第三十二話 彼女たちの長い午後 ~雪月風花~
このシーンからしばらく、細々と場面が切り替わっていく……予定です。
ちなみに雪月は12月、風花は晴れた日に降る小雪ですね。
暁と言う旅館があった。
素朴な、おっとりした老夫婦の経営する古き良き旅館だった。
古いせいか家鳴りはするし、歩けば鶯張りの如し。 だが、清潔に保たれた館内はとても好感が持てるし、夫婦の作る料理は評判が良かった。
だが、それは過去の話だ。
旅館のあった場所にその姿はなく、代わりにホテル兼テナントビルが建とうとしていた。
地域住民は旅館のある光景に慣れていたし、そもそも令和の世にあって地上げの様な形で「取り上げられた」なんて噂すら流れた物件である。当然、評判は良くないし、あからさまに侮蔑の表情を向ける者も少なくはない。
それでも淡々と工事は行われる。正規の仕事である以上、そこに私情を挟む余地はないのだ。
建築主はヤクトルビルディング。
自分達の親会社である。
どんな黒い噂が流れようと、それが事実と認定されない限り従うのみだ。
下請けのような立場。まして昨今の不況下である。
明らかな犯罪でない以上、仕事は選べない。
そんな工事現場に視線を向ける女性の姿があった。少し青みがかって見える銀髪を腰程まで伸ばした美女である。
年の頃は二十歳前後か。白い肌は寒さに震えているようだ。
その蒼い瞳は何処か憂いでおり、今にも泣いてしまいそうに見える。
彼女はシルヴァーナ=ローニー。
かつて「暁」と呼ばれた場所に身を寄せていた魔物のひとりである。
「暁」は暁旅館と位置を同じくする隠れ里にあり、そこにいた者達にとってもあの旅館も思い出深い場所であったのだ。
だが、そこはもう見る影もない。見えるのは工事用のフェンスとシート、キャットウォークくらいだ。
何度見ても、かつての旅館はもう一片の欠片すらも残っていないのだ。
ちらちらと雪の降るそんな「跡地」を見て、彼女は深く溜息を吐き目を伏せた。
かつて、寄る辺を探し歩き、漸く辿り着いたのが「暁」だった。
地元に居着いたハンターに追われ、逃げ回る内に海を渡った彼女。
幸いにも海を渡るという行為自体には何の苦労もなかったのだが、辿り着いた異国では全く言葉が通じなかったのだから非道く苦労をしたものだ。
それでも偶々出逢った木霊と、英語での意思疎通が出来たお陰で「暁」に渡りを付けて貰い、もう十年程にもなる。
三年程は慣習も言語も違う生活に大変な思いもしたが、五年も経てば日本の生活にも慣れ、言葉も不自由なく使える程度には習得した。
このままここで暮らしていけると、そう思っていた。
ついこの前までは。
急な地上げとスレイヤーの襲撃に、まとめ役のチヤが倒れ、幾人もの友人が殺され……。
自身は幾つかの門を潜り抜けた先に水辺があった事で何とか逃げおおせたが、生き残ったであろう「暁」の者とは音信不通のままだ。スマホはなくしてしまったし、唯一覚えていたオトノの番号は繋がる事はなかった。
もしかしたら、と一縷の望みを掛けてここへ通ってはいるものの、偶然誰かと会う、何て事もない、ただの徒労。
――もしかするとみんな殺されてしまったのだろうか?
何時も、そんな不安は胸の中に巣くっている。
――また旅立ってしまおうか?
みんなの生存を信じ切れない自分がそう囁く。
それでも、彼女は足繁くここへ通う。諦めきれずにここへ来てしまう。
最初の内は旅館暁の跡地を見える場所で半日程待った。
待つ時間は日々短くなっていき、今は三十分程待てばその場を去る。恐らく今後はもっと短くなるだろう。
それでも来てしまうのは期待なのか惰性なのか。
――今日はもう帰ろう。
また少し短くなった待ち時間を自覚しながら、視線を下ろしつつ振り返ろうとして ――彼女は即座に身を隠した。
まさか、と思った。
にやけ顔を浮かべた金髪と、黒い神父の姿を見て彼女は即逃走を図ったのだ。あまりにも不自然な動きだったが仕方がない。
自身の顔を知るであろう襲撃者がまさかこんな跡地に来るなんて思いもしなかった。
最初から物陰にいたのは幸いだったが、気づかれた可能性はある。だが確認なんてしていられない。
襲撃当時の逃走に使った門は工事現場の中だ。入れない。
そう離れていない海へ向かうか、別の門へ向かい里へ逃げるか。
彼女は先程までとは違う別の意味で泣きそうになりながら逃走を開始したのだった。
舞い始めた雪に、ふと故郷を思い出しながら。
◇ ◇ ◇
「……見たか、神父さんよぉ」
金髪の男が隣の神父に声を掛けた。
にやりと、非道く獰猛な笑みを浮かべ、ぎらぎらとした欲望を隠しもせず舌舐めずりする様子は正しく獲物を見つけた肉食獣そのものだ。
「ええ、あの時に逃したアクマですね。 今度は逃がしませんよ。
ああ、坂田さんにも連絡を入れておきましょうか」
そう言いつつ彼は腕時計のように左手にしている通信機を操作し始めた。
それは有名なモバイル機器ではなく、スレイヤーのタリスマン達が開発した、特殊な物だ。何せ通常の手段では電波の立たない隠れ里でも使う事の出来るのだ。優れ物である。
何せ、隠れ里では当然電波塔など建っていないのだからスマホ・携帯電話は使えないし、何故かトランシーバーも繋がりが悪い。
「あん? オッサンも呼ぶのか?」
「逃げる獲物は足を潰すのが定石ですよ、掛居さん」
足を打ち抜くのだと、そう示唆しながら連絡する。
別にその一撃がずれて致命傷になっても構わないのだ。自身が「浄化」出来たのなら、その直後に死んでしまっても全く問題はない。
「ま、近くにいりゃあいいけどな」
「ああ、そちらではなく、こちらの道から行きましょう」
走り出そうとする掛居を制し、真藤は別の道を指し示した。
「あん? 何でよ」
「また海に逃げられたら面倒です。 あちら側から行ける里には海がありませんし、向こう側の方が大っぴらに動けます。 追い込みましょう」
にやり、と笑う。
「変動が無ければ、ですが」
取って付けたように、里の変化を口にする。隠れ里が稀にその繋がりを、形を変えるのはワイズマンであれば必ず知っている常識だ。だが、意外と安定している場所は安定しており、固定化、というと大袈裟ではあるが、それに近い場所があることは確かだ。
この辺りの隠れ里は比較的安定しているものが多い。
だから、そう言った神父もそちらの心配はしていない。
だから、酷薄で歪な笑みを浮かべる。
それは楽しみで生き物を傷つけ殺す事も厭わない者、特有の笑みと言えよう。何処か歪で、近寄りがたい雰囲気を醸し出す不気味さを伴った狂笑。
「なるほど、狩りの基本だ」
掛居はそう言われ、周囲の地形を思い出す。
学校の成績は下から数えた方が遙かに早かった ――というか数える必要のなかった彼だが、そう言った戦略なら感覚で理解出来るタイプだ。
「ならあそこのビル角からオレは右だな」
「ええ、わたしは左で。 坂田さんには裏から追い込んで貰いましょう」
「あん? そんなに近くにいたのかよ、オッサン……」
◇ ◇ ◇
彼女は追い詰められていた。
最早袋の鼠と言ってしまっても過言ではないほどに。
殺意を伴うほどではなく、かといって傷つけることを忌避する事もない行動の数々は彼女の神経を酷く疲労させる。
容赦のない投石が顔の横を飛んでいった。
海へ行く道へ進路を変えようとしたら、何等かの障壁が張られ、危うく捕まりそうになる場面もあった。
何とか隠れ里に逃げ込んだものの、今となってはそれも悪手だったと言わざるを得ない。向こう側で逃げる限りは大っぴらに拳銃を使う事は難しいからだ。
今は何処かの映画の様に、銃弾が飛ぶ。
銃撃は手脚を狙っている様で、左右に細かく動けばそうそう当たる事もないが、これもそのうち胴体に狙いを変えてきそうで、恐ろしい。
「あぐっ!?」
唐突に激痛。
背中に何かが刺さったのだ。
頭を巡らせると、何時の間に先回りされたのか、黒い神父が路地からダーツを構えているのが見える。
シルヴァーナは身を捩りその反動でダーツを抜くと、そのまま走った。
「おいおい、何やってんだよ、神父さん」
態々足を止め、掛居が文句を垂れる。
お楽しみのある狩りだが、別に真剣にやっている訳ではない。逃げられたら逃げられたで、また追うだけなのだ。
「すいませんね。 今のは麻痺毒だったんですが……どうも効かなかったようですね」
「……あ~、効いてる風には見えねぇな」
真藤の使う毒はそれなりに即効性がある、組織内のタリスマンが作った特別製だ。それなりに高価だが重宝する代物。特に彼らのような者達には。
勿論効かないヤツには効かない。まあ、場合によっては閾値があるかも知れないが。
「まあ、毒が効かないというのも実にアクマらしいのかも知れませんね、っと!」
真藤が、話ながらそこらから拾った適当な石を投げると、それは意外な速度で彼女へ迫った。
「おや、外れましたか」
動きの変わらないように見える女に、真藤はそう呟いた。
「いや、一応当たったっぽいな。 手を押さえてる。
さっきオレは外しちまったけどなあ。 野球でもやってたんか?」
眼鏡をした彼より、視力がいいのであろうが、チンピラじみた風貌で目を凝らすように見るその姿はまるで睨みを効かせるヤクザだ。
「いいえ、特には。 どちらかと言えば周囲から運動は控えろと言われてましたね」
苦笑するその様子は一般人と大差がない。だがその内心には狂気。
「なんだそりゃ? 頭以外にイカれたとこあったんか?」
「頭も可笑しくはありませんよ? 筋肉付いたら似合わないから運動はしないでくれと、女子たちが言ってきたんですよ、何故か、何度も何度も」
言いながら肩を竦める。当時も、今考えても訳の解らない要望だ。
その望みの真意を彼が知ることはないだろう。
「意味不明じゃねーか。 何で従うんだよ?」
「あの頃は素直だったんですよ、わたしも」
「素直な神父さんとは、ますます意味不明だわ」
『おいおい、くっちゃべってないで動いてくれよ、若人よぉ』
通信機から聞こえるのは坂田の声。連携をとりやすい様にこの三人の中で通信はオンにしてあるのだ。 当然、こちらのお喋りも向こうへ届く。
「問題ないさ、オッサン、もうすぐ詰む――」
――ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ…………ン
掛居がそう返事をした時、周囲に轟音が響いた。
◇ ◇ ◇
「――見つけた!」
轟音と衝撃と、そこから放たれる無数の瘴気の刃で辺り一面を破壊しながら地面へ降り立った榊 香は喜びの声を上げた。
あれから七年。
求め続けた、探し続けた家族の仇。
まるで恋焦がれる乙女の様に、夢の中まで追い続けた相手がそこに在る。
「あはっ」
口から出るのは笑い声。
反面その表情は泣きそうで、泣き出しそうで何処か切ない。
「あはははははははははははははっ」
嗤いながら手に持つ杖を一振りすると、彼女の服装が別のモノに変った。
彼女の血族のみが使える魔術法衣。無数に編み込まれた魔法陣が、ルーンが矛盾無く作用する様に計算され尽くした上で作られた「魔法使いの長衣」なのだ。
そのままの動作の、一連の流れの様に前方へ激風を放つ。
「……あなたは、邪魔。 逃げて」
荒れ狂う狂風を維持しながら、背後の女性 ――シルヴァーナへ声を掛ける。だが、彼女はまだ何があったか認識出来ていない様だった。目を白黒させて、それでも目の前の少女と後方を何度も見て、状況を把握しようとしている。
「邪魔。 あなたは逃げていた。
だからそのまま逃げていけばいい」
揶揄した訳ではなく、状況だけを伝え一歩前へ。礫と砂塵を巻き上げる狂風の中へ、更に瘴気の雨を降らせる。
事実、香にとってこの女性の存在は邪魔以外の何者でもなかった。彼女を巻き込まない様に魔術を制御しようとすると、どうしても威力が落ちる。
ガァァァン
銃撃。
軽い「銃弾」という物体であれば、今展開している風で少しは逸らせる。至近距離でもなければ当たりはしないが、その威力は軽んじる事が出来ない。
その方向へ瘴気の槍を投擲する。手応えはないが牽制には十分。
だがそれは大きな隙だ。
チンピラと神父 ――掛居東誠と真藤紅の姿が迫ってきたのを見たシルヴァーナは恐怖に駆られ、這々の体で漸くその場を脱したのだ。
◇ ◇ ◇
(そんなアホな偶然があるのかよ……)
《影》を通してその光景を見ていた彼は授業中であるにも関わらず机に突っ伏した。
あれから ――寮内を平気で歩き回るファンタズマを見逃すと決めてから、彼は《影》を身内であるスレイヤー達に張り付かせていた。
彼らが何らかの信念を持って行動しているのか、その行いが周囲から見ても「正義」であれば、もしそうなら自身が感じる罪悪感も少しは減らせるんじゃないかと、保身にもならない気休めに過ぎない行いだった。
神父に張り付かせた《影》は彼にとって意外なものを見せていた。
こいつらはクズだ。 どう見てもクズだ。 擁護する事何てできない。 ならおれもやはりクズに過ぎないのか。
そう思っていた時の光景だった。
(だけど、何ができる? 何か……? 何かしなくちゃいけないのか? した方がいいのか? おれは何かしたいのか?)
所詮気休めに過ぎない偵察。
出来ればそれで自身の「正義」を確認出来れば、なんて思っていた行為。
蓋を開けてみたら、行われようとしているのは何の正当性もない襲撃。ただ女を襲うだけの暴行現場。
(……理央……)
殺された妹を思い浮かべる。妹の名を小さく呟く。
所詮想像に過ぎない「妹」が何かを答えるはずもない。なのに彼女は、何かを訴えるようにその身を、その唇を震わせる。
(そっか……友達だもんな)
顔を上げると何時の間にか授業は終わっていた。
勢いよく立ち上がる彼は、直ぐさま駆け出していた。驚くクラスメイトを尻目に、暫く見せていなかった真剣な瞳で。
スレイヤーに特殊な通信機がある様に、アレクでも別系統の通信手段があり、それで隠れ里内の通話を可能としています。




