全体に告ぐ
「――目的は撤退のための時間稼ぎ、僕と柳が注意を引く!雛森、お前の氷で一気に魔物の足を止めろ!」
開始の合図は一斗の叫びだった。
最終目的と手段、そしてこの戦闘の要は紗希であることを三人で共有する。
瞬時に三方へ散る総一郎たち。それに連動するように魔物も三方に分かれて迫ってくる。
「…三体」
後方を確認すれば総一郎に向かってくる魔物は三体。
大小問わない体躯の魔物が四足で走ってくる。
炎刀を握りしめ、思考を整理する。
「…風と火じゃ足止めは十分に出来ない。一人で倒すもしくは紗希の氷魔法で――」
――魔法のことじゃない。
――あぁ、いや…気づいてないならそのままでいいか。
ふと一斗から言われた言葉が思考を遮った。
「くそっ――!」
後ろを振り返り魔物と向き合う。
こちらを睨み微かに開いた口から涎を垂らしながら迫る魔物に対する恐怖心を、胸の中の激動で抑え込む。
一歩。攻撃するために踏み込んだ魔物に合わせて間合いを測る。
魔物の動きは変わらず、大きな前足を振るう攻撃。だが先程よりも数段速くなったそれを少しだけ大げさなステップで後ろに躱す。
攻撃の速度を頭にインプットしつつ、カウンターするために刀を持つ手に力を入れる。
当たるはずだった攻撃が当たらず、隙が出来た魔物の脇から頭へ切り上げるように炎刀を振るい、一体目の魔物が霧となって――、
「――――!」
目の前の魔物の影から迫る、他の魔物の攻撃。
一瞬気付くのに遅れた総一郎は意識を攻めから守りへ切り替える。
――右手の炎刀をそのままに、左手にも世界の奇跡を呼び起こす。
手のひらを突き出した瞬間、圧縮された炎が轟音と共に噴き上がった。
噴射された炎は拡散せず、前方で扇状に広がりながら留まり続け、魔物の攻撃を抑える。
魔物が灼熱の盾に怯んだのを確認して、距離を取るため再度走り出す。
「複数体だと立ち回りを考えないと…」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉。
最初の異災対応では魔物がそもそも一体ずつしか来ない、もしくは紗希が足止めしていたりと一体多数の形にはならなかった。
今は何とか躱しているが、戦闘の立ち回りを変えなければ視界外からの攻撃を受けてしまう。
「ちっ…速いな」
後ろから迫る魔物の速度が思考の邪魔をする。
目測ではあるが総一郎の最高速度と魔物の最高速度がほぼ同等であるため、すぐに追いつかれることはないだろう。
しかし時々大樹を足場にして走る総一郎に対して、大樹を薙ぎ倒しながら向かってくる魔物ではこちらが不利だ。
「どっかで倒すか、紗希たちのとこに行かないと」
少しだけ息が上がり、魔力の量にも底が見え始めていた。
さらに長時間逃走しているつもりはないが、同じ景色が続くこの森の中で自分の位置はすぐ曖昧になってしまう。
「っ…魔物の叫び声?」
焦る気持ちを抑えながら走っていると、魔物の咆哮が聞こえ、正面を見据える。
後ろから迫る魔物とは別のもので、おそらく距離はそう遠くない。
叫び声と共に魔法による戦闘音もあり、近づくにつれて人間の声まで聞こえる。
「――!」
思考の中に生まれた可能性。
止める事の出来ない足で見た光景が、その可能性を肯定する。
「遊佐先輩…?」
「っ…柳君!?」
数十分前まで見ていたその後ろ姿を見た瞬間、安堵によるものなのか、悔恨によるものなのかは分からないが、思わず名前を呼んでしまった。
想定外の事象に対する思考停止は一瞬。
新はすぐさま総一郎の元へ向かい、次の行動を伝える。
「――全力であっちに走るんだ。風魔法に全神経を使って」
「は、はい」
手に持った炎刀を解除して、新の指差した方向へと再度走り出す。
その場に残った新を心配して、ちらりと後ろを振り返れば、
「〈吹き荒べ、嵐牙〉」
初めて見る、上級生の魔法。
小隊長を任せられる魔法術師の命令に、世界が応える。
掲げた手のひらの先に、空気が引き締められ――解き放たれる。
刃のように研がれた風が群れへ突き刺さり、魔物たちの身体を、悲鳴ごと横薙ぎに持ち上げた。
魔物の肉体を砕き、勢いは止まらず嵐は“噛み砕く牙”となって突き進む。
「…っ」
無意識に息を吞む。
凄惨であるはずの光景なのに、不思議と嫌悪は湧かなかった。
それが破壊ではなく、圧倒的な制圧だったからだ。無駄がなく、迷いがなく、ただ「終わらせる」ための力。
――これが、戦う者の魔法。
新は魔物の殲滅を確認した後、余韻に浸るわけでもなく、すぐさま総一郎の元へやってくる。
「あ、あの!」
「…ごめん、少し待って」
新の魔法に心を打たれたからこそ、自分の未熟さがはっきりと浮かび上がった。
ここに至るまでの経緯を黙っておけず説明しようと声をかけたが、あっさりと拒絶されてしまった。
新から言われた最初の指示を守れず魔物と戦闘してしまったこと。
複数の魔物との戦闘に対処できず、逃げる事で精一杯だったこと。
そして、意図的ではないが新の元へ魔物を誘導する形になり迷惑をかけたこと。
自分の苛立つ心を抑えられなかったことによる悔恨を吐き出す間はない。
『総員、防衛ラインを100メートル後ろに下げろ、第六部隊との合流を早める』
目の前を走る新が無線を使い、無機質な声で命令を出す。
それとほぼ同時、前方左側に総一郎と同じ制服を着た生徒が複数見えた。
いずれの生徒も魔物と戦闘中であり、色鮮やかな魔法が暗い森を照らしている。
後退しながら戦うその姿が、新の指示に従っているのだと理解して、
「…このあたりにいる隊員と一緒に魔物を抑えつつ後退する。おそらく雛森さんや笹川くんとも合流することになるはずだ」
「…」
「合流したら…」
言葉を切った新の視線を追えば、遠くに紗希の姿が見えた。
一斗の姿はなく、おそらく単独で総一郎を探しに来たのだろう。
安堵の声が漏れ、紗希と合流しようと足を向けると――、
『――小隊長!』
突然頭に響いた声に思わず顔をしかめた。
『…どうした?』
間を置いて、切迫した息遣いが返ってくる。
『多数の魔物の後ろに人型の魔物が見えます。それで…その…』
『簡潔に』
『…まるで魔法を打つように手を構えています』
一瞬、暗い森が重く沈黙した。
『…魔法を?』
総一郎の喉が、無意識に鳴る。
魔物が魔法を使う――少なくとも総一郎が生まれてから一度も聞いたことがない事例だった。
ただ、報告の歯切れの悪さが、確信を与えない。
闇に遮られ、こちらからは何も見えない。事実なのか、錯覚なのか、何かの比喩なのか判断がつかない。
「…」
新は目を伏せ、森の気配に耳を澄ませる。
ただ不自然に胸の奥がひどくざわついて、
『――総員、守護魔法を展開しろ!』
張り上げた声が森の中に響き、無線越しに息を呑む音が走る。
命令の意味を問う声は、ひとつもなかった。
総一郎が視認していた上級生全員が、その場で足を止めそれぞれ自分の身体を守るため魔法を展開する。
「雛森さん、僕の後ろに!」
命令と同時に合流した紗希が状況を呑み込めないまま、総一郎と共に新の後ろに立ち止まる。
「〈巡りて護れ、嵐環〉!」
新の詠唱が三人を守る円形の檻を顕現させた――その瞬間。
――ドンッ。
空気が爆発したような音と衝撃が、暗い森を駆け巡った。
魔物の群れの奥から赤い光が広がり思わず目を閉じる。
炎と衝撃が、波のように押し寄せる。
風の檻はそれを正面から受け止め、火勢を弾き、殺意を削いだ――だが、
「っ」
見えない巨腕で殴り飛ばされたような衝撃が三人を襲い、風の檻ごと後方へと叩き飛ばされる。
受け身もろくに取れずそのまま地面を転がり、視界が天地を入れ替えた。
土と落葉が舞い上がり、息が詰まる。
「はぁっ…はぁ…!」
肺に入りきらない空気を無理やり吸い込みながら、総一郎は地面に手をついた。
指先が震え、うまく力が入らない。
視界の端で、誰かが呻いた。
「……っ、ぐ……」
顔を上げると、新が数メートル先で倒れていた。
片膝を立てようとしているが、体は言うことを聞かないらしい。風の魔法は既に霧消している。
「遊佐先輩…!」
声を出した瞬間、自分の身体に痛みが走った。
視線を下げれば、制服の袖は裂け、腕には血が滲んでいたりと、体中に擦り傷がある。
隣を見れば紗希も座り込んでいて、総一郎と似たような状態だった。
静寂が、森を支配する――しかし、
その静けさを踏み潰すように、重い足音が響いた。
一つ、二つ――いや、数え切れない。
木々の向こう、爆発で空いたはずの森の奥から、再び魔物の気配が溢れ出してくる。
闇が、こちらへ向かって蠢いていた。
終わっていない。
むしろ、これからだ。
「――うそだろ」
思わず呟いた一言は現実を理解したくない心から出た言葉だった。
地面の揺れと共に近づいてくる足音。
――偶然か、必然か、一体の魔物だけが先に姿を現した。
「ふっ――!」
無意識に身体が動いた。
一体だけなら倒せると思ったのか、動けるうちにと思ったのかは分からないが、一息で魔物に肉薄する。
インプットしていた魔物の速度を思い出し、狙うはカウンターでの一撃必殺。
魔物の攻撃を誘うように無防備を装って間合いに入る。
狙い通り釣られて魔物が攻撃態勢を取り、ステップで回避しようと脚に力を込め――、
「っ――!」
先程の傷の影響か、思った通りに力が入らず膝が落ちる。
慌てて力を込め直すが、目の前の魔物に慈悲の心はない。
総一郎の隙を見逃さず前足が弧を描き、胴体へと迫る。
「く、そっ――!」
思考は一瞬。結果は刹那。
完全な回避は不可能と判断し、出来る限りの回避と、同時のカウンターに賭ける。
炎の刃が魔物の胴を斜めに裂き、宙に散る――同時に、強い衝撃がふくらはぎを貫いた。
後ろに吹き飛ばされる最中、熱と痛みが一気に押し寄せてそのまま地面に叩きつけられる。
「総ちゃん!」
倒れる総一郎のもとへ、紗希が足を引きずりながら駆け寄る。
随分懐かしい呼ばれ方だなと状況に見合わない感想を抱いた。
肩を支えられ、ようやく上体を起こすが、脚に力が入らない。
「大丈夫だから、今――」
紗希の声は、最後まで言葉にならなかった。
視線の先。
魔物が倒れたその向こうで、闇がまだ蠢いている。
総一郎は、乾いた息を吐いた。
先程感じた魔物の群れの気配がすぐそこまで迫って、迫って、迫って。
その瞬間――、
『――全体に告ぐ』
雑音混じりの無線の向こうから、聞いたことのない澄み切った声が響く。
水晶を打つような清冽な女子生徒の声が、戦場を静かに貫いた。
『第零部隊、現着しました――これより緊急の異災対応に入ります』




