6.花嫁衣装
ルチアとレオポルトの結婚式は3ヶ月後に決まった。
二人が会ってから2週間、彼の行動は早かった。
カファロ家への援助を含めた契約の締結、領地経営に詳しい人材の派遣、カファロ家の屋敷の傷んだ箇所の修繕、結婚式の準備。
ルチアが口を出す隙もなく、あっという間に準備が進んでいく。
全ての費用も彼が負担してくれていた為、彼女がする事は何もなかった。
期間限定の妻だものね。
ルチアはレオポルトの好きにしてもらう事にした。
彼には彼の都合があるだろうから、余計な申し出は控えるべきだと考えた。
あと3ヶ月もすれば結婚、家族と離れるのかと思うとルチアは少し憂鬱な気分になる。
最近は、ぼんやりと自室の窓から外を眺めるのが日課となっていた。
「あら?」
屋敷の前に馬車が止まったのが見えたルチアは、不思議に思った。
今日は客が来る予定は無かったはずだ。
そしてその馬車から一人の女性が降りてきた。
それはとても艶やかな女性だった。豊満な肉体、細身の黒のワンピースを着ていて、真っ白な大きなツバの帽子を被っている。
遠目で顔までは分からないが、家族の誰かの知り合いには思えない。
「もしかして…秘密の恋人?」
思い浮かんだのは、レオポルトだった。
この時期に見知らぬ美女が屋敷にやって来た。彼の秘密の恋人が乗り込んできたのかもしれない。
なるほど、期間限定の妻が必要なのは秘密の恋人がいるからなのだ。
侯爵家の当主が平民の女性を妻に迎えるのは簡単ではない。近頃平民が力をつけてきたと言われているが、まだまだ身分制度の壁は厚いのだ。
「…修羅場を体験するのかしら?」
少しワクワクした気分になる。もし修羅場になったら自分がどう対応すればいいのかルチアは悩む。
秘密の恋人をあまり無下に扱うと、援助が無くなってしまうかも知れない。ほどほどがいいだろう。
ルチアがそんな事を考えていると、部屋の扉がノックされた。
「はい」
返事をすると扉が開き、中に入って来たのは執事のマウロだった。
「お嬢様、お客様です」
「…どなたかしら?」
ルチアが尋ねると、マウロは小さな溜息をつく。
「旦那様から伺っておりませんか?
本日、花嫁衣装の仕立て屋がいらっしゃると、コンスタンツィ卿から連絡を受けました。旦那様がお嬢様に伝えると仰っていたのですが…」
「…聞いてないわ」
ヴィーゴの伝え忘れはよくあることなので、仕方がないとルチアは諦めた。
しかし仕立て屋だったとは、修羅場では無いようでちょっぴり残念に思った。
「初めてお目にかかります。ヒルベルタ・シルハーンと申します。本日はよろしくお願いいたします」
マウロに案内されて入って来た美女は、そう挨拶した。
背が高いルチアより更に背が高いヒルベルタ。切れ長の双眸と目元のホクロが妖艶な雰囲気を醸し出している女性だ。
「ヒルベルタさん…お名前知ってます。王都でも有名な仕立て屋ですよね?王家からの依頼も受けているとか…」
「まあ、ご存知でしたか?ありがとうございます。有難い事に、沢山のお客様に贔屓にして頂いております」
ヒルベルタは王都で人気の仕立て屋だ。そんな彼女をこんな田舎まで派遣出来るとは、恐るべしコンスタンツィ侯爵家とルチアは感心した。
サクサクと準備を進められ、ヒルベルタはルチアの寸法を測り始める。
「まさか、あの堅物がこんな美しい花嫁を迎えられるなんて、驚いております」
「堅物?」
「レオポルトの事です」
ヒルベルタは巻尺でルチアの腰周りを図っている。
侯爵家当主を呼び捨て、これは秘密の恋人説の再来かとルチアは息を呑んだ。
確かにヒルベルタは平民であるが、王家にも覚えめでたい人気の仕立て屋だ。
妻に娶る事も不可能ではないのではとルチアは思った。
もし秘密の恋人なのだとしたら、恋人に妻となる女性の花嫁衣装を仕立てさせるなど、レオポルトは酷い男ではないかと彼女の眉間は自然と皺が寄る。
不機嫌になったと思われたのか、ヒルベルタが慌てた様子で謝ってきた。
「申し訳ございません。彼を子供の頃から知っているので、つい敬称なしで呼んでしまいました。
実は、彼のお母様…前コンスタンツィ侯爵夫人には私が仕立て屋を始めた頃から懇意にして頂いておりました。
初めてレオポルト様にお会いしたのはこんなに小さい頃でした」
ヒルベルタが手の平で表した高さは、まだ10歳にもならないくらいの子供の身長だ。
その年齢のレオポルトと出会った時、既に仕立て屋をしていたヒルベルタ。
30歳にもなっていないだろうと思っていたのだが、彼女は現在何歳なのかとても興味が湧いてしまう。
けれど、年齢不詳の女性に年齢を聞く勇気はなかった為、何も聞かないことに決めた。
「夫人が亡くなってからは、たまにしかお会いすることは無くなってしまいましたが、少しヤンチャで可愛らしい少年でした」
「ヤンチャで可愛い?」
彼女の言葉に、ルチアは彼の顔を思い出した。あれは可愛らしさとは無縁の存在ではないか。
殆ど無表情だったと改めて思う。
「ええ。けれどご両親が亡くなり、若干16歳で爵位を継いだ後…殆ど笑わなくなったようです。
どれだけご苦労な事があったのか…一介の仕立て屋には分かりかねます。
ですから結婚が決まって、夫人もとても喜んでいることでしょう」
本当に喜んでいる様子のヒルベルタに、彼女が秘密の恋人である説が霧散してしまった。
だがヒルベルタではなく別の秘密の恋人がいる可能性は捨てきれない。
そうでもなければ、期間限定の妻など必要ないではないか。
「さて、寸法は測り終えました。後は生地とデザインですね」
ヒルベルタの仕事は完璧だった。
殆どドレスなど仕立てた事がない初心者ルチアの好みを上手く聞き出して、生地やデザインを決めていく。
その手腕たるや、やはり王家御用達の仕立て屋だと舌を巻いた。
「他に何かご要望はございますか?」
最後の確認の為にヒルベルタが質問してくる。ルチアはお気に入りのハンカチを彼女に見せた。
「この花の柄をどこかに入れて欲しいのですが…」
「まあ、カファロ織のアイリスシリーズの柄ですね」
「ご存知なんですか?」
「この業界にいて、カファロ織を知らないなんて有り得ないですわ。
カファロ織は品質もデザインも申し分ない商品ばかり…。今回もこちらに伺わせて頂けるのを楽しみにしていたのです。
ですが…流行りというのは難しいものですからね」
ルチアは、そう言ってくれたヒルベルタへの好感度がとても上がった。
「ありがとうございます」
「…そうですわね。色々と決めた後ですが…折角ですからカファロ織の生地を使いましょう。色も薄い紫…ドレスの裾にかけて広がるアイリスの花…。花を目立たせる為には、シンプルなドレスの方がいいかも知れません。
ここは、こうして…」
既に殆ど出来上がっていたデザインにどんどん手直しが加えられていく。
「こちらで如何です?」
「すごく素敵だわ」
デザイン画を見せられて、ルチアは一目で気に入った。
シンプルながらも上品で美しいドレス。まるで花の妖精だ。
「お喜びいただけたようで何よりです」
「ありがとうございます。とっても素晴らしいわ」
「とてもよくお似合いになると思います。ふふ、今から腕が鳴りますわ」
ルチアは喜んだ。
カファロ織のアイリスシリーズは、15歳で初めて採用された彼女のデザイン。やっと一人前と認められたような誇らしい気持ちになれた思い出深いものだ。
当時は嬉し過ぎて会う人会う人にその話をしていた記憶があり、今思えば浮かれていて恥ずかしい彼女の思い出の一部だ。
期間限定の妻には勿体ないほどのドレスに仕上がるだろう。だがそれは果たして良いのだろうかと疑問に思う。
しかし花嫁衣装など二度と着ることができないかも知れないので、嬉しい気持ちの方が勝ってしまった。
ルチアは、レオポルトに感謝の気持ちを持った。