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「聞いたよ。なかなか感動的な場面だったようだね」
特警隊庁舎の元会議室で、アルヴァは人のよさそうな顔に満面の笑みを湛えて私を迎えた。勿論、私の知られたくない過去を知っている彼の黒い一面を知っている私は、以前のようにはその笑みを素直には受け止められなかった。
「別に、涙を誘おうとかそういう意図はありませんから」
「へえ、意図的じゃなかったんだ。自然とそういう優しさを他人に対して与えられるなんて素晴らしいなぁ。師団長も、君のそういうところに惹かれたのかも知れないね」
「何をおっしゃっているのか、さっぱり分かりません」
っていうか、言葉遣いも妙に慣れ慣れしくなっているような気がする。職務上の会話だったから今まで丁寧な物言いをしてくれているのかと思っていたのに、今はなんだか上司が部下に話しかけているみたいな口調じゃないか。
はっきり言おう。馴れ馴れしい。
……あ、そうか。魔法騎士と特警隊の間を取り持つ立場の私は、自分の部下みたいなもんだと思っているのか。第五小隊に内偵を命じるくらい図々しい奴だから、そんなふうに思い込んでいるとしても不思議じゃない。
まあ、今まで魔法騎士団の小隊長に丁寧な物言いをされるのにも違和感があったから別にいいんですけどね。だって、彼の上司なんか、貴様、何故生きている? だの、無様だな、だの、必要ない、だの、こっちの言うことなんか聞かずに吐き捨てるような台詞ばっかりですから。馴れ馴れし過ぎるのぐらい、どうってことはありません。
会議室は元の足がガタガタしている長机が並んでいるだけのだだっぴろい部屋から、格式高い調度品が並ぶ魔法騎士詰め所へと変貌を遂げていた。剥き出しの木の床には分厚い絨毯が敷かれ、光沢のある執務机が奥に鎮座している。
アルヴァはその執務机に両肘を着き、机の前に立つ私の顔を覗き込むように見上げていた。
「本当に分からない?」
「……は?」
その、質問の意味さえ分かりませんから。
「不思議だったんだよ。ガーラント伯爵家といえば、先王陛下の正妃のご実家。そこの息子ともなれば、三男とはいえ婿候補としては引く手数多だ。それなのに、降ってくるように湧いてくる縁談を全て断って、この年齢まで独身を貫かれているんだからね。どんな理由があるのかと思っていたら……」
で、じーっと私の顔を見るのは何でですか。
「……いや、でも不思議だな」
「あんたも大概、失礼ですね」
思わず、そう言葉が口から飛び出した。
目を瞬かせたアルヴァは、口元を押さえて噴き出した。
「いや、失礼。別に、君の外見をどうこう言ったつもりはないよ。人によって好みは違うからね」
だから、それを失礼だというのが分からんのか!
「私が不思議だと言ったのは、どうしてあの御方が、ウィル自治区出身者である君にそこまで入れあげるのかということだ。命の恩人、しかも自分の好みの女性。けれど、普通の男でも、十年近く音信不通の女性を想って結婚を躊躇うなんて純情な奴はまずいない。しかも、あの血も涙もない白銀の悪魔が……」
「お言葉ですが、私と師団長の縁談を無理に繋げようとするから、矛盾が出てくるのではないでしょうか」
聞くに堪えない勝手な妄想を止めるため、私は語気を強めた。
「え?」
「ですから、私とガーラント師団長との間に、そういった浮いた話は何もありません。むしろ、関わったことでこちらは多大な迷惑を被り、人生を滅茶苦茶にされたんです。私にとっては、彼はまさに悪魔そのものなんですから」
一気にまくし立てると、私は肩で息を吐いた。
思い出すのは、薄暗い路地裏。うめき声を聞いて覗き込んだそこに、血塗れで倒れていた少年。髪の色が白銀だとか、薄目を開けたその瞳が金色だったとか、そんなことは視界には入っていても、それが白銀の悪魔と呼ばれる少年の特徴だと思い出す間もなかった。
死に掛けている、助けなきゃ。そんな衝動に駆られて駆け寄った私を、本当は自分でも褒めてやりたいと思っている。
その後に待ち構えていた、無情な報復さえなければ。
と、アルヴァが突然、顔色を変えて立ち上がった。
背筋にヒヤッとしたものが走り、つられるように私は後ろを振り返る。
白銀の悪魔が冷ややかな笑みを浮かべて、音もなく開いた戸口に立っていた。
冷たい汗が、滝のように私の背中を流れていった。
「師団長閣下……」
掠れたアルヴァの声が背後から聞こえたが、私は後ろを振り返った姿勢のまま動くことができなかった。
ガーラント師団長は、絨毯の上を音もなく歩み寄ってくる。わざとなのか、それとも彼の進行方向を私が塞いでいるせいなのか、接触しそうなほど近くまでくると彼は足を止めた。
「なぜ、こいつがここにいる?」
そう言われただけで、全力でここから逃げ去りたい気分になった。
「あの、彼女は我々と特警隊の仲介という立場になり、今日の警邏にも同行したので、その報告と今後の活動について話し合いをと……」
しどろもどろになって説明するアルヴァの声を聞きながら、そういう名目で私を呼び出したのか、と改めて知る。実際の話の内容は、今日の警邏のことなど冒頭の一言くらいしか触れていなかったくせに。
「今後の活動などない」
ばっさりと切り捨てるように言い放ったガーラント師団長の言葉に、私もアルヴァも息を飲んだ。
「閣下。それはどういう……」
「こいつの身柄は、私が預かる」
「……は?」
ポカンとした顔になったアルヴァの顔に、薄っすらと隠しきれない勝ち誇った喜色が浮かぶ。どうせ、自分の想像が正しかった、と思っているんだろうが、ちがーう! それは違うぞ、アルヴァ君。
私は逆に、来るべき時が来た、と思った。
私はまた、居場所を失うんだ。特警隊から放り出されて、今度はどこへ追いやられるのか。いいや、命を奪われる可能性だってないわけじゃない。
魔力を持たない者は同じ人間だとは思わない保守系貴族の筆頭、ガーラント家。その三男であるこいつが、魔力を持たない両親から生まれた能力者の私に命を救われた。こいつにとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。
だから十年前、私はこいつの執拗な嫌がらせによって、王都のどこにも働き口を見つけられなかった。そうして、私を王都から追い出して、ようやく溜飲を下げたであろうこいつの目の前に、私はまたのこのこと現れたというわけだ。
だから私は消される。きっと、彼の気が済むまで地獄を味わわされた挙句に。
それが、悪魔に目をつけられた者の末路なのだ。
鏡を見なくても、私は自分が蒼白になっているのが分かった。握り締めた両拳が、痺れたように冷たくなっていた。
悪魔の行動は、思ったより早かった。
こいつの身柄は私が預かる、と奴が言ったその日の夜に、私はいつの間にか用意されていた馬車に押し込められていた。実に手際がいい。
アルヴァに呼び出されて会議室に行ったのは夕方。それから夕食をとって寮に戻ろうとしたところをガルス隊長に呼び止められ、ガーラント師団長の指示に従うよう命令を受けた。
「一体、どういう訳なんでしょうか」
「俺にも分からない。理由は教えてもらえなかった」
部下を訳の分からない理由で魔法騎士団に預けなければならないのが不本意なのだろう。ガルス隊長の表情は冴えない。
隊長にも言えない理由なら、やはりあいつの目的は報復に間違いない。
今すぐ、ここを飛び出して逃げることもできる。けれど、特警隊庁舎には今、三十名を超える魔法騎士がいるのだ。なんだかんだと理由をつけて特警隊まで動因されて捜索されたら、逃げ切る自信はない。
それに隊長命令なら、隊員には従う義務がある。
……そう、私はガルス隊長の命令で行くのだ。この人の命令ならば、喜んで死地へ赴こう。
「隊長、今まで、お世話になりました」
思わず涙が込み上げてきて、私は指先で何度も溢れる涙を拭った。
「おいおい、大袈裟だな。少なくとも、王都はここよりは安全だろう。あちらの任務を終えたらまた戻ってくるんだから、そんな言い方はするな」
泣くな、と分厚くて大きくて温かな手が、私の左肩に落ちる。
胸の中に張り裂けそうなほどに大きく膨れ上がったものが、全身を駆け巡った。
……やっぱり、好きだったんだなぁ。
改めて、その気持ちの大きさに気付く。
失意のうちに王都を去り、戻った故郷で家族や周囲の人々とぶつかり、家に引き篭もって鬱々としていた私を、日の当たる場所へ連れ出してくれた人。
彼は他の女性を選んだけれど、私は彼の命令に従って死地に赴くのだ。きっと、彼の心から一生、私という存在が消えることはない。
「隊長。私、隊長の元で働けて、とても嬉しかった。ありがとうございました」
深々と頭を下げ、せめて最後は笑顔で、と涙を拭う。
「メウル。お前ひょっとして、師団長がお前に課す任務が何なのか、知っているのか?」
ガルス隊長の表情がだんだんと険しくなってくる。
「知っているのなら教えろ。無茶な内容なら、隊長として部下を無謀な任務に就かせるわけにはいかない」
私は首を横に振った。そんなことをしたら、隊長の立場が危うい。どんな難癖をつけて、この特警隊を潰しにかかるかわからない。
魔法騎士団に取って代わられたら、獅子門前広場事件の二の舞だと隊長、言っていたじゃないですか。そんなこと、させられません。
「いいえ、大丈夫です。必ず帰ってきます。ですから、隊長。待っていてくださいますか?」
まるで、恋人同士みたいじゃない?
こんな状況なのに、私は物語の主人公になったみたいにドキドキしていた。勿論、隊長が恋人役だ。目の前で渋い表情をしている彼は、私がそんな妄想をしているなんて思っても見ないだろうけれど。
隊長には、私が言った言葉は全く違う意味で伝わっているだろうけれど、私にとって隊長がうんと言ってくれることが、これから先起こるどんなことにも耐えられるだけの勇気になる。
「勿論、あたりまえだろう」
これで、覚悟が決まった。




