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 初めての投稿です。

 拙い文章かと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

 作品中、残酷な描写が出てきます。苦手な方はご注意を。

 ……何で、こんな酷いことをするの?

 両目から、熱い涙の塊がボロボロと零れ落ちる。

 ……酷い、……酷い! 最低!! あんたなんて、大っ嫌い!

 叫ぶ咽喉が焼けるように痛い。

 目の前の相手に手を振り上げ、渾身の力を込めて叩きつける。

 その手が空を切り、その瞬間、我に返った。

 ……まただ。


「……あー」

 見慣れた天井を仰ぎながら、目尻から耳元まで流れ落ちる涙を夜着の袖で拭う。寝起きだとは思えないほど鼓動は早く、理性の効かない夢の中で暴走した感情が行き場を失って煮え立っている。

 夢でよかったのか、悪かったのか。その判断さえつきかねる、ほんの少し甘い痛みを胸に、私は固いベッドの上に半身を起こした。

 枕元の時計に目をやる。起床予定時間のほんの数分前、二度寝はできないなと嘆息して再度目元を拭った。

 古びたベッドと埃っぽい床、小さな机と今にも壊れそうな椅子、作り付けの収納棚以外に何もない部屋は、鈍色のカーテンの隙間から差し込む朝日に照らされて煙って見える。

 ああ、また一日が始まった。

 ベッドから重い足を引きずり出し、床でくたりとなっているブーツにねじ込む。夜着を脱ごうと袖に触れたとき、涙にぬれたそのひんやりとした感触に、不覚にも目頭が熱くなった。

 まずい。ちょっと今日は感情的になっている。

 制服の白いシャツに袖を通しながら、机の上に置かれた小さな鏡を覗き込む。

 目の下にうっすらと隈が浮かんだ、浮腫んだ顔のさえない女。いつもの私の顔だ。ただ、今日は目が充血して、更に悲惨に見える。

 それでも、じゃあ今日は気持ちが落ち着くまで部屋で過ごそう、という訳にはいかない。一応、私には職務というものがある。

 最悪の夢を、しかもこれまで何度も繰り返し見てきた悪夢に号泣しながら起きても、誰も心配などしてくれない。

「なに、メウル。あんたまた夕べ飲み過ぎたんじゃないの?」

 女性共同の洗面所で顔を合わせた同僚のかけてくれる言葉なんてのは、こんなものだ。

「……はいはい。すみませんねー」

 適当に答えながら、豪快に顔を洗い、その飛沫で撥ねまくる癖の強い赤毛を濡らす。湿って扱いやすくなった髪を手串でまとめて、適当に首の後ろで一つに結わえた。

 その後、タオルで顔を拭っていると、何やら視線を感じる。横を見ると、先ほどの同僚が哀れむような目でこちらを見ていた。

「もういい加減、諦めなよ、メウル。相手は超美人のお嬢様なんだから、最初から敵う訳ないだろ」

「やだな。そんなこと、気にしてないよ」

 相手の的外れな言葉に噴き出しつつ、別の傷を抉られて、不覚にも口元が歪んだ。

 ……だから、感情的になってるんだって、今日は。

「……なら、いいけど」

 よくない。あんた、完全に勘違いしてる。

 哀れみを深めた同僚の表情にため息が出た。これでまた、上司に片思いして呆気なく振られた嫁き遅れ女の噂話が再燃するわけだ。

 私、メウル・オーエンは、今年で25歳。大体20歳までには結婚してしまう世間でいうところの嫁き遅れであり、売れ残りだ。まあ、売り出す機会もないに等しかった上、自分で自分の商品価値を下げてきたのだから仕方がないのだけれど。

 なぜなら、私が所属しているウィル自治区特別治安維持警備隊、略して特警隊は、治安を守っているはずのここウィル自治区内でも非常に評判が悪い。というのも、ウィル自治区が存在するマジカラント王国が非常に特殊で複雑な事情を抱えているのがそもそもの問題で……。

 食堂で、自分が幸せになれない理由を、お国事情のせいにしながらパンを齧っていると、向かい側の席にやたら優雅な所作で腰を下ろした人物がいた。

「今日はいつにもまして寝起きが悪そうですね。また嫌な夢でも見ましたか?」

 青みがかった長い白髪に、湖底のような深い青の瞳。抜けるように白い肌に、繊細な顔立ちの青年。貴族の子弟といわれても違和感がないような物腰は、荒くれどもが集う特警隊の中では浮きに浮きまくっている。それでいながら、彼の経歴をみれば、この中の誰よりも真っ黒というこの不可思議な男は、なぜか私に気を許している。

 ……というより、懐かれている。

「う……。まあね」

 素直に答えると、いつもはあまり表情を変えない男の顔に子どものような笑顔が浮かんだ。よほど私の心の内を言い当てたことが嬉しいらしい。

「よく分かったね、ヒーリィ」

「メウルの考えていることは、大体分かりますから」

 そして、よく考えれば恐いことを、さりげなく言われる。

「……ふーん、そう」

 苦笑してスープを飲みながら思う。

 あんたに私の何が分かるのか、と。振り上げた拳の先にいた、もう二度と手の届かない人のことも、砂の楼閣が波に洗われるように失われていった過去も、何も知らないくせに……。

「メウル」

 呼ばれて、スープ皿に落としていた視線を上げると、ヒーリィの深い青の瞳がじっとこちらを見つめていた。

「何?」

「戻らない過去よりも、現在いまを見ませんか」

 危うく、飲み込みかけたスープが別のところへ入るところだった。

「……え?」

 誰にも語ったことのない忌まわしい過去を、なぜこいつが知っている……?

「ガルス隊長は確かに男の私から見ても、非常に魅力的な方です。あなたが惹かれる気持ちも分かります。けれど、すでに妻帯された方のことをいつまでも……」

「ちょ、……ちょっと待って」

 私は咳き込みながら、何とか両手を突き出して彼にストップをかけた。本心を見透かされたわけではないと気付いて、ほんの少し安堵しながら。

「あんたまで、それを言う……?」

 確かに、私はひと月前、失恋した。

 いや、恋心というにはあまりにも職務上の色合いが強すぎて、恋愛なんだか上司愛なんだか分からない感情だったというのが本当なのだが。

 ひと月前、特警隊のトップ、オランド・ガルス隊長が、ウィル自治区代表の娘と結婚した。縁談の噂は前々から耳にしていたが、部下の誰一人として結婚式の前日までその事実を知らなかった。

 三十半ばの生真面目な隊長が、まだ十八歳という可憐な少女を妻にしたことも、二十歳も半ばを過ぎて泥臭い特警隊で汗にまみれている私や同世代の女性隊員にとって衝撃的だった。釣られるように、隊長より歳の若い独身男性隊員達の目は、否がおうにも同世代の女性隊員から、市井の可憐な少女達へと移っていく。

 ……いやいや、別に焦っているとか、妬いているとか、そういうことではないんだけど。それでも、何だか虚しさが湧いてきて、それがあんな夢を見せたのかなーなどと想像してみる。

 呼吸を落ち着けて、私はおおいに勘違いしたままの男をまじまじと見つめた。

「ねえ、ヒーリィ。人ってさ、現実いまが満たされてないっていうか、こんなはずじゃなかったって思うと、過去を振り返るじゃない。あの時、ああしていればよかったのにって」

「では、メウルにとって現在いまは不満なんですね」

 そういうヒーリィの口調は何故か不満げだ。あんな修羅場を潜り抜けて、特警隊の隊員という立場に、この男は満足しているのだろうか。

「あのねえ。不満もなにも、私だって女よ。世間一般ではこの年齢としの女は結婚して子育てして家庭を守ってるの。いかにお国のためとはいえ、不満分子相手にいつ命を落とすか分からない日々。訓練に警邏に明け暮れて自由のない毎日なのに、世間では王政府の犬扱い。そりゃ、虚しさの一つも覚えるわよ……」

「では、なぜメウルは特警隊にいるんです?」

 それだ。

「人生にはいろいろあって、今があるのよ。聞くも涙、語るも涙の長編小説……というのは大げさだけど、皆それなりの理由があって現状があるんだから。ま、全て語ったところで私情も入るし、ちゃんと説明になるかどうかも分からないしね」

 それに、他人には語りたくない、消し去りたい過去もあるんだし。

「ガルス隊長の側にいたくて入隊したのに、他の若い女性と結婚されてしまった。しかも、自分なんかよりずっと綺麗で若い権力者の娘と。それで、虚しさに苛まれていると。そんなところですか」

「……ヒーリィ」

 はっきり言ってくれるじゃないか。

 ムカついて睨みつけると、意外にも相手もこちらを正面から見据えている。……なんで、からかってるあんたが怒ってます的な顔してんのよ。

 馬鹿らしくなると同時に、胸の奥底から反発心がむくむくと顔をもたげてきた。

「あのね。私ももういい大人なの。ガルス隊長が初恋って訳じゃないんだから、さっさと気持ち切り替えてるの。それに、今朝方の夢に出てきたのも別の男なんだし?」

 そう言うと、コップの水を一気に煽って、私は席を立った。

 言ってやった、という高揚感と、気恥ずかしさで、ヒーリィの顔をみることもできず、そそくさと食堂を後にする。

 ……実際は、そんなに簡単に気持ちなんて切り替えられるものじゃない。ガルス隊長の結婚からこっち、ベッドで人知れず泣いたことも多数、今でも隊長を見るたびに胸が締め付けられるような痛みを発する。

 でも、このひと月、私が部屋で毎晩自棄酒を飲んでいるという噂が流れていたが、実際には一滴たりとも口にしていない。一口飲んだら歯止めが利かなくなりそうで恐かったからだ。

 でも、今、無性に冷えた麦酒が飲みたい気分だ。勿論、これから仕事だし、朝っぱらから飲むわけにもいかないのだけど。

 今夜は警邏の当番だ。明け方に戻ったら、久々に一杯やろうか。明日は一日、お休みだし。

 けれど、そんなささやかな楽しみさえ叶えられないなんて、その時の私は想像すらしなかった。


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