第二十二話 獣たちの饗宴、あるいは共演
久しぶりに一万字を超えたでござる!
このキャラを再登場させるのはちょっと早すぎた感があるんだけど……まいっか。
自身が眠りたくないと願い、眠ることがなくなった時、それは不眠症と呼ぶのだろうかと、彼は益体無いことを考えつつその夜を過ごしていた。
眠れなくなる病状を、眠らないと思う自分に当て嵌めるのは何処か違うと、ただそう思っただけの事ではあるのだが。
眠りとは人間のみならず多くの動物にも、それどころか一部ではあると言われているが植物にも必要な機構だ。微生物やその手のものに対する知識は彼に無いが、それでもその機構をなくして日常生活を送れる自分がマトモとは思えなかった。
通常の睡眠を取らなくなって、もう二週間になる。
過去の人間の不眠実験を紐解くと十日前後で精神的に異常が見えてくると言うが、自身にそれらの異常行動 ――自傷や不信、記憶力低下等だ―― は現れていない、と思う。勿論記憶にないだけで実は多少の睡眠を取っている、取ってしまっている可能性はあるが、そうと分かるような長い時間、記憶が飛んでいることはないように思える。
それとも自分はとっくに異常をきたし、本人は起きているつもりでも、眠った体はフラフラと勝手に街を歩き、誰かを傷つけているのだろうか?
そこまで考え、己が今こうしている理由を鑑みて苦笑する。とっくに自分は異常をきたしているじゃないか、と。
暇つぶしのタブレットを片手に苦笑いを浮かべる彼は、昨今のネット・SNS依存症の様相を呈している。
睡眠障害も現われるというそれに、ある意味近いものは感じなくもないが、実情は真逆と言ってもいいだろう。
眠れないと眠らない。
己という内向とネットという外向。まあ、ネット依存は外向というには少々歪な気もしないでもないが……。
もっとも、歪と言うなら自身の方が遥かに歪んでいる。
性根が歪んでいるとは思わないが、周囲に直接的な被害を出すという時点でまだそちらの方がマシなのだろう。いくら歪み根性でも無作為に周囲の人間を半殺しにしたりはしないだろうから。
――真面目に、真剣に対応するつもりなら、警察か何処かへ行き全てを話すべきなのかも知れない。
だが、もしこの無意識の凶行が彼等に及ぶ様であれば、所謂「悪い奴」しか手を上げていなかったという自己弁護が通じなくなる。
多分、それを怖れている。
睡眠を取らない二週間もの時間の、内に向かうしかなかった結果の暇つぶしの様な自己分析とはいえ、これでは折角大学まで行かせてくれた養父母に会わせる顔もない。
一応、学説や実験の常識外であるとしても、睡眠不足の影響もあるのだろうか?
それ以外にもこの二週間まともに外出もしていない。
食事は有り物残り物やカップ麺で済ませ、大学は自主休校。バイトも辞めさせてもらい、真性の引きこもり生活であった。つまり殆ど太陽の光を浴びていないのだ。
ただでさえ何処かおかしい自分だ。
睡眠を取ることに恐れはあるが、少し陽を浴び、少し栄養を取った方がいいのかもしれない。
彼 ――犬養宰は使わないままバッテリーの切れたスマホをタブレットの傍らの充電器に置き、財布を片手に久しぶりの外へと向かった。
◇ ◇ ◇
家の中でも陽は当たるが、それでも屋外とは比べるべくもないのだろう。不健康な生活に慣れた目を刺激する陽光は、何とも強烈だ。もう十一月にもなるというのに突き刺さる様に入り込んでくる。
もっともそれはある意味自業自得とも言える、太陽の洗礼だ。
目だけではない。しばらく陽を浴びていなかった体に、じわじわと浸透する。それは最早汗ばむほどのものだが、久しくあるそれは何処か心地良い。
歩を進める。
まるで進展のない、意味のない二週間だったが、こうして太陽が必要なのだと認識出来ただけでもマシだったのかも知れない。
人間には太陽が必要なんだ、なんて、普段の生活で思える場面はそうそうないだろうから。
眩しい日差しは滅入った気持ちも照らしてくれる様で、ここ暫く続いたマイナス思考も今ばかりは鳴りを潜めている。
何が解決した訳でもないのに、ただ外に出ただけでこうなる自分は随分と安上がりなのだな、と、そう自覚する。自覚せざるを得ない。
毎日陽の当たる生活をするだけで解決できそうな気にもなってくるが、残念ながらそれで終わらないのはこれまでの経過が証明していた。
一方で、気の持ちようもあるのかも知れない、と思う自分もいる。
最愛のふたりの死を切っ掛けに ――としか思えないタイミングで―― 起こり始めた凶行だ。その時に二重人格にでもなった可能性は、まあゼロではないだろう。もっとも、普通は二重人格で怪力無双になったりはしないだろうが。
益体のない考えだ。
切り捨て、それでも再検討したものの結局モノにならなかった思考のひとつ。長らく考えていたせいで、ただ歩くだけの今なら勝手に脳内で再生される。
再度沈み込んでいきそうになる思考を、軽く頭を振って切り換える。瞬間、ぶれた視界に何かが映り込んだ。
右を見て、左を見ると、何やら揉めている男女が見えた。
痴話喧嘩かと思いもするが、男はふたり、女はひとり。ここで男ひとりが仲介にでも徹していればその通りであろう。
だが、男はふたりともニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、女の進路を妨げる様な動きを取っている。
ナンパだ。
詰まらん奴らだと蔑むべきか、今時珍しいと感心すべきか、迷惑なヤツだと怒るべきか、時代錯誤めと馬鹿にすべきか。そんなことを考えて、そもそも止めるべきかと首を傾げる。
自分はそれ程お節介な気質ではない。迷惑な連中を見ても内心で憤るだけの小市民だ。
第一女性の方とて見知らぬ男に助けられても対応に困るだろう。マッチポンプだって有り得る世の中、そう思われるのは心外だ。
「何か用か、にーちゃんよぉ」
意味なく熟考していると、ナンパ師がこちらを見ている。いや、睨んでいるのだろうか? ひとりは目を細め、無意味に首を傾け、もうひとりは下から覗き込む様なポーズで珍妙な表情を見せている。
眠った時の彼はチンピラだけでなくヤクザも相手取っている。
そのせいだろう、全く恐怖はない。
寧ろ滑稽だと思える仕草に、にやけそうになる表情を何とか強張らせる。
「……何か、とは?」
だからだろう。
その声に感情のぶれはない。平淡で、平静な声だ。
「おいおい、じーっとこっちを見てたじゃねーかよ」
思考中に視線が固定されていたらしい。
「ああ、そのことか。
別に大したことじゃない。 今時珍しい時代錯誤な事をしてるが、ナンパは迷惑防止条例違反になるのに知らんのかと思ってただけだ」
生来、というかこうなる前であれば荒事など苦手で、体格はそこそこ良くとも、いざ有事となれば声も体も震えてしまったものだ。だが今はどうだ。震えるどころか如何にも堂々とした立ち振る舞いでふたりを圧倒する。
「…………いや、ならない……だろ?」
妙に接近していた顔を引き、今度は不安そうに覗き込む。
「そんな法律ねーよ」
気圧されつつも、もうひとりが毅然と言い放つ。毅然とした態度で堂々と間違えるのは結構恥ずかしいと思うが、ここは宰が突っ込むしかない。
「俺が言ったのは法律じゃなく条例だな。 条例は自治体ごとに定めるからアンタ達の地元とは違ってるんじゃないのか?」
珍しい、見慣れない行為であるから、まあ地元人ではあるまい、と他都道府県の人間であると仮定する。
「…………」
「場合によっちゃあ軽犯罪法違反だから、一応法律でもあるか」
「………………」
「前科が付いた例もあるらしいな」
男達の顔色が段々悪くなっていく。
彼等が今までどの程度のことをしてきたかは知り得ないものの、これまで捕まっていなかったのは単純に運が良かったのだろう。条例はそれなりの頻度で更改される場合もあるし、こういった決まりは「右へ倣え」で拡散していくケースも多い。
それなのに彼等が知らずに無事でいれたというのは、単に通報者が居なかったに過ぎない可能性が高い。だからこそ「運が良い」。
そしてそれは「今までは」という言葉で締めくくられてしまうところだったに違いない。
なにせ、今回の被害者は宰が巻き込まれてからもずっと男達を酷く剣呑な表情で睨み付けているのだから。
「…………――んなコト知ったこっちゃねーんだよ!!
てめぇはココで寝込んで、このオジョーサンはオレらが連れてく! 文句あっか!?」
理解が及ばなくなったのか考えるのを放棄したのか、最初に突っかかってきた方が宰の襟首を掴もうとした、その瞬間だった。
宰はその手を埒外のちからで弾き飛ばし、大きくバランスを崩した男の頬を被害者たる女性がグーで思いっ切り殴りつけたのだ。
「サワルナ」
宰は酷く平淡な、感情の籠もらない獣の声で、
「文句しかないわ!」
女性は怒りの籠もった声で、男を見下した。
ちなみに彼女の拳が頬に突き刺さったのは偶然だった。「戦い慣れた」彼女は外傷が見えづらいボディブローを選択したのに、そこに顔が入り込んできてしまったのだ。そこで狼狽える訳にもいかず、毅然と言い放つしかなかったのはある意味災難と言うべきか。
「……な……何しやがる!」
そう言えたのはひとり。倒されたひとりはとっくに気を失っていた。
「「正当防衛」」
意図せずふたりの声が重なる。
宰は夜の彼のような、無表情無感情の様相のままで威圧し、女性は怒気を露わに、明らかに格下を見る表情で、言い放った。
その雰囲気に気圧されたのか、男の足は徐々に退かれ、
「くそっ、覚えてろ!」
と、捨て台詞にもならない言葉を最後に走り去っていった。
「……仲間は置いてけぼりかい」
宰の言葉通り、気絶した男は足下に転がったままだ。
「とりあえず、この状況ではこちらが悪人にされそうですし、移動しません?」
先にそう言ったのは女性の方だった。少しだけ染めた、今時珍しくもない色合いの髪が風になびく。
「ああ、はい、そうですね」
丁寧語で話しかけられ、思わず同じように返してしまう宰である。
「何だか、巻き込んじゃってすいません」
歩きながら話す彼女の表情は苦笑。苦笑いでも笑顔は笑顔と言う事か、雰囲気は随分と柔らかい。
「いえいえ、お気になさら……ず?」
先程までとは違う、笑顔を見て思わず首を傾げる。
違和感? 既視感? 遠い記憶?
と言ってそれを口にしたら、先程のナンパ連中と一緒だ。 少なくともそう思われる。
「……」
だが、彼女の方も何か言いたげに宰を見ていた。強くなるのは気持ちを敢えて表すのなら懐旧、だろうか?
「…………とらい?」「…………つっか?」
何となく口から出たのは確かお互いのあだ名だった筈の呼び方。本名は何だったか、すぐには思い出せない。でも、友達だったことは間違いない。
「渡来でしょ、わ・た・ら・い。 耳にタコができるくらい言い直してあげたのに、まだ覚えてなかったの?」
言ってニヤリ。
お互い覚えていなかったのに、なんて言うのも野暮だろう。宰もニヤリと怪しい笑みを浮かべてみる。
「ああ、思い出したわ、笑いダヌキ」
小学校の時に彼女につけられた、悪口混じりのあだ名。
「わたらい」の「た」を抜くと「わらい」になるな、なんてつけられた広まる筈もなかった呼び名だ。 それを考えたクラスメイトが、冷ややかな目で見る女子達から総スカンを食らいかけた名でもある。
ちなみに当時から渡来絢はどちらかと言えば華奢な部類で、太っているという事はなかったと、彼女の名誉のために付記しよう。
「よくそんなの覚えてたわね、犬将軍さま?」
こちらは語るまでもない、犬養という名字からきたあだ名。良くも悪くも小学校卒業くらいまでは忘れられずに呼ばれた記憶が蘇る。
「くっくっ」
笑う。
そうだ、渡来絢。
小六の春で転校した幼なじみ。新居を構えるに辺り、学区が変わってしまったとかで別の学校へ行った少女。
中学も別の学区だった為、特に会うこともなかったのだ。
同一市内での転居とは言え、区が違えばかなりの距離がある。会おうと思わずに偶々で会える可能性はそう高くなかったのだろう、これまで会った記憶はまるでない。
「久しぶり、だな」
「そうね、久しぶりだわ……。 中高と会ってなかったし……7~8年ぶり?」
「それくらい、になるのか。
今は、どっかの大学か?」
「ううん、学校は辞めて……今は働いてる」
絢は何処か躊躇った様に、そう答える。
働く、という言葉を躊躇う場合、古いドラマなどでは水商売だから、なんて理由もあるが、少なくとも今の彼女に化粧っ気はない。リップを塗っている程度だ。
「辞めたって……」
「あ、変な理由じゃないよ。
大学は行ってすぐに、兄さんと一緒に、事故に遭って、ね……。 療養期間が長くなりすぎちゃって、それで留年するよりいっそって」
「事故って……。 大丈夫だったのか? それに彰良兄ぃは?」
転校前は近所だった犬養家と渡来家。
親の年齢は離れていたが子の年が近いこともあり付き合いはそれなり。
絢の兄である渡来彰良とも面識はあった。寧ろ絢と一緒にいるよりも、男同士という事で、彼と遊んで貰った方が遥かに多かった記憶がある。
それ以外にも色々と思い出す。
一番古い呼び方は「あや」か「あーや」だったはずだ。
小学校も三年か四年頃にはそう呼ぶことに抵抗が生まれ、他の男子に合わせて「とらい」にした様な気がする。といっても彰良と一緒の時は「あや」と呼んでいた覚えもあるが。
「大丈夫じゃなきゃこんなところで歩いてないって。
でも……兄さんはその時に…………」
俯きながらそう言う彼女の表情はよく見えない。ただその声は非道く平淡で努めて感情を殺しているのが解る。
「え……? あ……、ちょっと……まさか……!?」
「打ち所が悪くて……、そのまま……」
やはり躊躇いがちに、彼女は言った。
その様子は、忌避して、信じられなくて、というより何処か決められた台詞をなぞっている様にも聞こえる。
もっとも、そんな事が気にならないくらい宰は混乱しているが。
「そんな……彰良兄ぃまで……」
渡来彰良は宰や絢よりも五歳年上の、ガタイのいい少年だった。
特に部活動に精を出している事はなかったのだが、筋トレが趣味という彼はかなり筋肉質で、小学生の宰には正しく無敵の存在に見えた。
慕っていた兄貴分。何処か憧れてさえいた、強く、頼りがいのある父のような存在。
それが、死んだ?
混乱する。 困惑する。
平衡感覚すら失いかけ、傍にあるブロック塀に身を委ねた。
一方で絢は彼の言葉に眉を顰める。
「――まで、ってどういう事? 他にも誰か……!?」
そこまで言って、絢は口を噤んだ。
まだパニック状態だったにも関わらず、言われた途端に変化した宰の表情があまりにも暗く澱んで見えたからだ。亡くなり、彼がそんな顔をする人物に、久しぶりに会った今の彼女でも心当たりが、ある。
彼と毎日の様に顔を合わせていた頃、すでに「おじいちゃん」「おばあちゃん」だったふたり。現代であれば、亡くなるにはまだ早い、と言われるくらいの、それでも亡くなってもおかしくない年齢の。
まさか、と思おうにも、彼の表情が如実に語る。 語っている。
「…………ふたりとも……、……俺が、すぐ傍にいたのに……」
暗い。
燦々と陽光が照らしているにも関わらず、昏さを感じさせる。
その「昏さ」に、絢はふと自身のテルムが反応していることに気づいた。
これは瘴気だ。 人間も発する事はあるが、大抵は魔物が「タタリ」に変化する際発生させる邪気と怨嗟の混じり合った妖気。
魔術的に発生させることも出来るが、これはそんなものではない。
「……つっ……か……」
二重の衝撃に言葉を詰まらせる。
スレイヤーの立場であれば滅ぼすべきモノ。
それを強要する上司はここにいないが、今の彼は放っておいていいものではない。
状況からすると、彼はファンタズマだったが、慕ったふたりの死により、タタリに堕ちようとしているのだろう。
破壊衝動に捕らわれ周囲へ呪詛を振りまく、アクマよりも悪魔らしい、肉体も精神も変異させたミュータントに。
放っては、おけない。どんなに親しい間柄であったとしても、だ。
「……つ……か……」
呼ぼうとした声が擦れる。声が出ないのか、出したくないのか、自身でも判別できない。
絢は両手で包み込むように、それでいてかなり強く自らの頬を打った。
(今更、だわ)
その音にはっとした様に宰が顔を向ける。
「宰。
ついてきて」
覚悟を決めて、絢は彼の手を取った。
先程とは別方向で混乱し始めた宰を尻目に、絢は彼の手を引き無言で歩き始める。そんな状況でも彼女に従い歩を進めるのは、その表情があまりにも真剣だからなのか。
どれだけ歩いたのか、やがて彼女はひとつの扉に手を掛けた。
◇ ◇ ◇
逆木連理は荒れ木三度Lossにおいて、裏方に徹するバイトである。
と言ってもまだまだ食材の下処理を練習中の彼が客に出せるような調理など出来るはずもなく、繁忙時にはホールスタッフにもなるが、主な仕事は洗い物や掃除といった雑務であった。まあ、今では揚げ物を手伝う事はある。
そんな彼であるから、食べに来る以外の来店者、つまり仕入れ先だったり銀行員だったり、裏から入ってくる人間を案内する役割も担っていた。
だから裏口から来るのは、店員か関係者だと思い込んでいたのはある意味自然なことと言えよう。もっとも、アレクは敵対組織を持っているのに、それが昼間から襲ってくるなんて事を想定していなかったのは、慌ただしい時間の中である事を差し引いても、彼の学生らしさ、危機管理の足りなさを露呈させた瞬間だった。
アポイントも覗き窓も確認せずに、
「はい、お待たせしました」
と、ドアを開けてしまったのはただの高校生という立場であればある意味仕方が無く、明確な敵の存在がいる者としては短慮な行動だったと言えるだろう。
「こんにちは、後輩くん。 早速だけどここの上役を紹介して貰えるかしら?」
「…………」
テルムから警鐘が聞こえる気がする。 いや、先程からあったのか、気づかなかっただけなのか。
今更気づいたそれと目の前の顔に、自分は恐ろしく呆けた表情なのだろうな、と暢気な思考が過ぎった。
「……聞こえてるの? ちょっと、後輩くん?」
「…………渡来、絢……」
安全地帯扱いだった場所での、いきなりの「敵」の出現に混乱する連理だが、直ぐさま一足後退し身構える。そんな状態でも店内にピュアがいることは認識しており、テルムを抜く事はないが、いざとなれば即攻撃に移る体勢だ。
もっとも、彼の着ているのは白い生地に青と赤で彩られた荒れ木三度Loss謹製の制服である。 そのせいか、緊張感があまりない。
「こーら、礼儀はどうした?」
胸元で両手を組み呆れたような口調で言う彼女に敵対意思は見えない。
そして彼女の後ろで置いてけぼりにされている、恐らく彼女と同年代の男性は誰なのだろう? いきなり身構えた連理に驚いているところを見ると、荒れ木三度Lossが敵対組織である事は知らないようだが。
「……どちら……さま?」
体勢が崩れ維持できなくなった攻撃姿勢を解き、連理は半ば気が抜けたように尋ねた。
不意打ちとしては上々かもしれないが、こんな間の抜けた襲撃はないだろう。事実彼女らは無手で、テルムを出すことも、隙だらけのこちらに何かを仕掛けてくることもなかった。
「え~と……犬養、宰……です?」
間違いなく何も解っていないだろう、所在なさげな青年は、戸惑いつつも名乗る。何も解らないからこそ、名前以外の自己紹介はないのが理解できた。
「……あ」
ゾクッ、とした。
挨拶を返そうと、近づき目を合わせた瞬間、その一瞬だけ背筋を悪寒が駆け抜けた。
知らない感覚。
ただ、何処か「おぞましい」と感じるそれ。
「はい、っと、逆木連理……です?」
それでも言葉を返しつつ、一応の知り合いと言える渡来絢へ視線を向ける連理。その視線の意味するところ、「ヘルプ!」である。
「いや、挨拶はいいから、上司を呼んできなさいって。 わたしの事を言えばイヤでも来るでしょ?」
そう言われ、彼女が危ない橋を渡っている事に漸く気づいた連理は、ふたりの顔を見た。何も解っていない様子の青年と、恐らく全てを理解した上であえてここに来た彼女。
その身に危険が及ぶ可能性も考慮しているのだろう筈の復讐者。
ここで戦いになる可能性と、逆に何もせずにいて、スレイヤーでコウモリとして処分される可能性。彼女にはその両方の危機が有り得るのだ。
だが、解らないのがこの青年だ。その危険を承知の上で、あえて敵地へ連れてくる理由が予想も、想像もできない。
「……理由は?
それも聞かずに、はい分かりました、とは言えないぞ」
そう言いつつも、すでに臨戦態勢は解けている連理である。今更渡来絢がどうこうするとは思えないが、意味もなく敵前へマヤを連れてくる訳にはいくまい。
問われた絢は口を噤みつつ、後ろを見た。彼女と青年の視線が交わるが、青年の表情には戸惑いしかない。
「別に構いませんわ」
硬直しかかっていたそこへ、不意に年若い少女の声がかかった。
三人は、まさに三者三様の反応を見せる。
連理はその《悪魔殺し》の性質故か、直ぐさま臨戦態勢となり、絢はそれに遅れて一歩下がったが青年 ――宰へぶつかり、宰はと言えば場にそぐわない幼い少女の出現に、ただ目を白黒させた。
「あら、驚かせたつもりはありませんのよ?」
現われたのは徳倉鏡子。
絢が紹介を望んだ連理の上司 ――マヤ守崎と並ぶ支部の責任者でもある。
そんな彼女も今はアレクの制服を着ているが、普段着ている中学校制服よりもコスプレ感があり、キッズ体験とか子ども店長と言った言葉がとても似合いそうな様相だ。
ちなみに彼女の制服の膨らみにはこっそりと日本酒の小瓶が入っていたりするのだが、本人以外は与り知らぬ事である。
「徳倉さん」
「……お噂はかねがね耳にしています。貴女が彼の上役という事で、このままお話をさせて頂いても?」
「雲外鏡」徳倉鏡子はスレイヤー内で二つ名をつけられる程の有名人だ。名前も外見もその情報は共有されている。
本来組織内で名の知れた魔物は普通は即「断罪」させられる為二つ名の付く者は極僅かなのだ。
例えば魔女『黄泉御前』。
例えば化け狸『祟り鬼』。
例えばエルフ『剣鬼』。
そして雲外鏡『不可侵存在』。
他にも邪神や天魔といった超が付く程危険な存在も在ることは在るが、そちらは居場所も知れず、直接接触してくることもない為、例外というものでもないが、スレイヤー内でも存在自体が殆ど周知されていない。
ちなみに二つ名つきの前者二名は積極的にスレイヤーを殺しに来る「テロリスト」であり、後者二名はアレク所属である。
孝正会には危険人物として人間の二つ名持ちもいたりするが。
命が惜しければ近づくな、とまで言われる大妖怪『不可侵存在』。もっとも、そう言うのは一方的に殺したいだけの殺戮者や元復讐者達で、現復讐者の内魔物の殲滅を目指す者や「壊れた」上役達は今も虎視眈々と狙っているらしい。
「噂の内容が気になる所ですけれど、それは扨置きましょう。
それよりも場所を変えた方が宜しいですわね」
ちらりと店の方に視線を向ける。困ったような表情は場所をそちらにする、という意味ではない。
「今日、ピュアが多いですよね」
今、休憩室にいるのは何も知らないピュアのバイトだ。次に休憩に入るのはワイズマンとピュアのふたり。実は店長室からも隠れ里には入れるが、人の出入りが多い。
店外の何処かに行くにしても、スレイヤーとアレクの人間が一緒にしけ込むところをあまり見られたいものではない。両方に面識のあるのは恐らく鷹城佐重樹くらいなものだが、それでもだ。
それに話す内容もそれに関するものになるだろう予想がつく。そうなるとピュアのいる場所では話せなくなるだろう。
「ええ。 でもわたくしの部屋、ちょっと距離があるんですよね……」
頬を掻くような仕草を見せつつ、困った顔をする鏡子。実際はちょっとどころではない距離を電車で揺られることになる。なにせ普段は隠れ里にいるし、そうでない時も支店の休憩室にいたりマヤの部屋にいたりするからだ。
自分ひとりであれば空を飛んでいけばいいのだから、距離はそこまで気にするものではないと言うのが理由である。
その上、本来眠る必要のない彼女だ。本社付きの頃から部屋を変えていなかった。
そしてそのマヤの部屋も実は結構遠い。
「オレは寮です」
実家はあるがやはり距離があるし、家族は極々普通の一般人だ。
「…………」
そんなふたりの様子を見る絢の今の部屋は実はスレイヤーの支部に近いし、実家は区が違う上に、もういない兄も含め、やはり家族はピュアである。
「……よく分からないけど、場所が必要なのか? なら……」
三人の様子を伺っていた宰が絢に耳打ちする。
宰からすると「ピュア」が何を意味するか分からなくとも、何となくではあっても「個室もしくは密室」を必要としているのは理解できた。だから提案する。
「まあ、そうね……って、ああ、そっか。 家、近かったわね。
いいの? こんな訳の分からない話に巻き込んでるのに」
宰から見ると、実態はどうであれこの案件は言葉通り「巻き込まれた」ものにしか見えないだろう。
絢は細かい説明などせずここへ連れ込んだ為、何があって何故ここに連れてこられたか全く解らない状況なのだ。
「確かによく分からない状況だけどな、どうせ今さらだ」
宰からすると、事情を知らない彼女には理解できない言葉。
その筈なのに絢は何処か納得した様子で見知らぬふたりに声を掛ける。
「場所はこちらで提供できるわ。 勿論、そちらが信用してくれるなら、という前提でだけれど?」
「そうですわね」
言われ、雲外鏡はその玻璃の瞳を殺戮者に向けた。
透き通り、内心も心情も見通すかの様な瞳。それは永きに亙って世をヒトを見続け映し続けてきた鏡。
「貴女の立ち位置を鑑みまして、それでも信用できないと突っぱねるのは狭量に過ぎるというものですし、状況は理解致しましたわ」
そう言ってにこりと微笑む。少女の風貌でありながら、その親の親の様な落ち着きと諦観を以て。
「すぐに向かっても宜しいのかしら?」
視線の向かう先は絢ではなく宰。察するのはその能力以前に、在る歳月の永さ故か。
対する宰は、場の決定権を持ったのが見た目少女なせいだろうか、答えに窮していた。
そんな宰を見て口を開いたのは渡来絢。
「わたしは、なるべく早くした方がいいと思う」
言葉の形は宰への提案。
だがその本質はアレクふたりへの忠告とも言えるものだ。
何も知らぬ青年は彼女の言葉に同意し、事情を把握しつつある妖怪はひとり頷いた。
「なるほど」
呟き、さっさと靴を履き替えると後ろ ――事務所内へ顔を向ける。
「マヤさ~ん、連理さんとちょっと出てきますわね~!」
声を掛け、一瞬の沈黙。
ガタタタタタッ!! と、何かが崩れるようなけたたましい音。ついでにガッシャーン、と鍋の落ちた音。
「ちょ! 鏡子さん!? 今日は人手が!!」
くぐもった声は扉越しだからか、それでも忙しい故か、その姿を現す事はない。
「ご心配なさらず。 タツミさんとカノンさんを置いてきますので」
再び沈黙。
「~~判りましたけど! お早めにお願いしますね!」
「……ササに言っておきますか?」
そのやり取りを見て、連理は鏡子に声を掛ける。
今日のササはオフだ。今頃部屋でゲームでもしているだろう。だがきっと今日も彼女の望むアイテムは出ていないだろうな、と思う。
曰く付きの、只管ドロップ率の低いカタナ ――ムラマサは、連理も一度しか拾った事がない。それは当然彼の育てたキャラが使用しており、ササの手元にはないのだ。
「否、問題ない」
ぬっと巨体が顔を出す。鏡子がその名を呼んでいた為、今度は臨戦態勢にならずに済んだ連理だ。彼程の「脅威」に不意を突かれたら、今度こそテルムを抜き放ちかねない、それ程の妖怪。
と言っても実戦では鏡子の方が強いらしいが、それは彼が自身のちからを隠蔽するのを然程得意としていないからだ。
「尤も、この様な用事で呼ばれるのは少々不本意ではあるがな」
「何を言う? どの様な用件であろうと姫様に呼ばれるのに不都合などあるまい」
彼のぼやきに応えたのは、鏡子に喚ばれたもうひとり ――カノン。
タツミは2m程もある巨漢で、反面彼女は随分小さく見えるが、実際は細身なだけで170㎝以上あり女性としては十分高身長と言える。
「そうは言うてもだ、わしはそもそも細々とした作業には向いておらん。 だがわしが接客する訳にもいくまい?」
野太い声でそう言う彼の指は巨体に応じるかの様に太く長い。力強くはあるが、確かに見ただけでも器用そうには思えない。
「妾自身も接客に向いているとは思わんが、姫様に喚ばれた理由に文句などない。 そもそも貴様に接客させては客が逃げるからこそ、妾が接客、おぬしが厨房を手伝うしかあるまい? それでもセンリにさせるよりはマシというものだ」
そう言い切り胸を張る。
彼女はビシッと効果音でもつきそうな勢いで、タツミに向けていた体を鏡子へ向けると、
「では、姫様。 こちらはお任せください」
と、綺麗な姿勢で頭を垂れた。
「ええ、後はお任せしますわ。
それでは、参りましょうか」
制服の上に着けたエプロンを外し、鏡子は三人を促すのだった。
アレク謹製制服は白生地に赤と青をあしらったシンプルなもので、板前だけ黒い鉢巻きをしています。
ワイズマンもピュアも同じものを着ており、実はちょっとだけ防御効果が付与されていたり。
裾上げや補修が大変だと、事情を知らないピュアバイトからは少し不満も出ています。まあ、補修なんて余程使い込まないと必要ないんですが。




