9 花聖女うたいて
第8話と同時更新です
「……! 待て!」
周囲の見張りたちが、一斉に動き出す。だがそれより早く、トルフォンが見張りとルティーダの間に立ちはだかった。
「花聖女が仕事をするだけだ、邪魔をするな」
「そういうわけにはいきません。そこをどいて下さい」
神殿の中なので、両者ともむやみに剣を抜くことはない。が、強引に脇を通り抜けようとした騎士を、トルフォンは身体で止めた。腕をひねりあげ、顔を寄せてささやく。
「黙って見てられないなら、俺が黙らすぞ?」
ルティーダは、長い通路を走りながら手袋を片方外し、薬を染み込ませた。顔の右側を乱暴にこすってから、薬瓶ともども投げ捨てる。
紋様が消えると、たちまち頭の芯が熱くなってきた。
力が満ちてくる。
祭壇では、シアーシャがおろおろとレークに呼びかけていた。
「レーク様、レーク様っ、シアーシャはどうしたら……!」
その傍らに、花聖女の長い杖が落ちている。
祭壇に駆け上がったルティーダは、さっ、とその杖を拾い上げた。
「借りるわよ」
「えっ……お姉様!?」
ルティーダの手が、杖を高く掲げた。
祝詞の一節を唱える。花々はその言葉に応え、人間のために力を発揮し始めた。
ロザが少しずつしおれ、枯れていく。
一方で、もっと目立つ変化が表れた。
白く小さなジルフィアの花が、ロザを引き立てるように二階回廊の手すりを埋めている。その大量の白い花が、パッ、パッと散り始めたのだ。
小さな花びらは雪のように宙を舞い、やがて渦を巻いて、ルティーダの杖に集まっていく。
「な、何をしてるの!?」
シアーシャの甲高い声が、苛立ちを含んだ。
「お姉様、レーク様を助けにきたんじゃないの!?」
「ええ、今、薬を作ってるわ」
「じゃあロザの薬を作ってよ! ジルフィアに何をして」
「瓶を貸しなさい」
スッと手を伸ばしたルティーダは、空になったロザの薬瓶をシアーシャから取り上げた。
白い花びらが、光の粒子を発しては、地面に落ちていく。光は薬瓶の中に集まった。
「癒しの力を持っているのは、ロザだけじゃないの。ジルフィアにもある。小さな小さな力だから、普通なら引き出せない」
ルティーダは光を集めながら、そっと膝をついた。
「でも、私なら引き出せる。あなたが、そうさせたのよ」
「え……」
「あなたが私に飲ませたキトは、私の力を狂わせたんじゃない。私が持つ、本来の力を揺り起こしたの。箍を外したのよ」
ずっと敵わなかった姉が、更なる力を持っていた。
その事実を、そして敗北を知り、シアーシャの顔に絶望がよぎる。
ルティーダは、瓶を差し出した。
「さあ、これをレーク様に。私もレーク様の症状をずっと見てきたけど、これなら効くと思う」
「…………」
シアーシャは口元をふるわせながら、瓶を見つめた。
そして、受け取る。
(私にできることは、ここまで)
ルティーダは立ち上がり、数歩下がると、身を翻して神殿の中央通路を歩き出した。
ややして、背後で人々が口々に、
「レーク様が」
「おお、目を覚まされた」
とざわめき始めた。
参列者たちがルティーダを見つめる目には、驚きと尊敬があった。見張りの騎士たちも、もはや動きを止め、静かに事態を見守っている。
通路の先で、トルフォンが待っていた。ニッ、といつもの笑みを見せ、手を差し出す。
ルティーダは少し驚きつつ、おずおずと自分の手を預けた。
二人はそのまま、神殿を出ていった。
◇ ◇ ◇
戴冠式は、中止となった。
ルティーダの薬を飲んだレークは別室に運ばれ、やがて歩けるようになった。今は体調も安定しているようだ。
「……だそうです。レーク様からの手紙に書いてありました。無事でよかった」
ルティーダはホッとした笑みを浮かべているが、トルフォンは眉を吊り上げる。
「手紙ぃ!? 図々しい奴だな本当に!」
二人は、別宅の庭園を歩きながら、言葉を交わしている。春になり、ルティーダが研究用に植えた種が、花壇で芽吹いて双葉をきらめかせていた。
「レークの奴、他には何か書いてたか?」
「ええと、『これからもシアーシャを支えてくれたら僕も嬉しい、礼をしたいからまた会いに来てくれ』と……」
「妻の姉だってのにかこつけて、捨てた元婚約者にまた甘えようとしてるのが見え見えなんだよ。行かせるか。……にしても、あんたの力、ああいうことだったんだな」
トルフォンは意地の悪い笑みを浮かべる。
「皮肉なもんじゃないか。シアーシャは姉に恥をかかせるつもりでキトを盛ったが、実際は姉を最強花聖女に押し上げてた、と。まさか、ロザ以外の花からも力を引き出せる花聖女がいるとは。そりゃ、色々な薬を作れるわけだ」
「でもやっぱり、オリゾナ様の花が枯れるまで力を引き出すのは、乱暴です。強すぎる薬は毒になる、というでしょう? 皆を怖がらせた『毒』。私はどう考えても、花聖女らしくないです……」
困り顔のルティーダは、右の頬にそっと触れた。
「この紋様は、手放せません」
「いいじゃないか。少なくとも、あの夫婦にはいい『薬』だ。神殿であんたの偉業を見た奴らも、その紋様を見る目が変わると思うぞ。いや、今改めて見るとかっこいいよな。俺にも描いてもらおうかな」
「トルフォン様っ」
(もう。ご機嫌なんだから)
というのも今回、花聖女シアーシャが祭壇で取り乱し、夫を救えなかった……という『醜態』をさらしたためだ。花聖女がいれば大丈夫と思われていたレークの体調が、そうではなかったと明らかになり、バルラディ家は信用を大きく損ねた。
夫妻は王宮を出てバルラディ家に帰り、籠もりがちに暮らしているらしい。
代わって盛り上がってきたのが、ギルマイン家の方が王家に相応しい、という声である。トルフォンの機嫌もよくなろうというものだ。
トルフォンは双葉を眺め、
「木ならともかく花にはあまり興味なかったが、こうやって芽が出たところを見ると、どうやって花までたどり着くのか楽しみだな」
などと言っている。
ルティーダは足を止め、彼に向き直った。
「本当に、ありがとうございました。トルフォン様が背中を押して下さったから、あの場で本当の力を解放できて……何だか、吹っ切れたような気がします」
「俺たちギルマイン家こそ、大いに助かった。礼を言う」
「ふふ。それに、私は自由だという言葉も、嬉しかった。トルフォン様は、私の心を自由にして下さったんです」
微笑んだルティーダは、庭園をぐるりと見回した。
「春までここに置いて下さって、ありがとうございました。これからは、薬を作って生計を立てていこうと思います」
すると、「あ?」とトルフォンが変な声を上げた。
「何を言ってる? あんたは俺の婚約者だろうが」
ルティーダも「へ?」と変な声を上げる。
「それは、王宮に行くための方便だったでしょう? もう、私を利用する必要もないはずですが」
「あー」
トルフォンは頭をかいた。
「まあ最初は確かに、追放花聖女ルティーダを利用してやろうって気持ちも、なくはなかった。それは認める。だが俺は、ずっとへこたれない、一本芯の通ったあんたの強さに、強烈に惹かれてる」
「えっ……えっ?」
あわてるルティーダの手を、トルフォンはさっと取った。
「神殿で杖を掲げるあんたは、花聖女っていうより、女王とでも呼びたくなるような風格だった。堪え忍んだ種が芽吹いて花開くのを、俺は目の当たりにしたんだ。ギルマイン家の一族も、あんたを見直してる」
そして彼は、ルティーダの前にひざまずいた。強い意志を湛えた目は、ルティーダを捕らえて離さない。
「ちょ、トルフォン様!? 待っ」
「俺はミロシュの王、あんたは花の聖女王として、最強の夫婦になるのはどうだ? 結婚しよう、ルティーダ」
ルティーダの手の甲に、口づけが落とされる。
「ひゃっ!? む、無理無理無理です、薬師になるつもりだったのにどうしてそんな話に!?」
「じゃあ薬師もやったらいいんじゃないか?」
当たり前のように言うトルフォンに、さすがのルティーダも叫んだ。
「軽く言わないで下さいっ!」
けれど、ルティーダも本当は、思っている。
この手を、少なくとも今は、離したくないと。
【Happily Ever After】
メリークリスマス! プレゼントのつもりの作品です!
サブタイトルも全部クリスマスにちなんだものにしました
(例えば最終話「花聖女うたいて」は、クリスマス曲「御使いうたいて」)
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