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 白銀の悪魔の兄上は、容貌はとてもよく似ていたが、髪や瞳の色は勿論、随分と人となりも異なるようだ。尤も、他人に対して遠慮のないところは、やはり兄弟というべきだろう。

「いやあ、まさか君に会える日がくるとは思っていなかったよ。とっくに死んだと思っていたのでね」

 事も無げにそう言われて、私は飲みかけた紅茶を危うく噴き出すところだった。

 私達は今、私の私室と化している客間とは別の一室のソファーに腰掛け、卓を挟んで向かい合わせに座っていた。メイドさんが紅茶を淹れてくれた後部屋から下がるまで、何が楽しいのか人の顔を見つめたままニコニコ笑っていたクレイヴは、私が紅茶を口に含むのを待っていたようにその台詞を吐いた。

 ……こいつ、確信犯だわ。

 何とか噴かず咽ずに紅茶を飲み込むと、私は努めて冷静な声を出した。

「なぜ、私が死んだと思われていたのですか? そう言えば、ガーラント師団長にも同じようなことを言われましたし」

 すると、クレイヴは突然、折れそうに細い身体を自分で抱きかかえるようにして大笑いし始めた。

「何? あいつ、君にガーラント師団長なんて呼ばれてるの? 随分よそよそしいっていうか、ひょっとして君、あいつのこと嫌い?」

 いきなり、何を言い出すのやら。アレですか? そこでハイとでも言えば、即ガーラント師団長にご報告、そして地獄行きの罠ですか?

「いえ、別に」

 っていうか、質問に答えろよ。人の話を聞かないところは、やっぱり兄弟って似てるんだな。

「でも、よかったよ。こうして君に会うことができて。十一年間の悲願が達成されたって訳だ」

 向かい合わせの席から、身を乗り出すようにして目を輝かされても、私にはただただ不気味なだけだった。例えそれが、ガーラント師団長似の美形であっても。

「その、訳がわかりません」

「ええっ。あいつから何も聞いてないの?」

 愕然とした表情を浮かべたクレイヴだったが、すぐにニヤリとした笑みを口元に浮かべた。

「ふうん……。あいつも馬鹿だなぁ。俺の言う通りに、君を魔導科学研究所に入れておけば、無駄に落ち込まなくても済んだのに」

「は……?」

 突っ込みどころが満載すぎて、何から解説を求めていいか分からない。

「あの、魔導科学研究所って?」

「俺の勤務先。今はそこで魔導生物学の研究班の班長をしているんだ。当時はまだ平研究員だったんだけど、君の存在を知って、ぜひうちに来てもらいたいとあいつに言ったんだが、にべもなく断られてしまってね」

「……なんで」

 魔導科学研究所といえば、マジカラントの王立機関で、国の学術研究所の中でも最も権威ある組織だ。そんなところに、王都の下町にある魔導学校でそこそこの成績しか修められなかった私が迎えられるなんて有り得ないし、まさに夢みたいな話だ。

 それを、あいつは本人に話もせずに、勝手に断ったという。

「ああ、でも、あの人は私を王都から追い出したかったんです。魔導科学研究所になんか入れたくなかったんでしょうね」

「そこなんだよ。別に人体実験なんかしやしないんだからって言ってるのに、兄貴を信用しようともしないんだからさ」

「……は?」

「はっ? って、さっきからそればっかりだね。本当に何も知らないんだね」

 クックッと笑うクレイヴに、私は思わず身を乗り出した。

「教えてください! 私は一体、何を知らないんですか? ガーラント師団長と再会してから、訳の分からないことだらけで混乱してるんです」

 存在も知らなかったガーラント師団長の兄が私のことを十一年も前から知っていて、私に会いたいと思っていた。しかも、魔導科学研究所という身に余る就職先まで用意してくれていた。そして、何故だか二人とも、私が死んだと思っていたという。

 教えてほしい。私はただ、一方的に憎まれていたんじゃないの?

 その時、バン! というけたたましい音が背後で上がった。反射的にソファーの背に身を隠せるよう身を伏せながら振り返る。どんなに貴族様のような格好をしても、こういうところで特警隊として染み付いた反応が出てしまうのが悲しい。

「やあ、アレックス」

 片や、クレイヴはソファーに深々と腰を下ろしたまま、鷹揚に構えている。上座に座っていた彼は、扉が開いた瞬間に誰が入ってきたのか分かったのだから、当然かもしれないが。

「今日は仕事で遅くなるって言っていたのに、随分と早く片付いたんだね」

「……兄上のせいです」

 真紅の制服に身を固めたガーラント師団長の白銀の髪が、風で煽られたように乱れている。彼が近づいてくると、顔の周りや首元に汗で貼り付いているのが見えた。

「別に、俺はお前がいなくても構わないと言ったのに」

「そういう訳にはいきません」

 ガーラント師団長の口調は、普段の突き放すような物言いとは違い、緊張して固くなっているように聞こえた。この一見弟に比べると温厚そうに見える兄に、どこか恐れを抱いているような態度だ。

 クレイヴはそんなガーラント師団長を見て困ったようにため息を吐いた。

「放任主義なのか過保護なのか、お前の訳の分からない態度でメウルは混乱しているんだよ。そのくせ、何も話していないなんて。私は彼女に全て話した上で、十一年越しの思いを遂げようとしているだけなんだよ。何故、邪魔をしようとする?」

「何か、聞いたのか?」

 兄の問いには答えず、ガーラント師団長の鋭い視線が私に向けられた。肌触りはいいが薄手の生地越しに、痛いくらいの力で左腕を掴まれる。

 慌てて首を横に振る。聞いたといえば聞いたが、こちらの疑問は深まるばかりで何の問いにも答えてもらっていないのだから、聞いてないのと同じだろう。それより、聞いたと答えた後の彼の反応が恐ろしくて、とても首を縦に振れる状況じゃない。

 それでも信じられないのか、私の腕を掴んだまま、ガーラント師団長は地を這うような声で詰め寄ってきた。

「今後、一切私の許可なく、この屋敷の者以外の人間と会うことは許さん」

「……えっ?」

 だって、クレイヴはあんたの許可を取っているって言ったし。

「分かったら、部屋に戻れ」

 やや乱暴に突き放され、たたらを踏んだ私は、本当ならそのくらい平気で堪えて立っていられた。

 ところが、今日は人生で初めて、踵が恐ろしく高くて細い靴を履いていた。しかも、地面は毛足の長いフカフカの絨毯。おまけに、堪えようと後ろに踏み出したその踵が、幾重にも生地を重ねた長いドレスの裾を踏んだ。

 あっ、と思った時には、私は派手にひっくり返っていた。しかも、下手に受身を取ろうとして身体を捻った時、左手が座卓の上の茶器を上から叩き割っていた。

「何事でございますか?」

 開いたままの扉の向こうから悲鳴のようなメイドの声がしたが、入ってくるな、とクレイヴが声を上げた。立ち上がった彼は、ゆっくりとこちらへ近づいてくると、起き上がろうとしている私の左手を掴んだ。

「血が出ている」

「あっ、すみません。ドレスや絨毯が汚れてしまう……」

 私は慌てて、滴り落ちる血を受け止めようと右手を添えようとしたが、その手もクレイヴに取り押さえられてしまった。

「そんなことは気にしなくていい。それより、見ていてごらん。君も俺も、何もしていないのに……ほら、傷が塞がっていく」

「えっ……?」

 私は、自分の左の掌と中指の先にできた切り傷を見つめた。結構深い傷で、脈打つように痛み、血も流れるように出ていたというのに、それがみるみるうちに止まっていく。

 私の右手を押さえていたクレイヴの手が離れ、ポケットから白いハンカチを取り出した。そっと傷口を撫でるように血を拭い取ると、そこにはもう薄っすらと線が残るだけの傷跡しかなかった。

 まるで、魔石の手袋を嵌めて治癒をしたように。

「……どういうこと?」

「君は『真紅の魔導師』と同じ異能の持ち主だ」

 何百年も以前、マジカラント建国より遥か以前に存在したという伝説の能力者の通称を出して、クレイヴは熱の籠もった目で私を見つめる。

「是非、我が魔導科学研究所に来てもらいたい。君の全てを知りたいんだ」

 ……その時、私はようやく、人体実験、という言葉の意味を知ることができた。

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