詩人の万年筆
月に向かって羊たちが列をなし、子供たちがその背中を駆けていきます。
錬金術師の弟子はぼんやりとその様子を眺めていました。価値のないものから黄金を生み出す技術、それが錬金術です。弟子はため息をつきました。いつまで経っても、師匠のようになれなかったからです。
師匠は一流の錬金術師で、装置を使って、どんなものでも黄金に変えることができました。弟子のほうは、装置に何を入れてもだめでした。試しに、黄金や白金を入れてみたこともあるのですが、どうしたことか、それらは土くれへと変わってしまいました。師匠はこの弟子に見込みがないと充分に分かっていたのですが、同時に錬金術や自分のことをひたすら憧れていることも充分に分かっていたので、無下にすることはできないでいました。
あるとき、弟子は装置に芋虫やカエル、ヤモリといった生きものを入れてみることにしました。すると、それらは銅に変わっていました。黄金ではないにせよ、金属に変わったのは、これが初めてのことでした。動物が銅になるなら、人間ならばどうだろう、と弟子は自分の命を装置に入れてしまいました。しかしながら、残念なことに、それが黄金になることはありませんでした。師匠は一本の万年筆を見つけ、すべてを悟りました。そして、この時が来てしまったか、と思いました。
師匠は街へ赴き、路上で生活している、みすぼらしい詩人を見つけました。
「この万年筆を使ってもらえないだろうか。」
「しかし、私には、見ての通り、お金などありません。」
既に、錬金術師の姿はありませんでした。
つやつやした、緋色の、少し重みのある万年筆を、詩人は改めてまじまじと見ました。そこで、この万年筆にはインクが入っていないことに気づきました。もちろん、インクを買うお金など、詩人にはありません。しかしながら、この万年筆にはどことなく妖しい風格があり、これを使えば良い詩が書けそうだ、と思わせるものがありました。そこで、万年筆に自分の血を含ませて、詩を書いてみることにしました。
すると、血液という霊感の中で、生命が持つ普遍的なものが音楽を奏でていました。詩人は、感じるままに詩を書きました。この万年筆を使うようになってから、詩人は初めて満足できる詩が書けるようになり、また世間からも黄金を紡ぐ詩人と評価されるようになって、生活に困ることもなくなりました。これもあくまで万年筆のおかげだということは分かっていましたが、詩人にとっては、美しいものを感じられれば、それで良かったので、謙虚にその幸せを味わっていました。
幸福の絶頂のさなか、詩人は自ら命を絶ってしまいます。いつものように万年筆に自分の血を含ませようとしていたところ、誤って大きな血管を傷つけてしまっただけだったのですが、世間の人々は詩人の様々な不幸を想像して、噂をしました。やがて、万年筆の存在はおろか、詩人の名前も忘れられますが、その黄金の詩は後々まで受け継がれていくことになるのです。
1200字程度の幻想的で耽美な短編小説を書いております。よろしければ、他の作品ものぞいてみてください。




