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 引きずられるように連れて行かれた魔導生物学の研究室の大テーブルには、エンデロ蛙の入った水槽がいくつも並べられていた。

 こんなところにこんなに水槽が置かれているなんて珍しい。いつもは、隣接する飼育室か、そこに近い窓際に置かれていることがほとんどなのに。

「これを見てくれ」

 クレイヴは、手を水槽に伸ばしてそのうちの一匹を捕まえると、テーブルの上に置かれた小さなナイフを手に取った。

 ハッ、と息を呑む間もなく、クレイヴはそのナイフを、手に持ったエンデロ蛙に突き立てた。

 グェッ、と潰れたような声を上げて、エンデロ蛙は必死に暴れ始める。それを容赦なく長く綺麗な指で押さえつけるように掴んで、クレイヴはナイフを引き抜いた。赤黒い血が、蛙の背から流れ出る。

「何を……」

 何のつもりか分からないまでも、私はクレイヴの狂気じみたその表情に、そら恐ろしいものを感じていた。

「ほら、見てごらん」

 クレイヴは、手足をバタつかせてもがくエンデロ蛙を、私の目の前に突き出した。

 思わず、顔を背ける。

「ほら、よく見て!」

 エンデロ蛙のもがいた手が私の鼻に触れ、私は思わず悲鳴を上げて尻餅をついた。

「見ただろ。傷が塞がっていくのを」

 ……えっ。

 蛙の足が触れた鼻を何度も手で拭いながら、私は自分の前にしゃがんだクレイヴの手の中にいるエンデロ蛙を改めて見つめた。

 エンデロ蛙の背から流れる血はいつの間にか止まり、クレイヴが反対の手に持った布で背を拭うと、そこにはほんの少しへこんだ傷跡が残っているだけだった。

「……これは?」

 背筋を冷たいものが流れ落ちていく。これはまるで、私みたいじゃないか。

「採取した君の血を、こいつに注入してみたんだ。俺の仮説は、やっぱり正しかった」

 成分を調べるとか言って、こいつは人の血を勝手に蛙に与えていたらしい。やっぱりこの人は、恐ろしい人だ。

「仮説って何? って聞かないんだ」

 クレイヴは、つまらなそうに口を尖らせた。

「何なんですか、それって」

 仕方なく、私は彼の弁論に付き合う。

「では、答えよう。俺達能力者は、どうやって子孫にこの能力を伝えているのか。それは血だ、と俺は仮定した」

 まあ、そうだよね。私みたいな例外はあるけれど、大体、能力者は能力者の両親から生まれる。

「そうだとすれば、真紅の魔導師の力を、血を介して他の能力者に分け与えることもできるんじゃないか」

 何で、そういう発想になるのだろう。血って言ったって、血液の受け渡しで何とかなる問題じゃないだろうに。

「そんなこと、できるわけないじゃないですか」

 すると、ぞっとするような笑みが、クレイヴの顔に浮かんだ。

「それが、できるんだ。できたんだよ。このエンデロ蛙の実験で、それが証明された」

 すでにほとんど傷の癒えたエンデロ蛙を私に差し出して、彼は満面の笑みを浮かべている。

 見る側の肝を冷やすような、狂気じみた笑みだった。

「まだ血液中のどの成分が作用しているかの特定や、人間にも応用できるか、安全性は、といった課題は山積みだけどね。でも、少なくとも、君のその特殊な能力は他者に受け渡せることが証明されたんだ」

「それが一体、何になるっていうんですか?」

「分からない?」

 クレイヴはエンデロ蛙を水槽に戻すと、湿らせた布で丁寧に自分の手を拭った。

「俺は、この技術を応用して、遠い昔に失われた能力者の強大な力を取り戻す」

 一体なにをどうしたらそこまで飛躍できるのかさっぱり分からない。

 けれど、かつて大陸の国々の存亡を左右したといわれるご先祖の力が現在に蘇ったら、世界の力の均衡が大きく変わるんじゃないだろうか。

「そんなことをして、どうするつもりですか? 最強の軍隊を作って、マジカラントが大陸を統一するとでも言うんですか?」

 真剣に訊くと、クレイヴは呆れたように鼻で笑った。

「はっ。そんなことに興味はないね。俺は、自分の仮説が正しいことを証明し、古の能力者の力を復活させたい。ただそれだけだ」

「でも、もし仮にそんなことができるようになったら、野心を抱いている方に利用されますよ」

「したい奴はすればいい。俺には全く関係のないことだ」

 クレイヴはひらひらと手を振ってから、くるりとこちらに向き直った。

「というわけで、これからも協力してもらうからね。謂わば、君はこれから生まれてくる強大な力を持った能力者の母なる存在になるんだから」

 ……この人の元に、これ以上いてはいけない。

 私は唇を噛み締めながら、痛切にそう感じた。

 この人は、自分の知識欲に素直すぎるだけなのかも知れない。けれど、その研究の成果は、確実に利用される。

 どれだけ攻撃しても死なない軍隊。そんなものを持ってしまったら、この国は一体どうなってしまうのか。

 そして、もし私と同じ能力を持ってしまった人が他人の命を救ったら、その相手の心を奪ってしまう。

 私やガーラント師団長のように苦しむ人々が増えるだけじゃない。その能力を使って、己の欲望を果たそうとする者も出てくるだろう。

 そんなことは許されない。

 ……逃げなきゃ。

 クレイヴに見えないよう、ドレスのスカートに隠した拳を握り締めて、私はそう決心した。



 時刻は、真夜中というよりも明け方に近い。

 ハンナが新しく用意してくれていた乗馬服にブーツといういでたちで、私は、そっと廊下に滑り出た。

 最初にここに来て迷った時と比べて、私は少しだけだがこの魔導生物学の棟周辺の配置に詳しくなっていた。

 私の部屋の向かって右隣は空き部屋、左は時々泊りがけの実験をしている研究員が使用しているが、今日は誰もいないようだ。

 その先にも同様の部屋が五つあり、その角を曲がって少し行くと研究室、そしてその向かい側がクレイヴの部屋だ。

 外へ出るには、その前の廊下を通らなければならない。

 私は敢えて、逆に奥へと廊下を進んだ。初日の真夜中に迷う羽目になった方向だ。

 こっちへ進んでも、行き止まりにはならないはず。なぜなら、魔導具研究室のユーリ殿下の姿を、あれ以来見たことがない。出口が他にないなら、外に出る彼と一度くらい廊下で出くわしたっておかしくはない。

 私はなるべく手に持っている魔導灯の明かりを絞り、息を殺しながら廊下を進んだ。

 最悪、一階に下りられた時点で、どこかの窓から外に出られればいい。

 二階の位置にある自室から廊下を進み、下に伸びる階段を探しながら、私は闇の中を進み続けた。

『冗談抜きで、新人が当てずっぽうに歩き回ってたら、死ぬよ』

 暗い廊下の向こう側から、ユーリ殿下の声が聞こえてくるかのようだった。

 もし、当てが外れてこの建物内で迷ったら、どうなるだろう。

 いやいや。最強の軍隊を作る貴重な実験体だ。飢え死にする前に、クレイヴが捜索隊を組織してくれるだろう。

 それでも、暗闇の中を歩き続けていると、同じところをぐるぐる回っている感は否めない。

 もし、今回の脱走がバレたら、もう二度と逃走を企てることはできないだろう。今度は自分の部屋から一人で出ることも許されなくなるに違いない。

 恐怖に萎えそうな心を奮い立たせて、私は前へ前へと進んでいく。

 ようやく下りの階段を見つけ、地の底へと続くような深い闇を下り、踊り場を曲がって更に下ると、そこから真っ直ぐに長い廊下が続いていた。

 その廊下を進むと、突き当たりにドアがあった。各部屋のドアとは少し違い、内側に掛け金がついている。

 これって、まさか。

 ドアに駆け寄ると、私は思い切って掛け金を外した。そっと開いてみると、その向こうにはやや薄れ始めた闇が広がっている。

 その闇の中に、ぼんやりと芝生や植木が浮かび上がっていた。

 ……外だ。

 私は素早くドアから滑り出すと、魔導灯の明かりを消し、闇に目を凝らしながら駆け出した。


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