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一番後ろの指定席

掲載日:2026/04/20

高校を卒業し、社会人になった春。


私は毎朝、決まった時間のバスに乗って通勤していた。


仕事にも少しずつ慣れ、緊張がほぐれ始めた頃、同じバスに乗るひとりの女性の存在に気づいた。


彼女はいつも、私と同じ一番後ろの席を選んだ。

名前も知らない。話したこともない。

それでも毎日顔を合わせているうちに、自然と目が合うようになった。


言葉を交わさなくても、互いの存在は知っている。

そんな不思議な距離感だった。


たまに彼女がいない日があると、気になった。

次の日に会えても、「昨日どうしたんですか?」なんて聞けるはずもない。


ある日、いつもの席に先客がいて、私は初めて彼女の隣に座った。

その日に限ってバスは満員で、肩が触れ合うほど窮屈だった。


交差点を左折した瞬間、バスが大きく揺れ、肩と肩が強く触れた。


「すみませんっ」


思わず謝ると、彼女は何も言わず、小さく会釈した。


ただそれだけのことなのに、

彼女の温もりが肩に残って、その日は駅の階段を上る足取りが妙に軽かった。


やがて、彼女が上りホームの同じ車両に乗ることもわかった。


土曜出勤の日、

今日はきっと会えないだろうと思っていたのに、バス停に彼女はいた。


私が軽く会釈すると、彼女も小さく頭を下げてくれた。


人の少ない土曜のホームでは、いつもより彼女が近く見えた。

電車が来てしまえば、この時間は終わる。

だから私は、発車ベルが鳴らないでほしいと願っていた。


そんな日々が続き、

友人や会社の同僚に彼女の話をすると、「告白しろよ」と背中を押された。


ある日の帰り道。

私はついに、彼女に声をかけた。


「あの、すみません」


彼女が振り返る。


「はい?」


「いま、お時間ありますか?」


すると彼女は、少し驚いた顔で言った。


「ありません!」


そのまま、走り去ってしまった。


私はその場に立ち尽くした。


翌日。

彼女がいつも座っていた一番後ろの席には、知らない誰かが座っていた。


そこは、いつしか私の中で彼女の指定席になっていた。


私が、あの一言でそれを変えてしまったのかもしれない。


それから彼女を、一度も見ていない。


私も転職し、バイク通勤になり、もうあのバスには乗らなくなった。


今頃、彼女が何をしているのか。

そんなことも考えなくなるほど、昔の話だ。


けれど今でも、ときどき思う。


あの日、

もし違う言葉を選んでいたら――

あの一番後ろの席には、どんな未来が座っていたのだろう。


もう予約を取れない指定席の話でした。

お読みいただきありがとうございました。

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