36.あなたの為に
セスからレオポルトは大丈夫だと聞かされたものの、ルチアはずっと心配だった。
相変わらず執務室にこもりっきりの彼の姿を見る事は叶わない。
その日、彼女の不安が的中してしまった。
「旦那様が、倒れられました……!」
昼過ぎリリーにそう告げられ、ルチアは慌てて寝室に向かう。
ベッドに横たわっているレオポルトとその側に立つセス。
「セス!レオ様は!?」
慌てて彼に声を掛けると、セスはニコリと微笑んだ。
「大丈夫です。旦那様は眠っているだけで、ただの寝不足ですよ」
「……眠ってる?」
「はい。とうとう限界がきたんでしょう。目が覚めればスッキリすると思います」
「……そう」
ルチアは胸を撫で下ろした。
「全く……無理をなさるから」
セスが呆れたように溜息をつくと、ルチアはもう一度確認するように彼に問いかけた。
「本当に大丈夫なのよね?」
「ええ、大丈夫ですよ」
念押しする返答にルチアはホッとしていたのだが、セスはルチアに向かって驚きの言葉を発した。
「では奥様、後はよろしくお願いします」
「え?」
「旦那様に付いててあげて下さい」
「でも……」
ルチアは困惑してセスの顔を見たが、彼は有無も言わさぬような微笑みを見せた。
「よろしくお願いします……奥様」
彼の表情にルチアはコクリと頷いた。
「分かったわ」
セスは満足気な表情で綺麗な礼をすると部屋から出て行った。
誰もいなくなった後、ルチアは椅子を移動させてベッドの横に置いてそこに座る。
レオポルトの顔を見るのは久しぶりだった。少し痩せたなとルチアは思い彼のおでこに少しだけ触れる。
「熱はないわね」
寝息をたてて眠っているだけのようで、ルチアは不安だった気持ちが落ち着いてくる。
レオポルトの側にいる事を了承したものの、何をすればいいのか分からずルチアは部屋を見渡した。
ここは夫婦の寝室で、ルチアがここに入ったのは初めてだ。
部屋にはレオポルトが眠っている大きなベッド以外の家具はほとんどなかった。
そっとレオポルトの手に触れると彼の手はとても冷たく、彼女は温めるように摩った。
「ちゃんと食事と睡眠はとって下さいね……」
ルチアは子供に言い聞かせるような優しい声音で呟いた。
せめてこんな風になる前に誰かに甘えてくれればいいのにとルチアは思う。
その相手に自分がなれたら嬉しいが、レオポルトにとってその相手は彼女ではないのだ。
彼が一番辛い思いをしている時に、彼はルチアを側に近づかせなかった。それが全てを物語っているように思える。
レオポルトはアラーナのためにルチアと結婚した、だからもう彼にルチアは必要ないのかも知れない。
落ち着いたら、一年と待たずに離縁されてしまうのではないかと彼女は不安に思う。
離縁を言い渡されれば、彼女には拒否をする事が出来ない。
最初からそういう約束だったのだ。ごねる事でレオポルトに迷惑をかけるわけにはいかない。
けれど、ここを去るという想像をするだけでルチアは身が引き裂かれるような痛みを感じた。
どうすればレオポルトはルチアを必要と考えてくれるだろうか、彼女はその事ばかり考えていた。
慰めることができるのなら、アラーナの代わりでも何でもいいから側に置いてくれればと考え、すぐ様その考えを否定する。
アラーナの代わりになどなれないのは痛い程よく分かっている。
その後もルチアはずっとレオポルトの顔を見つめていた。
どれくらいの時間が経ったのか、ルチアもうつらうつらしそうになっていた時レオポルトから唸るような声が聞こえる。
「……うぅ」
「レオ様……、大丈夫ですか?」
ルチアが声を掛けると、レオポルトは気がついたのかルチアの方に視線を向けてきた。
「ル……チア?」
「はい、ルチアです。ご気分は如何ですか?倒れられたのですよ」
「倒れた……?そうか」
レオポルトは深く息を吐いた。彼がゆっくりと身体を起こそうとしたので、ルチアは慌てて彼の身体を支える。
「すまない」
「いいえ。無理はなさらないで下さい」
フラつきながらも身体を起こしたレオポルトは、自分の目元を押さえる仕草をする。
そして、ハッキリと目が覚めた様子で目を開いた。
「もう大丈夫だ。……仕事に戻る」
レオポルトはそう言い動こうとしたため、ルチアは慌てて彼の腕を掴んだ。
「おやめ下さい!倒れたんですよ。今日はもうお休み下さい」
「本当に大丈夫だ」
それでも立とうとするレオポルトに、ルチアはギュッと掴んだ手に力を入れる。
「待ってください!辛い気持ちは分かりますが、一人で抱え込まないで下さい!
お願いですから人を頼って下さい!
私は……私は、レオ様に感謝してます。だから、レオ様が心配なんです。
何でもしますから、レオ様の為なら何でもしますから……役に立たないかも知れないけれど、少しは私を頼ってくだ……きゃっ」
ルチアは言葉の途中で、突然腕を引っ張られた。
何が起こったのか分からないままに、レオポルトの顔が目の前にあったことに驚いて小さな悲鳴をあげそうになった。
ルチアはベッドに引きずり込まれ、レオポルトにのしかかられている。その状況に頭がついていかず、彼女は混乱した。
「レオ様……?」
小さな声で彼の名を呼ぶと、レオポルトはジッとルチアを見つめてくる。その瞳は今まで向けられた事がないようなもので、ルチアはこれが何を意味しているのか理解が追いつかなかった。
そして、彼はゆっくりとした口調で質問をしてくる。
「私のためなら、何でもするのか……?」
「え……?」
「何をされてもいいと、そう言えるのか?」
その瞬間ルチアはレオポルトの視線と質問の意味を理解した。
彼女に迷いはなかった。
「……はい、何でもします」
レオポルトは一瞬顔をしかめた後、ゆっくりとルチアに顔を近づけてくる。
思わずルチアはギュッと目を瞑った。
乱暴なことをされるとは思っていなかったが、覚悟を決めたとしても怖さは拭えない。彼女は少し震えていた。
緊張したまま待っていたが、唇になにか感触があるわけでもなく、のしかかられていた重みがフワリと軽くなった。
ルチアは不思議に思いゆっくりと目を開けると、レオポルトは既に彼女から離れていて、背を向けてベッドの縁に座っていた。
「すまない」
彼の声はとても辛そうに聞こえた。
その声はルチアの心臓をギュッと握り締めるような痛みを感じるものだった。
やはり自分には彼を慰められないのだろうか。
彼女は身体を起こしレオの背中にそっと触れた。その瞬間、レオポルトの身体がピクリと震える。
ルチアは意を決して彼に話しかけた。
「レオ様……私、少しでもレオ様の気が紛れるなら……。少しでも心を軽くする事が出来るのなら何でもします。
だから、私を好きにしてくださって構いま……」
「止めろ!!」
彼女の言葉を遮るように放たれたレオポルトの怒鳴り声にルチアは身体を震わせ、彼の背中から手を離してしまう。
彼を怒らせてしまったとルチアは恐怖した。
「私は……ルチアにそんな事をさせる為に、妻にしたんじゃない!!」
そう声を荒げレオポルトは立ち上がった。ルチアは茫然と彼の背中を見つめた。
「……仕事に戻る」
そう呟き、振り返る事なく彼は部屋を出て行ってしまった。
ルチアは彼が部屋から出て行くのを黙って見送る事しか出来なかった。
部屋に一人残されたルチアの瞳からポロポロと涙がこぼれる。
軽蔑されてしまった。
あんな事を言うべきではなかった。
ルチアには彼を慰める事が出来ない、何の役にも立てない。
軽蔑されただけで終わってしまった。
ルチアは静かな部屋の中で、涙を流し続けた。




