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1.『転生』



灰色の雲が、澄み渡る青空を覆っていく。

グラウンドに影が落ち、それがゆっくりと移動していくのを俺───杉本(すぎもと) (しゅう)は眺めていた。

俺が今いるのは中学校の屋上。昼休みには女子が騒ぎ立て、ひとりで来ようものなら容赦のない陰口と視線に晒されること必須の場所。

そのような場所でこうして呑気にしていられるのは、俺以外誰もいないからだ。

次第に強くなってきている風の音しか聞こえない、普段なら考えられないほどの静けさに満ちている理由は───授業中だから。

柵にもたれかかり、やけに遠くに感じられる地上をぼんやりと見つめていると、思考は過去に彷徨いだしていった。



***



俺はクラスでは浮いた存在だ。

どうも周りの皆とずれているらしい、と気付いたのはいつぐらいのときか。

笑いのツボが違う。誰も気にもとめないようなことをいちいち指摘し、納得がいかなければ周りの意見に合わせることはできない。

当然、俺は『空気の読めない面倒くさいヤツ』というレッテルを貼られ、避けられるようになった。

そんな中、唯一態度を変えなかったのが幼なじみの少女、天野(あまの) ゆかりだ。

少し背が低く、愛らしい見た目のゆかりはクラスの人気者で、どうして彼女が俺などに声をかけてくれるのか分からない。分からないが、家が隣で、何故か毎年毎年同じクラスになるのもあって、心の許せる友人という関係になったと勝手に思っていた。

───そう思っていたのは、どうやら俺だけだったらしい。


きっかけは、些細なことだった。

昨日の帰り道、俺は何か考え事をしている様子のゆかりに歩調を合わせ、無言にたえきれずに色々な話を振っていた。


「…もしかして、林達の噂のことか?」


確信を持って投げかけたその問いに、ゆかりの肩がびくりと震えた。

林達、とは何かにつけて柊にちょっかいを出してくる男子グループのことである。数少ない、柊に話しかけてくる者達のうちのほとんどが林達というのは皮肉な話だ。

最近の林達のお気に入りのネタは、恋の噂───簡単に言えば、柊とゆかりの関係についてだ。

中三にもなって男女が二人きりで登下校していれば、噂好きの連中がここぞとばかりにあることないこと吹聴してまわるのは当たり前。

柊は敢えて耳を塞いでいるが、人気のあるゆかりにとってこういうことは初めてなのかもしれない。そう思った俺は、不器用ながら彼女を励まそうとした。それが間違いだった。


「気にすることない。聞くだけ無駄だよ、あいつらはからかいの種を探してるだけだし。そもそも、俺とゆかりは友達で、それ以下でもそれ以上でもない……」


めったにない長台詞が途切れたのは、俯いていたゆかりが呆然と俺の顔を凝視していたからだ。


「……そっか。そうだったんだ」


「ゆかり……?」


反応の理由が分からず彼女に手をのばすが、ゆかり自身の手によって払いのけられてしまう。


「触らないで!」


ゆかりが、俺に対して声を荒げたのはこれが初めてのことだった。

すうっと、幼さの残る顔立ちに涙の筋が描き出される。ぽろぽろと零れる雫を乱暴に体操服の袖で拭い、ゆかりは言葉を絞り出した。


「触らないで。ついてこないで。……もう、ほうっておいて」


───嫌われた、と感じることは何度もあっても、こう明確に拒絶されたのは初めてだった。ましてや、相手が友達ならなおさらだ。

『ほうっておいて』の一言は、俺の心のどこか大切な部分を切り裂き、抉っていった。

立ち尽くす俺をおいて、ゆかりは走り去っていく。運動の得意な彼女の足は速く、追いつくのは不可能なほどだったが、そうでなくても追いかけようとは思えなかった。

疼く心の傷を抱え込んで、俺は日が完全に暮れてなおゆかりの走っていった方向を凝然と見続けていた。



***



癒えるどころか、カサブタにすらなっていない傷を直視し、俺は胸を押さえた。錆び付いた金属の柵がミシ、と音を立てるが意識にのぼってこない。


なぜ、どうしてゆかりは。


昨日の今日で、少し緊張しながら教室へ向かった俺を待っていたのはゆかりが欠席したという話だった。

連絡事項が先生の口から伝えられるも、全く耳に入ってこなかった。一限前の短い休憩時間に嫌な笑みを浮かべた林達が近付いてくるのを目にして教室を飛び出し、廊下ですれ違った担当教師に体調が悪いと嘘をついて、行くあてもなく屋上で時間をつぶしている───というわけだ。

せめて鞄をもってくれば帰ってしまうこともできたのにと悔やむが、今更戻るわけにはいかない。サボりだとそしられるのもまっぴらだし、何より授業を受けるという気力がない。


もうすぐやってくる中学最後の夏休みが終われば、いよいよ受験一色になってくる。夏休み中も体験入学の予定ばかりで、考えるだけで気が重い。

受験を乗り越えて、高校に入学できたところで終わりではない、とはよく聞く言葉だ。進学、就職、未来。そんなことは言われずとも分かっている。お前は考えていないだけ?未来という言葉の重さに潰れそうになるぐらいには考えている。あんたこそ、俺がどう思っているか考えたことはあるのか?

…なんて、反抗していてもまだまだ俺はひとりじゃ生きていけない。大人ぶっていても、中身は子供でしかないのだ。


生きていく。これまでは当然のように行っていたことであり、ふとした瞬間にずしりとのしかかってくる言葉。


押しつぶされそうになったときは、大抵ゆかりが傍にいて、話を聞いてくれた。たどたどしい口調で聞きづらかっただろうに、一生懸命。


今は、隣には誰もいない。

相槌を打ってくれる相手は、いない。


一瞬収まった胸の痛みが再び存在を主張してきて、俺は柵を握りしめる左手に額をのせた。


痛いのも、辛いのも、苦しいのも嫌だ。

なのに、生きている間はそれから逃れることはできない。

だから、屋上という場所に来ていてもこの柵を踏み越えることはできず───


ひときわ、強い風が吹いた。

体が煽られ、一歩足が前に出る。体重を柵に預けるような体勢になり、俺は鉄枠を握りしめ───



ささやかな、本当にささやかな音がした。

ピシッという音。───俺を繋ぎ止めていたものが、ひび割れる音。

聞き逃してしまいそうな音は、決定的なもので。

古くて劣化していた柵は限界を迎え、寄り掛かっていた俺ごと、落下し始めた。

耳元でびゅうびゅうと風がうなり、目を開けていられない。あと何秒で地上に激突するのか分からない。怖い。


自然と、涙が溢れて。


地面に叩きつけられるまでの数秒間で、俺は圧倒的な恐怖と。



───これで終わるのだという、安堵を覚えた。



***



───複数の、人の声がする。

上手く聞き取れないが、何か言っているのが分かる。


俺は、屋上から落ちて。死んだはずではなかったのか。

衝撃はあった。直後に意識が途切れて、それで。


生き、のびてしまったのだろうか。


腕を動かそうとしたが、何故か上手く動かない。怪我をしているのかと思ったが、痛みを全く感じない。

苦労して瞼を持ち上げると、見知らぬ人々の顔が見えた。

青い、髪。同じく青い目。

知らない。知らないし、青い髪など聞いたこともない。

だというのに、どうしてこいつらは俺を見て優しく微笑んでいるのだ。

一人が手を伸ばし、俺を抱き上げた(・・・・・)。思わず悲鳴をあげそうになる。

俺は身長172cmと、同年代の中ではそれなりに高い。体重も運動していないせいで、太っているというわけではないが細腕で軽々と持ち上げられる重さではないのだ。


そこで、目に入った。

抱えられる俺の手のひらが、抱いている女性の手よりはるかに小さい。

これでは、まるで。

俺が、生まれて間もない赤子のようではないか。


まさか───いや。

本当は理解している。

染めた人以外で、これほどまでに鮮やかな青髪を持つ者はいないということ。

おそらく俺は屋上から落ち、そのまま死んでしまったのだということ。



『転生』、という単語が脳裏に浮かぶ。



もしも俺を転生させた神様がいるとしたら、思い切り叫んでやりたい。


『神様、どうして俺を転生させたんですか』


嘘だろうと。ふざけるなと。

だって、やっと。

やっと、『生』から解放されたのに。


転生させるのだとしても、どうせなら。

───全く新しい、まっさらな人生を歩ませてくれればよかったのにと。

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