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第1話 惨劇

 アルデンは自他の区別がつかない赤子であった。したがって、切り刻まれる隣人の悲鳴を聞いて、その痛みをまるで自分のことのように感じ、泣き叫んでいた。ソフィアは息子のアルデンを腕の中に抱いたまま、彼の小さな口もとに手のひらを被せる。すると、甲高い泣き声がこもって、小さくなる。


「お願いだから、泣かないで……」


 柔らかい陽だまりのようだった寝室は、窓から差し込む火炎の揺らぎに照らされて、禍々しい牢獄へと変貌していた。ソフィアはベッドの裏に身を潜め、震える体を気力だけで抑える。夏なのに、指先は氷のように冷えきっていた。


「生き残りはおらんかぁ~。救助が来たぞぉ~」


 家の前の道路を村長の声が通り過ぎる。


 助かった。


 そう思い、立ち上がろうとした()()()のところで、動きを止める。


「村長! 無事だったんで…… いやっ!」


 隣家の扉が勢いよく開く音がした直後、住人の断末魔がこだました。魔族は人間の声を模倣して獲物を(おび)きだす。


 ソフィアは今にも潰れてしまいそうな柔らかな存在を抱いて、神に祈った。親に連れられて訪れた教会で真面目に礼拝に参加しなかったことを後悔する。


「もう少しだけ我慢してね」


 震える吐息がアルデンの頬にあたる。どこかで、木造の家屋ががらがらと音を立てて崩れ落ちる。あまりに長い夜だった。


 *


 窓から陽光が差し込み始めた頃、ソフィアはようやくわずかな冷静さを取り戻した。外からは小鳥のさえずり以外になにも聞こえない。人の営みに関する全てが村から消失していた。


 ソフィアは弱々しい足取りで立ち上がると、ひざの関節に痛みを感じた。長時間、体を張強(こわば)らせていたせいだ。ソフィアは手のひらを自らの膝にかざすと、小さく詠唱した。


 すると、若草色の光が発生し、ゆっくりと痛みが引いていく。初級レベルの回復魔法だが、この程度の痛みになら十分効果がある。


 扉を開けて、一歩踏み出す。蝶番の軋む音すら、遠くまで響くほどの静寂。向かいの家は真っ黒で平たい瓦礫と化していた。嫌がらせのように雲一つない快晴の空は、村中から立ち上る白く細い煙を際立たせている。一晩で世界が豹変してしまった。


 平和そのものの表情をして眠るアルデンを抱いたまま、村の中心部まで足を運んでみたが、生存者は一人もいないようだ。魔族はすでに去り、死と破壊だけが佇んでいた。そこで、少しの間呆然とした後、これからとるべき行動を思案した。


 ソフィアは一時間ほど歩いて、都市間を結ぶ街道へと出た。遠くの方から、馬車が近づいてくるのが見えたため、手を大きく振る。荷台を覆う苔のような色をした布製の(ほろ)が風で揺れていた。


「どうかしたのか?」


 ソフィアの目の前で馬車を停車させた御者(ぎょしゃ)が面倒くさそうに聞く。


「村が魔族に襲われました。生き残ったのは私たちだけです」


「おいおい、嘘だろ? 隣の村は何にもなかったのに」


「ええと、私はどうすれば……」


「さぁ、俺もよく分からん」


 御者は首をかきながら投げやりに言う。


「あ、あの。乗せていただいてもよろしいでしょうか?」


「ん? ああ、いいけど。荷台が重くなると、速度が落ちる。次の村で降りてくれよ?」


「それで構いません。ありがとうございます」


 ソフィアは御者から目をそらしながら、そそくさと荷台に乗り込んだ。薄汚れた木箱が並ぶ荷台は埃のにおいがした。御者が鞭を振るうと、馬車はゆっくりと前進を始める。


 辺境の地を通る道路が石畳で舗装されている訳はなく、木製の車輪が石を弾くたびに、荷台はがこんと揺れた。


 ほろが太陽光を吸収して、荷台には熱がこもっていく。ソフィアの体温も上がり、汗で首筋がじっとりと濡れてくる。体が熱を取り戻したことで、ソフィアはようやく涙を流すことが出来た。

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