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唇が触れ合う瞬間は、いつまで経ってもやってこなかった。
代わりにやってきたのは、床を踏み鳴らす軍靴の音と共に部屋に乱入してきた魔法騎士団の面々だった。勿論、彼らに面識などない。約一名を除いて。
「動くな。動けば、命はない」
腹に響くような声と共に、ズシャッと魔導銃が構えられる。
私の右肩を左手で抱き、右手を私の顎にかけた姿勢で戸口を振り返ったまま、マーシュはピクリとも動かない。
勿論、私も動けない。ベッドの上、しかも私は男物のシャツしか着てない状態、それも襟元は大きく開いていて、キスする直前の体勢という何とも恥ずかしい姿で。
濡れ場っぽく見えなくもない状態だというのに、何でこんな時に踏み込んできちゃったりするかなぁ。しかも、魔法騎士の皆様、そんなの関係ねえって言わんばかりに白けた顔してるし。
「男。ベッドから離れて、ゆっくり床に伏せろ。両手は頭の上に上げたままにしておけ。妙な動きをしたら、撃つ」
指示を出しているのは、軟らかそうなクリーム色の髪の魔法騎士だ。温厚そうな顔をしているのに、声はやたらとでかいし、よく響く。
その指示に従って、マーシュはゆっくりと私から手を離し、床に寝そべった。彼が完全に床に伏せると、指示を出した魔法騎士以外のうちの二人が駆け寄り、腕を取って背中に押し付け拘束する。
そんな光景をベッドの上から呆気に取られて見ていた私は、いつの間にかすぐ側までそいつが近づいていることに気付いていなかった。
いきなり左腕を掴まれて、私はそいつを見上げた。白銀の髪をした、魔法騎士団第三師団長アレックス・ガーラントを。
「来い」
短い命令口調と共に、私をベッドから無理矢理引きずり出そうとする。
げっ、ヤバイ!
私の脳内を危険信号が走った。
「……っ、ヤダっ!」
私は夢中で布団の端を握って抵抗した。だって、布団の中に隠れた部分は、何も身に付けていない訳で。
それを知るはずもないガーラント師団長は、無言無表情のまま容赦なく私の手から布団を奪おうとする。
このままだと、お嫁に行く前だというのに、赤の他人にあらぬ姿を晒すことになってしまう。
本来なら力の差は歴然としているのだが、今はそんなことを考慮している場合じゃない。火事場の馬鹿力で必死に掛け布団を抱き込む。
「嫌っ、止めてっ! ……下、何も穿いてないんだってばっ、この変態!」
抵抗するのに夢中になっていた挙句、私はとんでもないことを口走ってしまった。
部屋の空気が凍ったのが分かった。我に返ってみれば、布団は半分捲れ、私の見苦しい素足が太ももまで露わになっていた。
その布団の端を引っ張ったまま、ガーラント師団長が固まっている。ふるっと一瞬、薄い唇が震えたように見えたのは気のせいだろうか。
ブッと誰かが噴き出したような声を出した。慌てて布団を取り返して脚を隠しながら顔を上げると、さっきのクリーム色の髪の魔法騎士が、鼻を押さえながら部屋を飛び出していくところだった。
申し訳ありません。お見苦しいものをお見せいたしました……。
完全に手元に戻ってきた布団で涙が滲んできた顔を隠して赤面していると、フッ、とため息が落ちてきた。
何だ、と顔を上げると、変態師団長もといガーラント師団長がベッドの側を離れ、部下に何やら指示を出している。余りに声が小さくて、私の耳には届かない。
頷いて部屋を出て行った魔法騎士が戻ってくると、女性ものの衣類一式が入った篭を抱えていた。このアパートメントの住民の誰かから接収してきたのだろう。手渡されてよく見ると、ご丁寧に下着まで入っている。
「着ろ」
吐き捨てるようにそう言うと、ガーラント師団長を先頭に拘束されたマーシュを含め男共一同はぞろぞろと隣の部屋へと移動していく。
寝室に一人残された私は、衣類の入った篭を抱えてしばし呆然としていた。
夢破れるにしても、早すぎるんじゃないだろうか。
不意に、心の中に冷たい風が吹き込んできたような気持ちになった。
王都の下町で、貧乏ながらも温かな家庭を築いて慎ましく暮らす、という予てからの私の夢は、再びあの男に砕かれてしまうこととなった。
私はため息を吐きながら着ていたシャツを脱ぐと、顔も見たことのない他人の使い古しである下着を身に付けた。
……っつーか、キツいんですけど。能力者の武門の花形といわれる魔法騎士といえども、所詮は男共の集団。女性への気遣いが足りないところは特警隊の筋肉軍団と大差ないみたいだ。
何とか肉付きのいい身体に下着をまとったものの、服がまた問題だった。下着のキツさから想像していた通り、くしゃみでもしようものならブラウスの胸のボタンが飛んでいきそうな状態になっている。よほど、華奢な人から服を借りてきたんだな。
ベッドの上に座ったまま、もそもそと着替えを終えた私は、あの~、とドアに向かって声をかける。
ややあって、再びガーラント師団長はじめ魔法騎士一同が寝室へと戻ってきた。マーシュと、彼を拘束した魔法騎士達はその中にいなかったけれど。多分、隣の部屋で取調べを受けているのだろう。彼は何も悪いことなんかしていないのに。ごめん、と心の中で謝っておく。
「立て」
ベッドの淵に腰をかけていた私に、白銀の悪魔から情け容赦のない命令が下された。
「無理です」
私は即座に答えた。
再び、室内の空気が凍った。
今度は何だ、と魔法騎士達の表情が強張っている。私の無礼な態度に苛立っているというよりは、彼らの上司の機嫌がこれ以上悪くなるのを恐れているようだ。
「これ以上、抵抗すると貴様の為にはならんぞ」
やっぱり、ガーラント師団長は、私が我儘でここから動きたくないと思っているようだ。さっき、着替えながら確認したんだけど、やっぱりまだ無理なのに。
……仕方がない。
私はため息を吐くと、左足をそっと床につけ、ゆっくりと体重をかけてみた。うん、こっちは大丈夫。問題は……。
右足を踏み出した途端、私は悲鳴を上げて床に崩れ落ちた。
……いや、実際には、ガーラント師団長の長い腕に抱きかかえられて、危うく顔から床にダイブするところを回避できたんだけど。
「どうした」
耳元に息がかかりそうなほど近くで、ガーラント師団長の声がする。
「足を。……どうやら、折れちゃってるみたいなんですが」
私がそう言うと、奴は訝しげに目を細めた。なぜ、そんな怪我をしたのだ、と言わんばかりに。両手に巻かれた包帯も、何の冗談だ、とでも言いたげに一瞥された。
あんたのウチの執事にやられたんだよ! 滅多刺しにされた挙句、川に放りこまれて殺されかけたんだよ!!!
って心の中で叫んでみる。実際には口に出さなかったけれど。
と、いきなり世界がグルッと回った。
えっ、もうスープも燃料切れ!? っと一瞬思ったが、それが魔力の限界が到来した訳ではなく、ガーラント師団長に抱きかかえられたせいだとすぐに気付いた。しかも、なんとお姫様抱っこだ。
「……あ、……あのっ、こんなことしていただかなくても、杖さえ用意していただいたら自分で歩け……」
「黙れ」
その怖い目で睨まれたら、もう何も言えません。
そうして、私は奴の望み通り無言を貫いたまま、アパートメントの外に停められた馬車に乗せられるまで、白銀の悪魔にお姫様抱っこされたまま移動することになった。
ああ、どうか、悪魔の呪いが降りかかりませんように……!




