第五十六話 体温 ~生命の温もり~
「教えて! 鏡子先生! 其ノ肆」でこの辺りは言及されていますが、本編の連理その他の登場人物は知りません。 知識として鏡子クラスの幹部が知っているくらいでしょうか。
「教えて! 鏡子先生!」は連理向けと言いつつどちらかと言えば読者向けページなので、本編の彼とは若干の認識の相違があります。 それでも彼が勉強させられているのは確かなので、それなりの知識は増えています。 と、言う事にしておいて下さい。
双頭の魔犬シュラの経過は順調だった。
荒れ木三度Lossの幹部ふたりを含めた女性陣三名が揃った時のみ行われる外科手術は、彼自身の体力がネックではあった。
そもそも本来であれば一度の手術であっても生命が尽きかねなかった彼である。度重なる手術にその体力が保つはずもなかった。
そこへ投与されたのは榊ロジーナの作る薬と、何より逆木連理からの生命力譲渡という反則染みた能力である。
そのお陰で、幾度の手術に耐えられたシュラは自身の生命を削っていた要因の殆どを除かれ、スレイヤーの実験棟に居た頃では考えられない程、快適な生活を送っていた。
未だ完治はせず取り切れていない「病巣」こそ残っているものの、走り回れる程度には回復している。
もっとも、過酷な実験と非人道的な改造により、削られたのはその身体だけではない。それらは彼自身の体力を、生命力を著しく削っていた。
そこに他者から生命力が譲渡されたも完全には回復しきれないのである。
端的に言ってしまえば、最大HPを削られた彼をどう回復しても、それ以上のHPは回復しないのだ。
だから、恐らく彼は本来の寿命を全う出来ない。それよりもずっと早く寿命を迎えるはずだ。
それでもこの有り得るはずのなかった猶予期間は、一家にとって何よりも望んだ奇跡だった。
一方でもうひとつの福音が榊家にもたらされた。
榊 栞の蘇生の可能性である。
◇ ◇ ◇
「へっ?」
唐突な話に間の抜けた声を出したのは、話の主役となった榊栞その人であった。彼女は何を言われたのか全く理解していない様子で母を見つめている。
それっぽい話は何度かされたことはあるが、それとは勢いが違う気がする栞だ。
母ロジーナはそんな娘の様子が、仕方のないものだとしても納得し難かった。耳を引っ張り口を寄せる。
「いたたたっ!? ちょっとぉ!?」
「耳の中、かっぽじってよーく聞きなさい、我が娘」
ロジーナの母国語と言えるのは一応英語である。
始祖たる魔女は北欧系だが、同時にイタリア系でもあると言われ、その能力は間違いなくその血に繋がっていた。彼女のルーンマジックや香の『罪科を鑑る瞳』などはその現れなのだ。
そんな彼女の出身が英語圏なのは、魔女狩りから逃げ隠れた末であろう事は想像に難くない。
そんなロジーナがラテン語を覚えているのは魔術に携わる者としての嗜みだろう。だがここでラテン語を使う意味は全く無い。
彼女も平常ではいられなかったのだろう。恐らくは、だが。
「ふぃ……? 何?」
案の定、栞には通じていない。
「あなた、連理くんを落としなさい、何が何でも」
「な、なにをいってるの……おかさん」
「この際、第二婦人だろうと側室だろうと愛人だろうと構わないから、連理くんと懇ろな仲になりなさい、って言ってるの」
「……ねんごろ?」
最早自らの母が何を言っているのか解らなくなってきた栞である。
第二婦人? 側室?
いつから連理はお貴族様になったというのだろう?
真面に理解出来たのは「愛人になれ」という言葉だが、以前からそれとなく言われてきた事柄でもある。だがそれは実の母が娘に言うセリフなのだろうか?
懇ろは、よく解らない。
まあ、前後の文脈からそれっぽい意味は読み取れるが。
「彼、いい人でしょ?」
栞が混乱していることに気づいた母は、自身も動転していた気づき、一呼吸置いて話を変えた。話そのものを変えたというより、順序立てて話しているだけだが。
ちなみに「いい人」のニュアンスは当然「いい男」の方だ。愛する夫のいる身で「いい男でしょ?」とは中々言えない。
「………………まあ」
照れる様な仕種で栞はその問いに肯定する。連理が「優良物件」なのは彼女も認めるところだ。
まず重要なのがワイズマンであり、こちらが何者であるか理解している点か。
人となりで言うなら、基本的に善人で自分達に対する差別意識もない。むしろその辺りは忘れているんじゃないかとも思うが、悪い事ではない。
それに気が合うと思うし、話しやすい。巫山戯合うのは楽しいし、やり込めるのもやり込められるのも悪い気はしない。
また自分達の危機に現われ、自らの仇を討ってくれた恩人でもある。
さらには、妹である香も比較的懐いている。
何よりもその血は非常に美味なのだ。
非の打ち所は殆どない。
既にパートナーのいる身ではある点を除いては。
それよりは自分の外見の方が余程釣り合わないだろう。
何せ第二次性徴の始まる前に殺された身である。女っぽい体つきなんて何処にもない。胸はぺたーん、おなかぷくーんの寸胴体型だ。ササと比べるならAとBの、団栗の背比べな胸部脂肪層ではあるが。
自分はその上、純潔ですらない。
そもそも自身は戸籍上死んでいる身であるから、元より「結婚」なぞ望むべくものではないのだが……。だからこそ母の言うのは愛人なのか…愛人…愛人…愛………。
――ゴンッ!!
栞はそこまで考えてしまった自分を誤魔化す様に柱へ頭をぶつけた。結構容赦のない頭突きにロジーナの目が点になる。
「……………――栞っ!?」
娘の凶行に思わず固まったロジーナだが、直ぐに気を取り直し、額の様子を診始めた。
「何やってるのよ、あなた……」
額は多少傷ついたもののそれは即再生される。
治ると理解はしているが、それでも心配にはなるのだ。今の場合、傷よりも中身の具合に重きを置いて、とはなってしまうのだが。
ちなみに柱は当然、再生なんてしない。ちょっと凹んでそこに佇んでいる。
「気にしないで。 頭を冷やしただけだから」
「……………それで、冷えたの?」
「多少は?」
「……それなら、良いのだけど……」
ロジ-ナの歯切れも悪くなると言うものだ。
以前の「地下室ゴロゴロ」の件といい、どうもこの娘は恋する気持ちに余裕がない様である。別段本人の前で奇行を見せる訳でもないから、まあまだマシと言えばマシだろう。
本来であればもっと幼いうちに経験する様な事だ。それもなく、また他人との付き合いに関してもその程度はとても少ないまま、七年もの時を過ごしてしまった娘である。
少々の奇行は仕方がないと言えるのかも知れないが、行き先不安なのも確かだ。
また、当然ながら栞は人間として日本で生まれ日本の学校で学んだ娘である。
それは価値観も人間であり日本人的であると言える。
犯されて殺されて、命というモノに対するそれは随分と歪んでしまったのだけど、それでも変わり様のなかった価値観はあるのだ。
人の世にあまり触れずに過ごしたせいか、彼女の結婚観は幼い時のまま。「好きな人とずっと一緒にいる」という童女のものに近しいのかも知れない。
それでなくとも日本人女性の感性で、側室だの愛人だのを許容出来る者は少数派だろう。
それは相手方の連理にも言える。
彼の価値観もやはり日本人で、話してみるとその「常識」が見えてくるのだ。そのあたりの見解は夫・隆盛も同様である。
もっともその夫も、感性は同様であり、娘ふたりを同じ男性と番わせるというのはかなり抵抗がある様だったが……。
支店にいる男性と言えば健斗もいるが、彼は姉妹に対して一歩引いた感じで接しており、余程の切っ掛けがなければその様な関係にはなりそうにない。ファンタズマの男性でもロジーナ的には問題がないのだが、隆盛は流石にそちらは反対の姿勢だ。
勿論一番大事なのはふたりの気持ちなのだが、それはシルヴァーナ=ローニー保護に繋がる一件から、ぐっと連理に向いてしまったのがそもそもの発端でもある。
ちなみに単純な好感度だけで言えば鴉天狗の黒澤耶彦も高いのだが、外見年齢で三倍、実年齢で二十倍も離れているとあってか、その様な感情は見えていない。
「押しつける訳ではないし、押しつけられるものでもないけど、お母さんの一押しは連理くんね」
「……推しなんだ……」
栞に理由を言うべきか言わざるべきかは悩むところだ。
幾つかの「実験」を経た上で、「雲外鏡」徳倉鏡子に確認をし、娘・栞が蘇生出来る可能性が見えてきた。
蘇生などと嘯いても完全に生者となる可能性は著しく低い。しかし半死者程度までならほぼ確実になる事が出来る。
それでもそれは解りやすいところで「屍鬼」ヴァンパイアである彼女が「夜魔」ヴァンパイアとなれる事を意味する。
それの何が違うかと言えばひとつは「成長」だ。
完全な死者である彼女は死んだ時のままその成長を止めている。が、それが半死者となる事で成長出来る可能性が見えてくる。
第二次性徴を迎える前に時を止めた彼女が、改めて成長するとなれば、それは出産 ――子どもを産む事も期待出来ると言う事だ。
一度、死を迎えた彼女でも、だ。
栞がそれを今望んでいるか、ロジーナは知らない。死者となった彼女にそんな事は訊けない。訊いた事などない。それが実の娘であっても。
だがその可能性は、母として、同じく死を迎えた身として、とても甘美な、泣きたくなる程の可能性なのだ。
胎を壊されたロジーナは、縦令そうなっても、もう子を望む事は出来ないのだけど。
彼に恋愛感情を持てないというならそれは仕方がないと思えるが、多少でも意識しているというなら是非ともまとまって欲しい関係なのだ。
栞が子を授かるとしたら、相手は連理以外に有り得ない。
《悪魔喰らい》であり《黄昏》の持ち主でもある逆木連理でしか、その結果は引き寄せられないのだから。
「…………」
どうも落ち着かない様子の娘を見て、理由は言わない事にしようと思うロジーナである。子ども云々などと話せば真面に連理と会話が出来なくなりそうだ。
「蘇生」だけなら恋愛関係に至る必要はないが、「子どもが欲しい」となれば、出来ればそう言った関係になって欲しい。
子どもだけ作って、それ以上進展しない様な、ドライな関係を築く娘は流石に見たいとは思わないからだ。
「……最近の子って、ハーレム願望とかないのかしら?」
「なななななななに言ってんの、おかさん!?」
十七にもなって純な娘に果たして話すべきか、話すにしても何処まで話すべきか……。
ロジーナは迷いながらも生命力の譲渡による疑似蘇生の可能性については話す事にした。
「手を握るだけでもあの子がちゃんと相手を『想って』くれたら、彼の生命力はその相手に譲られるわ。 でも手を握るより抱きしめる様に接触面積が大きい方が効率的で、服の上より肌と肌の方がより効率的みたいね」
「……例えば、血をもらうとかじゃダメなの?」
照れくさそうに ――とは言っても頬が紅くなるなんて事にはならないが―― 問い掛ける栞。彼の血を摂取した経験から、その美味しさを知る彼女は一石三鳥の手を打ったのだ。
1・生命力の譲渡
2・おいしい
3・前にやったけど、抱きしめ合うなんて恥ずかしすぎる
という事だ。
「それでもいいと思うけど、あなたそんな調子で連理くんに口づけられるの?」
「くち……づけ……?」
「噛むんでしょう? 彼を」
栞の吸血は、伝承初期の吸血鬼の様な「針のついた舌を刺す」タイプではなく、昨今ではすっかりメジャーになった「牙を刺す」タイプだ。必然的に唇が相手に触れる。
母に指摘された栞は徐ろに横を向き、ゴンッ! と柱に頭突きを噛ました。
「栞っ!?」
ゴン! ゴン! ゴン! ゴン!ゴン!ゴンゴン!ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴンッ!!
その姿は最早キツツキである。
ロジーナが彼女を羽交い締めにするまでその奇行は続き――。
柱の修理費用は十六万とちょっと掛かることになった。
実娘に対しての「あなた」は果たして「貴方」でいいのか、調べてもよく解らなかったので結局ひらがなに……。
以前ロジーナは朱音に対して「貴女」を使ってましたが、この字自体は目上に使うものみたいなんですよね……。 まあ、あの時は丁寧語として使わせましたが。
一応「貴方」は性別関係無しで使えるみたいなので間違いではないはずだけど、実子に使うものとしては何か固いのでこういう形になりました。




