バッドエンド
中学三年の春、隣の席になったのが彼だった。
最初の印象は、特に何もなかった。
人懐っこくもなければ、無愛想ってわけでもない。
ただ、窓の外を見てる時間が妙に長くて、先生にたまに怒られてた。
その姿が、なんかちょっと羨ましかったのを覚えてる。
私は、昔から「大人しい子」って言われてた。
でも、それは何も感じてないわけじゃなかった。
誰かが怒られてると、自分の胸がぎゅっとなって。
教室の騒がしい声に耳が痛くなって、
家に帰ってひとりになると、なぜか涙が出たりした。
だけど、彼といると、そういうのが不思議と静まってた。
気づけば一緒に帰ってて、
気づけば一緒に夏を過ごしてて、
気づけば、他の誰よりも長く会ってた。
だけど、付き合ったわけじゃない。
周りは何度も聞いてきた。「まだ付き合ってないの?」「そろそろ告白したら?」
でも、私たちは笑ってごまかしてた。
彼に恋人ができた時も、私は笑った。
“そうだよね”って思ったし、“私なんて”って、心の中で唱えてた。
それでも彼は、私を変わらず誘ってきた。
夜の公園、缶コーヒー片手に、他愛もない話をした。
何度も、思った。
「この人と付き合えばよかった」
「なんで私は、一歩を踏み出せなかったんだろう」
「なんで“親友”のままでいようとしたんだろう」
でも、そのたびに、「壊したくなかったから」って答えが出た。
私は“誰かの特別”になれる自信なんてなかった。
“彼女”になる勇気よりも、
“そばにいられる今”の方が大事だった。
大きな喧嘩は、2回だけ。
1回目は、高校卒業してすぐの冬。
あの日、私は寒い川沿いで1時間以上待ってた。
彼は来なかった。連絡もなかった。
心配より先に、「私ってこの程度なんだ」って気持ちの方が勝った。
そのまま、連絡を絶った。
半年。
ほんとうに、長かった。
彼がいない日常は、静かすぎた。
誰といても、心の奥が冷たかった。
でも、会ってまた話せるようになった時、嬉しかった。
心から嬉しくて、私は笑って「バカ」って言った。
彼も笑って、「ほんとバカだったな」って。
ああ、これが私の居場所なんだと思った。
でも──
2回目の喧嘩は、そうじゃなかった。
あの時、彼が恋人と別れて、「今度こそちゃんと向き合おう」って言ったとき。
一瞬、心が浮いた。
「やっとだ」って、ほんの一瞬だけ、思った。
でもその後、急激に冷えた。
私はそんなふうに愛される資格なんてない。
“都合のいい関係”のままが一番よかった。
“曖昧な距離”こそ、私たちを繋ぐ命綱だった。
だから、笑ってごまかした。
「うちら、そういうのじゃないじゃん」って。
彼の顔が曇ったのを見て、心が引き裂かれそうだった。
そして、彼は言った。
「じゃあ、もう会わなくていい」
……それから2週間。
世界が全部、音を失った。
仕事は、詰められてばかりだった。
家では、母と目も合わせなかった。
誰とも深く話せないまま、夜を迎えて、
朝が来るのが怖かった。
スマホを開いても、彼の名前は出てこない。
SNSを見ても、最後のメッセージの既読が変わらない。
誰にも言えなかった。
「ごめん、本当は向き合いたかった」
「好きだった」
「そばにいたかった」
今さら言えなかった。
言っても、もう遅い。
彼の世界には、もう私なんていない。
それが、何よりも苦しかった。
最後にちゃんと笑えたのは、いつだったろう。
ちゃんと朝ごはんを食べたのは?
誰かの言葉で泣かなくなったのは?
思い出せなかった。
ある朝、線路の前に立った。
音も、風も、遠かった。
彼の顔が浮かんだ。
冬の夜に、歩道橋の下で私を待っていたときの顔。
笑って、「寒かったろ?」って、ココアを差し出してくれた手。
そのぬくもりだけが、今でも確かだった。
ありがとう、って思った。
あなたがいたから、私は今まで生きてこれた。
そして、
これ以上“居場所のない自分”でいたくなかった。
どうか、私を忘れて。
あなたは、ずっと前に進める人なんだから。
私は、思い出の中にだけいられれば、それでよかった。
最後の最後で、嘘をついた。
「私たち、そういうのじゃないじゃん」
ほんとは、ずっとそうだったのに。
ただの言い訳だった。
怖かっただけだった。
でも、もう、誰にも伝えられない。
私の人生のなかで、一番優しかった人へ。
──“さよなら”も言えなくて、ごめんね。
でも、本当に、ありがとう。
 




