ソーシャルネットの遅刻魔
私は人付き合いが苦手な方だ、と最近、嫌にそう感じている。
いや、金曜の夜に居酒屋を回ってハメを外せるような友達が存在しないというわけではないし、
会社で上司とコミュニケーションをとれずに四苦八苦しているというわけでもない。
ただ、最近、人付き合いに関して億劫と感じるようになったのは、
社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービス。
つまり、ソーシャルネットワーク上での事であった。
最近、私はある人とツイッター上で冷戦状態となった。
別にネットワーク上で口論になったというわけではないのだが、
どことなく険悪な仲になったことを冷戦と表現することにする。
まあ、そうなった理由は至極単純である。
私はその人が嫌いだったのだ。
もう少し詳しく話すと、彼……ここではAさんとしておく。
Aさんは私のフォロワーとして最も早く存在した人物だった。
私の某創作活動を見てファンになったのがフォローした理由らしく、
適当に呟く私のツイートに対しても割と積極的な反応を見せていた。
しかし、そこで私は迷った。ここで私がフォローを返すべきなのか? と。
Aさんのツイートリストを見ると、
アイドルやアニメのツイートが大半であり、
私にとっては正直どうでもいい呟きが転がっていた。
いや、むしろ気持ち悪いとすら思っていた。
別に私がアイドルファンを毛嫌いしているというわけではないし、
アニメを積極的に見るわけじゃないがその話題が嫌いというわけでもない。
ただ彼は少し違った。
口と部面で説明するのは非常に難しいのだが、一言で表すと「気持ち悪い」のである。
私は現実世界において人を毛嫌いするタイプじゃないし、
影でグチグチと悪口を言うタイプでもない。
(とはいえ、こんな文章を書いている時点で説得力はゼロなのだが)。
何故なら嫌いになりそうなタイプの人物に対して、
私は最初から興味を持たないようにしているからだ。
嫌いになりそうなタイプがどのような人物なのかを説明するのもこれまた難しいのだが、
誰だって苦手な人物タイプというものは生活の中で形成・パターン化されているはずであり、
できることならその人と関わりたくないという考えがあることも理解してもらえると思う。
人間というものは、
実際にその人と話してみないと価値観や思想が分からないのは重々承知しているのだが、
今回のAさんとの出会いはネットワーク上の薄い土台の上に成り立っているものだ。
これが仕事の関係だとしたら嫌でも話しかけなければならない必然性が出るのだが、
所詮はネットワーク上の付き合いだ。
早い話、こちら側がAさんに対して無視をする権利もあるし、排除して咎められる恐れもない。
だが、この辺が小心者である私のサガとでも言えば良いのか、
結局私はAさんをフォローしてしまったのだ。
彼のツイート内容はともかくとして、積極的に私にツイートに反応をしてくれているし、
なにより私のファンである。
文章上では偉そうなこと書いている私だが、そんなAさんを無下にすることはできなかったのだ。
しかし、それは間違いであったのかもしれない。
相互フォローとなった結果、彼は以前より積極的になった。
私の本当に適当な呟きにも反応を示し、口調もくだけた感じになった。
しかし、私があるオンラインゲームを始めようと呟けば、私もやりますと勝手に言い出し、
興味のないアイドルの話題を私に振り、ツイートリストにはアイドルやアニメの呟きの羅列が並んだ。
そして、たまに私が話を振れば全て「否定形」から言葉を返信するのである。
簡単に言うと
「いや、そうじゃなくて」、「そうですかね?」など私の意見を全て無視するような文章で始まり、
お寒いネタで終わるという文章がパターン化された。
とにかく、私にとってAさんのネットワーク上での存在は苦痛でしかなかった。
被害妄想かもしれないが、これでは、まるでストーカーじゃないのかとも少し思った。
もちろんAさんにそんな自覚はないのだろうし、
ファンである人物に対してストーカーは言いすぎという意見もあるだろう。
しかし、そんな関係を私自身が億劫と感じているのも事実だ。
私が一切ツイッター上で呟かなければいいのでは、
とも思ったがそれならツイッターの存在意義は何なのか。
相手の言葉をミュートにすればいいとも考えたが、それならツイッターの価値は何なのか。
私はわからなくなった。
結局、私はAさんに遠まわしで注意してみることにした。
今となってはその選択が大間違いというのがわかるのだが、
人は思いつきで行動して後悔する動物だ。
案の定というか、Aさんはまた否定型から始まる文章を返し、
そして自分が間違っていないと否定した。
嗚呼、話の通じる相手だったら最初からこんなことになってないよな、
と案の定に後悔することとなった。
結局、私は彼をフォロワーから外してミュートにした。
つまり、もう彼を私の目のつかない位置に遠ざけたのだ。
その選択に後悔するかは今後の私しか分からない。
ただ、一つだけ分かったのはホッとした自分がいたことだけだ。
ソーシャルネットワークの発展により、人々との繋がりが近いものとなったのかもしれない。
だが、近すぎる人間関係は場合によってストレスになり、トラブルにもなる。
ソーシャルゲームでもツイッターにしても自分の行動を世界に広め、
その結果として素敵な人物との出会いもあるだろう。
しかし、必ずしも人の出会いが有意義な関係を築けるとは限らない。
当たり前の話だが、当たり前の怖さが一番怖いのである。
現実世界でさえ嫌いな人との関係を保つのは難しい。
なら顔も見えず、文章などの少ない情報の中で人間を判断しなくてはいけないこの回線土壌で
どうやって関係を保てばいいのか。
そして、その人をバッサリと切り捨てるほどの勇気を小心者の私がどうやって絞り出せばいいのか。
まして、相手に悪意がないのが分かっているのなら尚更だ。
それを相手に気づかせるべきなのか、それとも私が受け入れるべきなのか。
今後、ソーシャルネットワークにおけるコンテンツはより広さを増していくことになるだろう。
しかし、私のような関係に悩む人物は少なくないはずだ。
ただでさえ人間関係に悩まされやすい現実だというのに、
架空世界ですら悩まされる私は何なのだろうか。
答えを見つけ出せない自分は、多分古い人間なのだろう。まだ二十代前半だというのに。
いや、ただ単に架空世界に適応できてない、やり方を分からないだけかもしれない。
そして、いつか遅れて気づくかもしれない。
ソーシャルネットの遅刻魔として。