2 王候補トルフォン
「なるほどな。そのおっかない模様は、力を抑えるためのものなのか」
居間に移り、暖炉の前のテーブルを挟んで、ルティーダとトルフォンは向かい合って座っている。
トルフォンは従者とともに、建物の中を一通り見て回った後、詳しい事情を聞きたがったのだ。
茶の用意をして退出するソフィは、いかにも「こんな夜中に!」と憤慨した様子で、トルフォンをこっそりにらんでいた。
「この顔、ご不快でしょう、申し訳ありません」
ルティーダは視線を逸らしながら、肩掛けの前をかきあわせる。暖炉に火はあるが、山中の石造りの建物なので、すぐには暖まらない。
トルフォンも革マントを外さないまま、足を組んだ。
「黒魔術か何かかと思ったぞ」
「特殊な染料で、顔に花聖女の使う紋様……ええと、おまじないみたいなものを描くことで、力を落ち着かせることができるんです。これがあれば、花を枯らすことはありません」
「そんな染料があるのか?」
「あ、はい。草木は枯らさずに済んだので、色々と調べているうちに染料を作ることができて」
すると、トルフォンは軽く目を見張った。
「へえ、自分で作ったのか。すごいな」
(えっ)
ルティーダは思わず、目を丸くした。
(この方、私のことが気持ち悪くないのかしら?)
彼はぐるりと、部屋を見回す。
「まさかこんな山奥の廃墟に、人が住んでいるなんてな。灯りが見えたときはてっきり、最近このあたりを荒らし回ってる山賊が、ここを根城にしてるんだと思ったぞ」
「元々は修道院で、引退した花聖女が暮らしていたところで……そんなに傷んでいなかったんです」
「で、ここに押し込められたと」
トルフォンは、何か読みとろうとするように目を細める。
「花を枯らしただけで、この仕打ちか? 誰かを殺したわけでも何かを盗んだわけでもないだろうが。力を抑えることができてるんだし、谷に戻ればいい」
「いいえ。オリゾナ様の花を枯らすなんて、花聖女としてありえません。それに、力は抑えられても、こんな顔では怖がられてしまいます。だから……いいんです」
ルティーダは微笑む。
「ロザの研究もしているので、谷を離れていても、花聖女たちの役に立てるかもしれませんし」
「ふーん」
ふと、彼は顎に手を当てて考える。
「そうか。あんたはレークの元婚約者で、シアーシャの姉、なんだよな」
「そうですが?」
「で、その紋様があれば、力は問題ない」
「ええと、何のお話でしょう?」
「よし」
トルフォンはいきなり立ち上がった。
「ちょっと話してくる」
彼は扉を開けて出て行った。
ルティーダは首を傾げる。
(話って、一緒に来た従者さんたちに? 何かご用かしら)
窓の外が白み始めた頃、ようやくトルフォンが戻ってきた。
「そろそろ出るぞ」
「あ、はい」
うとうとしていたルティーダは、あわてて立ち上がって挨拶する。
「道中、どうぞお気をつけ……えっ?」
いきなり、大きな革手袋の手が、ルティーダの細い手首を掴んだ。
「あんたも来るんだよ」
「はい!?」
ぐいっと引っ張られて、部屋を出る。
ルティーダはあわてて足を踏ん張った。
「ままま待って下さい、どうして私も!?」
「言っただろ、この辺は山賊が出るんだって。花聖女様をこんなところには置いておけないからな」
「でも私はもう、ああああ」
抵抗むなしく、外へ出た。
差し染めた秋の朝陽が、紅葉した木々を照らしている。そんな木に、馬たちがおとなしく繋がれて待っている。
「俺の家の別宅に行こう、ここからならまあまあ近い」
「ダメです、こんな姿じゃ皆が怖がります!」
「別に誰も傷つけないんだからいいだろ。ほれ、侍女は嬉しそうだぞ」
「ふぇっ!?」
振り向くと、急いで詰め込んだらしき荷物をソフィが両手に下げ、ニコニコと後を追ってきていた。トルフォンの従者も手伝っている。
「何だばあさん、ルティーダに言わなかったのか?」
「あら? トルフォン様がお申し出下さったのですよね?」
どうやらお互い、ルティーダに話したつもりだったらしい。。
(でもソフィ、本当に嬉しそう。……そうよね。私なんかのためにずっと、こんな山奥の暮らしだったし、少しくらい山を下りたいわよね)
抵抗していた身体から、力が抜けた。
「では、あの……少しだけお邪魔します」
「よっしゃ」
トルフォンは、いきなりルティーダを抱き上げると、まるで放り上げるように馬の鞍に乗せた。
「きゃあ!?」
(何て乱暴なの、自分で乗れるのに! 子どもじゃないんですから!)
彼女の後ろに跨がったトルフォンに抗議しようとしたが、彼は従者から手渡された毛布でくるっと彼女を巻いて一言。
「いい子にしてろよ?」
(また子ども扱い……!)
口をパクパクさせているうちに、鞭が入った。
馬は颯爽と走り出した。
尾根道を進み、隣の山、ギルマイン家の領地に移動してから山を下りていく。
「あんた、妹とはあまり似てないんだな」
「シアーシャを、ご存じなんですか?」
「ああ。三年前のあんたの結婚式の時──始まる前だったか、花束抱えて歩いてるのを見かけた。それに、花嫁が変わった仕切り直しの結婚式でも、もちろん見た」
「そ、そうですよね……美しい花嫁姿だったと聞きました」
「政略結婚に美醜は関係ないけどな」
「…………」
ズバズバとものを言うトルフォンに、ルティーダはなかなかついていくことができず、黙り込む。
そろそろ麓というあたりに、こぢんまりした館が見えてきた。
「こっちの屋敷は、用がある時しか使わないんだ」
言いながら、トルフォンは敷地内に乗り入れる。
(ギルマイン侯爵家のような名門貴族ともなると、お屋敷も一つじゃないのね。当主は複数の爵位をお持ちだし)
思っていると、先にトルフォンがひらりと馬を下り、そして両手をルティーダにさしのべた。
「ほら」
「…………ありがとうございます」
もはや諦めの境地で、子どものように抱き下ろされる。自分で降りるよりは確かに、トルフォンに下ろしてもらう方が危なげがなく、何となく悔しい。
そこへ、先行した従者から連絡を受けていたらしい管理人夫妻が、あたふたと駆け寄ってきた。
「トルフォン様、こちらにおいでになるとは」
「急に悪いな、しばらく滞在する。客人のルティーダだ」
ルティーダは、夫妻に視線を向けた。
「あの……」
「ひっ」
初老の夫妻は、彼女の顔を見たとたん身体を竦ませ、一歩下がった。そして、
「あ、その、お部屋に火を入れてありますので!」
と早口に言うと、そそくさと使用人用の裏口の方へ戻っていく。
「……お世話に、なります」
ルティーダの言葉は相手に届くことなく、冷たい風に吹き散らされた。
(この顔、やっぱり怖いわよね。仕方ないわ)
そっと頬に手をやった彼女に、自分の荷物を自分で担いだトルフォンが笑う。
「魔女みたいな女が趣味なのかとか、思われたかもな、俺」
「はい!? そ、そんなこと」
「行こう、一番広い客室だ」
うろたえるルティーダに構わず、彼は歩き出した。
(偉い人って、どう見られても気にならないのかしら!?)
ちょっと呆れつつも、ルティーダはホッとするものを感じていた。
(少なくとも、トルフォン様は私のこと、忌まわしくは思っていないんだわ)