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「……冗談じゃないわ」
何か言わないと肯定してしまうことになりそうで、私はようやく声を絞り出した。
けれど、必死の否定も、クレイヴにとっては痛くも痒くもなかったようだ。
「勿論、冗談じゃないよ。俺はこいつとは違って、ガーラント伯爵家の高貴な血筋が云々なんて言わないし」
羽交い絞めから、いつの間にか私はクレイヴに背後から抱きしめられる格好になっていた。
「俺は、君の出自がどうとか全く気にしない。逆に、君は何百年もの時を越えて現代に蘇った稀な異能の持ち主だ。俺にとって君は、他には得がたい大切な存在なんだよ」
耳元で囁かれる声は、愛の告白のようにみえて、全く別のものだとすぐに分かる。
私は激しく首を横に振った。
嘘だ。もし、そんなに大切に思うのなら、魔導銃で撃たれた痕をあんなに無造作に掴んで引っ張ったりしない。
あなたは私の特異能力に惚れているだけで、私なんかどうでもいいんでしょう。
こんな言葉に、私がなびくとでも思っているのだろうか。
「……兄上」
その時、沈黙を破って、ガーラント師団長が口を開いた。
「何だよ、アレックス。人のプロポーズを邪魔するもんじゃないよ」
からかうような口調でクレイヴはそう言うと、益々私を抱きしめる腕に力を込めた。
痛い! ……だから、あんたの私への愛情は欠片も感じられないっての!
「この女は、先日のフィリア王女暗殺未遂事件の目撃者です。これから魔法騎士団にて取調べを行います」
……え?
顔を上げると、クレイヴを真っ直ぐに見つめるガーラント師団長の顔は、仕事をしている大人の男性の表情だった。
いつも私を見る時のような、射るような目つきではない。そんな彼の顔を正面から見るのは、これが初めてかも知れない。
「へえ、取調べ? 今になって。しかも、現在の王宮警護は第二師団の役目のはずだけど」
「事件に遭遇し、犯人を追跡したのは我々第三師団です。すでに、アリアット第二師団長には話を通しています」
「拒否する、と言ったら?」
クレイヴの笑いを含んだ声が、私の耳にかかる。ゾワッと肌が粟立った。
「場合によっては、兄上を捜査妨害で逮捕することにもなりかねません」
「ハッ! お前も随分逞しくなったね」
いいよ、と笑いながら、クレイヴの腕が私から離れた。
「連れていけよ。その代わり、その女は取り扱いを間違えれば確実に現体制にヒビを入れる。分かっているな?」
「勿論です」
本人を目の前に、この兄弟はなんと遠慮のない物言いをしてくれているのだろう。
「それから、用が済んだら、速やかに俺の元へ返すように」
何なんだ、その言い方は。私はあなたの所有物じゃないですから。
ガーラントは黙ってクレイヴに一礼すると、踵を返した。
「ついて来い」
ちらりと私を振り返ってそう吐き捨てるように言うと、ガーラント師団長は歩き始めた。
……いいの?
クレイヴを振り返ると、彼は頭を掻きながら苦笑いを浮かべていた。
私の問うような表情を見ると、さっさと行け、という手振りをして、魔導科学研究所の方向へと戻っていく。
……本当に、いいんだ。
何だか脱力してため息を吐くと、不意に腕を掴まれた。
顔を上げると、白銀の髪がさらりと視界を掠めた。
「逃亡は許さん」
そのまま、腕を引っ張られて連行される。
その掴まれた箇所が、火がついたように熱くなり、熱い血があっという間に体中を駆け巡る。
「逃げないから離して」
私は足を踏ん張って、彼の手を振り解いた。
驚いたように見開かれた切れ長の目が、また射るような強い光を放って私を刺す。
「大人しくついていきますから、腕を掴まないでいただけますか。治っているとはいえ、撃たれた傷跡はまだあるんです」
その眼光を受け止めて、私は自分でも嫌になるくらいふてぶてしい声で応戦した。
「それとも、私の言葉を信じられないっていうのなら、どうぞ縄をかけてください」
両手を揃えて、前に差し出す。
腕を掴まれたまま歩かれたら、さっき拒絶されて傷付いて地の底まで沈んでしまった心が、また夢を見てしまう。
この人は、呪いに抗いながらも、やっぱり抗えない部分があるんじゃないかって。
でも、そんな望みに縋ってはいけない。そんなことをしても、お互いに傷付くだけだから。
ガーラント師団長は、じっと私の手を見ている。
夜明けの白々とした光の中で、すでに彼の執事に斬られた傷は見えないほど癒えている。その傷跡を探すように、彼の目は私の手を見つめ続けている。
と、その視線が外れ、彼は私に背を向けて歩き出した。
これは、ついていくと言った私の言葉を信じてくれた、と捉えていいのだろうか。
けれど、何故だか縄をかける労力を使うほどの存在でもない、と放置されたような気がして、私は不意に泣きたくなった。
ワケが分からない。一体、私はどうなれば気が済むんだろう。
ガーラント師団長の心を解放してあげたい、と願うかと思えば、他の女性に優しくする彼に妬いてみたり。
彼を困らせたくない、と願いつつも、助けを求めるために、彼にかけられた呪いを利用しようとしてみたり。
そして、その呪いに屈することなく、必死で抗って私を拒否する彼に、怒りを覚えてみたり。
なんで、こんな人のことなんか。
十年前、最後に見た時よりもずっと背が伸び、今でもすらっとしているが以前と比べると随分と男らしい体格になった彼の後姿を見つめながら私は歩いた。
ガーラント師団長との歩幅の差が大きく、普通に歩いていると彼との距離が広がっていく。
それが、お互いの距離を表しているようで、胸が痛い。
このまま、この後姿が見えなくなるまで距離が開いてしまったほうが、楽になるのかも知れない。
彼は、私と離れ離れになって十年の間、他の女性を受け入れることはなかったという。無責任かもしれないけれど、それが呪いというもので、解くことができないのであれば、それはもう仕方がないのかも知れない。
けれど、私のこの苦しさはきっと、彼との距離と時間が解決してくれる。
離れなきゃ。忘れなきゃ。
だって、このままじゃ、私、自分に惚れる呪いをかけて王子を自分のものにする悪い魔女そのものになってしまうから。




