。
「あの、それはどういう……」
「今まで、私の傍にいればお前は不幸になると思っていた。が、どうやら私が傍にいようがいるまいが関係なく、お前には常に危険が付き纏う。だから、もう手放してやらないことにした」
「ええっ?」
「魔法騎士団本部の宿舎で別れた時、私は決めていた。もしお前が次に私の前に現れるようなことがあれば、その時はもう絶対に手放しはしないと」
だ、だから、リーディア伯爵家に連れ戻すと言ったフレドリックに、何のかんのと理由を付けて許可を出さなかったのか。
若干引き気味な私の耳元で、アレックスは切羽詰まったような声で囁いた。
「あの時、もしガルスがお前に愛を囁いていたら、私は何をしていたか分からない」
「ちょ、ちょっとっ! 落ち着いてください! あなた、本当にガーラント師団長ですか?」
再会後のアレックスとはまるで別人のようだ。射抜くような金色の瞳にはいつもの冷たい光はなく、熱い激情を孕んで濡れたように光っている。
「勿論だ。……それより、アレックスと呼んでくれと言っただろう?」
体の奥底に響くような甘い囁きと、微かに耳にかかった彼の吐息に、私は自分でも驚くほど動揺してしまった。慌てて彼の胸に手を付き、腕を突っ張って距離を取ったが、アレックスは不満そうに眉をひそめる。
確かに、十年前までのアレックスには、こうなる片鱗のようなものがあった。彼と一緒にいるときに同じ学校の男の子が話しかけてきたら、その子が慌てて逃げていくほど強烈に睨みつけたり。同じクラスの男の子の話をしたら、その後ずっと機嫌が悪かったり。
って、今までの非常・冷徹・数々の暴言は私と距離を置く為の仮の姿で、今のこのデレデレが本性だって言うのっ?
本当のことを言うと、それはとっても嬉しい。嬉しいけど、余りのギャップにまだ心の準備がっ……!
「とにかく、ちょっと落ち着いて話しましょう」
私は腰を浮かせてアレックスと距離を置いて座った。っておい、間髪置かず、その距離を詰めるなっつーの!
「これからのことですが。私はあなたがウィル自治区に駐留している間、ここの宿舎で過ごすことになるわけですね」
「不満か? 確かに、ここは安全ではなく不便も多いが」
「そうではありません。あくまで確認です」
感情に流されて、このままこんなところで濡れ場まで突入しそうなヤバい雰囲気を何とか払拭しようと、出来得る限りの理性をかき集めて私は淡々と喋った。
「で、王都に戻ることになったら、私も一緒に連れて帰るんですね?」
「勿論だ」
「でも、王都に帰ったら、きっとリーディア伯爵家の別邸に連れ戻されることになると思うんですけど」
アレックス自ら、私の身の安全のためにリーディア伯爵に頼み込んで私を匿ってもらっていたのだから、今更やっぱり自分で面倒見ます、なんてそんな簡単な話で済むのだろうか。
「それに、ユーリ殿下も王政府に戻ってきたみたいですし、革新派の動きも気になります」
「それは、アレか? 私では頼りないと言いたいのか?」
えええっ。どうしてそうなる? でも、現実を見ればその通りだ。いくらガーラント師団長とはいえ、実家は伯爵家。いくら保守派の筆頭とはいっても、現在は穏健派が主流の王宮で突出した力を持っているとは思えない。
しかも、アレックスは三男だから、ガーラント伯爵家を代表する立場でもない。魔法騎士団の一師団を任されているといっても、上には騎士団長がいるし、更に階層制度的に見ればその上に公安副大臣、公安大臣がいる。とても彼一人の意見で国家レベル的なものが覆せるような力はない。
そんなことを考えていると、沈黙を肯定と捉えたのか、アレックスは口元を歪めると突然私をソファの座面に押し付けた。
「うわっ、だっ、ダメっ!」
ああっ、こんなところでこんなことにならないように冷静に話し合おうとしていたのに、油断した……!
暴れてみても、両腕を押さえつけられているので僅かに体を捻るくらいしかできない。しかも、捻った瞬間に傷跡が引きつれたような痛みを発して、私は小さな悲鳴を上げて動きを止めた。
……うう、無念。
いつ、フレドリックが戻ってくるか分からないのに。
そう思いつつも、仕方なく覚悟を決めて目を閉じた私だったが、いつまで待っても何もされない。恐る恐る目を開けると、アレックスが真面目な顔でじっと私を見下ろしていた。
「お前の指摘も、尤もだ」
「はあ」
「だが、私は諦めない。早急に手だてを講じるつもりだ。それまで、お前に手を出すつもりはない」
ほおおおおっ。
ちょっと残念な気もするけれど、取り敢えずこんなところであんなことをせずに済んだ、と安堵の溜息を吐いた時だった。
「師団長! 大変です!」
ノックと共に飛び込んできたフレドリックは、今だ両腕を掴まれてソファに押し付けられている私と、押し倒している格好のアレックスを見て、唇を戦慄かせた。
「あ、……あなた方は、こんなところで鍵もかけずに何をしているんですかっ!」
叫んだ後、彼は盛大に鼻血を吹き、治癒を施さなければ出血多量で命が危ないのではないかと思われるほどの流血の惨事となった。
「だから、誤解なんですってば」
大量のハンカチを血で染めつつ、魔石の手袋を嵌めた掌で高い鼻梁をつまんでいるフレドリックは、私が何度繰り返し言っても、ああそうですか、と投げやりな返事しかしてくれない。
彼が怒るのも当然だ。神聖な職場の、しかも現在この魔法騎士団第三師団の中枢とも言える師団長執務室で、いかがわしい行為をしようとしていたのだから。
あ、いやいや、違うのよ。実際、未遂だった訳だし……じゃなくて、本当にそんなことをするつもりじゃなかったんだって。誤解なんだってば、本当に。
「で、用件はなんだ」
こちらもどこかご機嫌斜めになってしまったアレックスが、執務机の向こうから問いかける。
「あ、はい。動転してうっかりしておりました。実は、……」
言いかけて、フレドリックはちらりと私を見てから、失礼します、とアレックスの傍に駆け寄り、鼻を押さえていた手を下ろして何やら耳打ちした。よかった、鼻血はもう止まっているようだ。
結構長い報告内容だったらしく、フレドリックの話はなかなか終わらない。
そんな大事な話があるなら私は自分の部屋に帰りますよ、と声を掛けようかとも思ったが、その声が大事な報告を遮ってしまうのではないかと躊躇っているうちに、フレドリックがようやくアレックスの耳元から口を離した。
「……間違いないのだな」
呟いたアレックスの鋭い眼光を正面から受けて、フレドリックは頷く。
何だろう。報告を受けたアレックスが、若干ショックを受けているように見える。
「あの、お取込み中なら、私は宿舎に帰りますけど」
恐る恐るそう声をかけると、アレックスはゆっくりとこちらに視線を向けた。
「いや。お前の耳に入れておいたほうがいいかも知れないな」
「師団長!?」
「何も知らずにいたら、騙し討ちにあうこともある」
驚き、異論ありげなフレドリックを制して、アレックスは私に近くへ来るよう手招きした。
「アヴェリアという女性のことを知っているか?」
唐突な質問に、私は首を傾げた。
「誰ですか、それ」
「……そこからか」
アレックスは一瞬、疲れたように額に手を当てたが、すぐに両手を執務机の上で組んで語り始めた。
「先王陛下には正妃と複数の側室がいたが、その他にも女性がいた」
何でしょう。いきなり、先王陛下の後宮裏話ですか。
「呆れずに最後まで真面目に聞け。その女性、アヴェリアは後宮で当時最も権力を持っていた王妃ミランダの侍女で、能力者ではなかった」
能力者ではない? ……でも、先王陛下の御代の途中までは、魔力を持つ者とそうでない者は分け隔てられることなく、混在して生活していた。だから、能力者ではない者が侍女となれていた頃の話なのだろう。
「……でも、先王陛下って、魔力を持たない者を弾圧した方ですよね。ウィル居住区を作って、能力者とそうでない者を隔てた方なのに、どうして彼女とそんな関係に?」
「先王陛下がそうなってしまわれる前の話だ」
つまり、今も続く魔力を持つ者と持たない者との対立を生みだした先王陛下には、そうなってしまった理由があるということか。
「先王陛下はアヴェリアを誰よりも寵愛した。だが、側室でもない一介の侍女、しかも能力者ではない者をそこまで特別扱いすることは、当時でも異例で好ましくないことだった。そんな中で、彼女が先王陛下以外の男と密通しているという噂が立った。同時に、魔力を持たない者達が彼女を利用して王を籠絡し、国を混乱させようとしているという噂も囁かれた。そんな中、アヴェリアは後宮から忽然と姿を消した。今現在も、彼女の行方は知れない」
「そんなことがあったのですか」
「どんな理由で姿を消したにしろ、彼女が先王陛下に黙って消えたことには変わりはない。アヴェリアに裏切られたと思い込んだ先王陛下は、それまでと人が変わったようになったという。保守派でも驚くほど魔力を持たぬ者達を憎み、そしてウィル居住区への強制移住政策へと突き進まれた」
「じゃあ、今に至る制度ができる発端は、彼女が原因だと?」
「そうなるな」
アレックスの溜息混じりの肯定に、私は軽い眩暈を覚えた。
魔力を持つ者と持たない者を強制的に引き離し、片方に優越権を与えてもう片方を虐げ、やがて両者は他国の干渉もあって内乱へと発展した。多くの犠牲者が出、三十年が経とうというのにまだその制度は続いている。
その悲劇の発端が、王と侍女の身分違いの恋だったなんて……。
「今、王宮では、そのアヴェリアが密かに先王陛下の御子を産み落としていた、という噂が流れている。その噂の出所は革新派だ。奴らは、その御子だという男を王族として迎えろ、と騒いでいるそうだが。……誰だと思う?」
「……は?」
「その御子とは、誰だと思う?」
「知る訳ないでしょう」
「いや。お前も知っている男だ」
そう言われても、と私は首を捻った。
知っている男、と言われても、さっぱり分からない。魔法騎士のうちの誰かだろうか。それとも、魔導生物研究室の研究員の誰かとか。
アレックスは私が答えを出す時間も惜しかったのか、すぐに答えを口にした。
「ヒーリィ・ウェインだ」
「……はい?」
「そいつが、先王陛下とアヴェリアとの間に産まれた御子だと、奴らは主張しているらしい」
ヒーリィ? ヒーリィって、あの……?
「ひ、……ヒーリィが?」
私は愕然として、アワアワと意味もなく口を開閉することしかできなかった。
何で、どうして彼が? 確かにヒーリィは周囲から浮くほどどことなく上品な雰囲気を持った人だったけれど、私が王都にいる間に特警隊から脱走したという彼が、どうして今現在そういうことになってる訳?




