第三十三話 彼女たちの長い午後 ~已己巳己~
副題の「已己巳己」は互いに似ているもの、紛らわしいもののことを意味する言葉です。和風ネーミングナビゲーションをお持ちの方は知ってるかと思いますが。
午後に入って二回目の休み時間であった。
場所は校舎裏。
相手は顔見知りの同性である。
とは言え、たかだか十分間だけの休み。こんなところに呼び出される理由など皆目見当も付かない連理だ。
相手は何処か緊張した面持ちでこちらを見ている。何度かこちらに話しかけようとしているのだが、その度に言葉を詰まらせていた。
その仕種だけ取り上げると、その様子はまるで告白のようだが、彼の表情はどちらかと言えば苦悩。
「……来嶌? こんなトコに連れてきて、一体何の用だ?」
仕方なく連理は自分から声を掛ける。
偶に合同授業で一緒になる程度の顔見知りだ。名字は覚えているが、下の名前などうろ覚えである。 恐らく街で会っても気づかない程度の相手。
何故呼び出され、何故この様な状況に陥っているのか、全く解らない。
声を掛けられた事で覚悟が出来たのか、互いの視線がぶつかる。
「ああ……。
逆木。 お前に助けに行って欲しいヤツがいる」
その返事は微妙に煮えきれない感じではあったが、続けられたその回答に連理は首を傾げる。
「助けって……? それは今、言う必要のある事なのか?」
何らかのヘルプが欲しいだけなら放課後に言えば済む話だ。態々この短い休み時間に、しかもこんな場所に移動して言うべき事ではない。
「助ける相手は『黄泉御前』」
連理の問いには答えず、彼は淡々と述べる。
「――お前!?」
「ああ、おれはスレイヤーだ。
荒れ木三度Lossの敵、だろうな」
その様子は自嘲か苦笑か。 歪に口角が上がる。
だが答えに窮していた理由はそのせいか。
「何故だ? お前たちにとって『黄泉御前』は仇敵のはずだろう?」
あの少女、榊香はスレイヤーから見たらテロリスト扱い。 そう聞いている。
助けに行くのは吝かではない。
が、それを殺戮者側が言うのは理解出来ない。
「今はそんな事を話してる場合じゃないんだ。
聞きたいのは是か非か、だけだ」
「オレが行かなければどうする?」
「……上坂、だと分が悪いし、相手も悪いな。 お前たちの上司にでも頼むしかない。 その場合、間に合うかどうか微妙だけど」
「……何だよ、断りようがないじゃないか。 場所は?」
「おれがナビする」
来嶌はそう言うとテルムを抜き、自身の腕にその刃を走らせた。
「悪いがおれはお前みたいな運動能力はなくてな。 この状態で付いていく」
意識のなくなった自身の身体を校舎にもたれ掛けさせ、濃い《影》に自意識を乗せる。普段使う《影》に会話する能力はないが、これならば可能。これなら、というより可能になるだけ濃くした《影》な訳だが。
「事情の説明は道中ででもしてやる。 こっちだ」
来嶌慈尊は告白する。
自身が琴高へ侵入してきた連理のパートナーであるササを殺そうとしていた事。
人間と何ら変わりのない姿や様子、連理と共にいる姿を見て思い直した事。
鴉天狗の最期の声。
既に終えた自身の復讐、惰性で狩り続けた事への気づき。
自身の正当性を得る為に、味方である筈のスレイヤーへ無数の《影》を張り付かせた。
が、結局得られたのは復讐へ動く者のおぞましさと、そうでない者の残酷さを知っただけ。それでも今でも復讐が間違いだったとは思えないけど。
「あの『黄泉御前』って……、妹の、昔いなくなった友達、だと思う」
話の途中で彼は、そう言った。
だからこそ、彼は連理に自らの正体を明かしてまで協力を求めたのだと。
死んだ妹と時折遊んでいた少女。ある日を境に家族ごといなくなったという少女。
家は全焼した。
その被害に遭った、ならまだ話は分かるが、一家の死体は誰も見つからず、そのくせ早々に捜査は打ち切られた謎の火事。
「復讐は終わって、それでも惰性で狩り続けて、疑問に思ってもそれを続けて。 そんなおれでもさ、見捨てらんねーわ」
《影》は影であるが故に表情はない。
平面の、黒い顔。
だがそこには決意が見て取れた。
「見捨てらんねーっての。 おれはさ、妹も助けらんなかった、そんなしょうもない兄だけどよ」
「今度こそ、助けたいんだ」
◇ ◇ ◇
香は素早く後方へ跳ね距離を稼ぐと、手にした杖を短剣へ変化させ自らの手の平を斬りつけた。血で赤く染まる手で髪を掴み、血に濡れた髪をまとめて切り落とす。
「来なさい! 兵隊ども!」
それは血と髪を媒介にした召喚術。辺りに舞う髪と、零れた血を支点に、無数の死者達が呼び出される。
十や二十ではない。百を優に超える死者の群れだ。
肉体のあるモノ、ないモノ、骨だけのモノ、中には元ファンタズマ・アクマもおり多種多様。翼を持つモノ、角を持つモノ、そもそもの異形、鬼、竜までいる。
その共通点はすでに死んでいる事。
「はっ。 多芸じゃねーの、嬢ちゃんよぉ! おっ? 奈羅伽じゃねーか、はっはー、何だよ、死んでやがったのか!」
心底楽しそうに嗤いながら、掛居の拳が振われる。唸りを上げた拳が死者の体を陥没させるが、彼女は、彼女らはそんな事に頓着する事はない。
ただ迫る。
宛がわれた武器を手に、目の前の敵を排除せんと迫り来る。
だがそんな死者達の意外に鋭い攻撃は突然現われた障壁によって防がれた。
「ふん。 死者などにわたしの聖なる結界は破られませんよ?」
一部の死者達はハンドガンを持ち、それを撃つがそんなモノですら神父の結界は防いでいる。
その障壁を抜け、掛居は次々にその拳を振う。一体を、次の一体を楽しそうに破壊する。
――――!!!!
そこへ竜の死体が声帯のない喉を震わせ猛毒の吐息を吐いた。
掛居はそれを全身に浴び、皮膚を、肉を溶かされるが気にする風もない。何せ溶ける端から再生していくのだ。
戦乙女の槍と呼ばれるミュータントの中でも、彼は特に再生に特化した特殊個体だ。
目玉を失おうが、腕が落とされようがやがて再生する、スレイヤーでも随一の「怪物」。一撃で殺されない限りは、いや、一撃でやられてもそこに一欠片でも魔力が残っていれば再生出来る自信が彼にはある。
だから彼は傷を負う事を許容する。一時でも行動不能になりかねない攻撃は躱すが、そうでなければいくら受けても構わない。
どうせ、自分は死なないのだから。
不可視の障壁も腐蝕する。それを理解して尚、真藤は涼しい顔だ。
そこに香の降らせる瘴気の雨と鬼の金棒の一撃で障壁は破壊されるものの、張り直しはほんの一瞬。
「その程度の結界などいくら壊して頂こうとも構いませんよ。 ほら」
竜を閉じ込める形で障壁が張られる。まるで意味のない六芒星型の障壁だが演出としては素晴らしいと言えるだろう。
閉じられた空間で充満する毒の吐息があっという間に障壁を破壊してしまったが。
「おや? ではこちらで」
次に閉じ込められたのは鬼。
今度は武器を振うスペースがなく破壊に難儀している。動く程度の空間はあるが真面に武器を振るえない怒りに雄叫びを上げると障壁がビリビリ揺れた。
「来て」
再び香の髪が舞う。
そこに現われたのは先程までの死者とは違い、生前を色濃く残したファンタズマ。
屍鬼リビングデッド・榊 隆盛。
屍鬼リッチ・榊 ロジーナ。
屍鬼ヴァンパイア・榊 栞。
隆盛は決意の瞳で、
ロジーナは哀しそうに伏し目がちに、
栞は無邪気な微笑みに殺意を巡らせ、
かつての襲撃者達と対峙した。
◇ ◇ ◇
シルヴァーナは走っていた。
すでに足は限界を超えた。
投擲によって傷ついた右腕は激しく痛み、動かす事も出来ない。
里で、もし拠点もないまま疲労困憊になろうものなら、そこらでシャドウに襲われ殺されかねない。
それでも彼女は足を止める事が出来なかった。
目的地なんてない、何処に行けばいいかなんて分からない。何をしたらいいのか判らず、何が出来るのかも解らず、ただ前へ進む。
自己満足にすらならない。
自己犠牲にもならない。
ただの自虐行為だ。
それを理解しながら止まる事が出来ないのは、ひとりの少女を犠牲にすることで自分が長らえたという罪悪感からだろう。酸素の足りない頭で考えてもそれは理解はしているのだ。理解出来ているのだ。
でも、走るしか出来ないのだ。
それしか……。
「――!」
何処からか声が聞こえた気がした。
追い付かれたのだろうか?
振り返るが、その様な気配は無い。
だがそんな、その程度の行為すらも今の彼女には難しかった。取れているとも言えなかったバランスはあっさり崩れ、足を縺れさせて転倒してしまう。
「…………ぁ」
すぐに立ち上がろうとするものの、痙攣する両足は、どうにも動かない。
貼り付いた様な喉は声を真面に発さない。そのくせ呼吸音が酷く耳障りに響く。激しく動く心臓も耳の傍にあるかの様な音に、周囲の音が掻き消されるかの様だ。
――結局、何にもならなかったのか。
泣きそうになる。
何も出来ない自分が酷く惨めだ。
「銀子!?」
至近距離から、声。
男の声。 聞き覚えのある声。
「無事だったのだな!?」
黒い顔。黒い羽毛と嘴を持つ、祖国では見ることのなかったタイプのファンタズマ。
「……ャ……ヒコ」
「ヴァ」を発音するのが微妙に苦手な鴉天狗。
結局、髪の色と名前を掛けて、それを呼び名にした黒澤耶彦。
「こんなになるとは……一体何があった? いや、それよりも休めた方が良いか。今隠れ家まで連れて行くから、そこで――」
「ヤ……ヒコ……!」
擦れた声。酷い風邪を患った時の様な、声にならない声。
「無理に喋るな」
耶彦の言葉に激しく首を振り、拒絶する。
出来ることがあった。
あの少女の元へ、この頼もしい援軍を送るのだ。
「あの……子を……! あの子を……助けて!!」
◇ ◇ ◇
「逆木……」
ビル群の中、《影》がナビを止め、躊躇う様に言う。
「何だよ?」
「ヤバいかも知れん」
「何がだ?」
「相手が『黄泉御前』と知られた。 スレイヤーの中の、極一部のメンバーだけど包囲網が出来始めている」
その言葉には強い警戒感。
スレイヤー同士と言っても仲のいい者は少ない。多少気の合うヤツもいれば師弟関係を結ぶ者もいるが、個人主義の者や極小さなグループ内でしか活動しない者の方が多い。
そもそも復讐者同士で交友関係を結ぶ者は稀なのだ。殺戮者同士で何となく手を組む者は少しはいるが。
そんな彼らの中で噂になるような連中は本当にヤバいヤツらだ。交友のない者にでさえ注意を呼び掛けたくなるほど。
「……具体的には?」
「彼女と戦ってるのはふたり。 さっき言ってた神父とチンピラだ。 見た目よりさらにずっとずっとヤバいヤツらだ。 で、さっきまで一緒にいたひとりが援軍を呼んだみたいだ。 そいつらが逃げられないように、助けられないように遠巻きに包囲してる」
走りながらも、アレク側にも救援要請はしてある。
だが最強戦力の徳倉鏡子は相変わらず留守であり、健斗の大学は距離があった。
一方、旧「暁」メンバーも戦える円井夕陽と塚本紡は来られそうだが、スマホの苦手な黒澤耶彦には連絡が付かなかった。恐らく彼は持ち歩いていないのだ。
ただどちらにしても広く、目印のある場所などない隠れ里だ。そこに行くための「門」の場所くらいは伝えられるが、そこからのナビなど口頭では不可能に近い。援軍が間に合うかどうかは、非常に厳しいと言わざるを得ないだろう。
ちなみにササと朱音には連絡は入れなかった。相手が強姦魔だと聞いていたからだ。そんなヤツらを相手取るのに女子禁制は当然の処置だ。
紡の大蜘蛛姿に欲情する人間はいないだろうから、そちらはさておくが。
「この道から遭遇する相手は?」
「『狂乱聖女』なんて二つ名持ちのヤベえ女だ。 そいつの部下も来てるみたいだが、そいつは知らないな。 多分ハンター」
「迂回路は?」
「あったら教えてる。 つーか、迂回路になりそうな道は潰れてるみたいだ。 隙間はあるが上手く通れるかどうか判らん」
「潰れ……?」
「ああ、『黄泉御前』が思いっ切りやってくれた。 ビルがいくつか倒壊してる」
「ビルって……どんだけ破壊力あるんだよ、っていうかそれでも勝てないのか?」
「相性が悪い。 あの神父は魔術とか魔物に滅法強いんだ。 あいつの結界内だと良くて半減、悪けりゃ2~3割くらいまで魔術は弱まるって話だ。 しかも彼女の手駒はアンデッドだけだろ? 一応は神父なせいかそっちにゃより強いみたいだな」
聞けば聞くほど良い情報がない。
「もうひとりは?」
「そっちは再生特化の化けモンだよ。 いくら傷ついてもすぐ治る。 その上、格闘技でもやってるのか、殴る蹴るのが随分様になってる」
「…………」
「どうする? 頼んでおいて何だが、こりゃいくら何でも分が悪い。 援軍を待った方がいいんじゃないか?」
「戦いながらでも援軍は待てる。 でも状況は待っちゃくれない」
走る速度を上げる。
前方に人影がふたつ。 それは明らかにこちらの進路を妨害に来ている。
抜き放つ《黄昏》。
「さっき、自分で言ったろ?
あいつらを……あの家族を見捨てられるかよ」
最高速度から斬りかかる。
「そこを! どけぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
何時か感じたような迷いはない。人を斬ることに対する忌避感も躊躇いも。
《悪魔喰らい》を重ねたことで身についたヒトを超えた速度と膂力だ。一般人であれば防ぐことも避けることも不可能に近いだろう。
だが、人外の速度と威力を防いだのも人外のちからだった。
長髪の女性と思しき相手が、華奢と言える腕と、その先にある不釣り合いな程巨大な獣爪でその一撃を防いだのだ。
「退けと言われて、はい分かりました、とは言えないわね」
ウェーブのかかった髪、切れ長の目。所謂クールビューティー。
しかし、その瞳の奥に感じる、嘲る様な笑み。
一瞬拮抗する鍔迫り合いに、咄嗟に身を退いたのは連理。
爪は、腕は左右にあるのだ。
「熱くなっている割に、意外と冷静ね」
退くともうひとりの姿も見えた。
こちらも女。肩程まで髪を伸ばした二十歳前後の年頃の。
「――お前も、邪魔をするのかっ!?」
そこにいたのは渡来絢。
知り合いだったファンタズマの為に、その身を危険に晒したスレイヤーだった。
◇ ◇ ◇
銃声が響いた。
スレイヤーでは意外と拳銃を使う者が多い。
ヘレティックに成れず、それでもアクマを傷つける為にその武器を選ぶ者。
ヘレティックではあるが護身、または牽制の為にそれを持つ者。
そして、ヘレティックに、ハンターに成ったものの、テルム適性が低く、そちらをメインに選ばざるを得なかった者だ。
真金 冬弥もそういった適性の低いハンターだ。
彼の持つテルムは《血》。
スレイヤーで多く使われる汎用性の高いテルムで、筋力を中心に若干身体能力が上昇する程度の能力しか持たない。だがそれでも片手で大型拳銃を使える程にはなれる為、デモノイーターの道を選ばず、ある意味「安全」なこちらでスレイヤー入りする者はそれなりにいる。
もっとも、これでスレイヤーとして戦う者は、ゲーム感覚で「魔物狩り」をするような輩が大半だ。
彼もそのご多分に漏れず、復讐者でも殺戮者でもない、最近はスレイヤー内で増えつつあるカテゴリーの若者である。
「退けぃ!」
そんな彼と対するのは鴉天狗 ――黒澤耶彦。
彼は銀子を拠点まで運んですぐに香救出へ向かったのだ。
敵対するのは真金ともうひとり、炎のテルムを使う女。
「退きません! これはテロリスト『黄泉御前』を殺す為の重大なミッションです! 邪魔は――」
「巫山戯るなぁっ!! あの娘をそう仕立てたのは貴様らではないかっ!?」
耶彦の持つテルム ――《双子》が顕現する。
厚い刃を持つそのテルムは単純攻撃力はそれなりに高く、また徳倉鏡子の目により「結界破壊」の能力を持つ事が解っている。
もっとも、耶彦としてはこんな代物が使えるようになった利点よりも、天狗の羽団扇を失った損失の方が大きいのだが。
何せ、彼の持っていた羽団扇は大天狗や鞍馬天狗より加護を賜った呪具である。
更に日々自身も術式を重ねていったそれは、持つだけで魔力を底上げし、振れば超広範囲に嵐を巻き起こす程になったのだ。
それが喪われたお陰で彼は戦闘スタイルの変更を余儀なくされた。近接戦闘が苦手と言う事はないのがせめてもの救いだろう。
「てめぇはマジメか!? 何、アクマと論争してやがる!?」
「何を言ってますか。 まだしていないでしょう?」
「まだとかって、する気満々じゃねーか!?」
「そもそも私はみんなみたいに復讐とか殺戮とか興味ありませんし、会社に恩はありますからお手伝いくらいはしますけど、積極的に殺すだ殺されるだなんてする気はありませんよ?」
彼女の名は高瀬マリ。
ヤクトルビルディングに事務職で採用された一般社員である。何の因果かハンターの資質が認められ、事務職兼戦闘職という訳の解らない社員と化した。
真金冬弥よりもずっと格上のテルム《火葬》を使うハンターである。
「……付き合ってられん」
毒気を抜かれたように言い捨て、耶彦は翼を広げた。
戦うつもりなら、と地上へ降りたが漫才に付き合うだけなら時間の無駄である。実のところ移植された翼はいまいち飛びにくく、魔力も落ちてしまった今、以前のように空からの攻撃はただの的になりかねないという理由から臨んだ地上戦だった。相手に戦う気がないのなら空を飛んで逃げるのが正解だろう。
「あ、こら、逃げんな! ここは正々堂々と戦うところだろうが!」
「真金くん。 二対一で正々堂々はないんじゃない? あと私達の受け持ち範囲はその辺までよ?」
「だからって逃がしてどうするよ!?」
「お題目は兎も角、あのふたりの目的なんてひとつしかないでしょ? あんなのに協力するなんてゴメンだわ」
眼鏡の位置をくいっと直しながら、彼女は冷静に言ってのける。
「てめ……ワザとかよ」
自分では勝てない、やる気のない同僚に剣呑な視線を向ける。
「上に言われたから来はしたけどね、それ以上のことは望まれていないわ、どうせ」
「……どういうこった?」
「あのふたりはやり過ぎたのよ。 ここ数年あいつらの被害者やその生き残りがほとんどみんなアレクに流れている。 ファンタズマだけじゃなく人間もね。 資金力はこちらが優勢でも単純な戦力ならもう逆転されているのよ? その状態で、もしアレク内にスレイヤー排除の声が大きくなったら、どうなると思う?」
教師のように彼女は目の前の同僚へ問いかける。
彼のように「遊び」でシャドウを狩る人間はその様な状況に目を向けない。向けていない。だがそれは理解出来ないという訳ではないのだ。
「……こんな小競り合いなんかじゃない、全面戦争、って事か?」
「ええ、多分、ね」
「社長だって、似たようなモンじゃねーかよ」
ふて腐れたように真金。
「社長、って、鷹城理事の事? あの人はトップじゃなく、トップのひとりでしょ?
うちの会社は一枚岩とは言えないのよ。 あの人の強権だっていつまで通用するか解らないわ」
「そのわりに、今回の戦力は随分張ったもんじゃ……。 まさか、今回集められたヤツらって……」
「全員じゃないでしょうけど、半分くらいはそうなんじゃないかしら?」
つまり、真面目に「仕事」をしてて、今回のミッションに呼ばれた残りの半数は、今回の目的の為の生け贄に選ばれた者。
「粛正対象ってことかよ」
苦虫を噛みつぶしたような、厭な表情を浮かべる真金。
彼も「遊び」で狩りをする人間だ。今のところ相手はシャドウだけで、ファンタズマもアクマも殺したことはないものの、そう言った対象である事は十分に考えられた。
「生き残っても別に文句は言われないと思うけどね」
「ちっ、礼は言わねーぞ」
「お構いなく」
◇ ◇ ◇
銀閃が宙に軌跡を描いた。
それを受け止めるのは文字通りの「鬼の爪」。
『狂乱聖女』長岡祐子は主に鬼を喰らう『悪魔喰らい』。
この爪はそれによって得た武器だ。取得した当初は戸惑ったコレも、今ではヒトの姿より余程しっくりとくる。
「くっ、邪魔だぁぁぁ!」
大きく横薙ぎするも、彼女は至極あっさりと軽くステップして躱してしまう。
連理は身体能力こそ向上したが、刀の扱いは我流に過ぎない。
テルムであるからか、何となく使い方こそ理解するが、そこに技は、歴史を積み重ねたような技術はない。そこにはフェイントも何もない。ただ適正な角度で振り刃を立てる、それだけなのだ。
そこへ絢が背後から強襲する。
その場所は判っていた為、体を捻りながら躱すが、そもそも大振りした直後の体勢であった。
バランスが崩した途端飛んでくる鬼女の蹴り。鬼の膂力を得た蹴りは、今の連理をしても大打撃だ。 いつぞの再現のように、ビルの外壁に叩き付けられる。
「今が、今こそがあの『黄泉御前』を殺せるチャンスなの。 貴方も人間なら邪魔をしないで頂戴」
その言葉を聞きながら連理は血の混じった唾を吐く。
「はっ。 殺戮者が勝手に人間を代弁すんな。 女子中学生を囲って殺して万歳三唱か!? くそ食らえだ!!」
鼻で笑いつつ、飛び込み一閃。
だが酷く丈夫な「鬼の爪」はそれを受け止める。両手持ちの、ちから一杯の一撃にも拘わらずその傷は浅い。全くの無傷ではないものの、軽く削れた程度の傷は治ってしまっている。
なら治りきる前に削り取りたい所だが、相手の方が手数も人数も多いのだ。
時折、絶妙のタイミングで横槍を入れてくる渡来絢が邪魔くさくてしょうがない。
「貴方のその思いなんてただの判官贔屓よ。 弱い方に、危険の迫る方に味方をしたいだけ。 解ってるの? アレは只の殺人鬼よ」
まるで諭すように語る『狂乱聖女』の目が気持ち悪くてたまらない。
こちらを慮る振りをして、嘲り笑う瞳が不気味でたまらない。
「あいつを! そうしたのは、お前達だろうがっ!」
その叫びは奇しくも、同時刻に戦う鴉天狗と同じものだ。
「わたくしをそうしたのもアクマ達よ?」
長岡祐子は揺るがない。
《影》来嶌慈尊の話では『狂乱聖女』は鬼に対して異常な敵愾心を持つという。鬼に家族を食い殺されたという彼女は、鬼を喰う鬼女となった。
「わたくしは夫と子を殺されあいつらを殺す為にスレイヤーとなった。 何処か違っていて? 何処が違っていて?」
(後ろだ)
その会話の中、耳の傍で声。 《影》が渡来絢を監視しているのだ。
論破する、衝撃を与える。
そんな話をしながらの不意打ち。それはどう考えても対人間用の戦術だ。
勿論内容を変えれば対ファンタズマ用でもあるが、スレイヤーの話を聞きどれ程のファンタズマが衝撃を受けるというのか。そう思えば、やはりこれは人間用の戦術。
絢の攻撃を受け止め、即移動。 唸りを上げる「鬼の爪」を躱す。
「同じよ。 ならば強い方がまかり通る、それだけのお話だわ」
先程から背後の攻撃を簡単に避けることを訝しんでいるのか、話ながらも彼女の表情は歪に歪む。
「同じだと? 泣きながら人を殺す道を選んだアイツと、心底楽しそうに嗤い、斬りかかり、論破しようとするお前がか?」
連理は知っている。
榊香やその家族の苦しみと葛藤を聞いた。実際に会って、話して感じた。
狂笑を上げ、スレイヤーを殺し、殺しまくる一方で、泣きそうな顔をしているという香は、狂ったと思い込んでいるだけの復讐に逸る少女なのだと。
事実、彼女は「タタリに堕ちて」いない。
狂気に染まり、心を常に捕らわれていれば、魔物はタタリに堕ちる。それは混血であっても関係はない。彼女であれば、魔女に覚醒した時からある意味そのリスクに捕らわれているのだ。
逆に言えばタタリになっていないと言う事は、その心が「何か」に染まりきっていないという事を意味する。
だからと言って彼女が全くの正常であるとは言えない。
それでも彼女の心は何処かが壊れているのは違いない。
だが、狂ってはいない。少なくとも染まりきってはいない。
タタリになってはいない。だからこそ笑いあえる。苦笑であっても小さな微笑みであっても。
「寝言は寝て言え」
一方で目の前の鬼女はどうだろう?
ヒトであるからこそタタリに堕ちることはないらしいが、彼女がもし魔物であるならとっくにタタリと成っているのではないのか?
この女性はすでにタタリと言える存在なのではないか?
分からない。そんなことが解る筈もない。
「つーか、寝てろ」
だが、何を考えどう思考しようとすべき事は変わらない。
連理の剣速が上がる。
技術は一朝一夕で身につくものではない。本来であれば身体能力だって簡単に上がるものでは無い。
だが、彼の前にいるのは、鬼を喰らい、自らも半ば鬼と化した鬼女。
《黄昏》が鬼女の中の鬼を喰らう。
ほんの少しずつ、数字で表せないくらい少しずつ、だ。
しかし、目の前に集中しすぎると絢の対処が遅れてしまう。それでも彼女の《呪詛》は短剣であり、今の彼なら余程でなければ重傷を負うリスクは少ない。
物理的に、ではなく反応速度の問題だ。それに恐らく絢の攻撃には躊躇いがある。
また、多少は手傷を受けても、呪詛は《黄昏》で喰えるのは実証済みだ。
鬼女を喰う。
呪詛を喰う。
鬼女を喰う。
呪詛を喰う。
そんな自分だって真面な人間である筈がない。
正に「面の皮が厚い」円井夕陽へ何気なく衝撃を徹し、魔物と呼ばれる存在と真正面から殺し合える、それが只の人間である訳がない。
だからこそ彼女たちを助けに行ける。助けることが出来る。
ならば不満などあろう筈もない。
「――あ……」
無数の軌跡の内、そのひとつが鬼女の腕を斬り落とし、次の一撃が胸を捉えた。
その口から漏れたのは、何処か無垢に聞こえる、囁き声のような小さな嘆声。
一瞬、気が抜けた隙に勢い余った絢の攻撃が連理を捉えるが、脇腹を軽く抉られた程度だ。すぐに《黄昏》を傷へ宛がう。呪いがちからを振う前に呪詛を喰らい尽くすのだ。
「強い方がまかり通る、と言ったな」
流石に肩で息をし、体の彼方此方から血を流しながらも、連理は鬼女を、いや、元鬼女を見下し、そう言った。
彼女の左手は落ちたが、胸の傷はそれ程深くは無い。だがそれでも彼女の戦闘力を奪ったことを彼は理解していた、
「……ええ、そうね。 好きになさい。
どうもこちらも本気では行けなかったようだし……」
自身の残った右手を不思議そうに見つめつつも、絢へと視線を向ける。特に咎めるようなものではないのが救いか。スパイ的な疑惑は持っていないように見えた。
「先輩だ」
短く、余計なことは言わないよう、それだけ答える。ここで絢を糾弾したところで意味はないのだし、大変ではあったものの、手加減はしていてくれた様なのだからここで文句は言わないでおく。
「ああ、それは悪いことをしたわね……」
元鬼女は、人間のまま鬼のものには変わってくれない右手を動かすだけで、傷を押さえる等の行為をしないでいた。血が、地面を赤く染め続ける。
「手当て、しないのか、『先輩』。 助かるかどうかは兎も角、このままじゃ間違いなく死ぬけど?」
「いいの? てっきり止めを刺すものだと思ってたんだけど」
「オレは急ぐんだよ。 『先輩』はもう邪魔はしないよな?」
「呪詛が効かないんじゃ、わたしに出来ることはないわね」
「んじゃ、そのおばさんは任せた」
「おばっ!?」
大量出血している割にその言葉に反応する様子は見えたが、走り出していた連理はそれを無視して進む。
随分と時間を掛けてしまったが、初動が速かった為だろう。まだ手遅れではないと《影》が太鼓判を押した。
なら、走るだけだ。
「はあ、もうスレイヤーは廃業かしらね……」
「何ですか、突然。 もう助からないって話ではないですよね?」
「あれだけ喰った鬼が、もう自分の中に殆ど残っていない……。 それが解るのよ」
普段とは違う、何処か軽い口調で言う上司に、絢は不思議そうな表情を浮かべる。
「適当に義手でもつけて、保母さんでもやろうかしら?」
「……平和そうで、いいかと思いますよ」
『狂乱聖女』長岡祐子は元々ちょっとヤンデレ気味の奥さんで、精神的特徴として「狂気/軽度」を持っていました。
以前に書いた通り「後天的な」デモノイーターは最初の悪魔喰らいで「精神汚染」を得た後は精神的なマイナス特徴を取得していくので、その行程でもうひとつ「狂気」が増えています。家族を殺された時にも「狂気/鬼と対峙」や「憎悪/鬼」も取得していた為、彼女はかなりイカれたキャラクターとなっていました。
今回の話で精神汚染の元になった「悪魔喰らい」した成分の大部分が抜けた形になり、ちょっと落ち着いた感じになってます。まあ、鬼と出会うことがあればまたイカれた感じに戻る可能性は高いんですが。
ちなみに、助かった、というか止めを刺さなかったのは偶々です。最初はこのシーンで命を落とす筈でした。これから助かるかどうかも決めてません。




