2Q24 ~フリーター~ 「続編」
2Q24 ~フリーター~ 続編
一、23歳
二、13歳夏
三、15歳冬
一、23歳
「新世紀到来」と呼ばれる時から、十数年が過ぎていた。
21世紀の響きも新鮮さが無くなり、「にじゅう」の響きのほうが懐かしく感じられる。
俺は、21世紀の最初の年に生まれ、ミレニアムベイビーと呼ばれたその一人だった。特に、俺がそうしてしてくれとか、そう呼んでくれと頼んだ覚えはないが、当時の世間ではそう呼ばれる赤ん坊がごまんといた。俺にすればただの偶然。偶然でないとすれば、その10ヶ月ほど前に親父とおふくろが営んだという事ぐらいだ。
2Q24年に俺の人生が大きく変わった。これは事実だった。でも、そこに至るまでの俺のそれは、どこにでもある平凡なものだ。自分で言うのも変だが、つまらない人生そのものだった。
俺の名は、「こうへい」、少し前に23になった。大学を出ても就職が決まらずお決まりのフリーターだ。そう、何年か前の総理大臣が、企業の雇用契約体系を変えてから、俺みたいなやつが世の中に多く出没するようになった。そのお偉いさんのせいで、製造業界に大きなダメージを与えたそうだけど、ガキだった俺にはよくわからない、たしか・・・大泉とか中泉とか、そんな名前だったと思う?まあ、こんな時代でも、いいことが一つぐらいはある、「ご職業はどんなご関係ですか?」と質問をされるたびに、下手な嘘をつかずに「俺の職業はフリーター」と答えれば済むからだ。フリーターにとって、この質問がとても堪えるそれだ。時代は変わっていた。
俺の親父の時代なら、昭和という時代を生きた人なら、きっとこう言うだろう。
「フリーターという職業が市民権を持つようになるのだから・・・本当にバカバカしい。」と。
うなずけ気がする。
俺のようなフリーターが、バカバカしいと大きな声を上げること自体滑稽だが、昭和に生きた先人たちや、一流大学を出て官僚になるやつらからすると、滑稽の何者でもないだろう。もっとも、そんな一部のお偉いさんがこの世にはびこる俺たちを作ったのだから、これまた滑稽だ。
さっきコンビにで買ったカシスサワーが、もう少しで無くなろうとしている。辺りには子連れの若い母親たちが何組か見える。男の子のあどけない高い声がここまで聞こえてくる。
体も程よく温まってきた、ブランコが規則正しく前後に揺れ、それに腰掛ける俺の気分もよくなってきた。風に運ばれた香水の香りが、俺の鼻をかすめる。上品で押し付けがましくない、微かな香りだ。薄いピンクかロシアンブルーの色がよく似合う香りだ。清楚な清潔感のある香りで、俺のカシスの香りと相まってとてもいい。
「気分いいなあ~。もっと俺を知りたくなったかい?」
ブランコに揺られながら、隣のそれに顔を向けていた。普段の俺ならありえないが、カシスサワーと微かな香水の香りに誘われ、自然に声が出ていた。
「歳と名前、それと職業は判っただろう、次は、何が聞きたい?そうだな、俺なら容姿を聞くね。だろ!君もそうかい。じゃあ、リクエストにお答えして、始めようか・・・」
「背丈は183センチ、体重は75kgぐらい、上腕二頭筋と大胸筋が人より発達していて、どちらかというとガッチリ体型なほうかな。顔は、お世辞にもイケメンとはいかないけど、それほど悪くはないと自分では思っているよ。20世紀の映画で「戦場のクリスマス」というのがあったけど、そのサントラを担当したテクノの親父に似ていると偶に言われるよ。スリーサイズは上から、98・80・95。LLサイズの既製品がいつもピッタリ合うんだ、とても経済的だろ?あ~趣味かあ~、少し困るな・・・。これといって自慢できそうなものはないけど、ガキのころ、親父に連れられ、いや強要されてって言ったほうがいいかもしれないけど?よくモトクロスをやっていたよ。知ってる?モトクロス?中学を卒業する頃までやっていたかな?趣味だったかどうかは・・・わからないけどね。俺的にはマジでやっていたよ。あとは、見ても通りさ、どこにでもある白のTシャツに、破れたリーバイスのジーンズ、そしてホーキンスの茶色のワークブーツを履いて、手にはコンビニのビニール袋をいつも持っている、って感じさ。あとは、親父に貰った1966年製のアンティーク・ジッポ。肌身離さず持っているよ。タバコは、セブンスターがあれば満足だよ。」
「ところで、君って無口だね・・・名前は?」
と、だれも居ないブランコを相手に一人芝居をした。
二、13歳 夏
「お前、邪魔くさいねん」、お袋に何度となく浴びせたこの言葉。
横柄な態度と荒々しい息使い、そして眉を吊り上げ罵倒し続けた。俺の周りのすべてが邪魔くさい存在だった。親父もお袋も、学校の先生も、周りにいるすべての存在がそれだ。学校という建物も、学級という組織も、もちろん行うことの意味すらわからない勉強も、とにかく邪魔くさかった。
「俺は、俺の好きなことだけするんじゃ、それの何が悪い。好きなときに起きて、好きなときに寝る。食べたいときに食べて、やりたい時にだけやったらええんじゃ。学校も行きたくなったら行ったるわ。それが俺のやり方じゃ。ほっとかんかい、お前、邪魔くさいねん。」
思春期という訳のわからない領域に、俺は閉じ込められている。俺がベクトルを示すと、その行き場を何かが遮り、逆のベクトルを示してもまた遮る。俺の居場所が決まらない。X軸が定まれば、Y軸が定まらない、二次元の世界をふらふら彷徨う米粒のようだった。出くわす人間に憎悪を覚え、米粒と同じ俺自身も苦痛を共なっていた。周りの大人たちは、腫れ物のように俺を扱った。潰して膿が出ないように慎重に俺に触ってくる。やさしく触れ合おうとするものは一人もいない、腫れ物の中に何が詰まっているのかと興味深そうに、そして誰かと違う何かが出てくるのではないかと、期待しながら俺に触ってくる。その手の感触が、邪魔くさくて仕方ない。どいつもこいつも同じ手の感触を持っている。それを俺は肌で感じていた、もううんざりだ。最悪だ、生きた心地がしない・・・
俺は心を許せる存在がほしかった、誰でもいい、何でもいいと思えるときもあった。夢中になれるものがほしかった、それがあれだと信じていた。誰からも強要されずに、思いのままにあれを操り、そう望んでいた。
「親父が強要したから俺がだめになったんだ。」
「お袋が弱音を吐いたから出来なかったんだ。」
今の俺には、言い訳として十分すぎる理由があった。俺をだめにする理由が、そこにあった。俺の心に土足で入り込んでくる何かが、俺の中に確かに存在していた、それが邪魔で仕方なかった。
どうでもいいと思う日が、どれだけ続いただろう。あの空間に身を置くことをやめ、もう4ヶ月が過ぎようとしている。それでも、どうでもいいと思うことだけが、俺にとって一番心地よく安心させた。4ヶ月前、俺の隣に座っていた友達の顔と名前が出てこない、完全に俺の意思と関係ないところで、何かが動いていた。誰かにいじめられたわけでもないのに、好きな女生徒もいたのに、俺に好意をもってくれる子もいたのに、何かが俺をあの空間に行かせようとしなかった。訳がわからないあの空間。俺にとってただ邪魔くさい空間でしかなかった。あの空間に何かが居たのかもしれない。
お願いだ、まさひと、しゅん。俺を、俺を、助けてくれ。
三、15歳冬
15歳の12月。薄曇が空を覆っている。空気はピンと張り詰め、乾いた感じだ。辺りは、その乾いた空気が、アイドリング音を跳ね返し、いつもより高い音色を奏でていた。赤、青、黄そして緑の鉄馬が、あちらこちらで鼻息を荒くする。俺は、全日本モトクロス選手権近畿大会・名阪ラウンドにいた。
「このレースに勝てば、俺の何かがかわる。くすんだ今までの人生を変えることができる。」
と何度も叫んだ、俺の緑の鉄馬もけたたましくエンジン音をあげ、同じように叫んでくれた。
15秒前のボードをレースクイーンが高く掲げ、排気音が徐々に大きくなる。しかし、誰もがそうであるように、ヘルメットの中は静まりかえったままだ。俺の目線は、5秒前のボードから、鉄馬を行方を遮っているスタートバーに移される。僅かに右手のスロットルが開けられ、クラッチを握る人差し指と中指の二本が微かに動く。確かにクラッチ板をミートしている感覚が指に伝わる。
「ガシャ!」
「ボボボボボオ・・・」そのときが始まった。30分間の異空間の扉が開いた。
いっせいに30台の鉄馬が飛び出す。真っ先に、第一コーナーめがけ突っ込んできた5台の中に俺も居る。後は、恐怖という自分との戦いだけだ。誰よりも長い時間スロットルを開け、ライバルたちが視界から消えていくのを待つ。何度となく繰り返されるライバルたちとのバトル、15000人の観客たちの視線が一点に注がれる。
先頭を行く一台が転倒する。俺はその脇をパスしながら次の獲物を狙う。S字に曲がったコーナーにある小さな轍を使って、鉄馬の方向を変える。次のジャンプが勝負どころだ。一気に加速しながら斜面を駆け上がり、ライバルより低く長く飛ぼうとする。後輪を大きく横に振り、車体を地面と平行にする。手綱一本で暴れ馬を操るように、車体が俺の体の一部になる。僅かにライバルより先に前輪を着地させ、レースのアドバンテージを手にした。
「ここでゼッケン21番!こうへいがトップに出た。2番手には91番のまさひとが続く。」
アナウンスの声が、興奮する観客たちをより興奮させる。
「アツいバトルが続く!アツいぞ!これはすごい!7番コーナーで、まさひとがこうへいに並んだ!」
「どちらが勝つか判らない!この勝負は、ブリジストンジャンプまで縺れ込みそうだ・・・」
「2台同時に入ってきた!飛んだ!2台が並んで飛んだ!」
2人が同じ方向に車体を傾け、より低く長く飛ぼうとする。
後輪がヘルメットをかすめる瞬間があった。辺りの観客も実況者も何が起きたのか判らなかった。一台がバランスを崩し転倒していた。ゼッケンも車体の色もここからでは確認できない。最初に坂を駆け下りてきたのは、黄の鉄馬だった。91番、まさひとだったのだ。
この瞬間、俺の負けは決まってしまった。負けたのだ。俺は負けてしまった。
いつものように呆気なくレースが終わり、30分間の異空間の扉は閉じられた。
担架に乗せられる記憶があったが、それからの記憶がない。
真っ白な天井を見上げながら、少し固めの病室のベットに横たわる俺の口から発せられたのは、
「無くなった・・・」
という、一言だけだった。
俺の青春が終わった瞬間だった。
今まで感じたことない後悔が、体中を駆け巡り、その吐き出し口を探している。体が震える。寒さのせいではない。涙は出なかった。
13歳の夏のことが頭を過ぎった。
何度となくお袋を殴り罵声を浴びせていたあの時。訳のわからない敵と戦っていたあの時。誰かに助けを求めても誰も助けてくれない、暗い暗い真っ黒なあの時。そんな俺を助けてくれるのは、モトクロスだけだと思っていたあの時。スタートバーが落ちる緊張感が好きだった。第一コーナーめがけ、スロットルを開ける自分との戦いが好きだった。テーブルトップをウィップシながら、空中に舞い上がる無重力の感覚が好きだった。ライバルを抜き去り、そのエンジン音が小さくなる優越感が好きだった。
その快感のすべてが、俺を暗闇から救ってくれると信じていた。どんな苦しい練習にも耐えながら、何度も土の上に叩きつけられ、俺のプライドを粉々にされても諦めなかった。そんなあの頃を思い出していた。
タイヤ痕のついたヘルメットが、ベットの横に置かれていた。
「俺は負けたんだ。」
敗北を証明するヘルメットがそこにあった。そして、何もかもが俺から無くなった。