第六十四話 変革する世界 ~溢れるモノ達~
死者はシャドウやファンタズマ、アクマともまた違うものです。
違うものですがそれらに成り得る存在です。 まあ一般人から見たらそんな差はないも同然でしょうけど。
そっと、足音を忍ばせる様に彼等はそこから這い出してきた。
門番はそこを離れて久しく無防備ではあるが、それは理由にはならない。
そこを彷徨う彼等の大半にそんな意識はなく、ただ在るだけのものに過ぎないのだから。
だからそこに漂う様に存在する者達は、招く様に開かれた『門』へ、本能的に歩を進めたに過ぎない。
かつて自分達が持っていた輝きを、
かつて自分達に流れていた熱さを、
かつて自分達が感じていた温もりを、
ただ ――欲して。
最初の内はほんの小さな流れに過ぎなかったそれは、やがて濁流の様な大きな流れになる。
閂を外された『門』にそれを押し止めるちからはなく、『門』は『門』という形を失い、ただの空間の穴となった。
打ち寄せる波の様に、
押し寄せる荒波の様に、
死者達は、溢れ出したのだ。
◇ ◇ ◇
ふらふらと、何処か頼りなく歩く少年がいた。
その歩みは遅く、右へ左へと揺れ動き、まるで熱中症の様な危険な様相にも見える。
「あの……大丈夫ですか?」
黄金週間の初日。
何処となく薄汚れた少年。 ふらふらと揺れ歩む少年。
それなりにいる人の波に酔ってしまったのだろう。
そう思い声を掛けたのは看護学校に通う年若い女性だった。
自分が声を掛けられたのだと気づいたのだろう、彼は歩みを止めゆっくりと振り返った。
青白い顔色に窪んだ目、澱んだ白目は黄胆のような色に染まって見える。 近くで見るとその頬はやつれ、肌は水気のない木乃伊の様。 唇は如何にもカサカサで、酷く皺が目立っている。
まるで生きている人間の姿ではない。 思わず、息を呑む程度には死人の姿だ。
だが、普通の人間は「死体が動いている」なんて思わない。 人が歩いていたら、どんな姿であっても人だし、世の中には見た目の変貌する病気だってある。
ましてや彼女はそう言った症状と向き合う職業を目指す人間だ。 驚きや恐怖を隠し、微笑みで応対する。
だから、という訳ではないが少年は彼女を認識し、笑みを見せた。
恐らくは笑みであろう様子で表情を不気味に歪ませ ――不自然に加速すると、そのまま噛みついた。 差し伸べられた手へ、遠慮も躊躇もなく噛みついた。
――ゴリッ!
肉が、骨が、断ち切られる、音。
「――ぎゃあああああああぁぁぁぁっ!!??」
何をされたか解らないまま、指の欠けた手を見て彼女は悲鳴を上げる。
叫びと血の色が喧噪を呼び、その喧噪が群衆を群れ以下に、ただの「数」に変える。
ただ逃げ惑うだけのモノに成り果てた人たちを見て、少年やその『同類』はゆっくりと足を進めた。
僅かに残った本能のまま、かつての自分を取り戻す為に。
錯乱しそうになる女性の前に、スッ……と一組の男女が現われた。 彼女を守るようにその左右に位置取る。
「思ったより、動きが早かったな」
高校生か、もしくは二十歳前後の青年。 その手には小太刀と呼ばれるサイズの日本刀が握られている。
着ているのは革のジャケットだが、その上から見ても鍛えられているのが解る肉体だ。 と言ってそれがただのスポーツマンである筈もない。
誰がどう見ても『本物』の刃がそれを物語っている。
「……ごめんなさい。
わたしが遅かったから……」
対するのは何処か平淡な口調で話す少女。 中学生か、辛うじて高校生と呼べるくらいの年齢の女の子だ。
白子なのか、白い髪と紅い瞳をしているが、一方で肌はそこまで白くはない。 色白ではあるがそのレベルだ。
「そもそも向こうの準備が早過ぎたんだから仕方ない。 それで一日二日ズレたって今さらだ」
一見、少女と親しげに話し、隙だらけにしか見えない青年だが、視線は間違いなく『死者』達へ向けられている。
死者達は先程の少年のように、不自然な動作で緩急を付けながら襲ってくるが彼はそれらを事も無げに捌き、返す刃で切り捨てていった。
「……ただの、死者だな。 大した相手ではない、か」
斬られた死者達はその身体を黒い何かに変えて霧散する。 その後には、その存在すら夢であったかの様に何も残ってはいない。
「そうね……。 罪に向き合う事もせず、ただ彷徨うだけの罪人……」
悲しげに呟きつつも、彼女は青年よりも長い長刀を振るい、死者達を駆逐している。
「これくらいなら鈴宮の方は安泰かな?」
「……数で押されても師範なら大丈夫でしょう……。
それよりも問題は数と範囲でしょうけど……。 貴方の知り合いっていう巫女は動いてくれたのよね?」
「アレクと孝正会には話を通したらしいけど、そう言った組織が何処まで動いてくれるかは判らないな」
日本の組織は基本的に初動が遅い。
予め言ってあってすら、証拠がなければ動きにくい。 それは何処の組織でもそうだが、この辺りの組織の様にトップダウンで運営される企業形態であればまだ期待は出来た。
ましてや『証拠』にそこまで拘るはずのない二者だ。
とは言っても、直接本人と話していない以上、そこに確固たる証拠はない。
「……当てにならないわね……」
「言うな……。
それよりも、刀の調子はどうだ?」
「……流石に《菊理》程じゃないけど……まあ使いづらくはないわ……」
「あんな神刀と比べられても困るわ。 それでも伝来の霊刀なんだけどな」
「……解ってる。 大切に使わせて貰うわ……」
少女はそう言いながらももう一本の刀を佩いている。 手に持つ刃と同サイズの刀が、中身のない鞘と共に揺れた。 彼女は大きく一振りし、最後の二体を纏めて切り裂いてみせる。
もっとも、最後と言っでも精々が「見える範囲」での、と言ったところだ。 恐らく、というか間違いなく街中でこの事件は起こっている。
所謂三大組織と呼ばれる荒れ木三度Loss、日崑孝正会、スレイヤーに属さない、古くからの退魔組織 ――伊勢神宮を中心とする神社仏閣に属する祓い師達は、少なくとも動いているはずだが、その総数は決して多くはない。 総合的なちからをなくしつつあるそれらは、所属する異能者自体の数が減りつつあるのだ。
そのせいで、各地より何人かは派遣されているはずだが、元々が地元での活動がメインの者たちだ。 統率力すらなくしている神宮が無理強いなど出来るはずもない。
その為、三大組織が動いてくれないと一般人の被害が多くなり過ぎると予想が出来た。
もっとも、一般人の中にも『一般人』という範疇を超える人物もいる為、一方的な被害にはならないと思いもするが、それでも手は足りないのだ。
「鈴宮市は師範と誠、愁。 それにフランか……」
「……藤ノ宮市はきはたくらい?」
泣きじゃくる女性の手当てをしながら、恐らく彼女には解らないであろう話をする。
一般人の前でする話でもないが、あまり時間もないし、そもそも聞いて判る会話とは思えない。
「いや、弓張月さんと荒魅たちも動いてくれるらしい」
「……組織の人たちとかち合ったりしないの?」
「そこは空気を読めと言いたいがなあ……」
「花宮市は?」
「師範の話だとアレク所属の異能者がいるらしいけど会った事はないな。 まあ支店もあるんだから動くだろう?」
「……それって任せられる個人がいないって言う事?」
「きはたさんは『会える』って言ってたけどな」
動くかどうか判らない組織より、確実に動いてくれる個人の方が当てにはなる。 彼女たちは「後を託す」立場であるから尚更そう思うのだ。
「結局、なる様にしかならないって事だろ? 臨機応変にやるしかないさ」
「……貴方のそれは臨機応変じゃなくて行き当たりばったりっていうのよ……」
彼女は呆れる様にそう言つつも、『手当て』を終えると立ち上がった。
「行くか」
「……行くか、じゃなく、急ぐの……。
……それじゃ、お大事に」
訳の解らない事を話し、去って行くふたりを見送り、暫く放心していた女性はいつの間にか指のくっついている手を見て、目を瞬かせた。
◇ ◇ ◇
連理達は基本単独で動く事となった。
孝正会があるのは別の区だし、スレイヤーの支社があるのもそうだ。
つまりアレクのあるこの区を中心にした範囲の一般人を守れるのはアレクの人員だけなのだ。
単純に人手が足りていない現状がある。
アレクの本社や別支社、出資する児童養護施設『しらかばの家』からも人員が出ているが、それでも足りていない。
あまりに範囲が広すぎるのだ。
幸いなのは死者たちがそれ程強くはない事だろう。 ある程度以上戦いに慣れた者であれば一般人でも倒せるレベルである。
もっとも死者は死者。 見た目のインパクトが大きい者もおり、一般人は浮き足だって対処出来ない場合も多いのだが。
ちなみに時折目に入る国家権力もそれなりに浮き足立っていた。
警棒で殴りつけ、黒い灰になる死者を見て呆然とする者や、発砲したはいいがあっさりと貫通した弾が市民に当たるなどして、その対処に追われる者などがいるせいだ。 中には日頃の鬱憤を晴らすかの様に、笑いながら死者を潰し回っている者がいるのが恐ろしい。
彼等に見つかるのも面倒なので、基本的に自身の武器である《黄昏》なしで対処する連理だ。
とはいっても彼の《黄昏》はテルム。 自身の手に埋め込まれた宝石に封印された武器である。 使おうとすれば顕現し、不要であれば封に戻る。 誤魔化す術はあるのだが。
死者を探し歩く事しばし。
連理はぐるりと周辺を回り、学校近くへと戻って来ていた。 戻って来たというのは言葉通りで、朝早くから出現した死者のため、彼のスタート地点は琴倉橋高校の寮であったからだ。 なのでササもここから市内を回っている。
幸い今日はゴールデンウィーク初日。
校内に人間がいない訳ではないが、少数だ。
ここで彼が暴れても目撃者もまた少ないと言う訳だ。
もっとも、今後の在り方によってはむしろ目立つ方が良い『可能性』があるという、面倒な状況でもあるのだが。
連理は取り敢えずといった感じで学校を見渡す。
朝の時点では数体の死者がいたが、当然今はその姿もなく、また騒ぎの起きている感じもない。
問題ないことを確認し、踵を返す彼の前に、不意に一組の男女が現われた。
今の連理は以前よりずっと周囲の気配に敏感だ。
此方側に入り込むまでは「気配なんて分かる訳がない」と言っていた彼だが、今では普通にそれが分かってしまう。
だからこそその彼が、ほんの数メートルの距離まで気づかなかったというのは、ある意味異常な事だった。
思わず身構えてしまうくらいは。
同い年くらいに見える、男女だ。 女の方は女性というより少女と言った方が正解か。 こちらは若干年下に見えた。
双方とも、手には長物。 男は小太刀。 女は長刀。
抜き身ではないが、警官が総動員されている様な今の街を歩くには不適切な格好と言えるだろう。
テルム、には見えないが、何処かの協力者なのだろうか?
ここ数日で紹介されたアレク関係者ではないはずだが、今日到着した関係者と言う事も、孝正会の関係者と言う可能性もある。
対処に悩む連理に向かって、男の方が近づく。
その態度は恐る恐るというか自信なさげな感じだ。
「もしかして、なんだけど、逆木くん、かな?」
首を傾げながらそう言ってきた。
黒目黒髪の極普通の日本人顔だが、服の上からでも解る鍛えられた肉体は、どう見ても並みじゃない。
そして、何処からか感じる魔物の気配。
目前に来られると解るのは強者の存在感だ。 恐らく肉体的性能は連理の方が上であるのに、単純に戦い、勝てる気がしない。
いや、勝てるかも知れないが、かつての掛居の時の様な運頼みの勝利になりそうな予感までする。
頷くことも出来ずにいる連理に、男は何を思ったのか苦笑した。
「ああ、名乗るならこちらから、だね。
僕は葦原 響」
言って手を出してくるのは握手を求めてか。
「君のお父さんの弟弟子であり」
差し出されるのは傷だらけの右手。 歴戦の猛者の手だ。
「君たち風に言うならシャーマン/ファミリアになる」
と言う訳で別シリーズの主人公たち(予定)が登場です。




