第六話 苦悩する獣
短めです。
イメージ的には新章突入なんですが、こっから先、あまり章単位で分割出来ない感じになってまして、章はつけないでいきます。
ふらふらと、夜の街を歩く青年がいた。
足下の覚束ないその歩みは、具合が悪い様にも、酔っている様にも見える。
ただ、時間と場所を加味すれば、周囲の人間からは酔っ払いにしか見えないだろう。
だからか、彼に話しかける者は誰もいなかった。
警官であれば別だが、そうでなければ誰が好き好んで厄介ごとになりそうな案件に近寄ろうというのか。千鳥足で歩く、如何にも泥酔した人間にお節介を焼き、絡まれでもしたら厄介に過ぎる。
注意深く観察すれば、彼の顔に赤みなどなく寧ろ青白い事、彼の吐息にアルコール臭などない事にすぐに気づけるであろうが、そもそも多くの人が彷徨い歩く繁華街である。
彼自身に気づく人などそう多くはない上に、危うきに近寄らぬ者、他者に関心のない者が多いのだから、そうだと気づける者など皆無であった。
ふらふらと、歩く。
右へ、左へ。
それでも前へ。
目的はあるのか、彷徨うだけなのか。
それを気づかせるものはなにもない。
ドン
偶にぶつかる者もいる。
大抵は文句を口にしながらも連れと共に立ち去っていく。
ドン
偶にぶつかっていく。
立て看板を倒し、電柱に、壁に肩を強く打つ。それでも様子は変わらない。
ふらふらと
ただふらふらと、歩く。
ドン
「ってぇ……、ドコ見てんだてめ……」
ふと、ぶつかった金髪の男が文句を口にし、止まった。
青年の目を直視して、止まった。
生気も感情も見えない目を見て、係わってはいけないと、本能的に感じていた。
「ちっ、辛気くせぇツラしやがって。行こうぜ」
連れを促し、逃げるように去って行く。
青年はそれに気づいているのかいないのか、それまでと同じ様にふらふらと歩き続ける。
電柱にぶつかりながら。
壁に体を擦りながら。
看板をなぎ倒しながら。
人に衝突するのをを繰り返しながら。
「いってーっ!」
そんな時、ど派手な髪をした男達とぶつかった。
よく見なくとも派手なのは髪だけでないとすぐに分かる。耳には幾つものピアス。鼻と唇にも煌びやかなリングを徹し、その様な趣味のない人間の口からは「お前は牛か?」と言わせるだろう装いだ。
「いってーじゃん、いってーじゃん。骨折れちまったじゃん。これはもー医者料もらうしかねーじゃん、たっぷり出してもらうしかねーじゃん」
妙なアクセントで阿呆なことを騒ぎ立てながら、青年を囲い込む男達。
周囲が騒ぎ出すより早く青年の肩を鷲掴み、路地裏へと押しやる。その慣れた動きは正しく常習犯であり、日頃からそうやって小遣い稼ぎをしていることが明白だ。
ちなみに慰謝料でなく医者料なのは派手頭くんの認識である。高校中退の彼はその間違った認識のまま今に至ってしまったのだ。もっとも、中卒であろうと大抵の人は慰謝料が医者の料金でない事くらい解っているだろうが。
「なあ、にーちゃんよぉ。アンタもそー思うじゃん?」
奥へ奥へ。
暗がりからより昏い方へ。
押しやる。
追いやる。
勢子の様に。
狩りの様に。
「だーかーらさ、少しよーだててくれりゃーいいじゃん」
青年の顔のすぐ前で、指で丸を作る。
そんなことをする男達の顔に、後ろ暗さは全くない。彼等にとってこの行為は極普通の事であり、日常であり、当たり前だった。
被害者になったことがなく、失敗したことのない「狩り」で、今まで反省する事など無かったのだ。
「――無視すんなよ」
反応の無い青年へ、奇妙に明るかった声が、ドスの利かせたそれに変わった。
それでも反応しない青年の襟首を掴み上げる。
彼らは気づかない。
深い海底の様に感情を覗き見ることの出来なかった瞳に、強い息吹が漏れ出た事に。
噴火する直前の海底火山の如く、一気にエネルギーが溜まってしまった事に。
「いい度胸してんじゃねーの」
ポケットからバタフライナイフを出し、慣れた様子で刃を向ける。
「サクッといっちゃうょ――」
バキッ
脅しに軽く皮膚を切る予定だったそのナイフは、突然あらぬ方へ向けられた。
男の腕は曲がるはずの無い部分が九十度以上の角度でへし折られ、青年へ向けられていたはずの刃は、派手頭の方を向き――頬を貫いた。
「のぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」
「フク!? てめえ何しやが――!?」
激昂する男から発せられた、ゴスッ、と、鈍い音。
青年の襟首を掴もうとした男が、顎を打ち砕かれた音だ。
「おが……がぁ……? ――がっ!?」
そんな男の腹へ今度は蹴りが入る。
砕けた顎では食いしばり、耐えることなど出来はしない。壁に叩き付けられた男は、力一杯押し潰したクリーム絞りの様に、一瞬で糞尿を絞り出される羽目になった。
衝撃の光景に全く動けずにいた三人目は次の瞬間に膝を真横から打ち抜かれ、綺麗に横転。頭をアスファルトに強打し気絶する。
逃げようとした四人目は背後から強襲、豪打ののち、背中越しに顎を掴まれ背負い投げ。ナイフを持った五人目にぶつけられ、互いに気絶。彼の右手はナイフごと丁寧に踏みつぶされた。
「……がぁ……ああぁ……」
「ぅあぁ……びょ、いん……びょうい……」
あっという間に死屍累々となったチンピラ達へ、青年は漸く視線を合わせた。そこに先程まで病人のように歩いていた彼の姿は無い。
あるのは、揺るぎなさを顕現させたような、圧倒的な力強さと生命力。
「……ぁぁぁ……ゆるひ……ゆるひて……」
つい一分前とは打って変わったかのような愁傷な態度で許しを請う派手頭に向い、青年は無機質で、無感情な笑みを浮かべて見せた。
口内から牙を覗かせるサメの様に。
その笑みに、謝罪は求められていないのが判るのだろうか?
その笑みが、欲しているものは何なのか、判るだろうか?
ちから無き者を虐げ、それこそがちからだと思い違いをしてきた者達に、その意思が通じるのだろうか?
青年は深い、深い深淵を覗き込んだかのような昏い無情な笑みを浮かべた。
派手頭は痛みと恐怖に涙を滲ませながら、青年の鏡になったかのように乾いた笑みを浮かべる。
股間を濡らしながら、媚びる様に、諂う様に。
「はは……ははは……」
もうそれ位しか出来ることはなかったのだ。
◇ ◇ ◇
ピーポーピーポー
鳴り響く音。
サイレンだ。
救急車の走る、心ざわめく音。
嫌な、音。
その音は心ざわめかせる。
ざわめかせ、心の瘡蓋を揺らし、剥がしてしまう。
嫌な音。 痛い音。 響く音。 辛い音。
ピーポーピーポー
離れていった音が返ってくる。
いや、二台目なのか。
ああ、嫌な音だ。
二台の救急車。ふたりを運んだ救急車。間に合わなかった救急車。
誰が悪い訳ではないけれど。
誰が何をした訳ではないけれど。
何て嫌な音だろう。
何てざわめく音なんだろう。
そんな気持ちで、目を覚ます。
嫌な気持ちのまま目を開ける。
禄に時間も確認せずに身を起こし、殆ど無意識にキッチンで手を洗う。冷たい水のお陰で意識ははっきりしてくるが、気持ちはまだ、暗いままだ。
それでも、茶を煎れ、仏壇に向かう。
「おはよう、じいちゃん、ばあちゃん」
仏前に茶を置き、そのまま流れるような動作で火を付けた線香を立てる。
すっかり慣れてしまった一連の作業が、酷く物悲しい。
そこにあるふたりの写真はいつものように微笑みかけてくるが、彼の気は晴れない。
両手に残る、肉を潰す感触が、洗った程度では流れてくれない。
まだ、血がへばり付いている様な気がするのだ。
まだ、鉄錆のような臭いが漂っている気がするのだ。
「……なあ、じいちゃん、ばあちゃん……」
疲れた声色は隠しきれない。
乾いた笑みは酷く煤けている様だ。
「俺は……何なんだよ……」
ここ暫く続く、まるで儀式のような、問い。当然返ってくる言葉など無く、自身の言葉が響くだけだ。 読経の様に、懺悔の様に。
「何なんだよ……、なあ、じいちゃん……ばあちゃん……」
◇ ◇ ◇
彼 ――犬養宰は孤児だった。
小さな森の片隅で老夫婦に拾われるという、まるで昔話のような出生を持つものの、老夫婦の孫として ――戸籍上は養子だが―― 極普通に暮らしてきた、極普通の青年だった。
だが、彼を養子とした当時、疾うに還暦を過ぎていた夫婦は、宰が大学を卒業前に、他界したのだ。
朝、夫が息をしていないことに気づいた妻。
彼女は驚き慌てふためき、その鼓動を止めてしまった。
宰はそれに気づいたものの、朝の通勤時と言う最悪の時間帯に、救急車の到着は遅れに遅れた。
電話越しに教示を受け救命処置をするも回復すること叶わず。
業を煮やした宰は火事場の馬鹿力と言わんばかりの膂力でふたりを抱え家を出て、何とか途中で救急車へ乗せて貰いはしたが、それで間に合うはずもなく。
結局、夫婦は帰らぬ人となった。
生前から準備してきたという相続対策で、代理人が持ってきたのは思いもよらない額の遺産と保険金。 提示された虚しい紙切れを床に叩き付け、それでも生きようと思い始めた矢先、彼は夢を見たのだ。
自らが野獣のように人を傷つけ、殺そうとする夢を――。
それがただの夢でないと気づいたのは拳に残った血痕。
幸いなのかどうなのか、「被害者」達は脛に傷持つチンピラばかりなせいか、傷害事件にまで発展してはいない。
もっとも、それが救いかどうかはわからないけれど……。
新キャラ登場するも、合流はまだ先です。
多分。




