8.初めての侯爵家
侯爵家の屋敷を初めて見た感想は、大きいなだった。
そういえば、レオポルトを初めて見た時の感想も同じだったなとルチアは思い出す。
事実、カファロ家の屋敷より一回り以上大きい。
全体的に茶系統の建物で落ち着いた雰囲気、玄関前には大きな噴水、屋敷の周りは緑が多く、森に囲まれた豪邸といったものだった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま、リカルド」
玄関を抜けると、数十人の使用人がずらりと並んでいて、ルチアはその人数の多さに驚いた。
先頭に立っていたのは、レオポルトにリカルドと呼ばれた年配の男性だ。
白髪混じりの赤茶の髪を後ろに撫で付けており、燕尾服を着用している。昔は大層美男子だったのではないかと想像出来るような渋い男性だ。
「ルチア、彼は家令のリカルドだ」
「お初にお目にかかります。家令を申しつけられておりますリカルド・モートンと申します。ようこそお越しくださいました奥様。使用人一同お会い出来るのを楽しみにしておりました」
リカルドの歓迎の挨拶に、ルチアも自己紹介を済ます。
「奥様。お疲れでしょうが、もう一人紹介させてください。リリー」
リカルドに促され、若い女性が一歩前に出る。
「リリー・ヘイデンと申します。奥様の身の回りのお世話をさせて頂きます。これからよろしくお願いいたします」
「リリーね。よろしく」
リリーはルチアより少し歳上に見えた。小柄な体躯で、茶色の髪を三つ編みにして後ろに垂らしており、愛らしいそばかすがある明るそうな女性だ。
「他の者はまたおいおい覚えていってもらえればいい。今日は疲れただろうからゆっくり休んでくれ」
「はい。ありがとうございます」
レオポルトの言葉に返事をした後、リリーが部屋にご案内しますと言ってくれたので、ルチアは彼女について行く。
リリーに案内された部屋は、可愛い部屋だった。
白に統一された家具、天蓋付きのベット、大きなソファーとテーブル。壁には風景画が飾られている。
若奥様といった様子の部屋だった。
カファロ家でのルチアの部屋より2倍以上広い。
「こちらが奥様の部屋になります。
そちらの扉はご夫妻の寝室に繋がっております。
婚礼の宴では、食事もなかなかとれなかったと思いますので、果物などの軽食と飲み物も用意しておきました。
それから、こちらが浴室になります。お湯と夜着の準備はしておりますので、直ぐ使用する事が出来ます」
「色々準備してくれて、ありがとう」
「いえ、他に何かご用があればいつでもお呼び下さい」
ルチアの言葉に、リリーはニコリと微笑む。
良い人そうなので、仲良くなれるといいなとルチアは思った。
リリーは、ひと通り部屋の説明を終えると出て行った。
一人残されたルチアは、テーブルに乗っていた飲み物をグラスに入れて飲む。
甘い果実の味がして、美味しい。
「……夫婦の寝室か」
先程リリーに説明された夫婦の寝室に向かう扉にルチアは視線を向けた。
「さすがに、あの扉を使う事はない……わよね?」
この部屋にベッドがあるのが何よりの証拠である。ルチアには夫婦の夜の事情の正確な内容は分かっていないが、全く知らないわけでもなかった。
領民の若い女の子達の中には、進んでいる子もいて他の女の子達に話を聞かせる事もあった。
だから彼女は無知ではなかったが、今の今までその事をすっかりと忘れていた。
レオポルトから言われた事は、対外的に妻として演じて欲しいと言われただけであり、夫婦の営みについては対外的とは言わないはずだ。
しかし、もし求められたらルチアは自分に断る事が出来るのか自問する。
レオポルトはカファロ家にとって大恩人である。
求められれば断る選択肢はルチアには無い。
しかし、レオポルトの顔を思い出すと、とてもルチアに興味があるようには見えなかったし、秘密の恋人がいる説も未だ濃厚である。
そもそも花嫁姿を褒める事もしなかった彼がやって来るとは思えなかった。ルチアは安心して、湯に浸かって温まろうと浴室に向かった。
湯浴みを終えた後、着替えた夜着の薄さとヒラヒラ具合に、新婚らしいと感じながら、彼女はしっかりとガウンを羽織る。
そして、その後ついつい部屋の中を探索し始めた。
クローゼットを開くとルチアが予め送っていた衣服が何着かかかっているのが目に付く。
それだけでなく身に覚えのない衣服がその3倍くらいかかっていた。
「これは、私に準備されたものかしら?」
それなりに綺麗な衣服を選んで送ったルチアだったが、侯爵夫人ならもっと良い服を着なさいという意味かも知れない。
それならそれで、妻としての務めならばありがたく着させてもらおう。
そんな事を考えていると、突然扉がノックされる。ルチアはドキッとした。
だがノックの音は廊下側の扉である。リリーが来たのかもしれない。
「はい」
「レオポルトだ。少し、いいだろうか?」
思わぬ来訪者だ。ルチアは慌てて扉に向かう。
「い、今開けます」
扉の先には、湯浴みを済ませた後なのだろう黒いガウンを羽織ったレオポルトが立っていた。
「何でしょうか?」
「……少し、話があるんだが」
「は、はい。どうぞ」
ルチアは彼を追い返すわけにもいかず中に通した。
彼は部屋の中に入ると真っ直ぐソファーに向かい、そこに座る。
「あの、果実水などいかがですか?」
「いや、構わない。とりあえずここに座ってくれるか?」
レオポルトに向かいのソファーにと促された為、ルチアもそこに腰かけた。
「今日は、ご苦労だった」
「は、はい」
ルチアの声はあまりの緊張で上擦ってしまう。
「……そんなに緊張しないでくれ。君に無体な事をするつもりはない」
「え?い、いえ。その……」
「君が望まない事は、絶対にしないと誓う」
ルチアはその言葉に安堵したのと同時に自分の不甲斐なさに悔しくなった。
「申し訳ございません。
私、家族の為なら何でも出来ると思っていたのですが……やはり覚悟が足りていなかったようです。
今回お話を下さったのが、レオ様で本当に良かったです。
きっとレオ様以外の方だったら、こんなにも良くして頂ける事もなかったでしょうし、無体な事もされていたかもしれません。
本当に、ありがとうございます」
ルチアは真摯に頭を下げた。
求められたらどうしようと悩んだこと自体が彼に対して失礼だったと反省する。
「顔を上げてくれ、そんなに畏まらなくていい。私は……この結婚は私にとても利がある。だから気にしないでくれ」
「レオ様に利ですか?……それなら良いのですが」
ルチアにはレオポルトの利がさっぱり分からない。だがそう言うという事は、何かしらあるのだろう。
「ところで、何かお話があったのでは?」
「ん?あ、ああ。その明日……紹介したい人がいる」
「紹介したい人ですか?」
「朝食後、少し付き合ってもらいたい。いいだろうか?」
「それは、構いませんが」
「ありがとう。なら明日よろしく頼む。今日はゆっくり休んでくれ」
「はい。ありがとうございます」
会話が終わりレオポルトが立ち上がった為、ルチアはそれに倣う。
扉まで見送ろうと近づいたのだが、扉を開けて出て行こうとした彼が突然立ち止まり、振り向いた。
「ルチア」
「はい?」
「今日のドレス……よかったな……」
それだけ言うと、彼は部屋から出て行った。
確かにあのドレスは有名な仕立て屋ヒルベルタ作の素晴らしい逸品で、とてもいいドレスだ。ドレスの良さはルチアにも充分わかっている。
ドレスを褒めたという事は、準備したレオポルトに感謝しろという事かとルチアは思った。
しかし、彼がそんな狭量な事を言うだろうかと彼女は首を傾げる。
もしかしたら彼はドレスを見るのが好きなのかも知れないと、ルチアはそう思った。
それよりも気になるのは、明日紹介したい人がいるという言葉だ。
もしかしたら、秘密の恋人がこの屋敷のどこかにいるのかも知れない。妻に出来ない秘密の恋人、もしその人物を紹介されるのなら、対外的な妻としてルチアは壁にならなければならない。
レオポルトの恋心は必ずお守りしようとルチアは改めて心に誓った。




