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第七十七話 夜の彼方

 このシーンがこの物語の最終回になります。




 ひとりの、まだ幼さの残る少年が路地裏を駆けていった。


 その様子は正しく必死。

 獅子に追われる子鹿のようなその形相は、言葉通り捕食者に追われる非捕食者のものに他ならない。


 ――そう。


 彼を追うのは捕食者と言ってもいい存在 ――アクマなのだ。

 鉱山の妖精(コボルト)なのか、それとも狼男(ワーウルフ)なのか、それは判らない。 それの判別がつくほど冷静ではいられないし、そもそも何のちからもない少年はただただ逃げるしかなかく、そんなことに時を費やすほど余裕はない。


 その数は三体。


 犬であれ狼であれ、本来ならとっくの昔に追い付かれている様な、そんな存在だ。 つまり少年は今、弄ばれているのだろう。 狩りをする猫の様に。 虫の足をもぐ子どもの様に。


「……はあっ……! はあっ……!」


 耳元に心臓があるかの如く、激しい動悸が耳障りに響く。

 ただ気安く近道を通った十分前の自分を怨み、彼はひたすらに足を動かした。




 ――五年前の、ゾンビパニックの当時、彼は小学校の中学年で、実際に『そいつら』を見た訳ではなかった。


 ――人を襲う死者。


 ――それを倒し、人を守った妖怪、魔物。


 まことしやかに語られるそれらを、心底信じられるほど子どもではないと、斜に構え否定して過ごした。


 まさか、それが本当だなんて思いもしなかったのだ。

 マスクやドッキリでは有り得ない、獣と血の臭いのリアル。 今まで感じたことのない恐怖は『化け物』に追われる悪夢に似ていて、それでまた非なるモノだ。


 夢の中の恐怖は所詮は自分が頭の中で創り出したモノに過ぎない。

 現実のそれとは全く別である。


 ぬらりと不気味に輝く牙が、しっかりと己を見据える獣の瞳が、少年の他にも誰かを襲ったのか、口元に残る血痕が、死への恐怖を加速する。


(助けてっ! 誰か! 神さま!!)


 禄に祈ったことなどない神に向けて、声にならない祈りを捧げる。 話す余裕などそこにはない。

 必死の願い、必死の祈り。

 ただその状況は必死に至る、必至の死。


 やがて足はもつれ、痙攣を起こす。

 少年は動かぬ足を叱咤し、絶望に涙した。


「あ……ぁぁぁ…………!!」


(助けて……! 父さん! 母さん!)


 激しい動悸のせいで思いは声にならない。


 少年は届かない祈りに、遠ざかる日常に滂沱の涙を流す。

 獣の顔は彼の直ぐ目の前に来ていて……。





 ――斃れた。


「間に合ったか」


 そう言ったのは日本刀を片手に持ったひとりの青年だった。



◇ ◇ ◇



 『あの日』、ササを抱えたまま倒れた連理を助けたのは榊姉妹と黒澤耶彦であった。


 それは虫の知らせか、それともかすかな繋がりか。

 ササに次いで逆木連理との繋がりを持つ少女 ――榊栞は『その時』に強い違和感を覚えたのだという。

 周辺を見回り、たまたま来訪していた鴉天狗にボディガードを頼み込み、三人はそのまま空を駆け探索に乗り出したのだ。


 そんな三人が発見したのは、全身を紅に染めながらも少女を抱きかかえる連理が、殺意の形相のみで立ち塞がった数人のスレイヤーを退散させるという信じがたい場面であった。

 もっとも、その直後に連理は倒れ、三人の世話になる事となったのだが。


 そう、彼は再び、ササは初めて榊家に『入院』する事になる事になった。


 連理は前回以上の重傷で、ササは怪我以上にヤバげな薬を使われたと言う事で、榊家にはマヤや鏡子のみならず、しらかばの家から『鬼子母神』有賀皐月らも駆けつけ、ふたりに治療を施したのだ。

 そんな治療の中で、ササは投与された薬が抜ける毎に、ロジーナの薬を飲む事への抵抗が強くなっていくと言う判りやすくも面倒臭い反応を見せていたりするのが皆の笑顔を誘ったりもした。


 『退院』まで連理は二週間、ササは一ヶ月の期間を要したのだが、これはふたりの耐久力・頑強さを褒めるべきだろう。 普通ではない治療も多かったとは言え、それでもこの短期間に治るような怪我・症状ではなかったのだから。



 そして、そんなふたりが『退院』した頃、世界の、世の中の常識はほんの少しだけ変わっていた。

 あの『死者』達の氾濫は一日程度で終わったものの、しっかりとマスコミには取り上げられ、その被害者達からのインタビューも流れたのだ。


 ――囓られた、引っ掻かれたと、その傷を見せた者がいた。


 ――倒した、倒せなかったと、その武勇談を語った者がいた。


 中には助けられたと言う被害者もいた。

 市民の方にですか? との質問へ返ってきた答えは。


 ――昔アニメで見た妖怪みたいな人だった。


 ――魔法だった。 信じられないかも知れないけど、あれは魔法だった。


 ――忍者?


 ――火を吹くわんちゃんがいたんだ。


 そんな答えにテレビも紙面も賑わったが、それ以降は特段怪異が確認される事もなく、やがて話は収束し、ただ噂だけが残った。


 それでも、人々の中にその存在を、在り方を確立させて……。



◇ ◇ ◇



「――大丈夫か?」


 少年の前に現れたのは恐らくは二十代であろう青年と、三人の少女たち。

 三人とも十代に見えるがひとりだけ随分と幼く、多分少年よりは下だろうと思われる年齢に見えた。 もうひとりは高校生くらいで、最後のひとりは中学生くらいで少年と同年代だろうが、可愛い少女だが何故かケモミミとケモ尻尾をつけている。


「おい? 大丈夫か?」


 反応の無い彼を心配してか、気づくと青年は随分近い位置にいた。 近くで見ると判る、傷痕の残る顔や手。 服で見えない箇所もそうなのではないかと思わせる、戦いを生業にする者の雰囲気。

 驚きに一瞬身を震わせるがそれでも少年は息を整え、更に一呼吸を置いてから「はい」と答えた。


「無事で良かった」


 そう言ったのは、年嵩に見える少女。 黒髪にどことなく紅く見える瞳が印象的だ。

 年上っぽい外見に反して、その笑顔は不思議と無邪気なイメージを与えてくる。


「ちょっと危なかったけどね」


 一番小さな少女が言う。 濃い灰色の髪は背中に掛かる程度には長く、黒い瞳は傍らに居る年長の少女よりも不思議と強い意志を感じさせた。


「ほれ、連理よ。 また来おったぞ」


 そう言ったのはケモミミ少女だ。 少年の逃げてきた方向を指し示し、そちらから走ってくる犬とも狼ともつかない顔のモンスターのグループを見る。

 そこに慌てるような様子はない。 至極落ち着いた、日常の雰囲気だ。 これなら「バーゲンが始まった」と騒ぐおばちゃん達の方が余程戦々恐々としているだろう。


「はいよ。 そっちは任せた」


 少女に言われ、青年は言葉通りの『押っ取り刀』でそちらへ向かうが、そこにその言葉本来の意味にあるような、慌てふためく様子はない。


「うむ。

 怪我は……擦り傷くらいじゃな」


 ケモミミ少女 ――ササはざっと少年の様子を確認すると、手を差し伸べようとして引っ込めた。 少年の足はまだ小刻みに痙攣しており、直ぐに立てるような状態ではなかったからだ。

 今、彼に無理をさせる必要は全く無い。


「さて、色々と聞きたい事はあるじゃろうが、まずは言っておこうかの」


 そう言ってササは何時かと同じ様に、蠱惑的でそのくせ悪ガキ染みた微笑みを見せた。





「此方側へようこそ」




 これにて『夜の彼方の裏側で』、終幕で御座います。

 稚拙なまま世に出してしまった本作をここまでご覧頂きありがとうございました。

 一応、次回にキャラクター達の暴露話等を予定しておりますので、完結設定はそちらで入れるつもりです。


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