第18話 トンローとエカマイ その3
エカマイでのインタビューを無事に終え、そのまま歩くと気になるお店が...タイ東北地方の料理店であった。
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その男性と挨拶と名刺交換を終えると、すぐ横の席に案内され、インタビューが始まった。
店についての内容の詳細は、状況によって雑誌の記事になる可能性があるのでこの場では割愛する事にする。
ただ、松本氏個人の話では、元々日本で働いていたのを、バンコクのこの店に抜擢されたらしく、年齢を聞くとまだ20歳代と若い。また、タイ人の奥さんがいるとのこと。
外部の人間が見ても将来が非常に楽しみな方のように感じるのだった。
彼が特に強調した事は、タイと比べて日本が暗いということ、携帯を触りながら歩く人が増えたので、みんな下を向いて歩いているのが、余計にそう感じたらしい。
これは、2人にとっても共通の認識で、日本の中では、店のある大阪より東京のほうが勢いを感じていて、昨年多くの“元気”を貰いに行くことが出来たのであった。
それが今回のようにベトナムやタイに来るとその元気の貰い方が、東京の数倍も違う事。今回も強く感じていた。
最後に、松本氏の目標はタイ永住とのこと。
奥さんがタイ人である以上、容易なのかもしれないと思うのだった。
インタビューを終え、松本氏の顔を何枚か撮影したあと、店内を案内してもらった。
日本料理店らしく、寿司のカウンターが、別室にあって、日本人の板前が準備をしていた。
ここに座る事ができるのはごく限られたお得意さんであろうか?
2階にも案内され、邸宅を見事に個室の客席にして使えるようになっていた。
最後に庭も撮影し、ここで松本氏と別れた。
あとは、特に予定が無いので、料理長のリクエストであるこのエカマイと隣のトンローの通りを歩いて見る事にした。
気になるお店を一軒一軒チェックしていくと、
とてつもなく気になるお店を発見。
美味しさと楽しさが織り交ざった空気に吸い込まれるようにその店に入ると、大きな庭に沢山のテーブルと椅子が並んでいた。
その前にあるステージでは民族系では無い演奏が行われていた。
席に座り、ビールを注文。
この店はドラフトビールが飲めるという事で、
チャーンビールのドラフトを注文
だが、ルールが日本と若干異なり、ドラフトを注文すると必ず1Lくらいのピッチャーのようなもので注がれる仕組みになっている。
つまり、日本の生ビールのようにジョッキなどに直接注いで渡す形式では無いらしい。
最初その事で、少し揉めたがこればかりは国の文化の問題なのでそれに従うのがルールと言えるだろう。
確かラオスもそうだったが、ベトナムは違って日本に近い形式だったように記憶する。
そのあたりの国の違いもまた面白い。
透明の壷のような形をしている容器から、各々のグラスに注ぎ乾杯。
半端ではない暑さにはやはり冷えたビールがと感動してしまう。
注文した料理は、ガイヤーン(鶏炭火焼き)と豚の炭火焼。
比較的単純な料理であるが、これらのビールとの相性もよかったのか、非常に美味。
むさぼるようにして食べてしまった。
少し落ち着き、店長はスケッチブックを片手にスケッチを開始。
しばらくすると、どこかで聞いた事のある伴奏が流れたが、その時には「よくあること」と気にならなかった。
なぜならば、普段から店のテレビはタイのテレビで、いろいろな歌や音楽が流れるので、バンコクのあちらこちらで流れる音楽はほとんど聴いたことのあるものばかり、中には、口ずさめそうなものすらあった。
そう思っていたが、タイ人の歌手が日本語で
歌い始めた。なんと“昴”であった。
この曲は世界的にも有名なので、別段どういうことでもないのであるが、料理長の解説では、「駐在員さんサービス」ではないかと言うこと。
ここエカマイやトンロー地区は、日本人の駐在員が密集しているスクンビットの大通りと交差している事もあって、在住日本人比率が多く、確かに客席を一通り眺めるだけでも明らかに日本人と思われる人物の存在を複数確認できるのだった。
それにしても、タイ人の歌う“昴”は中々うまく、やはり日本人の一員として聞き入ってしまうのだった。
しばらくして、食事も終わり、再び散歩する事に、清算を終え、道路のほうに歩くと、再び日本の曲が、今度はスキヤキソング(上を向いて歩こう)であった。