第十九話 呪詛と黄昏を映すもの
肌色が多い回となります。挿絵はないけどな!
一応Pixivでは何人か描いとります。基本スケッチだけど。
ニックネームは「ささかどゆう」です。
先行して書いているプロットに追いつきつつある本文。
ここで書いてる皆さんの筆の速さは凄いよな、と再確認する今日この頃。
同棲――。
辞書で見ると、その意味は漢字で示す通り「一緒に住むこと」と最初にあり、男女で住む事より、単純に同居する事の方がメインとなる意味であることが解る。
とは言っても、世間様で使われるのはやはり「男女が生活を共にすること」が主であり、そんな艶っぽい印象を持つ言葉であった。
寮内で隠れて同棲をするふたりに関しても、そんな艶っぽさがある事はある。
ササは実のところ結構なキス魔だ。
キスと言っても男女の営み的な口づけではなく、飼い犬が飼い主の口をやたらと舐めてくる感じのものではあるが、それなりの頻度で触れてくる。まあ半分はペロッと舐めてくる。
それでも口づけには違いなく、更に言えば今更肌を見せることにそれ程抵抗がないのか ――初めて逢った時の事もあるし、これまでの生活の事もあるのだろう―― 薄着だったり肌着だけだったりバスタオルだけだったりと、そんな艶っぽさのある室内であったりもする。
そんな場面で、多少幼げな容姿であったとしても、学生ながらもちょっとはムラムラしないでもないが、今のところは一応自制の効いている連理だ。
良くも悪くも個室になっているこの部屋は、一応受験対策なのか、そこそこの防音設備に加え、トイレとシャワーも完備されており ――その設備を利用する以上、掃除は自身で行う必要があったが―― ササの存在は今のところほぼ完全に隠匿されていた。
まあ、「ほぼ」というのは彼女が「ささら」としてお邪魔している場合があることが認知されてきているからだ。
ただそれでも彼女が「住んでいる」と思われていないのは彼女自身の持つ野生と幻術というちからのお陰であろう。彼女はその探知能力の高さで周囲の存在を察知し、さっと幻術を使用する事で危なげなく摺り抜けていくのだ。
そんな彼女の存在から、対外的には付き合いの悪くなった連理だが、ササが稲荷ささらとしてクラスメイトの前に現われたこと、彼がバイトを始めたこと等から、生暖かい目で見られる事と引き替えに納得されている形だ。
お嬢さま然として見えた「ささら」と付き合う為にバイトに勤しむ様に見えている、らしい。ここで何度目になるのか、公式ロリコン疑惑が発生するのだが、それはさておき。
でっけー勘違いではあるが、その誤解を解くのに真実を語る訳にもいかないわけで、そこは都合がいいと考えるしかない実状である。
そんな室内で、夕食を終え、食器類は既に食堂へ戻し、ゆったりとした時間に身を委ねる連理は何とはなしに《クレプスクルム》を抜いていた。
朱音はこのテルムが変わっていると、そう言っていた事を思い出し、その言葉を反芻し、確認していたのだ。
妙に手に馴染む、日本刀の形状をした、しかし日本刀ではない武器。それでも時代劇に出てくる様な刀と同程度の長さを持ち、反りも刃紋も素人目には見分けがつかない程度に日本刀だ。
何か、変わっているのだろうか? このひと月程自身の手に在り続けた武器は。
何処か、変わったのだろうか?
「――連理ぃ!」
テルムに魅入られたように集中していた連理に、唐突にお声が掛かった。
バンッ!! とシャワー室の扉を破壊するかの勢いで開けたのは、言わずと知れたササである。
「声がでけぇ、って大音立てんなっ。 っていうか服を着ろぉ!」
防音設備があるとはいえ完璧ではない! そう文句をつけようとした連理の目に映ったのは全裸のササだ。
いわゆる「女らしい」膨らみなど殆ど無く、なだらかな丘陵を描く裸体ではあるが、シャワーを浴びしっとりと火照るその肢体には艶めかしさもちょっぴり感じられた。
連理は無造作に椅子に掛けてあったジャケットを投げつける。
「むぐっ!?」
ド命中。
命中したはいいが、危ういところを隠していた手がジャケットに巻き込まれ、今度は下半身が丸見え状態だ。
余計に怪しい格好になった気がするが、まあ視線を逸らせば問題はない……だろう、多分。
「むが……むぐ……ぷはー、ってなにするんじゃ!?
ってそれどころじゃないんじゃ。 連理、見とくれ!」
「見れるか!?」
反射的に言い返すが、ササの言いようが気になり、視線は向けずに改めて口を開く。
「……何か、あったのか?」
「うむ。 これを見とくれ」
話しながら声の聞こえ方が変わった為、彼女が背を向けたのが分かった。躊躇いつつもそちらを見ると、髪をかき上げるササの姿がある。
亜麻の髪と丸みを帯び始めた様な臀部、というか尻尾の付け根の間 ――背中に一条の赤い線。
「おぬしと逢った頃、少しちからを失っとると話をしたじゃろ?」
傷だ。
それ程深いとも思えない刀傷のような傷。
「あの時は何とか狐火を出せる程度には回復しておったが、それ以上の回復がどうも遅い様な気がしての……何とはなしに体を確認しておったんじゃが……」
生々しい色の、傷。
彼女は少なくともアレクに入って以降、そんな怪我をした事はない筈だ。
だがそれはひと月以上も前の傷にはとても見えず、
(コレハヨクナイモノダ)
声が聞こえた。
「痛くはないんじゃが、一旦意識すると、この生々しさ以上に何かが気になっての」
(シバリツケルエンサ、ヒトトマモノノウラミノコエ)
連理はそっと立ち上がると黙ってササの肩に手を置いた。
「連理?」
不意に《クレプスクルム》の刃がその背に触れる。
「――かっ……! く……ぁぁぁ……ああ……ぅ」
《悪魔喰い》の刃が、仙狐である彼女に。
「ひぐっ……、あぅ! あああぁぁぁ……あっ!」
押しも引きもせず、一条の紅にただ触れている。
「……あっ……ぅ」
苦しげに声を上げていたササは、まるで電池が切れてしまった様にカクリと頭を垂れた。 ほぼ同時に連理はふと我に返り、反射的に彼女を支える。
「――え……あ……」
握っていた刃は封印に戻り、彼は己の腕の中で意識を失ったササの顔を、ただ見つめた。
(……今……何が、あっ……た?)
記憶は、ある。
だが、彼女の傷を見てから今の瞬間まで、意識が曖昧だった気がする。
何が――。
「違ぇっ!」
自身の頬を殴る。
今考えるのはそれじゃない。今、自分に出来る事は何かと自問する。
救命処置、は出来ない。
そもそも刃を当てただけでこうなった理由が解らない。
救急車は意味がない。万が一でもスレイヤーの息の掛かった場所に連れ込まれれば助かるものも助からない。
上坂朱音に頼ろうにも彼女は寮生ではない。第一自宅は何処だ? 同様に親しくしている膝丸健斗も同じだ。そもそも連絡先こそ分かるが、今あのふたりと話して何が解決するのか。
今すべきは泣き言を聞かせる事じゃ無い。
――ならあの時の少女―― サカキカオリの時に様にアレクに連れていく? 確かあの時、支部長のマヤ守崎が何らかの手当てをしていたはず……。
連理は考えをまとめるとシーツを剥がし、全裸のササを包み込んだ。
そのまま彼女を抱えると、考えも無しに窓から飛び降りる。
小柄とは言え少女ひとりを抱え持ち、半ば本能のまま三階から、だ。
彼自身はそれを不思議とも思わず、そのまま駆け出した。
傍目から見ても、異常な速度で。
◇ ◇ ◇
マヤ守崎は荒れ木三度Loss斜路支店に住んでいると言っても過言ではない。
一応の住居こそ別にあるものの、「門」と重ねて作られたこの支店の方がファンタズマである彼女にとってより心地良い住まいなのだ。
実際ライフラインは全て揃っている為、彼女でなくともここで住む分には何の不自由もないのだが、対外的にここに住んでいると言ってしまう訳にもいかない理由も在る。
何せここの生活スペースは大半を隠れ里の方に置いてあるので、一般人には説明できないのだ。
支店内ではそんなピュアのバイトを五名雇用している。
なのでここで生活臭を出す訳にはいかないマヤだ。
まあ、災害時用の緊急物品や多少横になれる広めの休憩室の様なスペース、シャワールームくらいは表面上にも存在するので遅くまでいてもおかしくは見られないだろうし、一旦帰ったという体を取れば不審がられもしないだろうが。
「――鏡子さんは今、本部の案件で?」
そんな彼女はお茶を飲みながら、学生にでも見えそうな少女と会話を交わしていた。
「ええ、正直繁華街の方は余り食指が動きませんわ。 怪我をしているのは自業自得な方ばかりですもの」
「そう言わないで下さい。 スレイヤーが出てくるとそのヒトがどうなるか分かりません」
言ってみるものの、それはオブラートに包みすぎたと自分でも思ってしまう。
状況的に「加害者」はマヨイか先祖返りと聞いている。スレイヤーが出てくるなら、起きるのは殺し合いか一方的な殺戮だ。
「解ってますわ。 今はソラとクロさんに監視して貰ってますの。
あのコ達ならスレイヤーが出てきても問題ありませんわ」
鏡子はそう言ってお茶を一口啜る。一番好きなのは日本酒だが、茶だってそれなりに口にするのだ。
彼女はふと茶碗から口を離すと首を傾げた。
「あら? 誰か来ますわね……。 先日入った少年かしら」
「えっ? 逆木君ですか?
こんな時間に?」
時刻はもう深夜で十二時に近い。
店の営業時間はとっくに過ぎており、店員は全員帰宅済み。マヤの思いつく限り、彼の来る理由は、あっても忘れ物くらいだろうか?
そこへ鏡子の言葉を証明するかのように、廊下を走る ――だが少し奇妙な音が聞こえてきた。 パタパタ、というよりペタペタと形容するような足音。
――バタン!!
「すいません! コイツ……ササを診てください!」
けたたましい音を立てて飛び込んできたのは、鏡子の言った通り、連理。息を切らせるその腕の中には何故かシーツに包まれた仙狐ササ。
走ってきたのはその様子から想像できるが、少女ひとりを抱いてきた割に疲労はしていないように見える。
「女性の部屋へ許可も無しに入るものではありませんわ」
そう言ったのはマヤではなく鏡子だ。ポーズは言うなれば仁王立ちだが表情は呆れ顔。何となく状況は読めるだけに、強く責める気にもなれない。
ちなみに、前述したとおりこの支店に表面上、いわゆる生活スペースは殆どない。ここもただの休憩室であり、女性の部屋に分類したのは、現状から発せられた、まあ言葉の綾といえよう。
「すいません! そんなのはどうでもよ……くはないんですが……、ああ、後で幾らでも罰は受けますから今はコイツを……!」
彼の様子は真摯で必死だ。
彼の所属する琴倉橋高校の寮はここからだと徒歩で二十分から三十分程。その様子から見るにその行程を全力で走ってきた……様に見えるがやはりそこまで疲れている感じは見えない。
だが真剣であるのは間違いないだろう。寮からここまで走ってきただろうに、その足は裸足なのだ。靴を履くのも忘れる程焦っているのに、まあのんびり歩いてくる訳もあるまい。
来局用スリッパは元より彼自身の上靴もここにはあるのだが、それを履く余裕もなかったのか。
内心訝しみながらも鏡子はササを長椅子に横たえ、その状態を鑑る。
連理から状況を訊くより、自身で鑑た方が早いし解りやすいからだ。普段は戒めているちからを解き、ササを診断する。
「あら?」
そこにはある筈のものがなく、首を傾げた。
彼女と初めて逢った時には確認できたモノが今はない。
「えーと、連理さん?」
「はい……!」
視線を連理に向け、沈黙する鏡子。
「…………あの……?」
何も言わず、じっと見透かし見通すような双眸で見つめる事、数秒。
「……これは、黙っていたわたくしのせいかもしれませんね……。 せめてきちんと鑑ておけば……」
独白。
溜息の似合いそうな暗めの表情は、しかし一瞬で切り替わり連理を見つめた。
「いちから説明しますわ。
ササさんはここへ来た当初、既にとある呪詛を受けていました」
正面から連理へ向き直ると、鏡子は改めて口を開いた。
「呪詛……」
「呪いと言った方が解りやすいのかしら? 呪詛は多々あれど、彼女の受けたものは妖怪としてのちからを縛る、弱体化を促すものでしたわ」
言われて思い出すのは寮での会話。
それと隠れ里で逢った時の弱った彼女。あの時は火を出すだけでも苦労する程だった彼女。
仙狐 ――仙人にまで至った狐である彼女が?
今思うとそれは確かに不自然。
「恐らくテルムによるものでしょうけど、ただそれは何時までも仙狐のちからを縛っておける程のものではありませんでしたわ。
ですからわたくしはそれを認識させない事で自然に解呪させようと思っていましたの」
一旦言葉を切る。
「貴方、悪魔喰らいなんですのね」
彼女の口から紡がれるのは、聞き覚えのある不気味さを感じる言葉。それを聞いたのは何時だったか。
「それと……これは悪魔殺し、とでも言えばいいのかしら? 認識した呪詛は敵……と言うより仇扱いのようですわね」
悪魔喰らい ――そう、それは以前健斗や朱音との会話で出てきた特異能力者のひとつ。魔物を喰らいそのちからを得るというミュータント。
だがあの時の会話で悪魔殺しという存在は聞いていただろうか?
「……あの、よく解らないんですが……ササは大丈夫なんですか?」
「一刻を争うような容体ではありませんから、まず状況を理解して下さい」
連理の問いかけを切り捨てる。
「まず初めに自身を理解して下さいな。
貴方のヘレティックはハンター/ファミリアなのは間違いありませんが、ミュータント能力もありますわ。 そちらはデモンスレイヤー/デモノイーター。
悪魔殺しは今便宜上そう名付けました。わたくしも見聞きした事のないものですから、極めて珍しい存在と思われますわ。以前お教えしたと思いますがわたくし、これでも千年は生きておりますから」
無機物から生まれた彼女は、それでも自身を「生きる」と表現しながら、玻璃の瞳を煌めかせた。瑠璃とも硝子ともつかない輝きが、じっと連理を見つめる。
「悪魔殺しは魔物を殺す事に特化し、悪魔喰らいは魔物を喰いそのちからを得る。 その上貴方の使うテルムは《悪魔喰い》たる《黄昏》。
貴方は魔物を喰らいそのちからを得て、悪魔殺しの能力を強くしていったのですわ」
「ちょっと待ってください、オレ魔物なんて喰った事ないですよ!?」
彼の、というか普段里で彼らの前に現われる魔物は大抵現し身だ。現し身は写し身であり、そんな魔物は死ねば然程時間を於かずに消えてしまう為、悪魔喰らいは殆どの場合生食するしか方法がないと聞いている。
素質があろうと何だろうと、正直ごめんこうむりたいものではある。
「貴方の場合、《黄昏》と上手い具合に能力が重なっていますの。
彼女と口づけしてますでしょう? その程度でもほんの僅かですが効果が発揮されていますし、《黄昏》で斬った魔物も喰らってますわね」
それで効果があるというのであれば納得するしかない。彼女と口づけているのは間違いないし、《クレプスクルム》で幾度もアクマを斬っているのは事実だ。
それらを見ているかのように語るのは鏡の大妖怪である徳倉鏡子。
古来、鏡は映すものであり写すもの。
過去を映し、未来を見通し、時に別世界への扉ともなる。
「だからこそ、そのちからを使い熟せるようになってきた貴方は目にした呪詛を本能的に嫌ったのでしょう。 魔物を喰らいそのちからを繋げる今の貴方にとって、魔物の力を一方的に消費する様な呪詛は忌むべきものでしょうから」
もっと馴染んでいれば、実際に目にしなくても呪詛を認識したかもしれない、と言葉を続けた。
鏡子の言葉に納得し難いものはあるものの、それでも彼女の話に区切りがついたのを悟った連理は話を戻す。
「それで、結局ササは大丈夫なんですか?」
少し声が荒くなるのを理解しつつも、連理は問う。
「単純に大丈夫とは言い難いですわね。
ちからを抑えていた呪詛が消えた事で肉体に負荷が掛かってますわ。 それだけなら少し休むだけで回復してゆくのですが、《黄昏》と貴方のちからで回復が阻害されてしまってますわね」
さらっと状況説明する様子は、見方によって酷く冷淡に見える。
「なら何でそんなにのんびりしてるんですか!?
まさか手遅れとか言いませんよね!?」
「この子は狐狸化生ですもの。 貴方がいれば短時間で回復できますわ」
至極あっさりと言ってのける大妖怪。
「オレ!? オレがどうしたらいいんですか?」
「貴方は悪魔喰らいに因って常人以上、並みの妖怪やアクマよりも強い生命力を携えていますわ。 それを彼女に分け与えればいいんですの」
と、にっこり。
「分け……どうやって?」
言われ、漫画で見るような感じで手を構えようとするが、よく解らない。
「一番良いのは目合いですわね」
「まぐ……?」
連理は聞き慣れない言葉に目をぱちくり。
「今は大抵セックスと言うのかしら? 心配しなくてもマヤさんもわたくしも席は外しますわよ」
鏡子は少女の顔のまま、これまたあっさりと言った。
「………………ちょっ!? 意識もない相手にそんな事出来ませんよ!?」
「この期に及んで真面目ですか!?」
「何ならお手伝いしますけど?」
唐突に突っ込んで来るマヤと、的外れなようなそうでないような事を言ってくれる鏡子にたじろぐものの、
「いやいやいやいや、こんなんでそう言うコトするとか駄目でしょう!?」
「乙女ですか!?」
再度マヤの突っ込みが入る。
「この子も特に問題はないと思いますが」
そんな掛け合いの中、呆れるように鏡子は言うと、溜息をついた。マヤの言うように正しく「この期に及んで」というヤツだ。
そんな現代人の感覚も解らなくもないが、こんな掛け合いで時間を潰してしまえば本当に手遅れになってしまう。やり方が分らないというだけなら、教えるのは吝かでないのに……。
「では口づけで結構ですわ。 但し! 彼女が気づくまで続けて下さるのが条件です。
それでも否と言うなら操りますわよ」
サラッととんでもない事を言ってのける雲外鏡の瞳に、どうもその辺の躊躇いはないように見えた連理だ。
その一瞬に悪寒を感じたのは決して気のせいではないだろう。
「――~解りましたよ……。 別室、借りますね」
「此処で構いませんわ。
本当は監視したいところですが、その様子ですと見られるのも忌避感がありそうですし……信じますからね?」
マヤを連れ立って扉へ向かう。
彼女なら扉を隔てていようと見ていられる気もするが。
「人工呼吸でもする様に、深~く口づけてください。 貴方の鼓動を分け与えるつもりでゆっくりと、ですわ。
目合いでないのなら時間はありませんわよ」
「ちゃんとするのよ、逆木君」
バタンと閉められる扉。
気持ちに躊躇いは残っている。治療を任せるつもりで来て自身がそれに携わる事もそうだが、それがこの様な行為になるなら尚更だ。
だが迷う時間はない。状況から言っても鏡子が嘘をついているとか大袈裟に言っているとは思えない。
それは行為に関してもだ。
古来、人の精を喰う妖怪や魔物、魑魅魍魎は数多い。
口づけでいいというのも、連理自身がそうやってちからを得ているというなら、逆もまた然りというのであれば頷ける。そのままこちらが喰ってしまうのでは、という懸念もあるが、ならばそうと忠告するだろう。
連理はそっとササの体を抱きかかえる。
鏡子の言う「鼓動を分け与える」「生命力を分け与える」。
ならば人工呼吸のように床や椅子に横たえるよりも、こうして抱きしめている方がいいような気がした。
(ササ……)
口づける。交わすとは表現できない、一方的なそれに不快感を覚えずにはいられない。その感情を持てる事こそ、日常と化した彼女の「口舐め」が、決して一方的なモノではなかったのだと、今更気づく。
そしてそれに気づけた今、己への怒りに身が震える。 頭が熱くなる。
ササを助けるというこの行為がなければ、自傷するか自棄になるか、どちらにせよ碌な事にはならなかっただろう。
もしかすると鏡子はそこまで先を読んだ上で彼に救命を任せたのかも知れない。
彼女のちからの全容を知る訳ではないが、本社ですら一目置く、支部最強の大妖怪である鏡子なら何らかの救命方法があってもおかしくはないのだから。
心の片隅に、そんな思考が芽生える。
その考えのせいもあって嫌悪の念が消えない。そんな訳はないと思っても、連理に下手な動きをさせないが為に、ササの生存率を下げる形になったのではないかと。
冷静ぶって行為を繰り返す一方で、やはり怒りで頭が熱くなるし身を震わせる。そのくせ恐怖や喪失感が胃を苛み、悪寒でも感じるような震えになる。
ああ、恐怖だ、紛れもない怖れだ。
ただ只管に彼女を喪う事を怯えている。
デモンスレイヤー? デモノイーター?
そんな大層なモノなのか?
親を居なくなる事を思い浮かべただけで不安がっている泣いている、そんな子どもみたいな男が。
雑念は消えない。 全く集中は出来ていない。
それでも繰り返される口づけ。
これでいいのか、これだけでいいのか。不安に駆られる。
詰まらない倫理観など捨ててしまっていた方が確実に助けられたんじゃないか? もう、間に合わないんじゃないか?
不安が耳元で妖しく囁く。
胸を通り抜けるのは恐がりな臆病風か。
冷たい海風のようなそれを本当に浴びているように、体が震えてくる。怖れとは別の震え……。
気のせいだ。怯えの延長、恐怖によるそれに過ぎない。
今はそれよりも口づけを…………。
「……」
ふと、頬へ冷たい何かが触れた。体の震えが止まる。
「何か」……。 自分は瞼を閉じていたのだろうか? その何かを映していない。
「……この様な目覚めもまた心地良いものじゃな」
その声を聞き、連理の心中を安堵の念が満たす。
いつの間にか閉じられていた瞼、それをぎこちなくも開くと眼前にササの金の瞳が見えた。何時ぞやと同じ様に、至近距離で見つめ合う。
「…………目、覚めたか?」
気の抜けたような声が、出た。
「うむ? 見ての通りじゃよ」
「体調に、異変はないか?」
「体調?
……別段妙なところはないぞ? 寧ろ……何じゃろう、肩の荷が下りた様な?」
嘘や誤魔化しは見えない。そうする理由もないが。
思わず、ギュッと抱き締める。
「はわっ」
「良かった……」
驚く彼女を尻目に、不安を吐き出す。腹の奥底まで溜まった恐怖と共に、ほんの少しの雫を零し。
「…………何じゃ、甘えん坊じゃな?」
彼の声の具合で何か察したのか、慈母のような声で囁く。年相応で外見不相応なそれは彼女、というか妖怪だからこそだろう。
ぽんぽんと、頭に触れてくる。まるで赤ん坊をあやすように。
「っ……甘えてる訳じゃ、ねーよ……」
ほっとした。
安心した。
少しだけ涙腺が緩んだ。
これは、甘えているのだろうか? ああ……よく解らない。
だが……、
「……ごめん……、危うく、殺しかけた……殺す……ところだった……」
「うん? …………ああ、そういう事か。
わらわはおぬしに……《クレプスクルム》に喰われかけたのじゃな?」
「……ああ、オレが」
「そう言う面倒なやり取りは無い方が話はスムーズに進みますわよ?」
連理が己の後悔を、疑念を、状況を、事情を話しかけた時、横から唐突に声を掛けたのは部屋を出たはずの鏡子である。
驚きのあまり連理は抱いていたササを落としかけ、彼女は「のひょぉぉぉぉぉっ!?」と奇妙奇天烈な声を上げた。不意に襲う浮遊感に抗うべく、両手両足を使い連理にしがみつく。
その急激な動きについていけないのは彼女を包んでいたシーツだ。 当然開けて落ちて全裸になってしまう。
「な、な、なななな、な……」
「あら、失礼。 驚かせてしまいました?
何やら愚にもつかない言い訳がましいお話を延々とされそうなご様子でしたので、ついつい口を挟んでしまいましたわ」
ほほほっ、と言わんばかりに手の平で口元を隠し、臆面も無く言ってのける雲外鏡。
「色々と言いたい事もあるでしょうが、皆それぞれ間違いを犯していますわ。
わたくしの判断が一番の過ちではあったのですが、不用意に《黄昏》を抜いていた連理さんも責任の一端はございますし」
「……ササは一方的に被害者ですよね?」
「ササさんは無防備すぎですわ。 精気を欲する狐狸化生という以上に、好き合った男女なのですから触れ合いたい目合いたいと思っても当然でしょうし、止める気もありませんが、刃物を持っている人に何かと理由をつけて迫るのは如何かと思いますわ」
「ぶふっ!!?」
「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!?」
鏡子の台詞にササは咽せるように息を吹き出し、連理はその言葉を最後まで言わせんと、大声を出すが時既に遅し。
「あら? 申し訳ありません、口が滑りましたわ」
どう見てもわざとであるが、連理もササもそれに突っ込めないでいる。ふたりで口をパクパクさせているがその以上の言葉が出てこない。
「兎も角、もう時間も遅い事ですし、寮までお送りしますわ。
もう少しお巫山戯してても良いのですけど、マヤさんがお眠の時間ですし」
話を振られたマヤはいつの間にかドアの傍に立っており、ふて腐れたような、珍しい表情を浮かべていた。
「おねむ、何て言い方は止めてください、鏡子さん。わたしにも立場ってモノが在るんですから」
そういうマヤではあるが、眠いのは本当の事だ。
マヤは同種族に会った事が無いのでそれがアルラウネの性質なのか彼女自身の性質なのかは知らないのだが、彼女は時間感覚に優れている一方で夜に弱い。まあ、弱いというのも多少の語弊があり、正確には徹夜が出来ない。どんなに我慢していても何をしていても、日の出の四時間程前になると倒れるように眠りにつく。
反面日の出になるときっちり目が覚める。
何にせよ、この時期であればそろそろ限界も近い。
「え、っと、取り敢えず送ってもらう必要はないかと……」
「……自分達の格好を確認なさってくださいな。
着の身着のまま処か、上着も着ておらず靴も履いておらず。 それに鍵、持ってませんでしょう? 三階の自室までどうやって戻るおつもりですの?」
鏡子の言葉を聞いても、上手く認識出来なかった連理は取り敢えず言われた通り自身の姿を検めた。
上半身はTシャツ一枚、下半身は部屋着にしている古着のジャージだ。足は裸足。ポケットの中には鍵どころかスマホも財布も入っていない。
一方でササは全裸にシーツという連れだって歩くには危険極まりない格好である。連れて歩くにも、抱えて連れて行くにしても通報される事請け合いだ。寧ろここへ来るまでにそうされなかった事に感謝すべきか。もし往路でそんなことになっていたら何もかも間に合わなかった可能性すらあったろう。
「…………えっ?
何で……って、……あ~なるほど、そういう……」
自身の行動を思い出し連理は頭を掻いた。
自分はどうやら随分と慌てていたらしい、と漸く自覚する。
そしてそれを解っていて、送ると提案しているとなると……、
「そういう提案をされるという事は、徳倉さんには何らかの手段があるんですね?」
確認する。
「ええ、そういう事ですわ」
連理に答えながらドアへ。
「それでは失礼しますわね。
マヤさん、どうぞお休みくださいな」
そして、
「のひょぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
夜空を、ササの悲鳴が木霊する。
ふたりは彼女の眷族だというグリフォンの背に乗り、何故か宙を舞う鏡子に見送られつつ帰宅したのだった。
当然、つい先程まで残っていた甘い空気など夜風に消し飛び雲散霧消。
残念ながらと言うべきか、すっかり日常へ戻ったふたりであった。
ちなみに《黄昏》の描写は間違っていません。
この辺りは連理くんには気づけない変化なので。




