第一章 インフラ・バックエンド・フロントエンドの地脈術者 1 魔族帝国の地脈術者 直哉
カフカス山脈に沿った谷間には、雪が厚く降り積もっていた。その雪の上を、夜の闇にまみれてヒグマに似せて動いていく人間がいた。彼は、文字通り毛皮を身に着けていた。それ等は、彼が手ずから作り上げた全身僧衣、フードとヒジャブだった。
カフカス山脈沿いに走るこの谷間には、その地下に、彼が狙う地脈があった。地脈、それは二つの機能を有していた。ひとつは、帝国中心の地ゴグの神殿都市から世界各地に広く棲む魔族たちへ、整えられた魔素を送り届けること。もう一つは、魔族帝国が支配する世界各地にて管理されている家畜人類から生命エネルギーを吸引し、それらを魔素の原料として世界各地から帝国中心の地ゴグの神殿都市へ送ることだった。中でも、大魔ルシファーへ捧げた儀式によって特別に高揚させて生命エネルギーを充満させた初子処女からは、非常に濃く純度の高い一品が地脈末端を経て得られるのだった。
リシ村には、そんな地脈末端の生命エネルギー吸引採取施設が設けられており、そこが今夜の直哉の目標だった。
リシという名前の村ではあるが、もともとは人間たちの住むトビリシという地名だった。魔族帝国が全世界を支配するようになった氷河期の今では、魔族の発音しやすいリシとう名前に変えられていた。この村で、魔族たちは家畜人間たちを管理していた。いや、飼っていたという方がふさわしいだろう。
地脈が村の近くで地上に一部が露出していた。おそらく村の外へ辿って行けば、露出した結節点があるはずだった。結節点は、別のところからここまで至った地脈が集約させるところであり、また、村の各場所で家畜人間たちから奪った生命エネルギーを集約するところでもあった。
払暁になれば、彼は結節点や採取施設、祭礼所など地脈の露出部を破壊し、生贄にされ殺されるはずの初子の処女や、繰り返し搾取されてきた家畜人類たちを、解放することが出来るはずだった。未明になって、彼は、地脈末端の祭礼所一室で、予想した通り両手両足を伸ばされたまま生命エネルギーを搾り取られている生贄を見出した。品種管理が徹底された家畜人類らしく、端正な顔つきと豊かな体つきだった。
「さあ、ここから逃げるんだ!」
彼は、暗闇の中で彼女に装着されていた様々な装置を取り外し、娘の手を取りながら雪の中を逃げ出した。後ろでは、彼が加えた雷撃によって地脈の複数個所が融解した。雷撃で周囲の雪は一時融解するものの、もう一度凍結して彼らの足跡は消え去るはずだった。氷河期の地球では、こうすれば、地脈の破壊工作の跡は豪雪に伴う雷で破壊されたことと、区別がつかないはずだった。また、解放した娘を一時的に収容しておくアイススノウハウスも、寒さによってすぐに堅牢になってくれるのだった。あとは、しばらく様子をうかがい、折を見て生贄の娘とともに脱出するだけだった。
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前の日、彼はリシ村に入り込んでいた。魔族に比べて背がはるかに低く、ブルガのような服装と甲高い声によって、彼は魔族たちからはメスの魔族に見えるに違いなかった。家畜人類の女たちを逃がす際にも、彼女たちに救い手が魔族の女と思わせておけば、警戒されることもなく、また言い寄られる心配もなかった。
「『地脈』『地脈』とお騒ぎになっているようですが、村の地脈がどうかしたのですか?」
大騒ぎをしている魔族たちに、彼は何食わぬ顔で訊ねた。地脈の警備陣を指揮していた上級管理職らしい魔族の男が、不機嫌そうに彼に応えた。
「ああ、祭礼が明日に迫っているというのに、昨夜の豪雪にともなう雷で、いくつかの地脈が壊れたんだよ」
この上級管理職の魔族の男のいいぶりによって、直哉は彼の前日の事前破壊工作が、極めて効果的に地脈の不調をもたらしていることが確認できた。それに満足しつつ、直哉はいかにも善人の地脈術者の顔をして、さらに問いかけた。
「地脈が壊れたんですか。地脈のどの部分でしょうか、一人用の送受器ですか、送受器から地脈への接続システムですか、それとも地脈のネットワークですか?」
「おお、ずいぶん詳しく質問するじゃねえか。そうだよ、地脈のネットワークと、一人用の送受器が一つだ」
魔族は、直哉の問いかけに非常に驚いた。こんな辺鄙な村に、地脈術者は貴重だった。
「僕に、直せるかもしれません。僕は、地脈のインフラ技術も習得していますし、バックエンドもフロントエンドもよく知っています……祭礼もできますよ......祭司でもありますから...」
「あんた、女の地脈術者らしいね? 術者なら祭司もできるだろうし......女ならば、作業が緻密そうだし、頼もしいねえ....修理してくれるのか? 費用はどのくらいかかるかな......もちろん、祭司もやってくれ、手当てを出すよ」
こんな時、直哉は魔族に相場の二割増しで料金を吹っかけるのだが、魔族は緊急事態という場合を考慮して、二つ返事で契約に応じてくれた。こうして、彼は彼自身が事前に破壊した村の地脈の箇所を直しにかかるのだった。
彼が修理で行ったことは、当然、前日に彼が破壊した地脈箇所の修繕した。ただ、彼は、この日の祭礼を済ませた後、生贄娘を救い出した際に、雷撃によってその辺り一帯のすべての地脈が破壊されるように工作することを忘れなかった。
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このようにして、彼は、魔族帝国のあちこちの地脈を事前に破壊しては、修理と称して町や村に入り込み、祭礼と処女救出、特定領域の全地脈破壊をこなしてきた。
彼は、救い出した彼女たちを、目に見えないよう処理した移動キャンプ車両に収容して、あちこちをさまよってきた。最近では、収容した女性たちの数が増えたために、野宿の際は、彼の眠るところを、止めた車両の下か車両の屋根の上など、女性たちが近づけない場所に設けていた。
しかし、そんな生活にも限界が来ていた。先ほどのリシ村はそんな限界点にあった。仕方なく、彼は最近見つけた洞窟を収容施設に作り替えて、全女性たちを収容した。こうして、その場所が彼の本拠地になった。彼はそこから時々遠征しては、地脈破壊活動と生贄解放活動とをし続けた。
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本拠地から遠く北の果ての、大雪の大地に来た時のことだった。目指したところが都市というべき規模であることもあって、いつもの通りの地脈の事前破壊活動は未明にまでかかった。
いつもの通りその街に入って行くと、見込み通り、地脈警備陣の中に大きな混乱が見られた。
「おい、地脈の破壊箇所はどの程度なのか?」
「町の全領域の27カ所です」
この数は、いつも直哉が活動結果から見込むよりはるかに多い数字だった。従来まで訪問した町や村よりも、破壊活動が非常に効果的だったためのだろうか。答えはちがった。彼以外にも、地脈を破壊し続けている者がいたようだった。彼の今までの経験から見込んだ数字よりも、3倍以上の大規模な破壊が行われていた。ただし、魔族たち警備陣が交わしている言葉からすると、祭礼の生贄を救い出すなどという作業は行われていないようだった。
いつものように、彼は修理と祭礼を持ち掛けた。
「『地脈』、『地脈』とお騒ぎになっているようですが、この都市の周囲の地脈がどうかしたのですか?」
大騒ぎをしている魔族たちに、彼は何食わぬ顔で訊ねた。都市の地脈管理職らしい魔族の男が、不機嫌そうに彼に応えた。
「ああ、昨夜、雷で、ここの周囲の地脈がことごとく壊れたんだよ....こんな大都市でも専門家なんていないからね、地脈が壊されると、なかなか修理できないんだよ」
「え? すべての地脈が壊れたんですか。どんなふうに? どのように壊れたのでしょうか? 一人用の送受器の部分ですか、送受器から地脈への接続システムですか、それとも地脈のネットワークですか?」
彼は、そう言って魔族に聞き返した。魔族は、その問いかけに非常に驚いた。都市部でも、やはり地脈技術者貴重だった。
「おお、ずいぶん詳しく質問するじゃねえか。そうだよ、地脈のネットワーク27か所と、一人用の送受器が一つだ」
「僕に、直せるかもしれません。僕は、地脈のインフラ技術も習得していますし、バックエンドもフロントエンドもよく知っています」
「あんたは女の術者なのかい、それは作業が緻密そうだし、頼もしいねえ....修理してくれるのか? 1つの送受器とネットワークの27か所だから、費用はどのくらいかかるかな」
「それだと、それなりにかかりますね。日数も、30日ほどを見ていただけますかね......まず一カ所を修理しますが、その後ツールが足りないために、隣町の出張所に戻る必要があるんです」
「祭礼が遅れるなあ......修理の日数はそれで構わないよ......ただし、しっかり全部を修理してくれよ」
こうして、彼は地脈の修理をすることになった。ただ、あまりに多い修理箇所であるために滞在期間は非常に長くなった。そのせいで、彼はある女から声を掛けられたのだった。
「あんた、不思議な修理の仕方をするのね」
彼に話しかける声がした。不思議になじみのある声だった。彼は用心しながら、後ろをちらりと振り返った。フードで顔の大部分が隠されているが、口もとが梓晴に似た女だった。彼は用心してすぐには返事をしなかった。彼女はそれでも彼に話し掛け続けた。
「ねえ、あんたの修理の仕方は完ぺきに見えるけど、何か余計なことをしているようにも見えるんだけど......」
「いいえ、これは僕の修理の完成の仕方です......横に新たに付属させた機器は、監視をする機能を有しているものです......もう、修理の必要がないようにするためのものです」
直哉は、横目で彼女を睨みつけながら、監視機構に言及しながら説明を加えた。彼の冷たく返す声の調子に、彼女は少し引いたものの、何かを疑問に感じているようで、まだ会話を続ける意思をあらわにした。
「へえぇ、そうなんだ」
彼が監視機能を指摘したことは、誰にも妥当に聞こえるはずだった。なぜなら、後日に祭礼を控えたこの時期に、また地脈が大規模に破壊されることは避けるべきことに違いなかった。
「へえ、そんな特殊な機器があるなんて......この時代にもそんな高度な電子技術が利用されているなんてね……それって、先史人類時代の電子情報文明のしろものよね」
女の指摘は変に鋭かった。だか、彼はそれ以上やり取りをするつもりはなかった。
「じゃあ、失礼します……忙しいんで」
「え、待ってよ! たしかにあんたは女なのよね?」
彼はその問いかけを無視して走り去った。
都市の外へと達した時、彼ははっとした。周囲の山々や、町の外に見えた非常に古い廃墟は、何処か見覚えのあるものだった。
「まさか、ここはかつての『ウラジモスク』だったのか?」
彼はそう独り言を言いながら、さらに走り続けた。
「あのへんな女め、後をついて来ていないよな」
彼はそう言って立ち止まった。この辺で、後をつけて来る者を警戒するべきだと考えたのだ。
この時、どんな理由で彼に注目したのかわからないのだが、彼に別の女が声をかけてきた。その声は、また別の聞き覚えのある声だった。
「貴女、そんなに急いで、何処へ行こうとするの? そんな荷物をかかえて?」
この女の顔は、確かに見覚えがあった。かつて、彼が制御したことのある女だった。
「それなら、ここでも制御できるのかな」
彼は、思い切って目の前の女の精神に、昔おぼえた制御の仕方を仕掛けた。そして、女は確かにその制御に応えて、向こうをむいてしまった。
「誰も見なかったことにしてくれよ」
彼はそう言うと、またそこを走り去った。そして、自分が大きな失敗をしかねないことに、愕然とした。
「し、しまった! ここは、僕がもともと脱出した場所の近くじゃないか」
こう言って、直哉は自分が未だに愚かであることを、再認識したのだった。