第十八話 死者の左手
side かおりん
香は飛んでいた。
のちに【纏う風翅】と呼ばれる様になるこの魔術は師・黒澤耶彦の持つ魔法を魔術に落とし込んだもので、高速飛行を可能とする。同様の効果を持つ魔法魔術は数在るが、彼女は急ぐ場合、好んでこの魔術を使用していた。
そう、急いでいた。
師と取り決めたスレイヤー発見の信号、それを受けたのだ。
急がなければ、逃げられる。
急げばひとり以上の仇を殺す事が出来るだろう。
奴等は殆どの場合において単独行動はしない。大抵はふたり以上、多ければ十人弱の小集団で動く。
彼女の敵討ちに、どちらかと言えば否定的だった師がこの信号を使ったのは初めてのことだが、香には疑問も躊躇いもなかった。
そこに奴等がいれば殺す。
ただそれだけなのだから。
◇ ◇ ◇
そして、彼女は巨大な砲弾と化した。
彼女の持つありったけの風の魔術を重ね合わせ、瘴気を混ぜ込んだ黒い砲弾。
本来であれば制御するどころか真面な方向に飛ばす事すら難しいそれを、自らが核となり飛行する事で可能とした【堕ちる風星】。
最大効果範囲は半径約50m、他に気を割く必要があるなら約20mまで狭まるが。不可視の風の砲弾と風を纏った瘴気の刃が無数に荒れ狂うそれは、人間だろうが魔物だろうが切り裂き打ちのめすのだ。
「――師匠」
遠目で見える、倒れた、黒い影のように見えるそれはきっと鴉天狗。
死んでいるのか生きているのか、この距離では判らない。
傍に右往左往する人間が――ふたり。
「あはははっ」
その姿を見て声が出る。
一瞬、師のことすら忘れて歓喜の声を上げた。何処か泣きそうな声色で、それでも喜びの声を発した。
間違いない、スレイヤーだ。彼女の眼に映る「罪科の色」がその証明。
思わず声が出る。
奴等の名を叫ぶ。
殺せる。
ああ、殺そう、殺してやろう。
きっちり殺してあたしの兵隊にしてやろう。死んで楽になることも許さない。何度砕けても、その肉片をつなぎ合わせて何時までも戦わせてやろう。
ママもパパもお姉ちゃんも、もうあたしは死に解放することができないのだから。
他に誰もいないことを確認し、もう奴等が逃げられないことを予測。
師のいる範囲を台風の目の様な無風地帯へする。その事で、全体的に威力は落ちてしまうがそれでも十分に確殺できる筈だ。
そして――衝撃。
激しく暴れ回る風が無数の凶器を振りかざし周囲を切り裂き打ち砕く。
香は自身の障壁を師に重ね合わせつつ、目の前の暴風圏に視線を向ける。以前よりも持続し、かつ破壊力の増した魔術の出来にほくそ笑む。泣きそうな笑みを浮かべる。
手加減してこの威力なら前の様な醜態を晒す事もないだろう。
兎に角、今日は殺せた。
明日も殺そう。
明後日も明明後日も、殺そう、殺し続けよう。 奴等が全部いなくなるまで。
すっと、魔術の風が消える。
もっと続く様に改良した方がいいだろうか? そんな事を考えながら屈み込み師の様子を見た。
片腕片翼を失い意識も無い状態だが、辛うじて生きている。
その様子は瀕死という他なく、治癒術の心得のない彼女では治せないし、母は元々ウィッチドクターの様なものであるが、それは医療魔術師というより薬剤師であり錬金術師だ。
治癒術ではなく薬で人々を支えてきた森の魔女。
つまり今は頼れない。
「……ふぅ」
溜息を吐く。
後で怒られてしまうかも知れないが、自分に出来るのはこれだけなのだ。
香は傍らに残っていた誰の者とも知れない分断された腕を無造作に拾うと、施術を開始した。
◇ ◇ ◇
暗闇だった。
酷く不快な感覚が続く暗黒だった。
だが、それを昏いと思う事すら出来ない薄弱な自我は、不快感もただ黙って受け入れるのみだ。
不快だと感じてはいてもそう思う事の出来ない自我はただ身動ぎする。
不快なのは周囲ではなく自身なのだろうか?
そんなことを考えたせいか。それよりも早く自意識が頭をもたげていたのか。
その程度の思考は白昼夢よりも儚く朝露の様に消えた。
意識を包む暗闇が少しずつ晴れていく。
ゆっくりと、ゆったりと、朝日が昇るようにそっと、それでも確実に。
目覚めを意識した耶彦は酷く億劫なそれに違和感を感じながら何とか瞼を開けた。
霞む視界。
定まらない思考。
まだ眠っていたい様な、しかしそれを拒否する様な混沌とした感覚を覚えつつも、二度三度と瞬きをして、ゆっくりと瞼を開ける。
人影が、見えた。
いや、自分が影に入っているだけか。もう一度瞬き。
「………………か、ゲホッ、ゲホッ……ゴホッ……」
薄らと見えた、よく知る少女の名を呼ぼうとするものの、張り付いた様に渇ききった喉は真面な音を発せず咳き込むだけに終わる。
その様子を見た少女は何も言わず湯飲みに白湯を入れそっと差し出した。
咳の落ち着いた耶彦は上半身を起こしその姿をぼーっと見ていた。が、すぐに目の前のものに気づき、それを口にする。
ぬるいそれが今は心地良く感じた。
「…………かおり……」
まだざらつく喉は声を出しづらい。酷い風邪を引いた時の、何か張り付いたような感覚は酷く不快だが、白湯が通り抜けるごとに安らぐのを感じた。
「はい」
返事をする彼女を見つつ、残りを呷る。
「儂は……生きておるのか? いや、何故儂は、生きておる……?」
死にかけた彼にしてみると当然の疑問であるが、一方でそう言われた香は少し困った様な顔をした。
そんな表情のまま、少し上目遣いになる。
「……知りたい?」
「? それはそうであろう。
儂は欠片ほどのちからも残っておらんかった。助かったのは良いが、そもそも助かる筈がなかった」
「本当に知りたい?」
「……何故そうして話を引き延ばすのじゃ? 何か妙な事態でも起こったのか?」
香は少し考える様な素振りを見せたが、結局口を割った。
実のところギリギリのラインで助けらなかったこと。
その場にあった誰かの左手を移植し、死者を使役する要領でその肉体を稼働させようとしたが上手くいかず、姉・栞の血を使う事で何とか存在を保つことが出来たこと。
半分死者の様な存在になった弥彦であったが、それ故か意識が戻る様子も無かった為、拠点としているここへ引き揚げた、のはいいが、そこで拾ったテルムが何故か適合していたこと。
その後、スレイヤーふたりの死体を回収しに戻り、兵隊としたこと。
その際、見当たらなかった翼の代わりに、適当なシャドウのものを見繕い繋げたこと。
「……そうか、面倒を掛けたな」
少女の説明を受け、耶彦は礼を言いつつ、腕を伸ばした。左腕には大手術でもしたかの様に、無数の縫い目があり、広く炎症を起こした様なデコボコがある。それでも青白い肌色はその肉体に同一感を持たせており、元が同じ肉体なのかそうでないのか、解りづらいものになっていた。
ベッドの上で上半身を起こした姿勢で、伸ばした腕が窓から射す日差しに照らされた。
右腕も左腕も特に焼かれる様な感覚はない。それでも左腕が若干熱く感じるくらいの感覚があった。
香の姉である栞は母とも父とも違う不死者 ――ヴァンパイアと成っている。彼女自身は多少の陽光耐性があるらしいが、彼女の血を受けた自分がどうなったか、実験は必要だった。
「それを言ったらあたし達の方が余程面倒をかけてる」
返答する香は自身の指へナイフを走らせ、
「食欲は?」
と、滲む血を見せつけ確認する。
「何かは食いたいが、血が欲しいとは思わんな。お前自身に食欲が湧くでもなし、その辺りの嗜好は変わっとらん様じゃ」
大事な確認であるから、ここは正直に答える。もっと正直に言うなら酒が飲みたいのだがそれを彼女に言うのは流石に憚られた。
流石に酒が飲みたいから買ってきて欲しい、なんて何処ぞの酒乱親父のような事を師たる者が言うわけにもいかない。
「そしてあの怪しい武器が、なあ……」
テルムの封印である宝石 ――シグヌムは左手の甲に埋まっていた。
基本的に妖怪 ――ファンタズマ同士でしか付き合いのなかった彼にとってテルムは敵だけが使っている武器だ。
所謂三大組織 ――アレク、スレイヤー、孝正会―― 以外では殆ど使われていない「新しい」武器。 古くより日本にある別組織では全く使われていなかった為、より「敵」のものという意識が強い。
実際、このテルムが適合したのはこの腕自体が敵の物だからだろう。
だがその一方で有用な武器であれば誰かを護りやすくなる事も確かなのだ。
「……こう、か?」
試行錯誤すること数度。
左手を撫でる様に握り、そこから刀を引き抜く様に持ち上げると手の中には奇妙な形の刃があった。
刃渡りは1m程か。
両刃の手斧の刃の部分だけをそこまで伸ばした様な、見方によってはアルファベットの「H」に見えなくも無いし「A」にも見える、そんな形だ。
「一応、剣か」
鍔はないが刃が柄頭に届く程伸びており、護拳の様になっている。
振うのに邪魔になる為か護拳があるのは片側だけなのだが、それだと両刃である意味が半減している気がする弥彦である。
また剣にしては刃が厚く、斧の刃をそのまま使った様な、鋭さで斬るのではなく叩き切る為のものに見える。
テルムという特殊な武器であるお陰か、見た目程の重量は感じないのだが、それが良いとは単純に思えないのが辛いところだ。叩き切る武器はそれなりの重さがなければ使いづらい。
「……ん? 彼奴等この様な武器は持っておらんかったぞ?」
耶彦の記憶では男は弓、女は長柄の斧を使っていたはずだ。
だが、そう言われても香は首を傾げるしかない。
テルムは拾った腕の傍に偶々落ちていた物であり、出自も銘も不明だ。
「たまたま?」
彼女は多くのテルムを所持している。
会ったスレイヤーは可能な限り殲滅するにしても、放っておけばまた自分に向けられるかも知れないテルムをそのままにしておく訳にもいかない。だからこそ自身に利用価値はないがそんなテルムの回収は行っている。
勿論その際には多くの土砂を巻き上げながら辺り一面を耕していくのだから当然回収できなかった物もあるだろうし、香が関わらずとも死んでいくハンターはいるのだから、そんな彼らの物が落ちていることもあるだろう。
それに加えて、たまたまテルムの生成条件に達した可能性もゼロではない。
「彼奴等の腕をつけた儂に適合するテルムが偶々傍にあった、は偶然に過ぎるわい。と言っても詮無きことか」
自らの疑念を振り払い、生来の物ではない己が腕と新たな武器を見つめる。
テルムは取り回しの良い武器だ。
そして武器そのものに善悪などない。
この腕にしても同じ事だ。
これがあのペラペラ喋る男の物か、引き締まった肉体を持った女の物か、それとも両方が組み合わさった物なのか、それは解らない。
見た限りでも、最低でも三分割以上された形跡のある腕だ。どこかに自分の肉すら混ざっていようとおかしくはない。
そんな怪しい腕でも今は自分の意思で動く自分の腕だ。なら使うのみだろう。
だが、何にしてもだ。
「すまぬが、しばらくは厄介になることになりそうじゃな」
「世話になったのはこっち。どうせ人手は腐るだけある」
「……骨くらいなら文句は無いが腐った連中は勘弁してくれ」
彼女の「人手」を思い浮かべ、冗談交じりに要請する。
彼女とて腐乱した動く屍体を生活圏には入れないだろう事は解っているが、余っている様な人手はそう言ったモノが大半だ。元スレイヤーの兵隊は防腐処理すらされずに封印されているのだから。
「じゃあお師匠の世話役は大天狗で」
「待てい! そんなのに四六時中傍にいられたら落ち着かん所か胃に穴が空くわい!」
何時の間にか上司とも言える存在が死んでいる事にも驚いたが、それよりも何よりもそんな看護は絶対拒否の弥彦であった。
この説明でテルムの形状が判ってもらえるか、ちょこっと不安だったり。




