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自覚の芽生え



 あの日の事を思い出すと、喉の奥が詰まって、息の仕方を忘れてしまう。


 目の前に広がる赤い景色が、眼球を伝う血によるものなのか、辺りを覆う炎によるものなのか、判断する思考力すらなかったと思う。

 

 今日の朝起きた時、世界はいつも通りに回っていたはずだ。

 母が作った朝ご飯を食べ、仕事に行く父を送り出し、まだ幼い妹の様子を見て笑い、迎えに来たバスに乗る。

 

 5歳の自分は大人しく、絵本の中でしか勇者になれなかった。


 その日は家が隣ということもあってよく話していた幼馴染の紗希に誘われて、外の花壇に咲く花を見ていた。大きな桜の木の下にある花壇には色とりどりの花が咲いていたのを覚えている。


 紗希から花をあげると言われて、それを受け取って――お腹の奥を殴られたような音が響いて、反射的に体を丸めた。


 同じようにうずくまる紗希の向こう側から黒い塊がこちらへゆっくりと歩いてきている。

 恐怖で動かない身体でなんとか紗希を揺らし、黒い塊に気付いた紗希が俺の手を引っ張って使われていない倉庫に隠れた。


 外から聞こえる黒い塊の叫び声と先生、友達の悲鳴。

 何か燃えている音が聞こえ薄目を開ければ倉庫の隙間から見える景色は濃淡入り混じる赤色だけだった。


 息を止めたまま、どれくらいそうしていたのか分からなくなる頃、紗希が俺の目を見て言った。



「総ちゃん、家に帰ろう」



 二人で倉庫を飛び出した。


周りに飛び散る服の破片やボロボロの靴、元々は人間だった手足や爛れた皮膚の一部。花の香りは既にせず、鉄と焼けた肉の匂いが充満していた。


ありとあらゆる人間だったものの痕跡を子供ながらの防衛本能で見ないようにしていた。



「はぁっ、はぁ――っ!」



 自分の家に無我夢中で走って、走って、全力で走って――家に着いた瞬間、もう帰ることは一生出来ないのだと理解した。


 黒い塊に出会った訳ではない。目の前の道路が崩れていた訳じゃない。

 そもそも自分の家が無くなってしまったのだから、もう帰れない。

 暖かなご飯やお風呂も、笑い合ったベッドの上も、ただいまと言えばおかえりと返してくれる人も。


 その時の感情は今でも言葉に出来ない。紗希に聞いてもきっと同じだ。


 自分を守るため無意識に閉ざした心でも、妹だけは、と考えたことを覚えている。

 それはきっと母から何度も言われていたからだ。

 お兄ちゃんなんだから凪咲のことを守ってねって。



「なぎさ…なぎさっ!!」



 自分の手は顧みず、崩れた家の木片を押しのけて、掻き分けて。

 当時の自分の力を考えれば押しのけられた木片は数える程度だけど、必死に凪咲を探していた。


 木片を払いのけたその下に母の服を見つけた。

 母を呼びながら、母の下で何かが動いているのを感じて、小さな妹を掬い上げた。


 母は動かず、妹が泣いていることを同時に理解して泣き続け――意識を失う前に思ったのだ。


 何もできない自分を助けてくれた紗希を、今度は助けたい。

 自分の生きる希望となった妹を、今後も守りたい。


 あぁ、あと――。


 自分の周りを祝福するかのように揺れる炎と、この状況を起こしたであろうあの黒い塊を絶対に忘れない。

忘れず大人になって、あの絵本の中の魔法使いのようになって、あの絵本の中の悪の親玉のように――殺してやるって。


 そして、そのあとは確か――。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





魔力を抑え右手に顕現させていた炎刀を解除する。


 霧となり消えた魔物を追うように目線を上げれば、そこには変わらず葉が覆うように広がり、隙間から微かに見える太陽の光があるのみ。


 何か見ていた気もするが、その何かは思い出せず、気づけば地面に立つ自分に紗希が駆け寄ってくる。



「ナイス、総一郎。初めての魔物討伐どうだった?」


「あ、あぁ…なんか想像してたよりも達成感がないっつーか…」


「何それ。昔は魔物は全て俺が倒すんだーって叫んでたのに」


「そうだな…あ、さっきはありがとな。助かっ――」


「…?」



 言葉が、喉の手前で止まった。そんな総一郎に紗希が首を傾げる。

 総一郎もどうして自分が言葉を止めたのか、すぐには分からず慌ててお礼を言い直した。



「い、いやなんでもない。助かった」


「総一郎が魔物に突っ込んでくれたから、私は冷静に魔法を使えたの。だからお互い様ってことで」



 優しく笑う紗希を見て、不安定だった心が落ち着いていく。


 それと同時に魔物は二体同時に襲ってきたと思い出して、辺りを見渡す。



「もう一体の魔物は?」


「とりあえず大丈夫。あの笹川ってやつ以外の三人でなんとか倒したみたい。まぁ私もちょっと手伝ったんだけど…」


「手伝った?」


「総一郎と同じ魔物を見てたんだけど、隣を少し見たらピンチっぽくて…一回だけあっちに魔法を使ったの」


「あぁなるほど…俺の方見ながらあっちも助けたのかよ」


「助けたって言っても一瞬魔物の動きを止めただけだけどね。結局一人魔物の攻撃掠っちゃったらしくて…遊佐先輩に言われた通り、第六部隊のところにつれていくってさ」


「ほーん…」



 紗希の向けた視線を追えば、そこには腕を抑え支えられながら歩き出す新入生の姿が。

掠ったと言っていたし見た限り大怪我ではなさそうなので安心してよさそうだと考えていると、



「おい、柳」



 からかうような響きが混ざった声をかけられた。

 声を掛けられるだろうと分かっていた総一郎は、振り返らずに答える。



「はいはい、一発で仕留められなくて悪かったな。笹川くんの方がすげーよ」


「はっ…失礼なやつは失礼なやつなりに実力があると思ったが…想像以下だな」


「…最初の一体だけで随分な言われようだな」


「まさか最初の一体だから手を抜いたとでも?」


「…魔法の出力が足りなかったのは分かってる。別に魔物をなめていたわけじゃない」


「――魔法のことじゃない」



 一斗は一拍置き、視線を逸らすと、



「あぁ、いや…気づいてないならそのままでいいか。お前を助ける義理もない」


「…?」



 含みを残した言葉だけを落とし、一斗はその場を離れた。

 背中を見送りながら、総一郎は小さく眉をひそめる。

 魔法の扱いで見下されたのだと思っていた。実際にバカにされていただろうが、どうもそれだけじゃない。


――興味を失った、それに加えて何か決定的なものを計られたような気がした。



「…なんだよ」



 一斗の言葉に思考を巡らせていると、隣から小さな声が聞こえた。



「――えい」



 可愛らしい掛け声と共に紗希が一斗に向かって手を伸ばす。

 一拍遅れて、一斗の首のすぐ上――背中側の空間に、石ころほどの氷が静かに生成される。

 気づかないまま落ちた氷は、襟元から滑り込み、背中と服の隙間に消えていく。



「っ!?つ、冷たぁ――!?」



 肩を跳ね上げ手を背中に回して氷を取り除こうと身じろぎする一斗を見て紗希がくすりと笑う。


 案の定、怒気を含んだ視線がこちらに向く。

今に文句が飛んでくる――そう思って総一郎が一歩前に出るが、一斗は何も言わず、1つ大きなため息を吐いた。


 そしてそのまま方向を変え、紗希の前に立つ。



「――雛森紗希」


「…なに?」


「僕と組む気はないか?」


「はぁ?」



 唐突な申し込みに明らかな拒絶の声が挙がった。

 一斗はそんな態度は気にせずに、



「――校門でのことは謝ろう。先程の魔物に対する君の魔法は素晴らしかった」



 淡々と、だが真剣な声音で続ける。



「魔力操作はもちろん、視野の広さと状況に適した魔法選び、新入生の中で君ほどの魔法術師はそういない」


「…」


「僕と組み、今後異災対応にあたってくれないか」



 一斗の目に、冗談の色はない。

 初対面の非礼を認め、実力を正当に評価した上での申し出。

その意図を探るように紗希もその視線を受け止める。


 紗希の表情を見た総一郎が、胸の奥が嫌な音を立てたを自覚して、



「お、おい、それって――」


「…今、僕は雛森に聞いているんだ」



 何を言うか考える前に出た情けない声が一言で断ち切られる。


 紗希が一瞬、総一郎に視線を送る。



「――ごめん」



 それから、一斗へ視線を戻して――、



「――私が見たい景色に君はいないの」


「……」


「魔法、褒めてくれてありがとう。うざくて嫌なやつっていう評価は少しだけマシになったかも」


「――そうか」



 冗談を含んだ紗希の言葉に返されたのは短い納得の声のみ。それだけ伝え一斗はまた2人から距離を取る。

 その後ろ姿に何も言葉を投げる気分にはならず、そのまま見送った。


 黙り込む総一郎を見て紗希は気を遣ったのか、



「はは……今の、なんだったんだろうね」



 場を和ませようとした紗希の笑い声が、妙に乾いて聞こえた。

 気にしなくてもいいような言葉が今はなぜか胸に刺さる。



「ほら、いこ。いつ遊佐先輩が次の魔物送ってくるか分からないし」


「――あぁ」



 深い森を見つめる紗希の横顔を見て、総一郎は目を逸らす。

 胸の奥に残ったのは、悔しさと、焦りと、どうしようもない情けなさだった。


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