第一章 インフラ・バックエンド・フロントエンドの地脈術者 3 迫り来る影 下
次の仕事は、より慎重に物事を運ぶ必要があった。あの謎の女たち二人が、何処かで監視しているかもしれなかった。もし、誰かに監視していると少しでも感じたならば、すぐにでも脱出する必要があった。
いつものように、ある街で破壊工作をしたうえで、何食わぬ顔で修理をし、祭礼を司り、次の日の未明には搾取場から生贄の娘を救い出した。
こうして娘を救い出し、地脈を破壊したならば、もうこの街に用はなかった。いつもどおり、すぐに脱出にかかった。いつもながら、娘を同行した場合の脱出は、なかなか骨の折れる仕事だった。そのうえ、このごろ感じるようになった謎の追っ手が来るかもしれないという心配は、彼をせかした。
今回救い出した娘は、謎めいた視線で前を行く直哉をずっと見つめていた。何を言いたいのか、何か不満なのか。
彼女の端正な顔立ちは、太古の大陸勢力人の特徴を特に強く有した家畜人類に違いないと、直哉は初めそう考えた。彼女は生贄の処女と思えたのだが、よく観察してみると、彼女の顔つきは、家畜人類のようにバランスの取れた美貌ではなく、少しばかり左右非対称の美人だった…どこか見たことのある誰かの顔つきなのだが、思い出せなかった。
「娘よ、なぜそんな目で僕を?」
直哉は自分の記憶力のなさを改めて自覚して、結局後ろを振り返った。すると娘は、直哉をじっと観察する目つきとともに問いかけてきた。
「私から見ると不思議なんだけど......あんたみたいな魔族の女が、儀式に用いた家畜人類の処女達を救い出してどうするつもり?」
「え?」
「あんた、魔族全体に敵対して活動しているようね」
「え?」
「家畜人類の娘たちを集めているようだけど、その集団は大丈夫なの?」
「え?」
「あんたの救い出し方は、崇拝者を多数作り出していることになるのよ」
「あ、まあそうなっているけど」
直哉はそう答えると、娘は軽蔑した表情を浮かべながら指摘した。
「そうか、やはり......魂胆はわかっているのよ......権力を持った女が周りに娘達をはべらせてハーレムを作ろうとしているのね」
「ハーレム?」
「そのハーレムが、救いの答えだというのかしら?」
「ハーレムが何?」
直哉のこの答えは、娘を驚かせた。彼女は、問答の仕方に戸惑い、ヒジャブの下の直哉の視線を探った。
「魔族とは言えどあんたは女でしょ? そのあんたがハーレムで何を狙うのか、それが問題だというのよ!」
「ハーレムって何なの?」
直哉の目の動きから、直哉が素直に問いかけていることを悟った。
「え? ハーレムを知らないの? 魔族の女って、そんなにバカだったかしら? それなのに初子の処女たちを集めていたわけ?」
「意識して集めていたつもりはないよ」
直哉はようやくまともな答えを言った。彼は、元々救出した後のことを、何も考えていなかった。それが様々な誤解を生む元であることを、彼は悟っていなかった。ただし、相手の彼女には、直哉が何かを企てていたかのように見えたらしく、警戒の色と軽蔑を少々込めためた会話が続いた。
「結果として集まったってこと? それなら、ハーレムという言葉の意味を教えてあげる……これからそんな風になってほしくないので」
直哉は、ハーレムの意味を彼女から聞いた。彼は聞きながら、自らの顔のほてりに戸惑った。いや、自らが集めた娘たちが、あの施設で実際に起こしている直哉へのアプローチと災難とを思い出して、背筋が冷たくなったと言ったほうが良いかもしれない。
「そ、そんな恐ろしいことが起きるのか.......娘たちをどうすればいいんだろうか」
直哉は素直に驚いた。その反応は、今度は相手の娘をあきれさせた。
「あんた、魔族の女なんでしょ! 魔族の魔力で彼女たちをおとなしくさせればいいのでは? まあ、議論はもういいわ......あんたが魔族に対する敵対行動をしているだけだってことが分かったから、それで十分ね」
「あ、あの、僕の保護している娘たちは、どうすれば大人しくなってくれるのだろうか......彼女たちは、他の家畜人類とは違って、まだ男を知らないはずだから、男女の営みに正しく当たれるはずはないのだが......教えてほしい......見たところ、あんたは野良人類のように見える......つまり彼女たちと元は同類の人類だろ?」
「まあ、いいわ、私も彼女たちの安全を考えたいし......どんな状態かを知る必要があるからね」
「よかった、じゃあ、一緒についてきてくれると嬉しい」
直哉は謎の娘を伴って本拠地に帰ってきた。
直哉が謎の娘とともに、極寒の外からやや蒸し暑い室内に入ると、謎の娘の目の前で、直哉はヒジャブをとる暇もなくそのまま室内の娘たちにもみくちゃにされた。
「ま、待ってくれ!」
「え、なんなの?」
外から連れ帰った女は、急な事態に驚きつつも室内で騒ぎ立てる娘たちを大声で鎮めた。
「あんたたち、まだ私たちは外から入ってきたばかりで、外で着用した服も脱いでいないのよ!」
「はあい」
娘たちの返事はよかったが、それは直哉を自由にすることを意味しなかった。直哉は、大騒ぎする娘たちに押さえつけられ、着用していた衣服をほとんど無視取られてしまった。ヒジャブの下から直哉の顔が出てくると、娘たちは彼に頬ずりしようと、さらに争い始めた。
「あ、あんた、男だったの? あ、あんた、直哉だったのね!」
外から連れ帰った女は、驚きの声を上げた。どうやら直哉のことを知っている女らしかった。直哉は、外から連れ帰った女の顔を見つめて彼女が誰であるかを思い出し、驚きと気まずさを隠さなかった。
「あ、アリサだったの? こ、これはまずい!」
直哉は室内の娘たちに押さえつけられていたため、逃げられなかった。彼は、いかにして誤魔化し、いかにして逃げ出すかを考え始めた。アリサは、彼の考えを読みとったかのように、ゆっくり直哉の顔の前に自分の顔を突き出した。
「そうね、これはあなたにとって、確かにまずいわよね......ねえ、あんたは逃げ出した時のことを、覚えているのかしら?」
この時のアリサの声は、少しばかり怒気を含み始めていた。それを感じた直哉は、一生懸命に言い訳と反論を考えながら答えをつづけた。
「え、アリサがいけなかったんだぞ!」
「へえ、私がいけなかったのかしら? それで、いままで何処をほっつき歩いていたのかしら?」
「え? ああ。今までの旅程ね......うーん、いろいろと複雑なんだ」
「へえ、複雑なのね? それで、こんなにいっぱい若い娘たち、そう言えば、全員初子の処女と言っていたわよね......そんな、女の子をこんなにたくさん、周囲に侍らせてるのは、なぜなのかしら?」
アリサはネチネチとしかも怒気を強めながら会話をつづけた。
「だから、今までのこの結果は...」
「今までの! この結果! つまりこの女の子たちを得るために、行動してきたわけね」
アリサは直哉の受け答えを遮るほどに顔を怒りで満たし、周囲の娘たちを睨みつけた。
「ねえ、娘たち! あんた達たちのことよ! あんた達は泥棒猫なのね? 泥棒猫ってどこにでも湧くよね.......」
これにはさすがの周囲の若い娘たちも気色ばんで、直哉を解放した。
「わ、わたしたち、泥棒猫じゃありません!! わたしたち、直哉さまの所有物なんです!」
アリサは、目の前の娘たちにそう返され、今度は怒りを直哉に向けて、彼の片腕を締め上げるようにして抑え込んだ。
「ねえ、直哉? それならいっそのこと、いまから私があなたの最初の女になるわ」
「え、そんな、殺生な!」
直哉は、やはりという顔をしながら逃げ腰になった。アリサは、もうすでに服を脱ぎ捨てていた。ちょうどその時、天井からの水滴がアリサの背中に落ちた。
「キャー」
この隙を直哉は見逃さずに逃げ出した。
「じゃあね……アリサ、あんたがこれからしようとしたことは、いけないことだよ! じゃあね」
「あ、待ちなさいよ!」
「僕は、昔、智姉に永遠の愛を誓ったんだ。彼女はもうこの世からいなくなったが、僕は添い遂げる……ここの本拠地は......こんな状況になったなら仕方ない、捨てて逃げるよ」
「あ、直哉! 待ってよ! まちなさいよ!」
ほぼ身を覆う物を捨て去っていたアリサは、さすがに動くことが出来ずに直哉に怒号を浴びせた。だが、すでに目の前の直哉は、半裸のまますでに外へ達していた。アリサは、周囲にあった毛布をかぶって彼の後を追いかけ、その後に大勢の娘たちが続いたが......さすがに女たちは、全裸に近い恰好のまま外に出るわけにはいかなかった。
「また、逃げられた」
アリサはそう言って悪態をついた。アリサの周囲にいた娘たちも同じような顔をした。アリサはそれに気づくと気を取り直して娘たちに話しかけた。
「あんた達も気の毒ね.......彼、女の子が好きだし、女の子の身体に魅入られているはずなのに......同時に、とても恐ろしく感じているのよ」
「あ、あの、お姉さまと呼ぶべきでしょうか?」
「私はアリサよ」
「では、アリサさまとお呼びするべきなのでしょうか?」
「いいえ、ただのアリサよ」
「あの、直哉さまとはどんな関係なんですか?」
「彼は、私を制御できる人間なのよ」
「制御?」
「説明が難しいわね……そうね、私のマスターといったほうがいいのかしら」
「マスター? ご主人様なのですか」
「でも、直哉さまは別に『永遠の愛を誓って添い遂げる』女性がいるとおっしゃっていました」
「そ、そうね……でもその彼女はもうこの世にはいないの……その後も、彼は私も従えていたのよ......それなのに私を置いて逃げ出したのよ」
「逃げ出した......もしかして、今、わたしたちも置いていかれたのでしょうか?」
娘たちは口々に口惜しさを現した。それを見たアリサは、つづけた。
「気の毒だけど、あんた達も私も、ここにおいてけぼりにされたみたいね」
「えー!」
「ゆるせない!」
「絶対探し出してやる!」
室内は、直哉へ口惜しさをぶつける抗議集会になっていた。アリサはそんな風景をしばらく見つめ、静かになったところで口を再び開いた。
「今まで彼は、いつも優しくしておいて、肝心な時に逃げ出し続けているのよ! だから、私は直哉を許せないのよ、というかあきらめきれないのよ! あんた達も彼を許せないのよね? あきらめきれないのよね? 幸い、彼はこの辺りの地脈でお仕事をつづけるはずだから、皆で手分けしてこの辺り一帯に彼がいるかどうかを探しましょ!」
「アリサさん、わたしたちも同感です!」
「協力します!」
娘たちはアリサの提案に雷同した。アリサはその反応に戸惑いながらも、そこから相談を始めた。
「そうね、これだけ人数がいるから、この辺りの地脈のポイントに待ち伏せしてもらえるかしら?」
「ええ」
「ぜひとも!」
「直哉さま、絶対逃がさないわよ」
それから彼女たちは、自分たちが救出された箇所以外の地脈結節点を選び出して、その各所に現われるであろう直哉を待ち伏せすることになった。