第三話 カメオ
学生寮の部屋に帰ると、どっと疲れが出た。ベッドに突っ伏して寝たまま上着を脱ぐ。足元に投げようとして違和感を覚え、志乃は上着を広げた。薄い生地を通して硬い感触がある。
「え?」
志乃はポケットから出てきたものを見て驚いた。カメオのブローチ。シェルカメオじゃない。繊細な白い線で描かれた女性の横顔は、美しい青い石の表面に掘られていた。
「何でこんなものが」
どこで紛れ込んだのだろう。見当もつかなかった。
「綺麗」
光に翳すと、メノウの色は深みを増し、白い横顔が微かに立体的な趣を持つ。本物だろう。相当高価なものの筈だ。そこまで考えて志乃は一つだけ可能性に思い当たった。
「あの子」
海の底のような青い部屋に住む、不思議な少年。まさか……でも。もしそうなら返さないといけない。明日もう一度訪ねてみよう。新しいハンカチにブローチを包み、志乃はそっと机の上に置いた。
翌日は専門課程の講義が幾つかあり、午前中と午後の一限は大学に行かなければいけなかった。ソーシャルワーカーになるためには、国家資格を取る必要がある。MSWなら社会福祉士、PSWでは精神保健福祉士の資格取得が必須だが、志乃はダブルライセンスを取ることを目指していた。教養課程の単位を取り終わったからと言って気を抜いていては間に合わない。お昼休みのタイミングで学外に出ていく友人たちを見送り、志乃は三時を過ぎた頃にやっと正門を出た。
自転車にまたがり、先日走った道を走る。潮風を感じながら暫く進むと、上部が階段状になった琳タワーが見えてきた。裏の駐車場の隅に自転車を停め、エレベーターで四回に上がる。
「あの、すみません」
受付で声を掛ける。差し出された用紙に名前と連絡先を記入した志乃は、コンシェルジュに事情を説明した。
「ペントハウス、ですか?」
「はい。屋上の、キノコみたいな。そこの方にお会いしたいんです」
コンシェルジュは首を傾げ、暫く黙った後おもむろに口を開いた。
「屋上にはペントハウスなど御座いませんが」
少し眉を寄せ、訝し気に志乃を見る。濃い化粧を施した顔は、真顔になると怖い。
「そんな筈ありません。先日料理の配達に伺ったときは確かにありました。そうだ、8451の琳さんに繋いでいただけませんか。そうすればきっと」
「お帰りください」
低い声でそう言うとコンシェルジュは背を向け、さっさと奥の扉の中に入ってしまった。人のいなくなった受付に取り残され、志乃は尻尾を巻いて帰るしかなかった。