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 兄弟二人で話がある、と部屋を追い出された私は、自分に与えられた客間には戻らず、メイドに図書室へ案内してもらった。

 そこで一人にしてもらうと、私は結構な蔵書数のある本棚を眺めた。

 この屋敷の主はガーラント師団長だというが、屋敷自体の歴史は古そうだ。建てられて結構な年数を経ている感じは、いくらその都度改修をしていたとしても完全に隠せるものじゃない。そして、この図書室を見てそれは確信に変わった。

 ここだけは、時代が止まったかのように静謐な空気が満ちている。古びた紙とインクの匂いが漂っているその場所が、何故か私の心を落ち着かせた。

 その本を見つけ出すまでに、それほど時間はかからなかった。赤い表紙に、金字で綴られた表題。

『真紅の魔導師』

 かつて、世界中のあらゆる国の権力に入り込み、その存亡に関わってきた絶大な力を持つ能力者達。魔石や魔導具がなくても、魔力を具現化することができたという、私達の祖先。

 その能力者の力が時代を経るごとに少しずつ衰退していく中、彼女は彗星のごとく現れ、あっという間に一大勢力を築いたという。そして、その力に怯えた各国からの圧力に抗いながら、彼女は山と樹海に三方を囲まれ、南は海に面した土地に辿り着いた。

 だが、その時には彼女の身体は病魔に蝕まれ、彼女を慕って集まった多くの能力者達に囲まれて亡くなった。その後、残された能力者達は元々この地にあった小さな部族を従え、マジカラント王国を建国した。

 だが、彼女が実在した人物だったという証は何も残っていない。今では、大昔から伝わる伝説の中で語られるだけの存在だ。

 その彼女の特徴として、不死身の肉体を持っていた、と記載されている。病気で亡くなったのだから不死身ではないではないか、という突っ込みを入れたくなるが、そうではなく、外傷を負っても自然と治る、という特異な体質だったらしい。

 そして、治癒能力も高かったらしく、伝説の中で実に多くの人々の命を救っている。

 でも、私は治癒能力がある、といっても、そんなに優れている訳でもないのにな。

 そう思いながら、左手を見つめる。もうすでに先ほどの切り傷は薄っすらとした白い線になってしまっていた。

 今までは、怪我をしたらすぐに自分で治癒をしていたから、何もしなくてもすぐに治る体質だなんて気付かなかった。単に治癒魔力の効きがいいと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 そして、思い当たる。獅子門前広場で少年に刺された時、確実に致命傷を負ったと自分でも思ったのに、助かった。あれは、この特異体質のお陰だったのだ。

 それでも、私は真紅の魔導師のように人を惹きつけて動かすような実力も魅力もない。彼女とは、全然違う。

 ……ああ、それで人体実験か。

 クレイヴが魔導科学研究所に誘ってくれたのは、私の実力を評価してくれてのことではなかった。ただ、この特異体質の私という生物を研究したいだけなのだ。

 ふと気配を感じて本から顔を上げると、図書室の入り口にガーラント師団長が立っていた。

「あの……」

「貴様を明日、魔導科学研究所に連れて行く」

 しばらく、開いた口が塞がらなかった。

 人体実験はしない、と口では言ったものの、どんな扱いをされるか分かったものではない場所へ送り込まれるのを阻止してくれるなんて、今更こいつに期待なんかしていない。それよりも、それに反対していたというこいつが、兄に折れたということが衝撃的だった。

 どんな人間にも、弱みというものはあるらしい。

「出て来い。昼食の支度ができている」

 まるで、犬に餌をやる時のような言い草だ。

 いい気はしないが、お腹が空いたことに気付いたので、素直に従うことにする。

 図書室の入り口まで来ると、不意にガーラント師団長は私の左腕を掴んだ。

「……何ですか?」

 だから、制服越しならともかく、薄い布地越しにそんなふうに掴まれると痛いんですけど。

「血がついている」

 見ると、左袖とドレスの膝辺りに、点々と赤いものが着いていた。

「着替えて来い」

 そりゃ、ドレスを汚したことは素直に申し訳ないと思いますよ。一刻も早く着替えて血痕を落としてもらわなきゃ、弁償できるような代物じゃないし。でもね。何も空腹を抱えた人間に昼食目前で言うことないじゃないですか!

 お腹の虫の盛大な大合唱を聞きながら自室に戻った私は、今度は髪の色と合わせたような落ち着いた赤色のドレスを着せられた。けれど、こちらのドレスの型はシンプルで、先ほどのスカートが幾重にもなったドレスよりも幾分動きやすい。

「それから、こちらを」

 恰幅のいいメイドに差し出されたのは、赤い靴だった。ドレスに合わせたものだと分かったが、踵はそれほど高くなくて太く、絨毯の毛並みに足を取られる心配もなさそうだ。

「旦那様のお言いつけで、ご用意いたしました。本来は、御懐妊されたご婦人用のものでございますが、高い踵の靴に慣れておいでではないようですので」

「それは、どうも」

 ありがとう、とお礼を言いながら、私は、ん? と首を捻った。

 今、何か彼女の台詞に違和感を覚えたような気がするのは、気のせいだろうか……。


 昼食の席には、ガーラント師団長もクレイヴもいなかった。兄弟二人での話し合いが済んだ後、クレイヴは屋敷を後にしたという。

「あの、それで、ガーラント師団長は?」

「お仕事の途中でお帰りになられたようで、先ほど王宮へ戻られました」

 食堂で待っていたエヴァントが、丁寧な口調で答えてくれた。

 どうやら、急な兄の来訪を受けて、仕事をほっぽり出して屋敷に戻ってきたらしい。

 そんなに、私がクレイヴから何もかも聞きだすことが嫌だったのか。けれど、結果的に彼のしたことが、私に自分の正体を教えることになった。どっちにしても、こうなる運命だったんだ。

「昼食は、メウル様がお着替えの間に済まされていかれましたから、ご心配には及びません。夕食は、ご一緒にとおっしゃっておられましたよ」

 考え込んでいる私を見て、何か勘違いしたのか、エヴァントは私を励ますように言った。どうやら、朝食に続いて昼食まで主と一緒に過ごせなかった私が、落ち込んでいると思っているようだ。

 いえいえ、とんでもございません。逆に、あいつと一緒に食事なんて、コルセットとダブルパンチですから。励ますどころか、逆にダメージですから。

 時刻は、昼食というにはかなり遅めの時間になっていた。コルセットの締め付けに抗いながら胃にご馳走を詰め込んだ私は、客間に戻ると長椅子に寝そべった。

 治癒、という形で魔力を使わなくても、自分の身体が治っていく過程で魔力を消耗するらしい。朝からの慣れない生活も相まって、まだ日は高いというのに私はすっかり疲れきっていた。

 明日からは、魔導科学研究所の実験体かぁ……。

 きっと、こういう貴族のご令嬢のような格好で過ごせるのも、今日が最初で最後だろう。

 このために、私は王都へ連れてこられたのだろう。十一年前とは違い、研究所内で力を持った兄の頼みを断りきれなかったのか、それとも何か弱みを握られて抗えなかったのか。

 とにかく、ガーラント師団長が十一年前に閉ざした扉が開かれようとしている。その向こうに何が待ち構えているのかは分からない。ひょっとしたら、国境の山奥で密かに消されていたほうが良かったと思うくらい、酷い目に遭わされるのかも知れない。

 けれど、今の私に一体、何ができるだろう。ここから逃げても、誰にも見つからずに王都から出ることなんてできない。

 例えそれができたとしても、今度はきっと、特警隊に逃亡幇助の疑いがかけられる。どんなことがあっても、ガルス隊長の立場を危うくすることなんてできない。

 ……いつの間にか、眠っていたらしい。

 ガルス隊長が立っていた。しかも、若くて綺麗な女性と二人で。

 そこは、ウィル自治区の神を祭る神殿だった。二人は私に背を向け、腕を組んで祭壇へと歩いていく。

 私のことなど、全く無視して。

 待ってください、隊長。

 私は、現実で言えなかった台詞を叫んだ。苦しくて苦しくて、涙が頬を伝って流れていく。

 私、あなたのことが好きなんです。行かないで下さい、隊長……!

 ハッと目を開けると、薄暗い室内が目に入った。

 ……うわっ、暴睡しちゃったよ。

 慌てて起き上がると、そこは何故かベッドの上だった。

 嫌な予感がして、私はハッと振り向いた。だが、ベッドの上には他に誰もいない。

 ホッと一息ついて視線を転じた私は、咽喉の奥で悲鳴を凍りつかせた。

 長椅子にゆったりと座った白銀の悪魔が、腕組みをしつつ、じっとこちらを見つめていた。

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