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 目を開けると、見たこともない天井が視界に入った。

 どちらかと言えば、魔導学校時代の寮の天井に似ているかも知れない。そう、寝ている範囲から見える部屋の雰囲気も、漂っている空気感も。

 小さく吐息して、私は思わず唸った。

 私、生きている……?

 思わず飛び起きようとして、私は目を剥いた。まるで身体が石になったようにピクリとも動かない。

 あれ? どうしたんだろう。

 冷静になって、私は今度はゆっくりと身体に力を入れてみた。

 と、身体に激痛が走り、同時に天井がグラリと回転する。

 あ、これは……。

 その症状から察するに、私は魔力を限界まで使い、特異体質である自然治癒能力も一旦休止状態になっているようだ。

 そりゃそうだよ。あんだけ切り付けられた挙句、川に突き落とされたらさ。

 自分に向けられた憎悪と殺意の大きさを改めて実感し、私はブルッと身体を震わせた。

 と、同時に、あれだけの目に遭いながらも助かった自分が可笑しくて笑えてきた。私、どんだけ不死身なんだよ、と自分に突っ込みを入れてみる。

 それにしても、ここはどこなんだろう。

 私は、首を動かせる範囲で周囲を見回した。

 窓から向かいの建物の屋根が見える。ということは、ここは二階建て以上の建物の上階になるのだろう。

 なんだか、下町を思い出すなぁ。

 王都中心部から比べると田舎臭くて、けれどウィル自治区と比べると小奇麗で穏やかな町並み。六歳から十五歳まで過ごした、私の第二の故郷だ。

 と、何の前触れもなく、部屋のドアが開いた。私が目を開けているのに気付いたのか、ハッと小さく息を飲んだその人は、飛びつくようにこちらに駆け寄ってきた。

「……め、……メウル?」

 名を呼ばれて、私は驚いてその人の顔を見た。

 ベッドの側に立って私を見下ろしているのは、無精髭の生えた痩せた男だ。洗い晒してよれよれになった作業服を着て、ボサボサの茶色い髪を無理矢理襟足のところで結んでいる。

 そんな男に、私は面識がなかった。ただ、彼によく似た少年を、私はよく知っていた。

「……マーシュ?」

 声にならない声しか出なかったが、それでも相手には私の言った言葉が何だったか伝わったらしい。

「そうだよ。……ああ、やっぱりメウルだった」

 そう言って目に涙を浮かべているのは、私の幼馴染――魔導学校で十年間、共に机を並べて学んだマーシュ・レイヴだった。


 マーシュは、私と同じウィル自治区出身の能力者で、魔導学校を卒業後、魔石加工場に就職したと聞いていた。

 魔導具と能力者を繋ぐ魔石を原石から加工する技術は、熟練の技術の他に、生まれ持ったセンスが必要になってくる。つまり、腕のいい技術者を育成するには、生まれや育ちなど関係なく、天性の才能を持った者を採用する必要がある。

 彼は、私達同級生の中で、最も成績が良く、最も器用で魔力も強かった。私達の通っていた魔導学校でも、魔石加工場への採用者が出たのは五年ぶりの快挙だと、当時は大騒ぎだった。

 けれど、その当時、どこにも就職先が決まらなかった私は、彼におめでとうを言った記憶がない。彼の快挙を共に喜ぶどころか、強烈に妬んだことを思い出す。

 十年前の小さ過ぎる器の私に恥じ入りながら目を伏せると、彼は掛け布団の乱れを直してくれながら、私を心配そうに覗き込んできた。

「具合はどう? 傷を治癒しようと思ったんだけど、魔石の手袋が無くて出来なくてさ。でも、まずは蘇生させないと、と夢中だったから」

「……え?」

 そ、蘇生……? 息、止まってたってこと……?

「夜釣りをしようと川に小船を出していたら、君が流れてきたんだ。引き上げてみると身体も氷みたいに冷えていて、呼吸も止まっていた。でも、一目見た瞬間、メウルだと分かったんだ」

「そ、そう……」

「だから、助けないと、と思って、人工呼吸を」

 えええええっ、っと叫ぼうとしたが、声にはならなかった。

「……しようとしたけど、背中を叩いたら水を吐き出してくれて、呼吸が戻ったんだ」

 ……ほおおおおっ。と、私は大きく息を吐き出した。

「それで、君をここへ運び込んだんだけど、まずは身体を温めないと、このままじゃ危ないと思って」

 ちょ、ちょっと待って。なぜ赤面する? じょ、冗談はやめてーー。

「その、メウルも俺と同い年だし、旦那さんとかいたら申し訳ないとは思ったんだけど、そのまま寝かせておいたら身体が冷え切って死んでしまうと思って、その、そんな時には人肌で温めるのが一番いいって教わったことがあったし……」

 はいいいいい?

 私は情けない表情になりながら、布団の中で身体を縮こまらせた。いや、気分的に、の話だ。まだ身体は動かないから。

「あ、でも、誤解がないように言っておく。君は元々、真っ裸で流されてきたんだから、責められても仕方ない部分もあるんだよ」

 ま、……ま、……まっ……ぱだかぁああああ?

 な、な、な、何で? 何で何で何で? ねえ、何で??? ……っていうか、私、今もこの布団の中で真っ裸な訳? 真っ裸で、マーシュに人肌で暖められちゃったって訳ーっ?

 殺されかけたショックよりも、溺死しかけたダメージよりも、これが一番効いたかもしれない。

「川に流されている間に、水流で服が脱げちゃうこともあるそうだし。ま、それも君が全裸で川に飛び込んだのでないのなら、の話だけれど」

「そっ、……そんな変態趣味、無いから!」

 叫んだ声は、自分の声とは思えないほど掠れていた。

「じゃあ何で、川で溺れたりしたの?」

 マーシュはそっと私の頬を撫でた。

「……それは」

 言おうとして、言葉に詰まった。

 魔法騎士団第三師団長のお屋敷の執事に、強烈に恨まれて殺されかけ、川に突き落とされました、という、自分の身に起こった出来事を順序立てて説明しようとするも、どこから話していいのか分からない。

 と、彼はそっと私の唇に指先を当てた。

「いいよ、今は。何か食べられそう? スープを作ったんだ。すぐ持って来るから待ってて」

 マーシュはそう言って微笑むと、部屋を出て行った。

 実は学生時代、彼ほど格好いい人はいないと密かに憧れていた。だが、ガルス隊長やヒーリィ、そして筋肉軍団の長、そして最近ではガーラント兄弟やアルヴァ等を見慣れた私の目は、完全に肥えてしまったようだ。

 中背で痩せ、まだ若いくせに少し猫背気味のマーシュは、気を使わない格好も合間って、この年齢としで完全に田舎のオッサンと化していた。

 しかも、今、スープを作った、と言った? ということは、彼は一人暮らしなのか。男性の適齢期は女性よりも上だが、それでも王都の平民にとって花形の職業である魔石加工場の職人が未だ未婚というのも不思議な話だ。

 ……いや、すみません。今、完全に自分を棚に上げておりました。そうですとも、私にはまだ旦那さんも、旦那さんになる可能性のある人もいませんから。だからマーシュ、何もそんなに申し訳なく思う必要はないんだよ。

 私は再び、窓の外に目をやった。

 どおりで懐かしいと思ったわけだ。やっぱり、ここは私が学生時代を過ごした王都の下町だったんだ。

 空は茜色に染まっている。夜更けに川に落ちて、それからほぼ半日眠り続けていたということか。

 自分が仕える主の客人を手にかけて、エヴァントはあの後、どうしているだろうか。何食わぬ顔で、私が夜中にどこかへ逃げたと嘘を吐き、いつもと変わらない日々を過ごしているのだろうか。

 私が昨夜、ガーラント師団長の屋敷を密かに抜け出て逃亡する動機が皆無だったかと言えばそうじゃない。魔導科学研究所に行くのが嫌になった、とか、メイドに苛められた、とか、特警隊に帰りたい、とか。

 けれど、エヴァントが私にした犯行を洗い浚い告白していた場合、ガーラント師団長は私が死んだと判断してもおかしくない。

 そうなったら、私は晴れて自由の身だ。

 そう思いつくと、何故か胸の奥がツクンと痛んだ。

 私の訃報は、きっと特警隊にも届くだろう。ガルス隊長やヒーリィも、私が死んだと思うんだろうな。

 けれど、もしこのまま、第二の故郷であるこの下町に身を潜めていることがバレなければ、私は別の人間として新しい人生を歩むことができるのではないだろうか。

 ……でも、現実的に無理か。

 王都で暮らす人間は全て能力者であり、その全てが王政府の一機関である内務省に管理されている。その内務省が発行する身分証明書がなければ、どこに就職することも家を借りることもできないのだ。

 怪我が治ったら、近くの魔法騎士団の詰め所に出頭しよう。

 できれば、クレイヴ・ガーラントの屋敷か、直接魔導科学研究所へ連れて行ってもらえるよう願い出る。ガーラント師団長の屋敷へは、もう二度と足を踏み入れたくもないし、あちらも願い下げだろうから。

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